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1.

飛影が見たのは、『いつもの』躯だった。
躯は事務室のパソコンの前で眉根を寄せ、頭を抱えている。
そんなとき、躯は問題解決に行き詰まっているのではなない。
躯は顔を上げた。
「飛影か」
飛影は、この場所に一人で来たことを後悔した。
「・・・なんだ」
しかし、まさか届いた郵便物の束を運ぶためだけに、複数人で来るなどありえない。
飛影はそれらを躯の前に置いた。
「鎮痛剤と水を頼む」
躯は、俯きがちにこめかみを押さえ、淡々と言う。
「鎮痛剤は、どこに?」
(躯がそういうつもりなら、こっちもそれに合わせればいい・・・)
「奥にある」
(・・・前言撤回)
「机の、上から二番目の引き出しの中だ」
思わず顔を顰めてしまったのに気付いて、飛影は『いつもの』表情を作った。
「ああ、分かった。」
幽助に言わせれば“入り浸っていた”その部屋に、飛影は近付くことさえ躊躇していたのに、躯のほうは、そんなことなどお構いなしに飛影に言う。
躯という人間の神経は、ほかの誰とも比較不能なのだ、ということを飛影は思い出した。

飛影には、躯がまったく変わらないように見えた。
その声も、表情も。
躯の態度は、見事なほど以前と同じだった。
いつものように挨拶し、皆に声を掛け、自分を使う。
まるで、何事も、なかったように。
飛影は、自分の煩悶を嘲られている気さえした。
それとも、躯にとって“あの日”は何事でもなかったのだろうか?
・・・あるいはそれが妥当なのかもしれない。
気付いてみれば彼女は、いつだって十二分に魅力的な『女』だった。
自分より先に気付いた男は、過去に間違いなくいたはずだ。
――あの体は男に馴れていた。馴らした誰かがいたのだ、自分以外の誰か――そうだろう?
自分は・・・数にも入っているのか?
だが、いくら妥当だとしても、しかも苦しい気分になると分かっていて、そこに考えが向かうのを止められなかった。

2.


開けた引き出しの中には、たしかに個別包装された錠剤が入っていた。
そこで飛影は困った。
薬が2種類あったのだ。
10個連なっているもの、これには手が付けられていない。
もう1種類は、割って6個分にしてあるもの。こちらは、錠剤2つを残し、4つがすでに使われている。
裏には薬の名前が書かれていたが、飛影は鎮痛剤の名前を知らないし、どちらの薬の名にも聞き覚えはない。
両方を持って、彼は引き出しを閉めた。

「これでよかったか」
「ああ、・・・!」
置かれたものに視線をやって、息を飲んだ躯は見る間に形相を変えた。
「お前・・・」
飛影は、その目に捕らえられた。
「これが何か、分かって持ってきたのか」
殺される。
飛影は反射的に思った。
躯は恐い。
皆がそう言うし、飛影にとっても彼女は恐ろしい。
だが、それは『畏怖』だ。
躯には、そういうものを向けるべきと思わせる何かがある。
しかし今、躯が向けているのはあからさまな憎悪。
飛影はそれに恐怖した。
そして初めて気が付いた。
躯は、こんな顔をすることができて、自分にしてみせたことはない。
今、それをむき出しにされている・・・?
「どっちが鎮痛剤なのか・・・分からなくて、だから・・・」
言葉を捜して、かろうじて飛影は搾り出した。
「だから、・・・まとめて、持ってきた」
瞬間、飛影の目に、躯の瞳にあった怒りが虚ろになったのが見えた。
気が抜けたように、躯は唇を緩めた。
「分かってたら、お前が、間違うわけがないよな」
躯は、飛影の手から水の入ったコップを取って、10個のほうを持ち上げる。
「痛み止めはこっちだ」
・・・じゃあ、そうでないほうは。
さすがに、それを口に出す愚は犯さなかったが、躯が激昂した原因がその錠剤であることは間違いない。
飛影は、自分から尋ねることはできず、躯が何か言うとも思えないまま、立ち尽くした。
ひゅうと喉の音を立てて、躯は息を吸った。
「・・・墓穴だ」
躯が無気力に呟く。
使い残りの薬を投げてよこし、女は飛影を見た。
しかしすぐ顔をそむけた躯は、唇を舐め、その唇を噛んだ。
「これが何か、知っていそうな奴に聞いてみればいい」
躯は眉を顰める。
「いつか、知ることもあるだろう。下手に聞き回られるのも困るし」
そこまで言って、躯は急にうっとうしそうに顔を歪めた。
「ただし、時雨だけは知られないようにしろ。・・・大事(おおごと)になる」
躯は飛影に背を向けると奥へ行ってしまった。
これ以上は何を言う気もない、そう背中が言っていた。

