チベット・カイラス山トレッキング

【チベット・カイラス山トレッキング−その4】

8月16日(火)  停滞日  周辺散歩

   昨夜は土砂降りの雨。朝は曇り。 ゆっくり起床。 スプリングのきいたベットはありがたいもの。  朝起きがけのコーヒー美味し。  朝食、コーンフレーク、卵、パン、コーヒー。
ラビーはパトリックと一緒にロッククライミングに。  我々はカイラスの麓まで小トレッキングへ。 車の送り迎え料100元/人。 オプション。高い!

   10:10 出発 南壁に向かって谷を遡る。  雲が低く垂れ込めてあまり気持ちのいい景色ではない。
 10:25 車を降りて歩き出す。 開けた沢を登る。 黄色い花がきれい。
 11:10 セルロン・ゴンパ着。 小さなお寺、更に奥に行けば円形劇場?があると聞いていたが、山歩きが不慣れな連中もありここで止める。 連中ここでカイラスに向かって拝みだす。 最後にはローソクを点けて,その煙を顔や体にこすり付ける。 日本の線香と同じ。 何を祈ったのかと聞いたら、“明日からの天候の穏やかならんことを”というので、我々も同じしぐさをしたら、連中大喜びで我々を写真に撮っていた。
 12:00 彼らはここで引き返す。 我々は尾根をトラバーして隣の谷にあるデネン・ゴンパに向かう。 長いマンダン(石積みの垣根)の脇を歩く頃から霰が降り出す.相当激しい。
 13:00 ゴンパを参観する間も無く迎えの車でロッジへ。 この寺も新しい。 寺院はチベット併合、文化大革命の際、徹底的に破壊され、最近になって再建が始まったとか。
 ロッジ帰着13:40。 昼食、白米かゆ、梅干、玉子、キャベツとダル(豆)の湯でこぼし、うまし。 午後は自由時間。周辺の屋台の土産物屋をひやかす。 店番は小母ちゃんばかり。 なかなか商売上手と見た。 ここでも、幼児のズボンの尻割れを発見、トイレに行くのが簡単。 敦煌、トルファン、ウルムチと同様。 両替、100$で750元,11、500円。 1元は15,3円の勘定。(相当に円安!)

【マーモット】
 この付近の原野には、直径15cmぐらいの巣穴があちこちに。 マーモット(モルモット)が地中に棲んでいる。 身長50cmぐらい、子犬ぐらいの大きさ。 近づくと穴の近くで立ち上がって背伸びをしてキイキイと警戒の声を上げる。 好奇心は旺盛だが、20mぐらいまで近づくと一目散に穴の中へ。(写真)
 一、二ヶ月ほど前、電力線建設に来た軍隊の連中8人が急死したとのこと。 その症状がサーズ(SARS)に似ていたことから大騒ぎになり、地域立ち入り禁止の措置がとられた。 原因を追究したところ、件のマーモットを捕まえて食べ、中毒を起こして死に至ったことで原因がはっきりし、騒ぎも収まったとのこと。 時が時であれば、我々も中国入国禁止になっていたかもしれなかった。 マーモットは病原菌を持っており、地元の人間は食用にはせず、皮を珍重するとのことであった。

8月17日(水) ダルチェン→デラプール・ゴンパ、標高4909m、 走行距離10km、徒歩14km、実行動6時間、曇り 暖かし


 さあ今日から待望のカイラス・トレッキング、巡礼、コルラの始まり。 カイラス山(標高6714m)はヒンズー教徒の呼名、山自体がシバ神の化身とか。 仏教徒はカン・リンボチェ(雪山の尊者)と呼ぶ。 いずれも一生に一度は巡礼したい聖なる山。 特異な形をした独立峰。聖なる山ゆえに未踏峰。 相変わらず、出発に時間がかかる。 もっとも時間はタップリ、急ぐ必要はないのだが。

