チベット・カイラス山トレッキング

【チベット・カイラス山トレッキング−その2】


8月11日、ニャラム停滞

 ようやく陽が射す。 濡れた物を乾かす。 朝食9:30。 10:30 高度順化トレーニングを兼ねて町の裏山に。 3700mから3910mまで。 高山植物、種類も多くきれい。おばさん連中、途中でダウン。(写真)

 昼食、ツアーの食事を断って町の中華飯店へ。 野菜ばかりでは力が入らず。 焼きギョーザ、酢棘粉(ビーフン、汁は酸っぱくて強烈に辛い、見てくれは悪いが美味)を食す。 ニャラムの町はこの地区の中心。 超市(スーパーマーケットの意、言えてる!)、 レストラン,インターネット・カフェ、カラオケ等様々。 カトマンズからラサ、カイラス方面への分岐点近くに位置するためか賑やかで、ホテルの建設ラッシュ。国際電話もOK。 中国人も多く、チベット人はいずれも頭に赤い糸を編んだベルト? を巻き民族を誇示してはいるが、こき使われている感じ。 子供たちの物乞いが多く、レストランでの食事は落ち着かず。 午後、ベットでゆっくり。夕食、ヌードルスープ、ベジタブルスープ、ライス、スパゲティ。 夜半から雨。

8月12日 (金) ニャラム→サガ(標高4400m)


(走行距離250km 行動時間11時間  曇り、時々晴れ)

 8:30出発、いよいよ5000mへの挑戦。 ランクル(トヨタ)6台、トラック(いすゞ)1台のコンボイは川に沿って快調に走る。 いい道路だが、未舗装のためほこりがひどく、車間距離を空けなければ走れない。 途中にいくつかの部落。その周辺の平地はジャガイモ、チンコー麦、菜種の畑。菜種の花が黄色く浮き立つ。 麦も取り入れ寸前。 扇状地は可能な限り耕作されている。 (写真)
  
トン・ラ(峠)着 9:50 標高5120m。 一気に1400m登る。 頭がジーンとしている。 ヒマラヤの峰々が見えるはずだが雲が邪魔している。 荒涼たる景色。草がわずかに生えるだけ。(写真) 

 一旦、峠を下ってラルン・ラ(峠)(標高 5000m)を越え、国道を左折、サガへの省道に入る。(写真)

 いよいよ平原の道。 道は幾筋にも別れ、各車は競争するかのように横一列で走る。 交差する川はそのままジャブジャブと渡る。あまり深くはない。 所々に遊牧民のテント、ヒツジの群れ。 左手にはシシャ・パンマ(ゴザインタン・8012m)が山裾だけを見せている懸崖氷河が見える。 全てを見渡せたら飽きることなき高原散歩になるだろう。 地表面は砂利が覆っている。 大きな砂利の分布するエリア、小さな砂利のエリア。 どれくらいの年数をかけてこんな地形になったのか・・・。 太古に海底であったのが隆起してここまでなった証拠?無尽蔵にある砂利、日本なら生コン屋が大喜びするだろうが・・・・。

 チェックポスト(検問所)。 運転手と我々の氏名、パスポートNoのリストを提示して通過許可。 全くの平地の為、横断方向に通り抜けできないように柵が何処までも・・・。(写真)

 昼食、緑濃い谷間で。ジャガイモ、米、ナンの揚げたもの。(これは脂っこくて頂けません)

 ペング・ツオ(湖)、大きな湖の脇を通過。
 3:15、この付近で併走していたランクル1台行方不明に。  どこかで故障、転倒、の恐れありで、捜索開始。 昼食地点まで戻るも不明。先行したものと判断、5:35 行動開始。 約2時間20分のロス。 先の峠でようやく行方不明車に出合う。 この辺りから急峻な山岳地形に。 峠の下り、急坂の連続。登山道を車で下るようなもの。 4500ccランクルの威力絶大。 部落を通過後、更に峠を越えてプラマプトラ河の右岸へ。
 プラマプトラ河はチベット自治区内を東に流れ、その東端で直角に南下、ヒマラヤ山脈を横断、しばらく西に流れてからガンジス河に合流、バングラデシュを通過してベンガル湾に注ぐ。 案内書にあったフェリーではなく、1ヶ月前に完成したコンクリート橋を渡りあっという間にサガの町に入る。 19:00。小さなフェリーがまだ岸に舫ってある。 1回で2台が限度か。 当時は渡るのに時間がかかったことだろう。 サガの町はプラマプトラ河支流の両岸に新旧の町が分散。 それをつなぐ部分で建設ラッシュ。 車の修理工場がやたらと多く、これからの悪路の展開が予想される。 ロッジは電電公社の隣。6人ベッド部屋に3人。 部屋は小奇麗で心地よし。 


【トイレと洗面】
6畳ぐらいの空間の部屋、床に長方形の穴が横一列に数個開いていて、仕切り、きん隠し無し。 同席?の際はなんとなく顔を合せてニヤリ!。 ものは2m下に落ち、全貌が見渡せる。 臭いこと! 良く言えば極めてオープン、悪く言えばプライバシーは丸でなし。 さすがに男女は別れているが・・・・・。
 観察するところ、チベット人は紙を使わない? 隣の御仁は終わるまで紙の使用を確認できなかった。 左手で拭いて終わり?
 どうやらチベットでは糞尿を畑の肥料として使う積もりはない様子。 畑も無いし、気温が低く肥料への腐敗速度も遅く役に立たないのか。 最後は何処に捨てるのだろう。
 洗面は各自の部屋の前で。 洗面器にお湯が配分、歯磨き、髭剃り、洗面も含めて使った水は部屋前の草むらに散布、浸透。 これは地元の人間に習う。