3.


時雨以外、とすれば飛影に思い当たるのは一人だ。
控え室に陣取るその一人に声を掛けようと、ポケットの薬を取り出す。
「くら・・・」
薬を握った手を押さえられ、飛影がぎょっと見上げるとそれは躯だった。
「どうし」
突然、飛影の言葉をさえぎった躯は、ちらりとだけ少年の顔を見た。
「あれを出せ」
躯は飛影を放し、掌を差し出す。
(引っ込んでいる気じゃなかったのか?)
何が起きたのか分からないまま、飛影は手を開く。
躯は、錠剤を受けとめたその手で蔵馬の肩を叩いた。
「何?・・・でしょう、躯」
やや不機嫌そうに振り向き、声をかけた主が躯と認めた蔵馬が表情を改める。
立ち上がった蔵馬を周囲から少し引き離すと、躯は薬を見せた。
「お前は、これが何だか知っているか?」
渡された蔵馬は、一瞬不思議そうにそれを眺めた。
が、その名前を確かめてからは、苦笑のようなしかめっ面のような、・・・対処に困る、と言いたげな表情をし、最終的には薄笑いを浮かべた。
「知っていますよ。これがなんなのか」
「へぇ、使ったことがあるのか」
意地悪く聞いた躯に、蔵馬は皮肉っぽく返す。
「俺が?あるわけないでしょう。俺が飲んだところで、何の効果もありませんから」
ぎらりとした目が蔵馬の前で動いた。
「オレは今、頭痛で吐きそうなんだ。その手の軽口は、オレの機嫌がいいときにしろ」
しまった、という顔をして、蔵馬は表情を真顔に変えた。
「使わせたことも、ありませんよ。まあ、色々あって。・・・それで?わざわざ俺に見せる理由は?これの出所はどこですか」
躯はちら、と視線を向ける。
「あれが見付けた」
「飛影が?」
「そう」
蔵馬が、自分を訝しげに見たのを、飛影は落ち着かなく感じた。
その視線が何を意味するのか分からず、しかし、意味深な感じだけは伝わってくる。
「で?・・・どこで?」
「『ここ』で」
「ここで?!」
躯は蔵馬の頭を殴った。
「でかい声を出すな。頭に響く」
「・・・そうですか・・・それで?」
「これが何か、あいつに説明するべきだと思うか」
ああ、そういうことかと呟いて、蔵馬は答えた。
「するべきだと俺は思います。そういえば、まだでしたからね。いい機会かもしれない」
「じゃあ任せた」
「え?」
蔵馬はぎょっと見返した。
「だってこれは・・・全員に話すことも考えたほうが・・・」
躯は手を振って止めさせると、嫌々に口を開いた。
「どうしてもいい。どうするのも全部任せる。今日は一日、オレに面倒を持ってこないでくれ。・・・少なくとも今、処理できる状態じゃないんだ」
そう言って薬を握らせると、躯はどんよりした目で蔵馬を見る。
「だから、任せた」
「えっ?ちょっと待ってください、躯・・・」
しかし、躯は立ち止まらなかった。

4.