 10:15 ロッジ発。 本来ならここから歩き出すところを、暫く車で行く。 タルボチェ、チャンカ・ガンを経由してチェク・ゴンパ下まで入る。 チャンカ・ガンは旗立て場、祭りの場所、奥の台地は鳥葬場所。(写真)
全体53kmのうち、10kmを車で。我々にとってはもったいない話だが、インドの方々にとっては助かったの感。  ここからは馬に乗る人、ポーターを個人で雇って連れて行く人と夫々の行動。 H君、小生は不要。 K君はカメラ資材が重いためポーターを希望したところ、現われたのは色白、茶髪のかわい子ちゃん。 もちろん女の子。 名前は“トマ”。 19歳の学生アルバイト、普段はラサに住み,夏場だけ父母兄弟と一緒にアルバイトのためダルチェンにやってくるとのこと。 都会で毎日顔を洗っていればこんなに色白になるということか。 K君、明らかに狼狽し、渡すべきザックから一番重いカメラを取り出し、自分のザックへ。本末転倒の話に皆で大笑い!フェミニスト振りを発揮。 話すほどに、K君が昨日、値切って買ったナイフの売主は彼女のお母さんとか。 そのうちに、叔父さんやら、同じ茶髪の弟やら賑やかに現われる。 もっと驚いたのは、彼女、既に結婚して、1才半の赤ん坊がいるとか。 流石にこれはガセネタ! 英語も少し出来て道中のアイドルに。 ポーター料は100元/1日、三日間で300元、チップもタップリせしめたはず。

 暫くの間、明るく開けた谷底を歩く。陽も射して気もちがいい。 両岸は高さ数百mにも及ぶ断崖。 そこから無数の滝が落下。 明治時代の僧侶にして探険家 “河口慧海”言うところの黄金渓、チーセの七滝。(写真) 我々は仏教徒、ヒンドゥー教徒と同じく時計回りで歩き出す。

【なぜ右回りなのか】
 仏教経典には仏陀に対して弟子たちは右肩を向けて尊敬の念を現すシーンが描かれている。 これと同じように、仏陀の化身であるカン・リンボチェに右肩を見せて歩く。 右回りは原始仏教以来の作法なのだそうな。


 向こうから大勢の老若男女がやってくる。 最初は荷物運びのポーターが戻ってきたのか…、ぐらいに考えていたが、これが全てボン教の巡礼者。 彼らは反対回りをすることによって独自性を強めているのだとか。 それにしても屈託がない。 賑やか。 懐中電灯のほかは何も持たずに、運動靴を履いて、飛ぶように下っていく。 挨拶は右手を半分挙げて、“タシ・デレー(チベット語で、こんにちはー)”。 朝、日の出前から歩き出して、十数時間、1日で巡礼を終える。 回数を重ねるほど霊験新たかで、13回が一番縁起のいい数字とか。 ダルチェンに自分のテントを張り、時間の許す限り巡礼を続けるとか。 この間、家の仕事(牧畜、農業?)は親戚のものが代わりにやってくれるとか。 互助精神?荷物を運び終えた“ヤク”も混じって賑やか。(写真)

【ボン教とは】
 チベットの民族宗教であるボン教はトンパ・シェン・ラプという天啓を受けた師によって開かれた。 本来シャーマニズム的な要素が多かったが、仏教と対立し、競合するうちに、外見上はニンマ派の仏教と区別がつきにくくなった。 その差は仏教徒の右回りに対して、左回りをするぐらいといわれている。


 ところで我々を追い抜いていくチベット人は皆無。 それもそ のはず、彼らはとっくにここを通過。 今頃は最大の難所、ド  ルマ・ラ(峠)にかかっているとのこと。
 3:10 途中の茶屋で昼食、大きなテント張り、中にはヤクの糞が燃える、うなぎの寝床のようなストーブが。(写真)
 支給された弁当はサンドイッチ(勿論、肉っ気なし)、ジュース、傷だらけの不味いリンゴ。

【ツアンパとバター茶】
 ツァンパ(チンコー麦を煎って挽いたものにヤク・バターを加え練ったもの。 チベット人の常食、日本の麦焦し)、バター茶(緑茶とヤク・バター、塩を十分に攪拌したもの)試食、試飲。 バター茶、一杯2元。 言われた程に、脂っこくもなく、臭みもなくすんなり飲めた。 美味とはいえないが、健康にはいいらしい。


 トマと茶屋の子供たちが戯れている。 そのうちに弟、叔父さんまでやってきて茶屋の小母さんと賑やか。 聞けば知り合いとか、又一族郎党に奉仕してしまった。
 14:10出発。次第に平地から急な岩場に変わる。 カイラスの西壁が現われる。 近すぎてあまり高さを感じさせない。 対岸の山の山襞なんとも複雑な文様、造山活動の成果品、自然の造詣にまたまた敬服。

