富士山さまざま
Mt.Fuji's beautiful photos
& 紅葉、桜、花の名所
注:Sannetが2020年3月廃業。Biglobeへ移転。
箱根・乙女峠の富士①
箱根・乙女峠の富士②
箱根全景
マーケティング戦略の実践
マーケティング戦略とは、顧客が気づいていないニーズやベネフィット
(顧客が満足感を持つ利点)を顧客に気づかせ、さらに新しいベネフィットを
開発し、絶えずプライスベネフィット(価格対満足感比)を向上させること
によって、顧客に新鮮な購入満足感を持ってもらう企業全体の活動である。
別の言い方をすると、需要創造を続けるための組織全体の販売工夫
(はんばいくふう)活動である。
小売業界やフードサービス業界で一般的になったショツピング・モール全体
(例:ラスカ熱海)、商業集積地全体、地域全体(例:黒川温泉)、あるいは
業界全体の需要取り込み活動は、まさに、マーケティング戦略実践である。
戦国時代、織田信長に仕えたた木下藤吉郎は、武技や格闘能力や学識は
特にすぐれてはいなかったが、高度のマーケティング実践力を身につけて
いた。藤吉郎は足軽のときから、主人・信長の刻々変わる二ーズを的確に
見ぬき、タイムリーに問題解決のために自発的に行動し、実績を積み
重ねることによって、異例の大出世をとげた。
信長は、藤吉郎のような足軽に、自分の二ーズを教えることはなかった。
藤吉郎のほうも、信長が教えてくれるとは微塵も期待していなかった。
藤吉郎は常に情報感度を研ぎすまして、信長が直面している状況の変化を
レーダー的情報収集力で的確につかみ、信長の二ーズを見ぬき続けた。
企業経営者は、顧客を信長と考えなければならない。顧客が二ーズを
教えてくれることを期待してはならない。顧客二ーズは、藤吉郎のように、
企業経営者が自力で見ぬかなけばならない。
潜在顧客を発見して、隠れているニーズを見抜くためには、レーダーの
ように自分の方から電波を発射して情報を収集しなければならない。
藤吉郎は、蜂須賀小六や、竹中半兵衞や、黒田官兵衞などの
優れたスタッフの知恵をフルに引き出し、把握した信長のニーズを
満足させる様々な創意工夫で信長の信頼を深めていった。
特筆すべきことは、藤吉郎は、これらの優れたスタッフを、権力、武力、
暴力、カネの力で部下にしたのではなく、理念、情報力、判断力、戦略、
方針等で部下にすることができたということである。
これからの時代の企業間競争において勝ちぬけるかどうかは、
企業経営者が、藤吉郎的マーケティング実践力を身につけているか
どうかにかかっている。
晩年の、藤吉郎が変わり果てた豊臣秀吉と、淀・秀頼親子の姿は、まさに
若き日の藤吉郎の正反対であった。
豊臣家の滅亡は当然であった。
三国峠から見た富士山:2008年3月29日林田甫氏撮影:
この映像は林田甫氏の許諾をいただいて転載しています。
コピー及び転載は禁止します。
You tube: Autumn colors in Hakone 秋の箱根の紅葉名所
大観山から見た冬の富士山と芦ノ湖
芦ノ湖全景
富士山と陸自東富士演習場・新東名
箱根全景
箱根駒ヶ岳山頂
富士山周辺一帯
笛吹市新道峠から
外国人観光客に人気の新倉山浅間公園の富士
三つ峠から見た富士山・富士山ライブカメラ映像:06年11月8日午前7時撮影
NTTドコモ山梨の許諾をいただいて転載しています。コピー・転載は禁止します。
大月市上空から見た富士山
名橋・猿橋は秋真っ盛り
名橋・猿橋は秋真っ盛り
忠臣蔵で著名な柳沢吉保、三菱の創業者・岩崎彌太郎の権勢を
今に示す広壮な庭園。老人入園料65円のありがたい施設です。
河口湖の紅葉と富士山:07年11月14日林田甫氏撮影:『富士山のページ』
この映像は林田甫氏の許諾をいただいて転載しています。
コピー及び転載は禁止します。
河口湖の桜
西湖の芝桜富士
秋の本栖湖の富士
精進湖の富士
忍野村の富士::2016年1月21日
忍野八海の富士::2018年1月25日
正確な月次決算を締め後5日以内に
正確な月次決算が、締め後何日でできるかは、企業の業務管理水準を
具体的に示すものである。
締め後、10日経っても、20日経っても月次決算ができない企業は、
これからの時代、生き残ることは難しい。
