子うさぎのミューは森をさんぽしている途中、木にはられているポスターをみつけました。
森のみなさまへ
みんなで高さ1825メートルの
みどり岳へ登りませんか
医師のヤギ先生もいっしょです
森のさんがくリーダー
カモシカ
ミューは、森のはずれにきれいな円すい型をしたみどり岳をみあげました。
(あのてっぺんに登ったら、気持ちいいだろうなあ)
ミューはアヒルのギーが言っていたことを思い出しました。
「一度でいいから、ワシやツバメのように高い空がとんでみたい」。
ミューは、ギーの住んでいる池にむかいました。
ギーは、ふつうのアヒルよりおしりを大きくふって泳ぐので、すぐにみつかります。
「やあ、ミュー。なんだい?」
ギーは池の中からききました。ミューは、ポスターのことを話しました。ギーは、いっしゅん目をかがやかせましたが、それから首をゆっくり横にふりました。
「でも、この足じゃあ、むりだよ」
ギーは岸に飛び上がりました。足の片一方の足首から先がありません。
ギーがまだ小さかったころ、ぜったいに行ってはいけない、と言われていたみずうみに探検にでかけました。
ギーが気持ちよく泳いでいると、足に何かがからんできました。かまわず泳いでいると、だんだん足がしびれてきました。岸にあがってみると、透明の糸がまきついています。つり糸でした。
池のまわりに住んでいる鳥たちが、なんとか取ろうとしましたが、糸はくいこんでどうしようもありません。そのうち、血がかよわなくなり、かんかくがなくなり、むらさきいろになり、ある朝、足はなくなっていました。
ミューが言いました。
「森のだれもが安心して参加できるように、ヤギ先生がいっしょなんだと思うよ。それにギーには、おとうさんのつくってくれた義足があるだろう?」
ギーの義足は、ギーのおとうさんがなくなるまえに作ってくれたものです。
ギーの目が、強くかがやきました。
今日は、みんなでみどり岳に登る日です。空はつきぬけるように晴れています。
リーダーのカモシカを先頭にキツネの親子、おしゃれなリス、さんがくかいメンバーのフクロウ、タヌキ、それにヒツジのおじいさん、そのほか森のみんなは、みどり岳のてっぺんをめざして登っています。
だれかの口笛が風にのって聞こえてきました。ミューとギー、それにヤギ先生は、列の最後をゆっくりと歩いていました。ギーは、おしりや羽根など動くところを総動員して登るので、せなかのリュックが不器用にゆれています。
そこここの岩かげには、白い花がいくつもあつまって子うさぎがかくれているようにみえます。ギーがそれらをゆびさして、ヤギ先生の顔をみました。
「あれはね、トチナイソウの仲間だよ。それにルリシジミっていうチョウも飛んでいる。このへんまで来ると、森では見られない高山植物が多いね」
ミューたちが花やチョウに気をうばわれていると、急にあたりが真っ白になり、雨がふりだしました。ヤギ先生が、
「ガスが出てきたんだねえ。下から見ると今このへんは雲にかくれてるんだよ」
と、言いました。ギーはふりむいて、
「雲って霧だったのかあ。雲にのりたい、って思ってたけど、こりゃあ、むりだね」
笑顔で言いました。
やっと石だらけの道から土の道になりました。お天気もまた青空にもどっています。
ミューは石の道を歩いて緊張していた足をなでながら、ギーの足をみました。足首と義足のすれるところから、血がにじんでいます。
(どうしよう)
ミューはヤギ先生の顔をみました。ヤキ先生はうなづいています。ギーはあいかわらず三人の先頭です。
「ギー、ちょっとそこに腰をかけなさい」
ヤギ先生が言いました。ギーは、
「はやく行かないとおくれるよ。おくれたらみんなにめいわくだから」
そう言って、止まろうともしません。
「いいから」
ヤギ先生は、そういうとギーのまえに立ちました。ギーは、しぶしぶ近くの岩にすわりました。
「ギー、義足をはずしてみなさい」
「ここで帰ろう、と言っても帰らないから」
ギーは、ヤギ先生とミューの顔を交代にみました。
「そんなことは、言わない」
ヤギ先生は、きっぱりと言いました。
それから義足をはずした足を消毒し、ガーゼをあて、わたでくるみ、ばんそうこうでぐるぐるまきにしました。ギーは消毒のとき、顔を少しだけしかめましたが、そのあとは、ヤギ先生の手元をみつめたままでした。
(ぼくだったら、泣いているな)
ミューは思いました。
「さあ、治療はおわった。もうちょっと休んでいくか?」
ギーは首を横にふりました。そして、心配そうにしているミューの肩をかるくたたくとまた歩きだしました。
ギーの頭のうえをチョウが追い越してゆきます。
そのときです。空が光りました。そのすぐあとにガラスが何枚もいっぺんにわれるような音がしました。
しばらくすると、はるか先頭を行っているはずのリーダーの声が聞こえました。
「カミナリだ! ピンやペンダントをしているものは、みんなはずせ!」