飛影の前から、不機嫌を絵に描いたような顔で、躯は去った。
一瞥もくれないで、と飛影は唇を噛んだ。
「飛影」
「ん?」
普通の人間なら、まず、たじろいだであろうその目付きを見て、蔵馬は顔を顰めた。
「なんだよ、その顔は」
「何でもない」
(それが何でもない顔か?)
蔵馬は思ったけれども、今、それをからかう気分ではない。
溜め息をついて、飛影の肩を掴んだ。
「・・・ちょっとこっち来い」
人の流れのないほうへ、蔵馬は飛影を引っ張っていくと、声を抑えて切り出した。
「お前、女と寝たことあるか?」
「なっ・・・はぁ?」
目を白黒させた飛影を無視して、蔵馬は続けた。
「・・・は、あまり関係ないのかな。質問を変えよう。お前、避妊の仕方は分かってるか?例えばどんな方法があるか、いくつ挙げられる?」
「いくつ、って・・・ちょっと待て。一体何の話なんだ」
「知らないのか?それとも、言うのが恥ずかしいとか?」
「!!」
顔色が変わった飛影を見て、蔵馬は、耐えきれないというふうにくすくすと笑い出した。
「だからお前、ガキ扱いされるんだって。どうしてそこで慌てるんだろうな。堂々と答えれば、それがどんな答えであれ、少しは落ち着いて見られる。・・・とは思うけど、堂々と『知らない』って答えられたら、それはそれで問題だな」
「だから!それで何なんだ?!一体何の関わりがあって・・・」
「大ありさ。最も確率の高い避妊法は何か、分かるか」
「それは・・・、」
「ピル。は、知ってるか」
「ん」
一瞬わずかに首を傾げて、飛影は頷いた。
「知ってはいるんだな。なら話は早い。ピルを女性が服用するのが、最も確率が高い避妊法だ。ピルというのはホルモン剤でね、排卵を止める。だから妊娠しない」
「これは、それか?」
「そう、これもピル。ホルモン剤だ・・・だけど使い方が違う。モーニングアフターピルって呼ばれてるものだ。一度のホルモン投与量を普通のピルよりずっと多く飲んで、卵子を着床させなくする」
「着床?」
「着床、は分からないか。さすがに馴染みはないだろうなぁ」
それも致し方ない、と、蔵馬は小さく笑った。
「着床っていうのは、簡単に言えばセックスで受精した卵子が子宮にぺたりとくっついて留まること、妊娠は、そうして留まった受精卵が成長を始めることだ。だから、着床させないということは、子宮に留まらないようにして妊娠を成立させない、という意味だ。分かったか?」
ああ、と小さく頷いた飛影の顔が、不意に青ざめた。
「つまり・・・“それ”、を、飲んだのは」
「・・・多分、リスキーなセックスをしたんだろうな、これを飲んだ人は。もっとも、中で外れたとか途中で破れたとか、そんなところだろうけど」
「どうしてそんなことが言える?」
「行動が呑気だからさ。こんなのを持ち歩いてクラブに来るなんてことをできる状況なんだから。レイプされたとか、そういう事態でないことだけは、確かなんじゃないかな。」
「二つ飲み残してるのに」
「いや、これは構わないんだ。2錠ずつ2度、飲むタイプのものだから。最低4錠あれば足りる。・・・ホルモン剤というのは、投与量が多いと気分が悪くなるケースがある。中には、吐いてしまう人もいるんだよ。そのための予備に、医者は6錠処方したんだろう。つまり4錠ないってことは、特に何の問題もなかったってことだ。むしろ安心すべきことだ。だから、これの持ち主は誰ですかなんて、野暮な詮索をする必要はないよ。ところで、よく“コレ”を躯のところに持っていったね」
「え・・・」
「これを見つけたとしても、何の気なしに捨ててしまっても不思議はないのに。よく躯のところへ持っていったよね」
「それは・・・俺が見付けたっていうか、その、躯が・・・」
そのまま、言葉に詰まった少年を見て、蔵馬は繰り返し頷いた。
「いいよ、言わなくて。大方、躯から何か言われてるんだろ?」
「そんなんじゃ・・・!」
怒ったように赤くした顔を、彼は苦しげに歪めた。
「言われたとか、そういう・・・」
「じゃあ、言外の圧力?」
やれやれ、と蔵馬は苦笑いした。
「飛影が言えない理由なんて、俺は興味ないってば。だから言わなくていい。それとも飛影は言いたいのか?」
「それは・・・」
飛影は言葉を続けられなかった。
「プライベートでだって、こういう情報は必要なはずだ。もし大学ででも彼女ができて、それで妊娠させたとなったら。望まない妊娠なんてまずいだろ」
「望まない、妊娠」
「結婚しているか、結婚するつもりがあるのでもなければ、大抵そうだろうさ。」
そんなことぐらい分かるだろう?という目で蔵馬は見た。
「それに、仕事に関係ないところだろうが何だろうが、ここのスタッフが何か起こせば、躯は必ずいろいろ言われるわけだし」
「なんで」
「そりゃあ雇用主の監督不行届きということで。もっともお前の場合は、まず通ってる大学の方の名前が取りざたされるだろうけど」
ぐっと何かを呑み込むようにして、飛影が蔵馬を睨む。
「もしものときの緊急処置として、あの薬のことは頭に置いとけ。・・・店にいる限り、こちらはプロだからね。理解できた?」
「分かった、から、もう」
蔵馬はニヤニヤと笑うのはさすがに可哀想だと思って、にっこりとするに留めた。
「なら、薬の説明はこれで終わりだ。・・・ただし、実はこの手の情報は、うちのスタッフならみんな、知ってることだ。雇うときに聞かされるから」
「・・・俺は初めて聞いた」
「君に話してなかったのは、始めてきたとき、バイトで未成年で、接客をまったくさせない契約だったから、だね。・・・まあいいか、と思って省いてしまったんだよね」
「バイトだからか?」
「そう、それと学生だから。『お客様からデートのお誘いがあっても必ずお断わりするように』、とは言われてるよな?」
「『バイトで未成年だから』」
蔵馬は苦笑した。
「うちに来たとき、そう言われたか。『・・・と言って諦めてもらえないときは誰かを間に入れて、穏便に済ませろ。あの口下手に、それができるとは思えないからな』・・・と、俺は言われてる。特に、“穏便”ってところが難しそうだもんなぁ」
飛影が歯を食いしばるようなしかめっ面をしているの見て、蔵馬は、笑ってしまいそうになるのをこらえた。
「いいよ、もう。しとかなきゃいけない話はこのくらいだ。」
飛影が一歩下がって蔵馬の顔を見たとき、離れた所から声がかかった。
「飛影!ちょっと!」
「あ・・・ああ、今」
飛影はぎこちなく蔵馬に背を向け、そちらへと向っていった。