経理責任者を入れ替えて、締め後5日以内に、正確な月次決算結果が
出るようにすることが、生き残るために必要である。
そのために、企業の業務管理においてなすべきことはいろいろある。
まず、発生主義に基づいて、伝票の起票と入力を即日行う習慣を
徹底することである。必要ならば、伝票フォームの改正・追加も行うことである。
伝票内容の入力も、必要ならば月末時には、人員を追加して行うべきである。
次に、在庫商品の実地棚卸しを社員全員で行うことである。
実地棚卸し表のフォームも再検討して改善しなければならない。
迅速・正確な月次決算によって、企業経営者は、、毎月の企業実態を
的確に把握することが必要である。個人でいうならば、自分自身の
健康状態の的確な把握が必要ということである。極めて単純な事ながら、
毎月の実地棚卸の実施と、それに基づく、営業利益の把握という事が
企業の計数管理の根本である。
毎月、固定費生産性と労働分配率を的確に把握すると共に、
経費の徹底的見直し、経費の徹底的節減が欠かせない。
企業経営者は、信用差額と経常収支を毎月点検して資金体質を
改善しなければならない。
月次決算を迅速・正確にできない企業が生き残ることは難しい。
企業経営者は、これらの数字を正確に把握した上で、1か月先、3ヶ月先、
半年先の資金繰りについてシミュレーションを繰り返し行うことが
必要である。資金繰り予算を絶えずチェックするということである。
企業経営者は、数字を把握したうえで、企業の現状を文書に記述して、
企業実態把握に誤りはないかを冷静に考えなければならない。
これは、たとえていうならば、遠洋航海において、絶えず天体観測を行い、
自分の船の現在位置を確認し、航海日誌に記録しながら航行する
ということである。
企業経営者の【ひとりよがりの思い込み】によって判断を誤ってはならない。
2016年元日、山中湖畔から見た富士
初夏の富士
2017年元日の富士山
三津浜スカンジナビア号から見た富士山:2002年1月10日志村英盛撮影
快晴、厳寒期の三津浜・富士
達磨山からの富士山
大雪翌日
身延七面山山頂より
駿河湾-富士市-富士山-愛鷹山-沼津市-三津浜 一帯
富士宮市から
富士市役所隣消防防災庁舎から
富士市岩本山公園の富士
富士山と茶畑
富士宮市田貫湖畔から見た富士山 ライブカメラ映像:
08年2月25日12時16分撮影 この映像は「環境省生物多様性センター」運営の
「インターネット自然研究所」の許諾をいただいて掲載しています。
コピー・転載は禁止します。
富士宮市浅間大社から見た富士山
富士市田子の浦漁港・吉原駅一帯 & 富士山
田子の浦
田子の浦漁港から見た富士山
初冬の清水港の富士
日本平の富士
静岡県庁21階から見た富士山
横浜市円海山山頂から見た富士
河口湖畔高台
今冬いちばんの寒さと空気乾燥度最高(湿度最低)日の富士山
十国峠から見た冬の富士山
大井町おおいゆめの里から見た富士山
江ノ島から見た富士山
2016年5月12日、富士市より見た富士
柳沢峠茶屋から見た初夏の富士山
山中湖村花の都公園から見た夏の富士山
予習挑戦型人財が増える
ポジティブな組織風土にしよう
風土とは土壌・地形・気候を全体としてとらえた自然環境のことである。
恵まれた日本の風土と大きく異なり、アフリカやシナイ半島の砂漠の風土では
種をまいても植物は育たない。
企業の組織風土とは、企業において人々が働くための、組織、ルール、
行動慣習、思考様式、価値観、意思決定を全体としてとらえた企業環境
のことである。
日本の経済成長を支えてきた、トヨタ、ホンダ、パナソニック等、
優れた企業のポジティブな組織風土は社会に貢献する人財、ベネフィットを
創り出す人財を数多く育ててきた。
これとは大きく異なり、一攫千金を至上とした米国の投資銀行・
リーマン・ブラザース等のマネー・ゲーム企業の
ネガティブな組織風土は、米国のビジネス・スクールを出た
優秀な経営修士から、実に多数の金融詐欺師たちを生み出し、
社会に大きな惨禍をもたらした。
大金を懐にいれて、金融詐欺師たちはいち早く遁走して姿を眩ました。
しかしながら、金融工学詐欺=金融危機ため、世界各国は大不況に陥り、
大きな経済的ダメージを蒙った。
特に、まじめに働いていた数千万人の労働者に、失業という惨禍をもたらした。
