伝蔵荘日誌              【伝蔵荘日誌】

2013年7月2日:映画「コン・ティキ」を観る。 T.G.

 自転車で新都心のシネマコンプレックスに出かけ、最近封切られた「コン・ティキ」という映画を見る。映画館で劇場映画を見るのは20年ぶりだ。この作品はノルウェーの探検家ヘイエルダールが1947年に出版した「コン・ティキ号探検記」を映画化したものである。この探検記は各国語に翻訳され、これまでに全世界で5000万部発行された大ベストセラーである。大学1年の時、仙台の一番丁の丸善で買って読んだのが最初だが、以来何度も読み返している。読み返したくなる本は多くはないが、自分にとってこの本は数少ない例外の一つだ。数年に一回本箱から取り出すが、読むたびに新鮮である。そう言うわけで、どんな映画になっているか、ひとしお興味があった。結論から先に言うと、なかなかの出来映えである。ほぼ原作どおりのシナリオで、テーマである海洋シーンのロケ映像も見事だ。それでも原作の愛読者としては幾つかの不満が残る。

 ヘイエルダールは1916年生まれのノルウェーの人類学者で、奥さんとポリネシアの孤島に滞在中、ポリネシアと南米文化の共通点に気付き、ポリネシア人は500年前ぐらいに南米から海を渡って移住してきたという仮説を立てる。学会や出版社に論文を持ち込むがまったく相手にされない。当時はポリネシア人はアジア渡来というのが定説で、500年前の船も航海術もない南米の原住民が、8000キロの太平洋を渡れるはずがないと一笑に付された。それならと、実際に自分で試して実証しようと思いつく。このあたりが冒険好きのノルウェー人の偉いところである。バイキングの子孫の面目躍如だ。

 そうは言っても簡単なことではない。今なら小さな遠洋ヨットでも可能だが、それではまったく意味がない。500年前の船と技術で渡らなければ実証したことにはならない。文献を調べ、南米原産のバルサという、コルクのように軽い大木の丸太で組んだパエ・パエと呼ぶ筏を作る。金属製の釘やワイヤーロープは一切使わず、当時手に入った材料と技術だけで作る。コロンブス以前の南米原住民は鉄や金属を知らなかったからだ。筏の名前、“コン・ティキ”は原住民の太陽神である。それに仲間6人で乗り込み、風と海流だけを頼りにペルーからポリネシアまで8000キロの航海をする。航海と言うより漂流に近い。交信用の粗末なモールス信号機と、位置測定のための六分儀とコンパスは持つが、それ以外の現代技術は一切使わない。何日かかるか、そもそも本当に到達できるのかも分からない。もし遭難しても、ほとんど航路がない南太平洋では救助はほぼ不可能である。つまり極めて危険な、命がけの大冒険なのだ。

 原作では学会とのやり取りや資金集め、南米ペルーの港町での筏作りなどがつぶさに書かれているが、映画もほぼ忠実に再現している。唯一欠けているのは、今では入手が困難なバルサの大木探しに苦労する下りだが、映画の時間的制約からやむを得ないだろう。中心になる海洋シーンは、原作が人類学者の淡々とした航海記録であるのに較べて、劇場映画的なエキセントリックな場面が盛りだくさんなのは少し辟易する。例えば鮫に襲われて危うく死にかける場面は原作にはない。原作では鮫は暇つぶしの遊び相手みたいなもので、しばしば釣り上げて楽しんでいた。副リーダー格のヘルマンが筏が壊れる恐怖からパニックに陥り、隠し持ってきたワイヤーロープで縛ろうとしてヘイエルダールと争いになる場面があるが、そういう記述は原作にはない。劇場映画としての演出だろうが、こういう書き方はヘルマンと彼の遺族に失礼ではないか。何と言ってもこの危険な航海に、自ら進んで参加した実在の冒険家なのだ。それらを除くと、南太平洋の漂流シーンは映像が美しく、臨場感がある。見ていて楽しくなる。

 とても残念だったのは、97日目にポリネシアの珊瑚礁に囲まれた美しい無人島に漂着するのだが、それ以降のことが一切省かれている点である。映画はヘイエルダールが波打ち際の砂浜に手をついて感激に浸るところで終わっている。以前の日誌にも書いたのだが、この著書の最も素晴らしい部分は、その後近くの島の住民に助けられるまで、この無人島で過ごす2週間の記述である。珊瑚礁で囲まれた天国のような南の島の描写と、そこでの生活を楽しむ様子は、何度読んでも興味が尽きない。読んでいて心が浮き立つ。思わずポリネシアを訪れたくなる。ここを読み返すために何度も本箱から引っ張り出しているようなものだ。このあたりをどう映画化しているか興味があって映画館に足を運んだので、いささかがっかりした。良くできた映画なのに、画竜点睛を欠くとはこの事だ。航海場面と違ってロケや撮影は容易だったろうに。

 この映画の最期の字幕で知ったことだが、ヘイエルダールはつい最近の2002年までご存命だったそうだ。1916年生まれだからかなり長寿である。劇中のドラマで、ポリネシアで一緒だった奥さんとは、この冒険を契機に離婚したことになっているが、事実なのだろう。彼以外の5人のクルー達もそれぞれがつい最近まで生存していて、この冒険の後、それぞれ各方面で活躍したという。幸福な人たちだ。

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