またあした〜
日和見系日記
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■2011/02/21 (月) 21世紀3704日目のパンダレボリューション

パンダが来ましたね。
調べてみたら、日本国内にパンダはいるんですね。和歌山のアドベンチャーワールドに、何頭も。

しかし「上野動物園に来る」というのがやっぱり大事なんでしょうね。

初めて日本にパンダがきたのが、1972年。ランランとカンカンですよ〜。
そのころに買ってもらった私のぬいぐるみ。だいたい私と同い年(^-^;

そのころ札幌の病院に入院していたんだけど、病院で履いてたスリッパもパンダでした。

話は変わって、アフリカや中近東で今巻き起こっているデモや革命のことを、発祥の地にちなんで「ジャスミン革命」と呼ぶんですてね。
なして、ジャスミンなのか…。なるほど、チュニジアの代表的な花がジャスミンなのだそうで。
なんだか「ジャスミン革命」って名前だけ聞くとなんと平和的な革命かと思うわ。名前だけ聞くと、ね。

ジャスミンと言えば、ジャスミン茶。

パンダを初めて観たのは、東京で入院していた小学生の頃。1981年だったかな。
外泊許可が出て、上野動物園に行ったんだけど、なんと!パンダ舎お休み!
しょんぼり病院へ戻ると、札幌出身の主治医の一人に「なんだ、田舎者だなぁ」と言われた。うはははは〜、ほんとそう思うわ。
で、春になり退院して、北海道に帰る前にもう一度上野動物園に行ったらようやく見れました、チラッとだけ、だったけども。
それでその頃、横浜の中華街にも遊びに行って、今では普通に飲んでいるウーロン茶の茶葉(鉄観音茶)やジャスミン茶などを初めて飲んだ。子どもの頃からお茶が好きな子でさ。
ウーロン茶もジャスミン茶も美味しかったなぁ。
私のジャスミン(茶)革命ですよ、などとお茶を濁して。

今日、やってきたパンダの日本での名前はたぶんもう決まっているようなんだれど、平和を願ってメスにはジャスミンとつけたらいいのになぁと思うわ。オスは、まぁ、ドンドンもガンガンでもニンニンでござるでもいいけど。

じゃ、またあした〜。

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■2011/02/18 (金) 21世紀3701日目のさびしい資料館

家人2が確定申告にいって還付金の手続きをするというので、休みだった私もくっついて行った。私は確定申告などたぶん必要ないんだろうけど、一応、聞いてみようと源泉徴収票を持って行った。

会場は暇そうで(シヤクソの特設会場)、丁寧に見てくれて教えていただいた。

それで、まぁ、雪の中せっかく車を出して出てきたというのもあって、家人2が「郷土資料館で特別展やってるってさ」という声で、江別の郷土資料館に寄ってみようってことに。
すでに3時半ですが、大丈夫なんだべか? 4時で終わりとかじゃない?

行ってみると、5時までと書いてあるので入る。
誰もいない。
特別展といっても入口のちょっとしたスペースに、昔の人が着ていた着物や角巻(かくまき)や、雪下駄とかそういうのが展示してある。
人がいないうえに、入口すぐそばのこのスペース。これはどろぼう入り放題だ(まぁ、盗むような物はあまりなかった)。

観てるうちに館の人がやってきて、全部観て行くかい?と。
入館料は200円で、観て行くことに。

昔、この資料館が出来た頃、2回くらい来て観ている。あんまり展示物はかわらない。

最後のほうで館の人がいろいろ説明してくれた。
ってか、けっこう近所に住んでいる方らしく、野幌って昔畑しかなかったねとか、2番通りから国道が見えたね、とか家人2と昔を確認しあっている風でもあった(^-^;

だいたい5時になりそうな時に全て観終わって、出てくる。
雪は相変わらずモッサモサ降っている。


200円払ってよかったと思う。なにせ、私たち2人のために全館の灯りをわざわざつけてくれたのだから…(入口の展示コーナーはちゃんと明るかったけれど2階とか消してたんじゃないかな〜)。電気代にはなったんじゃないべか。
しかし、あそこはもったいないな。なんとかならないかな、と思う。