現在に至も、世界各国で多くの人々が、金融工学詐欺に起因する企業の崩壊、
消費沈滞、設備投資不振などによる経済的惨禍に苦しんでいる。
予習挑戦型マネジャーが特に重要
黒字企業と赤字企業の大きな違いの一つは、予習挑戦型人財が増えていく
ポジティブな組織風土であるか、それとも予習挑戦型人財が減ってしまう
ネガティブな組織風土であるかという組織風土の違いである。
人財が増えるポジティブな組織風土は、
また相互信頼感が強まる組織風土でもある。
ドラッカー教授は『現代の経営』(ダイヤモンド社1996年1月発行、原著は1986年発行)の
『第10章 フォード物語』で、「わずか15年の間に起こった
成功から崩壊に至るフォード物語ほど、劇的なものはない」
「自動車業界では、この15年の間、フォードは一度として黒字だった年は
なかったと広く信じられている(おそらく間違いではあろうが)」
「その現実はあまりにひどく、再建は難しい、あるいは、人によっては
不可能とまでいうほどだった」
「ヘンリー・フォードの経営の失敗の根本原因は、
10億ドル規模という巨大企業を
マネジャー(=経営管理者)抜きでマネジメントしょうとした
ことにあった」と述べている。
経営者が企業を私物視しているような企業のネガティブな組織風土では
有能な予習挑戦型マネジャーは増えない。
ヘンリー・フォードの経営の失敗の根本原因は、フォードの組織風土を
予習挑戦型マネジャーが増えないネガティブな組織風土にしてしまった
ことである。
日経ビジネス05年1月3日号第46頁~第47頁は
『中間層なき悲劇 西武凋落は人材育成を怠ったツケ』
という見出しで、
「会社を支えるミドル(中間層)が機能せず、現場の活力が失われていく」
「ミドル不在の断層が拡大して組織は機能不全に陥った。
西武グループの悲劇は、
強すぎるカリスマと弱すぎるマネジメント層から成る
前近代的組織が生んだ悲劇だ」と述べている。
ドラッカー教授がフォード物語で取り上げた経営失敗事例の
典型的な日本版が西武グループである。
日経産業新聞05年2月24日第3面は1兆4000億円にも上る
グループ有利子負債を生んだ元凶とされるホテル・リゾート事業は、
食器一つに至るまですべて堤義明氏の一存で決められてきた。
「ホテル・リゾートは前会長のロマンを形にした事業だったが、
もっと採算を考えてほしかった」
「堤義明氏は、自分はグループの管理者ではなく、所有者であると
勘違いした裸の王様」と報じている。
読売新聞(朝刊)05年2月24日第39面は「全国でホテルやスキー場、
ゴルフ場などの観光施設を経営するコクドは、
バブル経済の崩壊で経営が悪化、1996年から昨年まで、
毎年の赤字額は約93億円-約25億円に上った」と報じている。
堤義明氏は巨大な西武グループの組織風土を、
予習挑戦型人財が増えない
ネガティブな組織風土にしてしまった。
明晰な頭脳、強い意志、迅速な行動力を身に付けていた堤義明氏の失敗は
『現代の経営』でドラッカー教授が指摘した自動車王ヘンリー・フォードの失敗と
完全に同じである。
別の視点から見た前近代的な ネガティブな組織風土の大きな問題点は、
組織内における情報交流密度が著しく低い(情報量自体が極めて少ない上に、
情報交流がほとんど無い)ことと、組織内におけける分業・分担の改善が
ほとんどないということである。
その典型的な実例が、旧大日本帝国の旧陸軍と旧海軍である。
敗戦前の旧陸軍・旧海軍においては、新兵に対する私的リンチが
毎日毎晩行われていた。しかし、なんらの私的リンチ禁止策は行われ
なかった。
特攻に代表される、参謀と称する高級将校の作戦判断・指揮は
デタラメを極め、人命尊重意識はひとかけらもなかった。
敗戦前、名参謀と詐称された陸軍参謀・辻政信はその典型であった。
旧陸海軍の、無知・無能・無策・無責任な最高指導者たちと高級参謀たちが
行った15年間(1931年-1945年)の昭和戦争の惨禍を体験している者は、
ネガティブな組織風土の恐ろしさを忘れることができない。
最近、問題になっている過労死も、組織内における
分業・分担の改善がほとんどないことが根因である。
つまり、言い換えるならば、
予習挑戦型マネジャーが不在か、
