大久野島 訪問記 3 (2012年8月)


坂道を上がってすぐに「北部砲台跡」に到着。
案内プレートによると、ここには24cm加農(カノン)砲4門と、12cm速射加農砲4門が設置されていたそうです。

 


 

左は24cm加農砲の砲台跡で、現在は3基残っています。
24cm砲は国産なのかな?と調べてみましたが見つからず、当時の大口径砲の国産化は困難であった事から輸入品かも知れません。

右は12cm速射加農砲の砲台跡で、海岸から結構近いです。
遠方の敵艦は24cm砲、近接は12cm砲で砲撃するという戦法だったのでしょうか?
これら砲台は、大久野島〜忠海町間の海上に現れた敵艦が目標だと思いますが、対岸の忠海町にも砲台が設置されていたそうです。

北部砲台跡を後にして坂道を進み、「火薬庫跡」に到着しました。

 

案内プレートには、以下の説明文が書かれていました。

 芸予要塞時代、島内には22門の大砲が設置されていました。それら砲台の弾薬や火薬を保管する倉庫で、その頃、5人の番人がいたそうです。
 周りの壁はレンガ造りですが、屋根は火薬が爆発した時、爆発が抜けるよう簡単に造られていました。
 毒ガス工場時代にも化学兵器の製品置き場として利用されました。壁に描いてあるMAG1の文字は「MAGAZINE 1」の略で、朝鮮戦争当時に、
 この建物をアメリカ軍が弾薬庫として使った時に描かれたものです。倉庫の海側の土手は海や海岸から見えないように人工的に盛り土をしています。

当然火薬庫はここだけではなく、各砲台にも弾薬庫があります。
いざ戦さになった時、ここから順次弾薬を各砲台に補給する事になりますが、同島の砲台の連絡路はほとんど坂道であり、
かつ自動車もありませんから、かなり大変になったのでは?と思います。
ちなみに火薬庫の内部を覗いてみましたが、植物が多い茂り、どういう内部構造になっていたのかは判りませんでした。

火薬庫跡から山頂に向ってプチ登山すると、そこには「中部砲台跡」があります。
同島の要塞跡としては最大規模を誇り、ここには6門の砲が設置されていたとの事です。

  

左はおそらく兵舎かと思われます。ここで砲兵が生活をしていたのかも知れません。
兵舎はコンクリートとレンガで建築されており、いかにも頑丈というイメージを受けます。あと案内板によると、レンガはロシアから輸入
されたものとか。当時日本の最大の仮想敵国はロシアなのに、国防の施設作りにロシア製が使われるとは何て皮肉な事でしょうか…。

右は砲台跡で、北部、南部と比べて一回りすごく…大きいです。
中部砲台は島のほぼ中央に位置している事から、砲が全周方向転換できる様に、広くなっていると思われます。

すぐそばには高さ226メートルの鉄塔があり、完成当時は東洋一の高さを誇ったとか。

 

あと中部砲台跡付近は展望園地になっており、ここから瀬戸内海を一望できます。

 

眺めが素晴らしいので、ここでイオンで買った弁当を広げ、昼食にする事にしました。でもやっぱ一人だとわびしさ爆発だなぁ。
(ちなみに写真の小さい島は「松島」、ちょっと大きい島は「小久野島」、後方には「大崎上島」)
昼食を終え、中部砲台跡から坂道を下ると「発電所跡」に到着しました。

 

島内最大の廃墟であり、毒ガス工場へ電力を供給していました。例の如く案内プレートには以下の説明文がありました。

 この建物は大久野島で毒ガスを製造する際(1929年〜1945年)に、電力を供給していた発電所跡です。ディーゼル発電機が8基設置され、いずれも重油を
 燃料にしていました。またこの建物では1944年11月〜1945年4月までの間、「ふ号作戦」に使用する風船爆弾の風船を膨らませ、弱い部分を補修する作業も
 行われました。使用された風船は、動員学徒の女学生が和紙をこんにゃく糊で貼り合せて作っていました。

発電所の概観はかなり荒れていて、窓ガラスも全て割られており、まさに廃墟といった感じです。
また柵で囲まれ、立入禁止のプレートも掲げられていたので、内部に入る事は出来ませんでした。
なお外壁に薄っすらと「MAG2」と描かれており、敗戦後はアメリカ軍の倉庫か弾薬庫として使われていたかも知れません。

発電所跡から少し坂道を下ると、「南部砲台跡」に到着しました。
ここには、8門の砲が設置されていたとの事です。(24cm砲4門と小口径砲4門?)

 

南部砲台跡からは対岸の大三島が見え、大久野島〜大三島間の海上に現れた敵艦を砲撃するものと思われます。
後に瀬戸内海の地図を確認したところ、豊後水道より侵入した敵艦隊が三原、尾道方面に向う場合は、「来島海峡」(四国〜大島)か
「忠海海峡」(忠海〜大久野島〜大三島)しかなく、忠海海峡ルートを通った場合、南部砲台からの眺めは写真のタンカーの様に映ります。
(ちなみに来島海峡には小島と呼ばれる島に要塞が置かれ、今でも要塞跡が残っています。いずれ訪れたいと思う)

あと北部、中部はそこそこ整備されているのに、ここはあまり整備が行き届いていない様に思えます。


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