DA・M 近作紹介4 1999  BackNext
 
 
IL VULCANO
記憶の底に潜む20世紀のマグマを見に行こう 登山電車がなくたって
1999年3月19日〜28日/プロト・シアター
 

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動きと言葉の新たな出会い〜「日記」から覗く、もう一つの20世紀

科学技術の発達と戦争。幸福と悲惨が同居する今世紀は、どんな時代だったのか? 時代に埋もれたさまざまな生の痕跡を、「日記」という通路から辿り始める.........

DA・Mがこの数年精力的に取り組んで来ました<即興行為>と、時空を越えた無数の<言葉>が衝突する.....全て木っ端微塵!!

 
  構成・演出・照明 大橋宏
  テキスト  集団創作
  出演 サキ
佐藤照
中野耿一郎
八重樫聖
渡部美保 (アイウエオ順)
  音楽 竹田賢一 (エレクトリック大正琴・他)
  舞台美術・衣装 吉川聡一 山崎久美子
    *芸術文化振興基金助成事業
  日時 1999年3月19日(金)〜3月28日(日)〔23日(火)休演〕
         開演 平日夜7時30分 休日夕4時
  会場  プロト・シアター
舞台紹介  
舞台壁面は全て白一色。ただ、下手白壁の中程に黒い棚が横に長く埋め込まれている。棚は100ほどのボックスに仕切られその所何処に白紙(日記が記されている)が放り込まれている。反対側の空間には天井まで届く鉄骨の枠が3列に立っている。周囲に設えられた30本ほどの短い蛍光管がこれらオブジェと余白の空間を白色に浮き出している。自らを頑固に主張しながらも、そこが何処なのか、明確な場所の暗示を拒絶するかのような舞台空間.....その沈黙の中、俳優達は耳をすまし、微かなブレに身を投じる。グラつき、床に倒れる体。また沈黙。堆積する沈黙がやがて空間を決壊させる.....
感覚、記憶を彷徨い、他者と対立し、協調しながら、連綿と連なり折り重なっていく<即興行為>。それは、何も完成(実現)しないし、しようともしない。(故に、自らの生そのものをそこに証し出していく)その混沌の最中、俳優達は棚へと向かい日記を手にする。読まれ、叫ばれ、つぶやかれ、合唱し、うねり出される言葉の数々。動きと言葉、言葉と言葉、そして時々に挿入されるサウンドが、相互に拒絶し響きあい呼応し闘争する。何の前触れもない瞬間瞬間の出来事。変容しつづける時空間。そこに飛散する夥しい生のカケラの一つ一つが過去を、今を証言しようとする。記憶の小道を無心に行き交う女達。男達の秘密のダンス。俳優達はやがて20世紀という広大な部屋の最も暗い一点に立ちつくし、その沈黙から噴き出す無数の「日記」の声に包まれていく.......
 
  【使用日記】
神谷美恵子  石川啄木  エゴン・シーレ  E.E.ダンロップ  ニジンスキー  岡義武 S.I.ヴィトキェヴィッチ  ジュリアン・グリーン  森田正馬  古川ロッパ  藤原マキ ミシェル・レリス  サンテグ・ジュペリ  ヘディン  小津安二郎  笹川良一 内田百聞 ハイナー・ミュラー  寺田寅彦  湯川秀樹  夏目漱石  正岡子規  ボーヴォワール  アンネ・フランク  高松宮  植村直巳  ケストナー  山下清  マーク・ゲイン  大佛次郎  中根美宝子  坂口三千代  坂口安吾  グレアム・グリーン  佐藤栄作  永井荷風  カミュ  堀江謙一  武田百合子 ジャコメッティ  高野悦子  千葉敦子  ブゴウスキー  宮内美沙子  穂積重遠  林真理子  平出隆  ニコライ二世  今枝弘一 M.デュラス  エルウィン・べルツ  ペーターノル 芹沢茂登子 ドリアン助川  石垣綾子  穂積歌子  ズラータ・フィリポヴィッチ  河上秀  独立攻城重砲兵第二大隊第二中隊兵士 ジョン・コルビル  ガリーナ・ドゥトゥキナ  その他無名の人々(敬称略 順不同)    
     
21世紀演劇を提起する
IL VULCANO
この作品の中で使用される言葉は、従来的な演劇テキスト、つまり舞台上の俳優によって語られることを予定した言葉ではなく、舞台で行われる俳優の動きもまた、従来的な演劇行為、つまり言葉の意味を伝えるための身振りでも、行為でもありません。
この作品は「20世紀の記憶」をテーマに、言葉は今世紀のさまざまな時と場所で記された「日記」から引用され、動きは現在、つまり<今ここから生まれる即興行為>にゆだねられています。全くかけ離れた2つの要素、言葉と動きを自立的に混在させながらも一つの舞台として成立させる。それがこの舞台の狙いの一つです。言葉や動きそれぞれの行為が、意味理解的に、相互に縛られることなく、主張しあう。そのことにより、舞台に多様な解釈やイメージ喚起の可能性を開いていく。
それはまた、バラバラな行為によって一つの舞台を創り出していくための新たな方法論―技術と精神性を演劇に要求するといえます。
IL VULCANOでは、俳優達は言葉や動きを、意味以前のエネルギーの状態までもどし、その強さ・質・方向・距離・持続による相互関係を、意識的、偶然的に創り出していきます。
DA・Mはこの数年、近代演劇のドラマツルギーから離れ、演劇性、舞踊性、音楽性の境界線上にて、様々な即興行為を発掘しながら<エネルギーそのものの組織化>を目指してきました。
そこから生みだされていく、未知の演劇的想像力。緊張と解放、静けさと激しさ、秩序と混沌、中断と再開の絶え間ない交錯。
それは、今、ここで起きる時間と空間のドラマであり、現代を生きる人間の内的な存在感覚に、より直裁的に働きかけていこうとする新たなドラマの形だといえます。
     
STAGE BOMB 「演劇ブック」6月号より
  「俳優はどこまで自由であり得るか」への、豊かな答え
.......「朗唱」も行為も俳優も現在の「生」をいきいきと伝えるものだった(全てをここに還元するつもりはないが)。それは、少し脅迫神経症的で、自己の中の空虚に脅え、しかし悪戯っ気と好奇心と少し芸能的な色彩に彩られた彼らの等身大の「生」に見えた。
何のフィクションもないからこそリアルで説得力がある。そして、そこには都市の関係妄想的環境を生き抜こうとする“エネルギー”のようなものがふつふつとたぎっていた。言わば、人間の「生」の火を吹くブルカーノ(火山)。俳優たちのなかにそのブルカーノを実感するのは感動的な体験である。
台本をはじめとする演劇の制度から俳優はどこまで自由になれるのか。この本質的な永遠の問いに集団<DA・M>は正面から向き合ってきた。そして彼らはこの豊かさに到達した。小劇場の舞台としても記憶したい舞台である。

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