あるいは、表面的には存在する組織のマネジャーが、
無知・無能・無策・無責任で、組織のメンバー間の分業・分担が
惰性的な成り行き任せで行われており、改善がないことが根因である。
秋たけなわ、日光・竜頭の滝
小田原城址公園
小田原城址公園
小田原城址公園
秋の神居古潭
豊平峡ダムの秋
乳頭温泉
水原秋櫻子絶賛の紅葉の照葉峡・武尊山(ほたかさん)一帯:
2006年10月17日志村英盛撮影
照葉峡・武尊山(ほたかさん)一帯
水原秋櫻子絶賛の照葉峡
上田城跡公園
松代-上田-吾妻渓谷-沼田一帯
群馬県吾妻渓谷
大阪城一帯
Re:咸臨丸の冒険を成功させたブルック大尉
咸臨丸(かんりんまる)の冒険を成功させたのは米国人のブルック大尉であった。
往路、船長・勝海舟は、病気のため、船室に閉じこもりきりで、操艦指揮は
まったくできない状態だった。さらに、往路、日本人士官たち・日本人水夫たちは
ほぼ全滅状態で、ジョン万次郎と数人を除いて、船室で寝たきりであった。
ブルック大尉が、ジョン万次郎と米国人水夫10人を指揮して、冬の北太平洋横断
という大冒険を成功させたのである。
木村摂津守の従者として同乗した福沢諭吉は元気溌剌であった。
帰国後、率直に、この勝海舟の大失態を語っている。
しかし、勝海舟は、この大失態になんらめげることなく、
その後も、前進を続け、日本の歴史に特記される数々の偉業を成し遂げた。
マーケティング戦略の実践
マーケティング戦略とは、顧客が気づいていないニーズやベネフィット
(顧客が満足感を持つ利点)を顧客に気づかせ、さらに新しいベネフィットを
開発し、絶えずプライスベネフィット(価格対満足感比)を向上させること
によって、顧客に新鮮な購入満足感を持ってもらう企業全体の活動である。
別の言い方をすると、需要創造を続けるための組織全体の販売工夫
(はんばいくふう)活動である。小売業界やフードサービス業界で一般的になった
ショツピング・モール全体(例:ラスカ熱海)、商業集積地全体、
地域全体(例:黒川温泉)、あるいは業界全体の需要取り込み活動は、
まさに、マーケティング戦略実践である。
戦国時代、織田信長に仕えたた木下藤吉郎は、武技や格闘能力や学識は
特にすぐれてはいなかったが、高度のマーケティング実践力を身につけていた。
藤吉郎は足軽のときから、主人・信長の刻々変わる二ーズを的確に見ぬき、
タイムリーに問題解決のために自発的に行動し、実績を積み重ねることによって、
異例の大出世をとげた。
信長は、藤吉郎のような足軽に、自分の二ーズを教えることはなかった。
藤吉郎のほうも、信長が教えてくれるとは微塵も期待していなかった。
藤吉郎は常に情報感度を研ぎすまして、信長が直面している状況の変化を
レーダー的情報収集力で的確につかみ、信長の二ーズを見ぬき続けた。
企業経営者は、顧客を信長と考えなければならない。顧客が二ーズを
教えてくれることを期待してはならない。顧客二ーズは、藤吉郎のように、
企業経営者が自力で見ぬかなけばならない。
潜在顧客を発見して、隠れているニーズを見抜くためには、レーダーのように
自分の方から電波を発射して情報を収集しなければならない。
ニ-ズの変化を見抜き、いちばんおそろしい、ニーズと自社商品・サービスとの
ミスマッチ(隔離)の拡大を防がなければならない。
かって日本を代表していた東芝やシャープのあまりにもの無惨な転落は、
最高給経営者たちの超怠慢・無能力によるミスマッチが原因である。
藤吉郎は、蜂須賀小六や、竹中半兵衞や、黒田官兵衞などの
優れたスタッフの知恵をフルに引き出し、把握した信長のニーズを
満足させる様々な創意工夫で信長の信頼を深めていった。
特筆すべきことは、藤吉郎は、これらの優れたスタッフを、権力、武力、
暴力、カネの力で部下にしたのではなく、理念、情報力、判断力、戦略、
方針等で部下にすることができたということである。
これからの時代の企業間競争において勝ちぬけるかどうかは、
企業経営者が、藤吉郎的マーケティング実践力を身につけているか
どうかにかかっている。
晩年の、藤吉郎が変わり果てた豊臣秀吉と、淀・秀頼親子の姿は、まさに
若き日の藤吉郎の正反対であった。
豊臣家の滅亡は当然であった。
水戸弘道館:08年3月11日、志村英盛撮影
