大久野島 訪問記 2 (2012年8月)
桟橋から少し歩くと早くもウサギの群れがいます。さすがウサギ島だ、何ともないぜ!
観光客は予め持ってきた生野菜やらペレットを与えていました。そしてそれを無我夢中に食すウサギ達。
こいつらは年中食欲旺盛なのか、それとも餌付けする人が少なくて飢えているんだろうか…。
と思っていると、1羽のウサギが寄って来たので、とりあえずペレットを与えてみる。
食べません…。ペレットは食べ飽きたという事でしょうか。何とも贅沢なウサちゃんだ(´∀`)
生野菜を与えてみると、やっと食べました。やっぱ自然の食材の方がいいのね。生野菜の臭いを嗅ぎつけたのか他のウサギも寄ってきました。
きりがないので、餌付けはそこそこで打ち切り、要塞の見学へ向う事にしました。
とりあえず桟橋のから西ルートで島を一周してみる事にします。島は坂道がちょっと多いけど、1周3kmくらいなので苦ではありません。

まず桟橋から少し歩いたところにある「毒ガス資料館」。
館内には大久野島の歴史や、毒ガス工場の施設見取り図、製造した毒ガス兵器(毒ガスを充填する砲弾など)、工員手帳、作業服などが
展示されています。残念ながら館内は撮影禁止です。なお毒ガス製造は二交代制の24時間操業で工員は全身に防護服を纏い、汗だくに
なりながらの作業といった過酷な労働であったとの事です。また毒ガスに被毒する工員も多く、後遺症に苦しんだ人も多かったそうです。
資料館から少し歩くと、島内唯一の宿泊施設「国民宿舎」に到着。
ここは宿泊施設の他にレストラン、お土産屋などもあり、またレンタサイクルやウサギのエサも販売しています。
ちなみに宿舎前の広場にもウサギがいっぱい。でもこの辺のウサギは餌に恵まれているのか、あまりガツガツしていません。
あと宿舎のそばに「三軒家毒ガス貯蔵庫跡」がありました。ここは10トンタンクに、びらん性毒ガス「イペリット」を貯蔵していたとの事。

宿舎を後にして遊歩道は海岸線沿いに進みます。
この辺りはテニスコートがあり、何組かがテニスに興じていました。
「テニスかぁ…。そういえば長い事やってないなぁ…」などと余計な事を考えてみたりする(・ω・;)
あとここには2箇所、毒ガス貯蔵施設跡がありました。
左は毒液10トンタンクを8基貯蔵できる施設で、主にイペリット、ルイサイトを貯蔵していたとの事です。
右は「長浦毒ガス貯蔵庫跡」で規模が大きく、おそらく島内最大の貯蔵施設だったかも知れない。案内プレートによると、
貯蔵庫のコンクリートの内側が黒くなっているのは、当時、火炎放射器で焼却した跡で、そのすさまじさを物語っています。
当時、建物の前には高さ3、4メートルの小山を築き、コンクリートを迷彩色で塗る事で、海上から見えない様にしていました。
との事です。
長浦毒ガス貯蔵施設は、ちょうど島の北端辺りに位置し、遊歩道は島の東側となり、ここから坂道が続きます。