夕食、中華飯店で。雨降ったり止んだり。一日の天候は毎日、晴れ、曇り、雨混じりと見た。 そんなに寒くはない。予想に反して平坦な道が多く一安心。

8月13日(土) サガ 〜 パヤン西方キャンプサイト

(曇り時々晴 行動時間 9時間)    
 9:00出発。 ここからは新蔵公路、国道219号線(ラサ〜カシュガル)を走る。 旧市街地を通過して、プラマプトラ河を大きく 迂回、支流〜左岸の山中へ。 最初の峠に至る。賽の河原の石積み、タルチョ(旗)多し。 北面に大きな雪山二峰。 支流をコンクリート・アーチ橋で越えて遡る。 川岸に遺 跡あり。 古い寺院もしくは砦の跡か。 13:00オールド・ドンパ到着。 レストランで昼食。 食事はスタッフ持参のもの。 部屋の造作はチベット風。(写真)

柱、梁はカラフルな装飾。 天井は布を張り巡らし、壁にはやたらとパンチェン・ラマの肖像が・・・・・。 ダライ・ラマの肖像を掛けられない反動か。 食後、付近の小山にあるゴンパ(寺院)を拝観。 高さ2m、直径1mもある巨大なマニ車。

14:00出発。暫くして突然、3,4mの高盛土、2車線プラス広い路肩の立派な舗装道路が出現。洒 落たガソリンスタンド登場。ニュー・ドンパへの分岐点。 試験施工?これが将来の国道219号の姿か。 今の道路は地表面とほとんど差がない。政府は旧部落を避けて新しい町作りをしている様子。遠くに町並みが 見える。 道路脇にも方々で土レンガつくりのチベット風集合住宅が新たに作られている。遊牧から定住への促進のための、最新の文化住宅へ・・・といったところか。 途中、ラサ方面へ移動中の労働者を乗せたトラック集団とすれ違う。家財道具と一緒に大勢の人が乗っており、我々に対して歓声を挙げるなど賑やかなこと・・・・まさしく民族の大移動といったところ。(写真)

【車事情】
 国道を走る車の種類は3種類。我々が利用して   いる四輪駆動のランドクルーザー(トヨタの車しか見当たらず)、おんぼろのトラック、そして写真の牽引台車つきトラクター。 いわゆる乗用車は見かけず。 周辺にトラクターを使用するような畑も見かけず、この組み合わせが一般大衆の乗用車か? 何故か荷台に三菱のマークが2個。三菱重工とは無関係の国産車。 それにしても冬は乗客も寒いことだろう。


14:30 パヤン通過。  今夜の宿泊はここと思いきや、更に足を伸ばすとのこと。 道路は極めて平坦であまり疲れも感ぜず。  プ河に沿って遡る。 左側にヒマラヤの雪山が続く。 残念ながら雲が多く頂上まで見ることが出来ず。
 18:00キャンプサイト着、陽はまだ高い。日没は21:00頃。 川岸に数軒の売店、遊牧民のテントが散在する。 初めてのテント泊まり。 川岸に厨房兼スタッフ宿泊用の大きな家型テント、食事用テント、それをとりまく様に二人用テントが十数張り。 離れたところにトイレテント。これがテント村の全て。(写真)

我々3人には二張りのテントがあてがわれる。 2+1で交代交代に寝ることにする。 小生は一人を希望するも、H君は二人を希 望。 K君や小生のいびきのうるささを差し引いても二人分の体温でテント内が暖かいのが魅力とか。 マットは厚くて寝心地よし。  遊牧民の子供たち、犬ども集まってきて金、食料をねだる。
 夕食、売店で買ったインスタントラーメンを料理してもらう。 インゲン、ニンジンの茹でたもの、トマトスープ、パン。 夜間、犬の鳴き声うるさい。 テントのそばで数匹が鳴き交わすのでうるささは並大抵ではない。昼間あんなに静かに、たらたらと寝ているのに。 夜は自分たちの仕事時間と心得ているのか。 なかなか寝付かれなかったものの、10:00には就寝。 4:30まで一度も目を覚まさず。 ダイアモックスの利尿効果は何処に行ったのか?

【道路事情】
 事前情報とは大いに異なり、走ってきた道路の良さにビックリ。 我々のランクルの運転手の黄(しゃ)さん(中国人)の話では改良されてから数年経つとか。 それまでは平地に踏み跡があっただけなので、雨が降れば水浸し、川は増水して渡れず、難渋したが、現在は主要河川に橋が掛けられ、1mぐらいの盛土となったのでずっと良くなったとの事であった。 確かに我々の走る道路と併走、あるいは交差する旧道は道路というよりは馬車道。 障害物を避けつつ走るのでスピードを出せるはずもなし。 しかしこの道路も、多量の降雨があれば水は道路を乗り越えズタズタに寸断されてしまう。 高盛土にすればこんなことにはならないことは分かってはいるが、代わりに排水設備の完備が前提。 そのための設備投資と、今のままで壊れた都度,修復していく費用はトータル・コストとしてどちらが安いかの問題か。


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