水戸偕楽園好文亭表門:08年3月11日、志村英盛撮影
水戸偕楽園と千波湖:、2008年3月11日、志村英盛撮影
御殿場線山北駅付近の桜トンネル
御殿場線山北駅付近の桜トンネル
三島市白滝公園
三島市白滝公園
修禅寺の紅葉
修善寺温泉桂橋の紅葉
伊豆・河津桜 満開
高遠城址公園のコヒガンサクラ満開:07年4月13日9時20分撮影
蔵王温泉
You tube::Autumn colors in Mt.Zao 美しい蔵王山の紅葉
中禅寺湖を取り巻く山々
You tube: Autumn colors in Nikko奥日光と中禅寺湖の紅葉
わたらせ渓谷鉄道
秋の奥入瀬渓谷
You tube:Autumn leaves in Oirase Stream奥入瀬渓流の美しい紅葉
苗場のドラゴンド
鳴子峡
鳴子峡
You tube:Autumn colors in Narukokyo 紅葉の鳴子峡 ドローン空撮
磐梯山と裏磐梯
Re:安積(あさか)疏水の恩人、ファン・ドールン物語
秋の裏磐梯
You tube: Autumn colors in Urabandai 裏磐梯の紅葉
松平容保(まつだいら かたもり)と会津藩の悲劇
-指導者の情報収集責任、
なぜ必死にレーダー的情報収集をしなかったのか?
秋の那須・茶臼岳
秋の塩原
秋の猊鼻渓の舟下り
奥只見湖の堰堤から
紅葉最盛期の奥只見湖
上越国境の山々
赤城山大沼の秋
湯沢高原
You tube:新潟の紅葉スポット
北八ヶ岳・白駒の池
宝剣岳・千畳敷カール一帯
晩秋の宝剣岳千畳敷カール
You tube:千畳敷カール紅葉・中央アルプス
九蔵峠から見た御嶽山と開田高原一帯:開田高原観光案内所 08年10月22日撮影
この映像は開田高原観光案内所の許諾をいただいて掲載しています。
コピー及び転載は禁止します。
南アルプス・白鳳渓谷の秋
立山連峰・黒部湖・北アルプス
黒部ダムの紅葉 You tube:動く展望台・立山ロープウェイから紅葉を眺める
妙高高原の秋
黒部峡谷の秋
新穂高ローブウェイの秋
長野県小谷村栂池自然園
舞鶴市金剛院
歴史を感じる丹波市高源寺
秋の京都
You tube:Autumn colors in Kyoto Japan 京都秋艶紅葉
京都・嵯峨野・祇王寺の秋
秋の定番・京都の保津川下り
神戸の有馬温泉
東京都・奥多摩・鳩ノ巣渓谷の燃える紅葉
阿蘇カルデラ
水郷・潮来あやめ祭り
予習挑戦型人財が増える
ポジティブな組織風土にしよう
風土とは土壌・地形・気候を全体としてとらえた自然環境のことである。
恵まれた日本の風土と大きく異なり、アフリカやシナイ半島の砂漠の風土では
種をまいても植物は育たない。
企業の組織風土とは、企業において人々が働くための、組織、ルール、
行動慣習、思考様式、価値観、意思決定を全体としてとらえた企業環境
のことである。
日本の経済成長を支えてきた、トヨタ、ホンダ、パナソニック等、
優れた企業のポジティブな組織風土は社会に貢献する人財、ベネフィットを
創り出す人財を数多く育ててきた。
これとは大きく異なり、一攫千金を至上とした米国の投資銀行・
リーマン・ブラザース等のマネー・ゲーム企業の
ネガティブな組織風土は、米国のビジネス・スクールを出た
優秀な経営修士から、実に多数の金融詐欺師たちを生み出し、
社会に大きな惨禍をもたらした。
大金を懐にいれて、金融詐欺師たちはいち早く遁走して姿を眩ました。
しかしながら、金融工学詐欺=金融危機ため、世界各国は大不況に陥り、
大きな経済的ダメージを蒙った。
特に、まじめに働いていた数千万人の労働者に、失業という惨禍をもたらした。
現在に至も、世界各国で多くの人々が、金融工学詐欺に起因する企業の崩壊、
消費沈滞、設備投資不振などによる経済的惨禍に苦しんでいる。
予習挑戦型マネジャーが特に重要
黒字企業と赤字企業の大きな違いの一つは、予習挑戦型人財が増えていく
ポジティブな組織風土であるか、それとも予習挑戦型人財が減ってしまう
ネガティブな組織風土であるかという組織風土の違いである。
人財が増えるポジティブな組織風土は、
また相互信頼感が強まる組織風土でもある。
ドラッカー教授は『現代の経営』(ダイヤモンド社1996年1月発行、原著は1986年発行)の
『第10章 フォード物語』で、「わずか15年の間に起こった
