伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年11月4日: 文藝春秋の耐えられない軽さ。 T.G.

 かれこれ50年、文藝春秋誌を毎月欠かさず購読している。芥川賞に代表される文芸誌でありながら、イデオロギーに中立の立場で世相や時事問題を切り取り、骨太な記事にする。そこが気に入って長年読み続けてきたが、ここ1,2年どうも様子がおかしい。皮相的で、読み応えのある記事を見かけなくなった。特に奇異に感じるのは、今年の6月号から11月号までの半年間続けてきた執拗な安部攻撃である。そのほとんどが週刊誌まがいの根拠薄弱な受け売り記事で、文藝春秋らしい真摯な取材の跡が見られない。過去にこの雑誌が、一人の政治家を半年もの長きにわたって攻撃し続けた例を知らない。まるで安倍嫌に凝り固まった朝日新聞の姉妹紙のようで、読むに堪えない。いったい文藝春秋に何が起きたのだろう。

 文春のこの5ヶ月間の安倍攻撃特集を並べると次のようである。

 7月号特集「奢れる安倍一強への反旗」、8月号特集「日本の底が抜けていく」では前川元文部次官の「我が告発は役人の矜持だ」、「安倍が自民党を劣化させた」、「加計学園疑惑、下村ルートの全貌」などなど、新聞テレビと歩調を合わせた安倍加計攻撃に徹している。文春らしさがない。9月、10月号の特集は、「泥沼の自民党研究」、「政界激変前夜」などとおどろおどろしいタイトルで、本誌編集部による「安部総理でいいのか」、NHK解説委員岩田明子氏の「安部総理驕りの証明」、若手学者の「九条加権は酷すぎる」、「民主主義のしっぺ返しが始まった」などなど、安部内閣倒閣運動に一歩踏み込んでいる。ご丁寧に、選挙直前の10月10日発売の11月号は、特集「総選挙後の日本の未来」と称して、安倍なき後の後継内閣予想記事を並べている。文春は今回の安倍自民大勝の選挙結果をどう総括するつもりだろう。12月号にはどんな言い訳記事を書くつもりだろう。

 そもそも野党とマスコミが騒ぎ立てた加計森友問題は、質の悪い根拠不明のガセネタ、トランプ流に言えばフェイクニュース以外の何ものでもない。その証拠に、半年の長きにわたって野党が国会でたびたび証人喚問を行い、朝日、NHKなどのマスコミが総力を挙げて取材したにもかかわらず、安倍の口利き、利益誘導の事実や証拠は何一つ出てこなかった。“印象操作”のための、絵に描いたようなフェイクである。今回の選挙での、3分の2を超える与党の獲得議席は、国民がそういうフェイクニュースには騙されなかったことのなによりの証明だろう。尻軽な文藝春秋や新聞テレビより、国民の方が客観冷静だったのだ。文藝春秋は12月号でこの事実を素直に認め、評価し、それ以前に書いた5ヶ月間のみっともない特集記事を総括すべきだ。そうしないと文春の将来はない。読者を減らし、発行部数に響くだろう。

 以前の文藝春秋はこういう愚かなことはしなかった。巷の新聞テレビ、雑誌とは一線を画し、自らの価値観や立ち位置で取材し、信頼の置ける識者や論者を選んで評論を書かせた。その編集方針が自分と波長が合って、50年間も愛読したのだが、今は大いに失望している。オピニオン誌に大切なことは、掲載した論説に責任を持つことである。政治や世界情勢に関する記事であれば、その指標は書いた内容が歴史と後世の批評に耐えうるか、にある。その意味で記憶に残っている、いかにも文春らしい掲載記事が二つある。

 一つは1974年11月号で特集した田中角栄追及である。その中で立花隆氏の「田中角栄研究―その金脈と人脈」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」は頭抜けていた。新聞テレビがまったく関心を示さなかった田中角栄の金脈政治を、独自の取材網で掘り起こし、その事実を客観的かつ切れ味の良い文章で書き尽くした。その結果、「安倍一強」とは比較にならない、当時最大最強の権力者だった田中角栄を失脚に追い込み、政界に一大旋風を巻き起こした。その間新聞テレビは何も出来ず、文春の後追い記事を書くしか能がなかった。まさに“文春砲”である。この特集記事とその影響は、40年後の今読んでも歴史の評価に耐えうる優れた内容と言える。埒もない低俗な加計森友報道と比べると、月とすっぽん、雲泥の差だ。

 もう一つは昭和6年10月号の「満蒙と我が特殊権益座談会」である。さすがに生まれる前のこの記事は直には読んでいない。図書館で見つけた「文藝春秋に見る昭和史」という本に収録されているものを読んだ。内容は2007年12月3日の伝蔵荘日誌に詳しく書いたが、満州事変直前に行われた座談会を記事にしたもので、出席者は陸軍参謀本部建川美次少将、前代議士佐藤安之助、中日実業副総裁高木睦郎、政友会代議士森恪、民政党代議士中野正剛、東京朝日新聞大西齋、東大法学部助教授神川彦松の7人である。その中で東大助教授以外の軍人、政治家、実業家、新聞記者が「日露戦争で獲得した満蒙は確固たる日本の権益、これを死守するため、断固立つべき」と縷々主張し、まるで満州事変決起集会のような雰囲気になっていたが、座談会の終わりで寡黙な東大助教授に次のように語らせている。

 「満蒙権益に関しては、帝国主義、民族主義、国際主義の3点を考慮すべきである。帝国主義に関しては、日露戦争の勝利は英米の肩入れがあったからで、日本が独力で成し遂げたものではない。民族主義に関しては、満州は圧倒的に漢人の人口が多く、歴史的に支那の領土である。日本の満蒙利権と支那の民族主義の衝突は避けられない。強行すれば武力衝突が起きるだろう。国際主義に関しては、アメリカ金融資本とロシアの赤色帝国主義の出方をよく見極めるべきだ。特に支那における共産主義には注意を払うべきだ。日本が満蒙利権に対し強硬手段に出れば、これら第三者の術中に陥るだろう」

 もちろんこの意見には、軍人、政治家、実業家から朝日の記者まで猛反対で、哀れな東大助教授は寄ってたかってケチョンケチョンにやっつけられるのだが、その後の歴史を知る後世の我々が読めば、実に的確な未来予測である。ことごとく的中していると言って過言でない。支那の民族主義はますます燃え上がったし、この6年後に始まった日中戦争(当時の言い方では支那事変)は、蒋介石の国民党軍を支援するアメリカと、毛沢東の八路軍を手兵に使ったソ連とを相手にした代理戦争の趣を呈し、挙げ句の果てにコテンパンにやっつけられ、中国大陸から身ぐるみ剥がれて蹴り出されたのだから。

 満州事変前夜の軍国主義華やかなりしこの時期に、あえて時流に逆らって東大の先生にこういうことを語らせるのは勇気が要る。その上語らせたことが後世の歴史評価に耐えうる内容であるのは見事というほかない。日本を代表するオピニオン誌、文藝春秋の真骨頂である。今の薄っぺらな加計報道、安倍攻撃の文春とはまるで次元が違う。あの読み応えのある文藝春秋はどこへ消えたのか。もうしばらくこの雑誌は買わない。880円は別のことに使おう。

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