【ガイドは公安】
 チベット人は我々を見ると寄って来て、判で押したように “ダライラマの写真を持っていないか?”と聞く。 “こんなことだったら日本から沢山持ってきて売ればよかった!”などと軽口をたたいていたら、ラビーが慌ててやって来て、“中国人ガイド 王(わん)さんに聞こえたら大変なことになりますよ!”とのこと。
 勿論、彼は旅行社の社員ではあるが、同時に我々外国人は勿論、ネパール人、チベット人、果ては中国人ドライバーの監視役でもあるとか。 そういえば、なんとなく目つきも厳しく、会話にも加わらず、愛想もない。 公安の人間と考えた方がよさそうだと言うのが結論。
 チベットを無理やり併合した中国としては進んで見せたくない土地ではあるが、希望する観光客が多く、外貨も落ちるなら止む得ず、最低限だけを見せてやろうの基本姿勢か。


 なんと、そこに“五体投地の巡礼”登場! 全身を厚いカンバスで被い、直立、頭上で手を合わせた後、跪き、地にひれ伏し、額を地面に着け、起き上がって、手の届いたてところまで数歩、歩く。 この無限の繰り返し。 川があろうが、何があろうが、道なりに尺取虫のごとく一歩一歩。 日が暮れればその場で野宿、日が昇れば又歩き出す。
 カイラスを一回りするのに12、3日かかるとか。 川を渡ってずぶ濡れになりながらも火に当たって乾かすでもなく、自分の体を極限まで痛めつけて、来世の幸せを願う。 何の疑いも抱かずにこの苦行の出来る青年に敬服。 こちらも胸がジンとしてくる。 あまりにもいいタイミングで現われただけに、もしかしたら“観光用のエキストラ”ではないか等とも考えたほど。(写真)

【オムマニペメフム】
    観音菩薩の6文字の真言。 “蓮のうてなの宝珠に幸いあれ”の意味。 この真言を唱えることによって輪廻転生のサイクルから脱して、仏陀の境地、涅槃の境地に安住することが出来ると信じられている。 この文字は至る所に刻まれており、日本の南無妙法蓮華   経の相当する言葉か。 運転手が毎日聞いていたラジオ・カッセットにもこの言葉を歌詞にした歌が吹き込まれており、我々もその節をすっかり覚えてしまった。(写真)


 6:15 ディラプール・ゴンパ着、ロッジ、売店などの設備あり。 寺院は対岸に。 今夜のテントサイト。 そしてここから、夢にまで見たカイラス北壁が真正面に。 手前の二つの山の間に氷を着けた大絶壁、少しずつ雲は上がっては来たものの、結局、頂上は見えず。明日を楽しみにしよう。(写真)

それにしてもよくぞここまで。 胸がキュンとくる。 苦労はしたとはいえ、高山病にもかからず、比較的容易に、体の苦痛もなく達成できたとは。
 17:45 本隊到着、乗馬部隊は馬が来ずに大半を歩かせられ、最後の1kmしか乗れなかったとか。 おばさんたちはご機嫌斜め。 五人のおばさん、いつも 恐い顔の女医さんはスリムで元気だが、残りの四人は 顔つきも体型もそっくりの肥満体! 暫く一緒だが未だに顔の見分けがつかず。 まず山を登る体型ではない。 明日はどうなることやら! それにしても大声で文句も言うわけでもなく、じっと耐えている。 その忍耐力、信仰心?の強さには頭が下がる。
 荷物搬入のヤク部隊も遅れて到着。 対岸のゴンパ近くの川岸の高台にテント設営。 北壁を正面に見る場所だったが、夕方からあいにくの雨、霧で全てがベールの奥に。 キャンプサイトには他にフランス人、ロシア人のグループが。 若い女の子が沢山。 彼女たちもヒンドゥー教なのか、足を組んで瞑想にふけっている。 なんとなく違和感。
 夕暮れ間近、雨が上がって完全な円弧の虹が。 両端が見える虹は初めて。これまた感激。 気温は0℃ぐらいか、一人寝のせいか、流石に夜は寒い。 持参したシェラフが薄いため、羽毛服も着込んで寒さをしのぐ。 小用のために2回外へ。 1回は満天の星、オリオン、カシオペアも確認、1回は曇り空、変化が激しい。

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