伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2007年12月3日: 文春満蒙権益座談会

 図書館で「文藝春秋に見る昭和史」という本を見つける。文藝春秋はもともとは文芸誌であるが、比較的イデオロギーに中立な立場で時代時代の社会、世相、風俗を記事にしてきた。第一巻は、昭和元年から20年までの文藝春秋に掲載されたエポックメーキングな記事を収録している。歴史教科書には書かれていない、当時の社会の空気が感じられて面白い。

 その中の、昭和6年10月号の「満蒙と我が特殊権益座談会」という記事が面白い。発行前の9月18日に関東軍が奉天の柳条湖を爆破して、いわゆる満州事変が勃発しているが、座談会自体はおそらくその直前の8月頃に行われたのだろう。まさにほやほやの、湯気が立つようなスクープ記事である。座談会の出席者は、陸軍参謀本部建川美次少将、前代議士佐藤安之助、中日実業副総裁高木睦郎、政友会代議士森恪、民政党代議士中野正剛、東京朝日新聞大西齋、東大法学部助教授神川彦松の7人である。

 中野正剛はもともとジャーナリストだったが、政界に転じた後、東方会を結成し、右翼指導者となった人物である。建川少将は、石原莞爾ら現地関東軍の暴発を押さえるため、直前に参謀本部から奉天に派遣されるが、それを察した石原らに料亭菊川に連れ込まれ、散々酒を飲まされ、酔いつぶれているうちに事変が起きたという、実に情けない軍人である。

 座談会は最初に森、中野の両代議士が口火を切り、それに軍人の建川が合いの手を入れ、朝日新聞の大西がヨイショする感じで進む。彼らが縷々述べる主張を要約すると次のようである。

「満蒙は日露戦争でロシアから獲得した確固たる日本の権益である。特に満鉄については支那も北京条約で了解が出来ているはずだ。それなのに支那は並行線を引いたりして日本の権益を侵そうとする。もともと満州は清朝朝廷の私有地で、支那人(漢人)は少ししかいなかったが、日本の融和策で3000万人に増え、そうなると日本の商権、利権をないがしろにするようになった。しかしながら今の幣原外交は支那に対して弱腰である。けしからん。満蒙権益を死守するため、断固立つべき」
と、まるで満州事変決起集会のような雰囲気である。おそらく当時の世論というか、世の中の空気もそうだったのだろう。

 最初のうちは黙って聞いていた東大の神川助教授が、おそるおそる次のような趣旨の発言をする。
「満蒙権益に関しては、帝国主義、民族主義、国際主義の3点を考慮すべきである。帝国主義に関しては、日露戦争の勝利は英米の肩入れがあったからで、日本が独力で成し遂げたものではない。民族主義に関しては、満州は圧倒的に漢人の人口が多く、歴史的に支那の領土である。日本の満蒙利権と支那の民族主義の衝突は避けられない。強行すれば武力衝突が起きるだろう。国際主義に関しては、アメリカ金融資本とロシアの赤色帝国主義の出方をよく見極めるべきだ。特に支那における共産主義には注意を払うべきだ。日本が満蒙利権に対し強硬手段に出れば、これら第三者の術中に陥るだろう」

 その後70年の歴史の経緯を知っている我々から見ると、実に的確な指摘である。未来予測としてほとんど的中していると言って過言でない。支那の民族主義はますます燃え上がったし、この6年後に始まった日中戦争は、蒋介石の国民党軍を支援するアメリカと、毛沢東の共産軍を手兵に使ったソ連とを相手にした代理戦争の趣を呈し、挙げ句の果てにこてんぱんにやっつけられ、中国大陸から蹴り出されたのだから。

 このインテリらしい客観的意見に、右翼政治家と軍人と御用新聞記者が一斉に反論する。曰く、「支那の民族主義は外国の統治下でしか成り立たない。割り引いて考えるべきだ」、 曰く、「米国は満州に利権を持たない。支那では米国金融資本は活動出来ないし、するつもりもない」、 曰く、「ロシアは満州での思想活動を停止している」、 曰く、「あんたら学者さんが言う帝国主義、資本主義などは、現実を見ない絵空事だ」と、反論というより寄ってたかっての罵詈雑言に近い。可哀相に気弱な助教授殿はその後発言することなく、座談会は終了する。

 この座談会は今の日本が置かれた国際状況を考える上で多いに参考になる。いつの世も国際政治は大国間の力学で成り立っている。現在、アメリカ、中国、EU、ロシアの4極に囲まれた日本の外交は、きわめて難しい局面に立たされている。特に中国の覇権主義の膨張と、最近日米同盟に起こり始めたすきま風は、満州事変直前の不安定な状況を彷彿とさせる。それなのに視野狭窄に陥った政治家達は、やれ集団的自衛権がどうの、やれ国連中心主義がどうのと、現実を見据えない幼児的議論に明け暮れている。官僚は己の利権を守るのに汲々とし、マスコミは低次元のスキャンダル報道にうつつを抜かし、国民はそれに踊らされて一向に外の世界に目を向けず、日本全体が自閉症に陥っている。この座談会の馬鹿馬鹿しさを嗤えない。

 そろそろ心ある政治家は、4極、特に米中との力学関係を冷徹に見据え、日本の将来展望とそれに対する国策を見いだす努力をすべき時だろう。それにしても、愚かな右翼政治家や軍人はともかく、彼らの提灯持ちをした朝日は昔からろくでもない新聞だったね!

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