成功から崩壊に至るフォード物語ほど、劇的なものはない」
「自動車業界では、この15年の間、フォードは一度として黒字だった年は
なかったと広く信じられている(おそらく間違いではあろうが)」
「その現実はあまりにひどく、再建は難しい、あるいは、人によっては
不可能とまでいうほどだった」
「ヘンリー・フォードの経営の失敗の根本原因は、
10億ドル規模という巨大企業を
マネジャー(=経営管理者)抜きでマネジメントしょうとした
ことにあった」と述べている。
経営者が企業を私物視しているような企業のネガティブな組織風土では
有能な予習挑戦型マネジャーは増えない。
ヘンリー・フォードの経営の失敗の根本原因は、フォードの組織風土を
予習挑戦型マネジャーが増えないネガティブな組織風土にしてしまった
ことである。
日経ビジネス05年1月3日号第46頁~第47頁は
『中間層なき悲劇 西武凋落は人材育成を怠ったツケ』
という見出しで、
「会社を支えるミドル(中間層)が機能せず、現場の活力が失われていく」
「ミドル不在の断層が拡大して組織は機能不全に陥った。
西武グループの悲劇は、
強すぎるカリスマと弱すぎるマネジメント層から成る
前近代的組織が生んだ悲劇だ」と述べている。
ドラッカー教授がフォード物語で取り上げた経営失敗事例の
典型的な日本版が西武グループである。
日経産業新聞05年2月24日第3面は1兆4000億円にも上る
グループ有利子負債を生んだ元凶とされるホテル・リゾート事業は、
食器一つに至るまですべて堤義明氏の一存で決められてきた。
「ホテル・リゾートは前会長のロマンを形にした事業だったが、
もっと採算を考えてほしかった」
「堤義明氏は、自分はグループの管理者ではなく、所有者であると
勘違いした裸の王様」と報じている。
読売新聞(朝刊)05年2月24日第39面は「全国でホテルやスキー場、
ゴルフ場などの観光施設を経営するコクドは、
バブル経済の崩壊で経営が悪化、1996年から昨年まで、
毎年の赤字額は約93億円-約25億円に上った」と報じている。
堤義明氏は巨大な西武グループの組織風土を、
予習挑戦型人財が増えない
ネガティブな組織風土にしてしまった。
明晰な頭脳、強い意志、迅速な行動力を身に付けていた堤義明氏の失敗は
『現代の経営』でドラッカー教授が指摘した自動車王ヘンリー・フォードの失敗と
完全に同じである。
別の視点から見た前近代的な ネガティブな組織風土の大きな問題点は、
組織内における情報交流密度が著しく低い(情報量自体が極めて少ない上に、
情報交流がほとんど無い)ことと、組織内におけける分業・分担の改善が
ほとんどないということである。
その典型的な実例が、旧大日本帝国の旧陸軍と旧海軍である。
敗戦前の旧陸軍・旧海軍においては、新兵に対する私的リンチが
毎日毎晩行われていた。しかし、なんらの私的リンチ禁止策は行われ
なかった。
特攻に代表される、参謀と称する高級将校の作戦判断・指揮は
デタラメを極め、人命尊重意識はひとかけらもなかった。
敗戦前、名参謀と詐称された陸軍参謀・辻政信はその典型であった。
旧陸海軍の、無知・無能・無策・無責任な最高指導者たちと高級参謀たちが
行った15年間(1931年-1945年)の昭和戦争の惨禍を体験している者は、
ネガティブな組織風土の恐ろしさを忘れることができない。
最近、問題になっている過労死も、組織内における
分業・分担の改善がほとんどないことが根因である。
つまり、言い換えるならば、
予習挑戦型マネジャーが不在か、
あるいは、表面的には存在する組織のマネジャーが、
無知・無能・無策・無責任で、組織のメンバー間の分業・分担が
惰性的な成り行き任せで行われており、改善がないことが根因である。
横浜の桜名所・大岡川
横浜根岸森林公園馬の博物館
横浜・港の見える丘公園・山手111番館バラ満開
鎌倉・長谷寺
鎌倉・明月院あじさい満開
横浜・八景島の紫陽花満開
鎌倉・円覚寺
鎌倉・覚園寺
湯河原・万葉公園
道の駅「天城越え」昭和の森会館庭園
道の駅「天城越え」昭和の森会館庭園
伊豆・湯ヶ島-天城峠-大滝-湯ヶ野一位
道の駅「天城越え」昭和の森会館庭園
企業も、個人も、
技術・技能・ノウハウ習得のための
先行投資を怠るな!
