伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2020年2月26日: 石原莞爾と最終戦争論 T.G.

 石原莞爾の「最終戦争論」が最近復刻され、アマゾンでベストセラーになっていると言う。昭和の初め、陸軍の指導的立場にあって満州国設立を画策した天才軍人の著書である。その中に書かれた未来予想が実に的確で、80年後の今でも十分説得力がある。その点があらためて見直されたらしい。以前から一度読んでみたいと思っていたので、ネット図書館「青空文庫」で探したら収録されている。さっそくダウンロードして読んでみた。実に面白い。

 石原莞爾については伝蔵荘日誌を書き始めた2006年に「地ひらく、石原莞爾と昭和の夢」と題して日誌に書いたことがある。関東軍作戦参謀だった昭和6年に板垣征四郎参謀長らと満州事変を起こし、満州国を設立した。その後帰国し、陸軍参謀本部作戦課長の要職に就いた。2.26事件では鎮圧に当たっている。昭和12年に支那事変が始まると一貫してこれに反対し、戦線不拡大方針を唱え、当時陸軍の中枢にいた東条英機と対立した。アメリカとの戦争にも反対し、近衛首相らに対処を進言したが聞き入れられなかった。対処の内容は、蒋介石との即時停戦講和、仏印からの撤退など、アメリカから突きつけられていたハルノートの要求とほとんど同じだったと言われる。これらの動きを察知した東条らに舞鶴要塞司令官という閑職に追いやられ、太平洋戦争直前に退役させられている。退役時の位は中将だった。その頃に執筆したのがこの「最終戦争論」である。

 「最終戦争論」ではギリシャ時代から現代に至る戦争の推移を歴史的に俯瞰、分析し、現代から未来に至る戦争のあり方、様相、意義について詳述している。その上で導かれた結論が、数十年後に起こるべくして起きる世界最終戦争であり、その後は戦争のない平和な世界が訪れると言う、実に気宇壮大な未来予想でもある。これが本書の最大の魅力だろう。

 石原がこれを書いた昭和15年は真珠湾攻撃の前年で、奇しくも自分が生まれた年である。まだ第二次大戦には至っておらず、欧州でナチスドイツがポーランドに侵攻し、モスクワに進軍中。ベルギー、フランスを席巻し、パリ陥落という第二次欧州戦争(石原の表現)真っ盛りの頃である。その時点で石原は、当たるところ敵なしだったヒトラードイツが、モスクワ攻略で必敗すると的確に予測しているのは驚きだ。天才軍人の面目躍如である。当時、日独伊の三国同盟頼みでアメリカとの戦争に臨もうとしていた東條ら、日本の指導者達は、さぞ煙たかったに違いない。

 最終戦争に至る石原の未来予測は次のようである。各所で行われている戦争の結果、世界は四つの連合国体制に集約される。社会主義国の連合体であるソビエト連邦、アメリカを中心とする米州連合、ドイツの勝敗にかかわらず、必然的に生まれるヨーロッパ連盟、日本と中国を核にした東亜連盟の四通りである。この4体制で準決勝が行われ、米州連合と東亜連盟が勝ち残り、その決勝戦が世界最終戦争なのだと。この最終戦の勝者はおそらく日本を中核とした東亜連盟だだろうと。王道を進む東亜連盟に対し、アメリカ中心の覇道の道をとる米州連合は勝てないだろうと。その上で、「最後の大決勝戦で世界の人口は半分になる。その代わり世界は政治的に一つになる(原文のママ)」と結論づけている。

 第二次欧州戦争まっただ中のこの時点で、80年後の今日のEUの存在を言い当てているのは驚きである。最終戦争の形態も具体的に論じている。使用される兵器は現在のものとはまるで違い、一発で大都市が壊滅するような最新兵器が使われる。「一夜明けると、敵国の主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり、東京も大阪も、北京や上海もすべてが吹き飛び、廃墟になっておりましょう。それくらいの破壊力のものでしょう(原文のママ)」と言っている。明らかに現在の核ミサイルの出現を言い当てているのだ。当時の軍事知識に核兵器や大陸間弾道弾の概念があるわけもなく、実に見事な未来予想と言わざるを得ない。80年後の現在の世界は一つになっていないが、不十分ではありながらの国連中心主義の敷衍と、核ミサイルによる相互確証破壊(MAD)の実現はそれに準じたものと言えるのではないか。

 唯一予想が外れたのは、勝者がアメリカで、彼が実現を予想した東亜連盟ではなかったことである。しかしこれは石原の考え違いや責任ではない。石原の大戦略はあくまでも満州国を中心に八紘一宇の五族協和を導き、ソ連と対峙しこれを打ち破ることにあった。石原にとって日本の仮想敵はあくまでもソ連であり、支那やアメリカではなかった。その上で国力を蓄え、将来的なアメリカとの最終戦争に臨む構想だった。満州国設立はそのための五族協和実現が目的で、彼の意識の中では日本の経済植民地化ではなかった。支那事変(日中戦争)や真珠湾攻撃は、彼の計算外の邪道戦略だったのだ。そういう誤った戦略に踏み込んだのは、不都合な石原を追いやり、支那やアメリカとの勝ち目のない戦争に突き進んだ、東條ら当時の陸軍首脳部の責任である。彼に誤りがあるとすれば、そういう愚昧な国家指導者の存在を推論の前提条件に織り込まなかったことだろう。

 戦後体を壊して秋田に引っ込んでいた石原は、東京裁判の参考人として引っ張り出され、尋問を受ける。その際石原は担当検事の米軍将校に「東條ではなく自分が指揮を執っていたら日本は負けなかった」と言い放ったという。あながち嘘出任せではない。東條に代わって彼が指揮を執っていたら、ただちに蒋介石と停戦講和し、日中戦争を終結させ、アメリカとの戦いを先延ばしにする作戦に出たはずだ。そのために無理難題のハルノートも甘受した。その結果真珠湾攻撃のような決戦は起きず、日米間で多少の諍いが起きたとしても総力戦には広がらず、講和が出来ただろう。つまり負けなかったことになる。彼が最終戦論で述べる日米の最終決戦はその先の話なのだ。

 石原莞爾は若い頃から日蓮宗に帰依し、熱心な信者だった。最終戦争論の第5章では「仏教の予言」と題し、日蓮宗信者の立場から戦争なき世界統一を論じている。とかく日本の植民地主義のスローガンのように言われ、悪名高い八紘一宇五族協和も、彼にとってはまさしく五族(日、韓、満、蒙、支)が手を携えて一つ屋根の下に住む、東亜連盟の理想像を意味した。彼の理想が実現していたら、日中の諍いも起きず、日米戦争も回避され、欧州大戦が第二次世界大戦に広がることはなかっただろう。

 21世紀の日本は、超大覇権国アメリカと、かって日本が犯した過ちのおかげで世界第二の超大国になれた中国との狭間で、悪戦苦闘、呻吟している。日米安保のおかげで一時の平和に甘んじながら、怪しげな超大国中国の引力に逆らえない。安倍政権は習近平におべっかを使って、4月に国賓待遇で招待するという。新天皇と握手させるという。そういうご都合主義外交がどこまで通じるか。何の見通しもないまま、ご都合主義でドイツやソ連と同盟を結んだ戦前日本の過ちを、またまた繰り返すのか。愚か者の日本。愚か者の安部。どこかに現代の石原莞爾はいないものか。

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