リーダーが、さけびながらこちらへ走ってきます。ミューは何がなんだかわかりません。ヤギ先生がギーをものすごい声でよびました。つぎのしゅんかんリーダーがギーの上におおいかぶさりました。
「ミュー、はしれ! ギーからはなれろ!」
ヤギ先生のどなりごえが、カミナリの光と同時に聞こえました。
ミューは走りました。とりあえず走りました。ギーたちのすがたが小さく小さくなったころ、ミューは、先頭集団のいちばん後ろにおいつきました。
「あと、もう少ししたら山小屋がある。そ
まで一気に走れ!」
さんがくかいメンバーのフクロウが羽根をばたつかせながら前にむかって声をはりあげています。
「なるべく姿勢を低くしろ!」
ミューは、そのときはじめてギーの義足についている金属パイプのことを思い出しました。
「そうだったんだあ」
ミューはギーにむかって走りだしていました。
「もどれ! ミュー!」
フクロウが後ろからさけんでいます。
ミューはころがり、つまずきながら走りました。
ギーは、リーダーとヤギ先生にはさまれてうずくまっていました。
「もう、いっしょだからね。いっしょにいよう」
ギーは、まるですきとおった目をミューにむけたまま何もいいません。
「ミュー、先に山小屋でまっていればよかったのに…」
ヤギ先生がつぶやきました。カミナリの音はだいぶ小さくなっていました。ヤギ先生はリーダーに、
「今のあいだに、少しでも山小屋に近づきましょう。私がギーをせおいますから、あなたはミューをおねがいします」
冷静な声でした。
「ぼくは走れるから、だいじょうぶだよ」
ミューは言いました。リーダーが、
「ミュー、わたしのせなかにのりなさい。先生とわたしが本気で走れば、ミューはすぐにおいてけぼりだよ」
そのとき、何も言わなかったギーが、
「この義足、ここにおいていく」
ヤギ先生もリーダーもミューも息をのんだっきり、ことばがでません。もう一度、ギーが、
「この義足、はずしていく」
ゆっくりはっきり言いました。ヤギ先生が、
「ギー、きみの気持ちはよくわかった。でもその義足は命と同じくらい大切なはずだ。つけていなさい」
ギーが何か言おうとしているのを、リーダーも、
「そうしなさい。ヤギ先生と私が全速力で走れば、カミナリだっておいつけやしない。早くせなかにのりなさい」
ギーの肩がこきざみにふるえていました。ミューは、その肩においた手に力をこめました。
ガスのかかった空をみあげると、ヤギ先生とリーダーは走り出しました。ミューは、リーダーのせなかで力強くうごく筋肉やはげしい息づかいを感じていました。
いままでと反対のほうからカミナリの強い光が、すぐ近くを横切りました。リーダーの全身の筋肉がキュッと固くなりました。ミューは目をとじました。
それから片目をあけてギーの方をみました。ヤギ先生はいままでで一番けわしい顔になっています。その上で、ギーはうすく目をあけ、口元はすこしほころんでいるように思いました。
そして、やわらかく落ちないくらいにヤギ先のせなかをかかえています。ミューはギーのそんな表情をみたことがありません。
山小屋がようやくみえてきました。みんなもう中に入っています。リーダーとヤギ先生が、ものすごい勢いで山小屋に飛び込んだそのとき、カミナリは小屋近くの大木を直撃しました。
山小屋のなかでは、だれもが息をつめて待っていました。飛び込んできたミューとギー、それにヤギ先生とリーダーの姿を、みんなはまばたきもせずに見つめました。
ミューは、ギーのケガもなく無事を確認すると、ミューはギーに飛びつきました。そしてミューはギーの顔をのぞきこみました。ギーの笑っている顔が、なみだでぼやけて見えました。ギーは、何も言わずに羽根でミューのせなかをたたいています。
ひとり、だれかの手をたたく音がしました。ふたり、さんにん、その音はじょじょにひろがって、やがて大きな拍手は山小屋いっぱいになりました。
やがて、みんなはリーダーとヤギ先生をかこんでしゃべりはじめました。
ギーは、リュックサックのポケットから一粒のキャンディをとりだし、ミューの手のひらの上におきました。ミューの大好きなにんじんキャンディでした。そのあと、ギーはまどぎわにすわって、カミナリにうたれて真っ二つにさけてしまった木を、ずーっとみていました。
みどり岳に登ってから一週間がたちました。ミューとギーは、池のそばにすわりこんで話ています。夕日がふたりをつつみはじめました。
ギーは、ふと遠くをみつめて、
「でも雨がやんで、山のてっぺんからみた雲海はすばらしかった…。それから下りる途中でガスのとぎれとぎれに、森や池がはるか下にみえただろう? あのながめ、ぼくはわすれないと思うよ。一生ね」
それから、ギーは、とびっきりの笑顔をミューにむけました。
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