年度経営方針書に基づく経営、幹部教育、及び
社員教育の三つを、毎年着実に行っている企業は、
ここ、数十年来、着実に企業進化を遂げている。
亀戸天神「藤まつり」開催中!人出を祝って数十店出店。外国人見物客も多い!
亀戸天神「藤まつり」開催中!
横須賀しょうぶ園・ふじまつり・みごとな藤いっぱい
横須賀しょうぶ園・ふじまつり・みごとな藤いっぱい
横須賀しょうぶ園・ふじまつり・みごとな藤いっぱい
横須賀市しょうぶ園・しょうぶ満開
横須賀市しょうぶ園・しょうぶ満開
横須賀市しょうぶ園・しょうぶ満開
静岡県森町(遠州森)の鹿苑山(ろくおんざん)香勝寺(こうしょうじ)ききょう園
はまぎん こども宇宙科学館前の萩、満開
日本一の伊豆沼のハス満開:2007年8月14日午前7時、志村英盛撮影
仁徳天皇陵:堺市資料
参考情報:天皇の陵(みささぎ)等の所在地:
現在宮内庁が管理している天皇の陵(みささぎ)は陵(みささぎ)に準ずる陵墓(りょうぼ)
参考地も含め127箇所である。
京都市に74箇所、奈良県に32箇所、堺市を含む大阪府に15箇所、その他に6箇所ある。
その中で堺市の仁徳天皇陵は日本最大の規模である。
参考サイト:日本の巨大古墳100
山国川
中津市耶馬溪・山国川と青の洞門
Re: Youtube: 朗読・菊池寛「恩讐の彼方に」
秋の中津市耶馬溪渓石園
高千穂峰-えびの高原一帯
渡部まなぶ氏撮影 高千穂峰火口
学び続けることは最高の幸福です。
意識も頭も身体も、
使わないと、どんどん錆びつく!(廃用性萎縮)
学び続けることは
廃用性萎縮を防ぐ最良の健康法です。
2015年12月 文化出版局 発行
志村冨美子・
横浜レース教室、本郷台レース教室 TEL:045-352-7184
Re:昭和戦争の惨禍の責任
米国海軍は当時の日本海軍には無かった最新鋭のレーダーを持っていた。
空中の戦闘機に無線電話で作戦指令を行う空中戦闘システムと
それを動かすシステム要員を持っていた。
43年に完成した米国の最新鋭戦闘機ヘルキャットの性能と
防護力は日本のゼロ戦をはるかに超えるものであった。
しかもVT信管と呼ばれる対空砲火の威力を飛躍的に高めた機能を
備えた防御兵器で、米国戦闘機の攻撃の網をくぐり抜けた日本の
艦隊攻撃機をことごとく撃墜した。
当時の【無知で愚か】であった旧日本帝国海軍の最高指導者たちと、
高級参謀たちは、誰一人として、これらの米国海軍の最新装備に
ついての情報を持っていなかった。
第二次大戦中、
日本陸軍の主力である歩兵の訓練の最重点は、
射撃・銃剣術・行軍の三つであった。射撃は三八式単発歩兵銃を
ポツン、ポツンと撃つことであり、銃剣術は、その小銃さえ撃たずに、
小銃の先に付けた小さな銃剣で敵を突き刺す白兵戦のためのものであり、
行軍は文字通りただただ歩くことである。
日露戦争どころか、
19世紀以前の軍隊、戦国時代の軍隊と基本的には変わらない。
日露戦争後、さらに第一次大戦後、旧日本陸軍の最高指導者たちと
高級参謀たちが必死に取り組まなければならなかったことは、
日露戦争時の白兵突撃によるおびただし戦死者を出さないように、
軍備・兵器を近代化することであったはずである。
無知で愚かであった旧日本帝国陸軍の最高指導者・高級参謀たちの
無能・無策・無責任を嘆かずにはいられない。
戦前、戦中の日本国民が『陸軍』という言葉から思い浮かべるのは
『歩兵部隊』であった。
スタ-リンのソ連国民にとっては
『陸軍』とは『戦車部隊』以外の何物でも無かった。
日本の砲兵が一発撃つと、ソ連軍からその何倍も返ってくるので、