そうそう、特別展示コーナーに子どもの顔がプリントされたレコードが飾られていた。うっすら小さく「しらとりみずえ」と書かれていたのだが、館の人は「小鳩くるみに似てるという方もいまして(誰のレコードか分からない)」というのさ。
家人2は「白鳥みずえって聞いたことある」というので、まちがいなく白鳥みずえのレコードだ。ネットでみてみると、子役として映画にいくつも出たりしているそうで、今も(?)演歌歌手をしているらしい。

じゃ、またあした〜。

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■2011/02/15 (火) 21世紀3698日目の白かった巨塔

帰宅したら、家人3が新聞を広げて居眠りこいているので、その後ろから覗き読みしていたら、和田寿郎教授が亡くなったという大きな記事が。


さすが道新。

夕刊ですが、もちろん1面の記事にもなっておりました。

で、ニュースはもう全国ニュースしか見れない時間だったんで、あれなんだけども、全国ニュースではまったく取り上げられていなかったですね。

かれこれ30年前まだ子どもでしたが、東京の女子医大病院まで心臓の手術をしにいって、この和田教授が一番偉い胸部外科ってとこに入院した。
今のように、患者同士の情報交換の手段がほとんどない時代で、一応、心臓病の子どもを守る会には所属していたけど、何せ北海道では手術は難しいってことで、たいした伝手もなく、情報もないまま女子医大のここで受け入れてもらったというような次第。
今から思えば、隣の建物に女子医の心研があって、先天性の心臓病、子どもの心疾患はそっちが専門的に手術をやっていたということなのだけれど、なにせ田舎から家族で出て行って何も解らなかったものだから、そちらではなく和田チーム下に入院した。

で、子ども心に、総回診時の和田教授を覚えている。
ケーシータイプの白衣の首なんかきっつきつな感じで着ている、どこから見ても一番偉い人でした。
その周りに、長い白衣を着たいつも見る先生なんかが何人もしてやってきて、柵つきベッドの中で私はちゃんと待っている。
「おぉ、北海道からきたのかい」
と和田教授が笑顔で話しかけてきたなぁ、みたいなことはうっすら覚えている。
当時はすでに漏斗胸の手術が専門みたいな感じだったそうだ。
同室にも漏斗胸の子が2人くらい入院しては退院していったな(彼女たちはとにかくすぐ退院できた)。
結局私はその年、お正月の外泊1週間ほどを挟んで、12月末から3月中旬まで、一冬を女子医大で過ごした。その一冬の病院での思い出が、この記事から思い起こされた。

札幌医科大学病院の名を世界に広めた功績はあったと思う。
この当時アメリカに留学していたという精神科医の先生が、アジアの田舎から出てきて四苦八苦してたけど、和田移植のニュースが伝わり周りの先生方から「キミの大学すごいね」と一気に覚えてもらえた、なんて話を聞いた。

じゃ、またあした〜。

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■2011/02/12 (土) 21世紀3695日目の江別クオリティのチョコ売り場

月曜日がバレンタインデーなのをちょっと忘れていた。
職場で差し上げる義理チョコを、誰も買っていなかった。

今日、休みだったが、同窓会の仕事(仕事でやっているだけで自分の同窓会ではない)で夕方会社へ行かなくてはならないということになり、それじゃチョコ買ってきてって言われる。

寄ってもいいけど、あれだよ。江別のポスフあたりの特設チョコ売り場だよ、ちゃんとしたブランドのチョコなんか、きっとないんじゃないべか?とエクスキューズを入れて、それでもいいっつうんで、ポスフ辺りに。

ま、ブランド力や味(美味しいとは思うが)よりも、受け狙い的要素強めでチョイス。

それとは別に、私がひとめぼれしたので自分用に買ってみたのがこの、武将チョコ(byメリーズ)

伊達政宗をイメージした『洒落者』という名の、チョココーティング・コーヒービーンズです。
コーヒービーンズ大好きです。
最近ずっと胃の調子が悪いのに、ボリボリ食べちゃいました凹

コーヒー豆が急騰していると聞く昨今。
あのぉ、このチョコ、バレンタインデー商戦が終わっても普通にメリーズに置いてくれませんか? なまら欲しいさ。普段から買いたいんだわ〜。

で、仕事で会議はスムーズに終わりました。
やっぱし飲み食いせずにやるとチャッチャと終わって楽だわ。

じゃ、またあした〜。

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