DA・M 近作紹介3 1998     BackNext
   
   
Click! to Album たとえば、「私の日常」を象るジグソーパズル。
だが、最後の一片が見つからない。何処を探しても見つからない。(少しの微熱) 
欠けたその空白を見つめていると、
穴ぼこの向こうに、永遠と続く廃墟の世界(廃墟の20世紀)が広がっている........
.言葉の切れっぱし、おぼろげな感覚、やりかけの行為、
押し潰された衝動......
散乱する記憶の数々を拾い集めながら、
抱えきれないガラクタを両の手からこぼしながら、
(ギラツク)彼方へと「私」は歩き出す。......
   
真っ昼間の地平線〜Daydream Horizon Impro.』
〜Asia meets Asia'98参加作品〜
1998.11.21sat.→23mon. at Proto-Theater
  出演 サキ 佐藤照 
渡部美保 八重樫聖
  音楽演奏 竹田賢一(エレクトリック大正琴)
  テキスト 集団創作
  演出・照明 大橋宏
  舞台美術協力 吉川聡一 山崎久美子
 
動きと言葉との新たな出会い

舞台は、周到に用意されたいくつかの<断片的な身振り/音>を唯一の要素にした、4人の俳優達と一人の音楽家が創り出していく即興行為によって展開されていく。そして、その最中、俳優達は行為を突然中断しては、舞台の周囲に設えられたマイクロフォンの前に立ち、そこに用意されている幾片かの<言葉の断片>を発声する。つやかれ、叫ばれ、ささやかれ、時に歌われたりするこれらの言葉は、この20世紀の様々な社会領域の中で記された実際的な言葉から切り取られている。(上演時間約1時間)

   
▼公演評 堀浩哉(美術家) 
『LR』11号掲載文―「Yさんへの手紙」より
ここには物語もテーマもメッセージもない。すべては断片化され、一切の求心性を排除して、しかしそれが重なり、途切れながら、重層化され、舞台としての事実を作っていく。パフォーマーは歩行のリズムをくり返し(しかし遠心的なバラけ方で)、つまづき、止まり、また歩き・・・。そして床に散らばった意味のつながりのない断片としてのテキストを読み、それがいくつにも重なったりする。音楽は電気的に処理され、ときに美しくときにノイズと化し、これも断片化する。さらに舞台の上でドローイングを描くものまでいるが、むろんそれも完結はしない。それらのすべてが白々とした蛍光灯の点滅する光の下で進行し(まさに白昼夢のように)、断ち切られたカケラ同士が融発しあい、また観客という他者に突き刺さることでハネ返り、それがさらに次の動きのきっかけでもあり、増幅装置でもあるようにしてパフォーマーに伝導し、動きが加速し舞台がさらに重層化していく。そうした、観客との真剣勝負のような緊張関係の中から、直接的なメッセージ性や安直な物語や神話の引用などによる了解をはるかに越えた、劇場自体が今ここで発生しているという誕生の瞬間のように、カオスとしてのエネルギーの原型のようなものが(抑制された原理的要素の繰り返しだけでありながら)鮮やかに開かれて見えたのです。 それはみごとなものでした。表現する側にも観客にも、どちらにも閉ざすことのない、開かれた劇場の出現を見た思いがしました。遠心的な力、というよりはYさん、ここではむしろ求心性と様式性の欠落こそが、ひとつの行為が別の行為を呼び込み、ひとつの身体が別の身体を開いていく大いなる契機となり、その欠落こそが際立つ力となっていたのです。
 

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