DA・M 近作紹介2 1997    BackNext
   
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aruku/アルク 1997〜

歩行による舞台詩 
これは 今、ここ、という瞬間を
揺さぶり、かき乱すための、
束の間の肉体と精神の興奮である。

 
     
構成・演出 大橋宏
音楽 竹田賢一   (エレクトリック大正琴・音響テキスト)
内藤幸也   ギター※シアタートラム公演)
舞台美術 吉川聡一 山崎久美子
照明 大橋宏 
相川正明(※シアタートラム公演)
出演 サキ
佐藤照
渡部美保
八重樫聖
+原田拓巳
馬場泰行(※シアタートラム公演)
     
[aruku]公演歴 1. 1997.7.24-8.2. フュナンブル劇場公演
             (仏アビニョン演劇祭off参加)            
2. 1997.10.6.   プロト・シアター公演
             (Asia meets Asia'97参加)            
3. 1998.1.17-19. シアタートラム公演 
             (世田谷パブリックシアター共催)

1) 東京都歴史文化財団助成
3) 芸術文化振興財団助成
      協賛:トヨタ自動車梶@松下電器産業梶@shuuemura 
      Reebok

     
作品紹介

今、ここ、こで時に組織的に、時に夢想的に想像しつづける今、ここ、で開始される歩行は、遙か遠くの時間と空間への呼び声だ。
俳優たちは、歩くという人間の行為に潜む、欲望、記憶を、
今、ここで、即興的に、時に組織的に、時に夢想的に想像しつづける。
静寂と狂乱、幻影と現実、ユーモアと拒絶が空間を揺さぶりはじめる。
目眩へと誘うエレクトリック大正琴の響き
変貌する風景。
何処にも辿りつかない放浪の旅。
舞台は混沌へと向かい、永遠の時を刻み始める・・・・・・


の作品は、人間の最も基本的な営みである「歩行」によって綴られる一つの舞台詩です。
―――俳優たちは、“行ったり来たり”という「反復歩行」を相互に交わることのない平行線上にて、即興的に、時に組織的に、夢想的に、展開しながら、時間と空間の多様なバリエーションを創りだしていきます……..
個々の歩行が持つスピード・距離・方向・強度・中断(静止)が、調和と対立を繰り返す。変容し続ける歩行空間に、俳優自身の記憶から引用された断片的な身振り、声、言葉が突発的に挿入される。異郷の世界へと誘い続けるサウンド。忽然と現出する巨大な壁。変調する歩行のリズム。静けさと激しさ、過去と現在を同時に感じ取ること。歩行の中断と再開。困惑、不安、希望、恐怖、勇気、さまざまな感覚、記憶、想像力を呼び覚ましていく。静かな裸の列がゆっくりと進む。そして臨界点へと向かう透明感………虚と実、秩序と混沌、緊張と解放を交錯させながら、(1時間余を歩き続ける)俳優達は、世界のあらゆる光景を過ぎりながら、永遠の時を刻み始める......、



「おれはここでなにをしているのだろう」ランボー
「人間の本質は移動の中にある・・完全なる平穏は死だ」パスカル
「そして私は自分の地理を知るために旅をする」マルセル・レジャ

この作品は、DA・Mがこの数年意欲的に取り組んできました実験的作業<演劇における即興様式の追求>の中から生み出されたものです。20世紀芸術の中で<即興性>は、音楽をはじめ舞踊、美術、詩等の創作活動に主要な成果をもたらしてきましたが、演劇ではその可能性はまだ閉ざされたままだといえます。
集団性や言語性が優位する演劇の中で、”即興行為をどのように組織化するのか”その問いへの一つの豊かな解答として、「アルク」は<歩行>という最も単純かつ普遍的な人間行為により、未知の演劇地平を開拓しています。
それは同時にまた、ややもすると自国言語の中に閉じこもりがちな演劇に、国境の壁を越えていく大きな可能性を開いていくものでもあります。
これまで様々な国の観客の皆様にご覧頂き、多方面からご好評を頂き反響を呼んできました。
今後もさらにさまざまな地域、場所で“歩き”、さまざまな人と出合いなから、この作品を成長させていきたいと考えます。

     
アビニョン演劇祭'97 [aruku]公演評
[aruku] では、4人の俳優達は歩き、歩き、歩きつづけながら、ゆっくりとした足取り(極端にゆっくりとした速度まで)から、駆り立てられるような急速度まで、あらゆるリズムで人生の歩み、雑踏の中の歩みといった「歩く」という避けることのできない動きを、連続的にひたすら直線を描きつつ表現する・・・休止は束の間にしかない。言語テキストはほとんどなく、むしろ、“アバン・パロール/言葉以前”とでもいうべき、断片的、部分的な言葉や動作が、豊かな暗示や筋道を表現する。世界中の音楽をモチーフにとりこんだ、断片的な音楽も一弾き、二弾きで、あるリズムが完結される。歩く者たちの身体が、模索・欲望・疲労・抑圧を表現している・・・DA・Mは前衛劇団であり、その演劇的模索は、暗示の世界を超えて、観客それぞれの深い欲望をかきたてることを目指す。このようにして演出家の大橋宏は、相互作用的演劇のなかに、われわれを誘い込む。それには、動きそれ自体に注目するのではなく、少なくとも、精神と感性とによる全面的な参加が必要なのである。なぜなら、この演劇の場面場面において示され、伝えられるものに対する意味付けは、観客自身にゆだねられていると思われるからである・・・。

【ラ・ガゼット/プロヴァンス】 抜粋  Andre BONAFOS.

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