伝蔵荘日誌

2012年4月1日: インターネット図書館「青空文庫」を読む T.G.

 ひょんなことで「青空文庫」のことを知った。ずいぶん前からあるらしいインターネット図書館だが、寡聞にして知らなかった。著作権の切れた作家や評論家の本をデジタル化して収録し、パソコンやiPadのビューアーで読めるようにしてある。著作権は著者の没後50年で切れるから、明治大正昭和の大方の作品が対象になる。試しに作家別の収録作品を見ると、芥川龍之介が368作品、夏目漱石102作品、森鴎外126作品、太宰治272作品などなど、ほとんどのものが載っている。これがあれば日本文学全集は買わなくて済む。それならと、三島由紀夫や川端康成、志賀直哉を捜したが見つからない。彼らがつい最近まで生存していた比較的新しい作家であることにあらためて気付かされる。昭和23年に玉川上水で女と情死した太宰治あたりがデジタル図書館の境界線と言うことだろう。

 青空文庫に限らずデジタル化された書籍の読み方はいろいろあるが、日経PCお奨めの青空文庫ビューアー「TxtMiru2.0」がもっとも良さそうだ。ビューアーはほかにも幾つかあるが、単にテキスト化された書物を表示するだけのものや、iPad、iPhoneなど小型タブレット端末を対象にしたものが多い。パソコンの大画面モニタの利点を生かすなら、文庫本やハードカバーの体裁が選べたり、アンチエイリアス処理で文字を読みやすくしているTxtMiruが断然優れている。

 さっそく興味を引いた作品の幾つかをダウンロードして読んでみた。まずは夏目漱石の「こころ」。続いて泉鏡花「婦系図」、鈴木三重吉「千鳥」、伊藤左千夫「野菊の墓」、直木三十五「寛永武道鑑」などなどである。大方高校生の頃に読んだことのある作品だ。60年近く経ってもう一度読み返してみたいと言う思いと、年老いて昔の文学少年の感受性がどう変わってしまったか確かめたい気持ちが入り混じっている。少し変わったところでは石原莞爾の「世界最終戦論」と「新日本の進路」である。以前、福田和也氏の著作、「地ひらく、石原莞爾と昭和の夢」を読んで以来、満州帝国を作ったこの希代の天才軍人の遺作を一度読んでみたいと思っていた。それが居ながらにして易々と出来るのだから、インターネットは便利なものだ。

 さて夏目漱石「こころ」である。明治末年頃、九州の田舎から上京した世間知らずの大学生「私」と、世の中に背を向けて生きる「先生」との交流を通じて、人間のエゴイズムや倫理観を淡々と描いた作品である。文章はきわめて簡潔平明で流れるようである。日本語のお手本と言ってよい。正しい日本語を忘れないために、日本人はすべからく時折夏目漱石を読むべきだ。この作品を読むと、明治の頃の大学{東京帝大)の卒業式は3月ではなく、汗をかく陽気の頃であったこと、当時の帝大生は大方地方の資産家の息子で、卒業してもすぐに職に就く必要がなかったことが分かって面白い。明治時代の帝国大学は、きわめてレベルの高いエリート教育機関だったのだ。高校生の頃はそんなこと考えもせず読んでいたのだが。

 鈴木三重吉の「千鳥」である。気を病んで休学中の大学生が、懇意にしている瀬戸内海の小島の知り合いの家を訪ね、偶然その家に滞在していた美しい娘と数日を過ごす話である。滞在4日目、散歩に出ていた主人公が家に戻ると、娘がいなくなっている。裏庭に出て海を見下ろすと、はるか沖合に、国へ戻る娘が乗った小舟の白帆が見える。ただそれだけの話である。文面から主人公が娘に抱いたほのかな慕情が垣間見えるが、恋だの惚れた張ったの描写は一切出てこない。浮世離れというか、今頃の恋愛小説だったらとても通用する話ではない。鈴木三重吉は「赤い鳥」で知られる童話作家だが、この「千鳥」のような淡い水彩画のような作品を幾つか残していて、多感な高校生の頃の愛読書の一つだった。今読み返して見ると、懐かしさと、「だからどうした」と言う気分が入り混じって、いささか複雑である。歳というか、つくづく時の流れを痛感する。

 伊藤左千夫の「野菊の墓」である。明治の頃、千葉の松戸近郊の大百姓の息子と、二つ年上の遠縁の娘とのはかない恋を描いた作品である。主人公の千葉の中学への進学が二人の永遠の離別のきっかけになるのだが、作品に出てくる旧制千葉中学は、その後我が母校となった県立千葉第一高等学校の前身である。教室で授業を受ける場面も出てくる。そう言うわけでこの作品は当時の千葉一高生の必読書であった。母や姉弟達と一緒の居間の炬燵に入って岩波文庫を読んでいたら、死んだ娘の手に握られていた主人公のラブレターが見つかるクライマックスで涙が止まらなくなって、誤魔化すのに往生した憶えがある。読み返してみたが、当然のことながらもう涙は一滴も出ない。高校生の頃の豊かな感受性がつくづく懐かしい。しばらく前に「マジソン郡の橋」と言うアメリカの悲恋小説がベストセラーになったが、泣かせどころのストーリー構成は似ているものの、文学的香りの高さも“涙ちょちょ切れ度”も、「野菊の墓」の方がはるかに勝っている。そう言えばこの2作品とも映画化されている。「マジソン郡の橋」の主演男優は、何とクリント・イーストウッドだった。

 泉鏡花の「婦系図」である。主人公早瀬主税と、湯島芸者お蔦、真砂町の酒井先生の娘お妙の三角関係の話である。全編を通じてテンポのよい、洒脱で伝法な江戸っ子弁が絶妙である。これも日本語の勉強にもってこいだ。新派の「湯島の白梅」で有名な、『切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に言うものよ。私にゃ死ねと云って下さい。』と言うお蔦のせりふは原作にはない。新派の創作である。筋書き自体は三文通俗小説以外の何ものでもないが、明治の頃の世相が生き生きと描かれていて、今読んでもなかなか面白い。こんな下世話な話がなぜ純朴な高校生に受けたのだろう。泉鏡花は江戸文芸に強い影響を受けた作家だが、「金色夜叉」で有名な師匠の尾崎紅葉と同じく、英文学にも通じていたと言う。漱石や森鴎外などもそうだが、明治の作家は誰しも皆エリートだったのだ。古来日本には現在のような言文一致の日本語はなかった。話し言葉と書き言葉はまったく異なっていた。明治維新以後、彼ら明治の文学者達が、創作を通じて現在使われている言文一致の日本語を完成させた。我々後生の日本人は、彼らに大いに感謝すべきである。

 さあ次は何を読もうか。

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