歩兵は砲兵に「射撃をしないでくれ」と頼んだこともあったという。
防衛庁戦史室編纂のノモンハン事件の記述には、
「彼我の兵力、ことに火力差は著大で、ソ連軍の攻撃ぶりは
まさしく圧倒という表現がふさわしいものであった」、
「当時の日本砲兵は対砲兵戦において、ほとんど問題にならなかった」とある。
ソ連軍とは、このような大きな兵力格差・補給力格差が存在していた
にもかかわらず、辻政信の「満ソ国境紛争処理要綱」は、
「敵の不法行為に対しては、断固徹底的に膺懲することによりてのみ
事件の頻発又は拡大を防止し得ることはソ連軍の特性と過去の実績とに徴し
極めて明瞭なる所以を部下に徹底し、特に第1線部隊においては、
国境付近に生起する戦闘の要領を教育し、いやしくも戦えば
兵力の多寡、理非の如何に拘わらず必勝を期す」との
滅茶苦茶な指令であった。
「めくら蛇におじず」という言葉がある。辻政信の心理と行動に
ぴったりあてはまる言葉である。
三八式歩兵銃
参考情報:栗原俊雄著『シベリア抑留』(岩波新書 09年9月発行)第8頁抜粋:
1945年夏、関東軍は18歳から45歳までの在満邦人男子約20万人を召集した。
【根こそぎ動員】である。関東軍の主な武器は明治38年(1905年)に制式化された
旧式の三八式歩兵銃であったが、この旧式歩兵銃すら召集兵士全員には行き渡らず、
銃がほとんどない部隊があった。新京では召集令状に「各自、必ず、武器となる
出刃包丁、及びビール瓶2本を携行すべし」とあった。出刃包丁は槍の穂先にする。
中世の武器である。
ビール瓶は火炎瓶に転用する。出刃包丁より【近代的】であった。
涙が出てくる。悲しい話である。
日本軍歩兵の進軍光景
『ノモンハン戦争から学ぶべきこと』抜粋
全ての戦車・装甲車のガソリン・エンジンをディーゼル・エンジンに取り替え、ハルハ河に
12本の架橋を行った後、1939年8月20日、ジューコフが指揮したソ連軍は、
515機の航空機による爆撃、ハルハ河西岸の台地にあり東岸の日本軍陣地を見下ろす
コマツ台地からの重砲による約3時間にわたる砲撃の後、
戦車498両、装甲車385両、火砲・迫撃砲634門、機関銃2,255丁を中心に、
兵員5万7,000名をもって、ハルハ河東岸のモンゴル領内の日本軍殲滅作戦を開始した。
この作戦のために、ジューコフが準備させた弾薬等の物資は、砲兵弾薬1万8000トン
(野砲弾薬換算約280万発)、空軍弾薬6500トン、各種燃料1万5000トン、各種糧食
4000トン、燃料7500トン、その他の資材1000トンで、合計5万2000トンであった。
銃剣による白兵突撃と火炎瓶による肉弾攻撃という戦国時代の原始的な戦術発想で、
装備とか補給など考えたこともないとすら思われる辻政信ら関東軍高級参謀たちや、
関東軍司令官、第六軍司令官、第23師団長などの関東軍の最高指導者たちには、
まったく想像できない圧倒的な量の戦闘物資をジューコフは日本軍殲滅作戦に投入した。
日本軍は兵員こそ2万数千人であったが、それまでの戦闘で戦車の大半を失い、
残った戦車も皆引き揚げており、この時は戦場には日本軍戦車は皆無であった。
火砲はわずか100門であった。
火炎瓶を手に、肉弾攻撃で必死に反撃したが、ディーゼル・エンジンの戦車・装甲車には
まったく効果なく、圧倒的に優勢なソ連軍の火力攻撃により日本軍は壊滅し、敗走した。
大敗北であった。日本軍はモンゴルが主張する国境線の外へ完全に追い払われた。
資料出所:古是三春(ふるぜ みつはる)著 『ノモンハンの真実-日ソ戦車戦の実相』
嘘の塊・騙しの名人
(キチガイ詐欺師)