作者よりコメント

“こんなことをするなんて、躯は、飛影をここから追い出したいのか?”
・・・という疑念を持ちながら、私はこれを書きました。
しかし、
“そんなはずない、だって、躯は飛影のことを気に入っているのに。”
という確信を、私は同時に持っていたのです。
躯は飛影をそばに置くのが嫌だとは、思ってない。絶対思っていないはず、なのに。

私は、自分でストーリーを作っているにもかかわらず、書いている途中も、書き終わっても、なお躯の心情が分かりませんでした。
“この話は、ストーリーを続ける上で本当に必要なのか?”と・・・
書くことにも迷い、にもかかわらず、書かずにはいられなかったこの話。
・・・二次創作に現実的な話をあからさまに持ち込むって、したくないんです、基本的には。説教くさくなってしまうのが嫌だから。
にもかかわらず、何故か私はプロットに留めるに満足できず、書き上げずにいられなかった。
何故?


理由は、続きを書いて、やっと腑に落ちました。
私だけが納得してもしょうがありません、・・・まずは続きをどうぞ。


あくびのコメント

みかささんに、「この話をアップしてよいものかどうか?」という相談を受けた時、
一通り読み終わったときにまず思ったのは、「これは飛影にとってはあまりに過酷なんでは・・・」と
思わず飛影がかわいそうになってしまったんです。というより読み手にとって衝撃的だったのかもしれませんけど、
敢えてこのエピソードを入れるということは、きっとこの先のストーリーに重要な意味を成すからなんだろうな、と今は続きを早く見たい気持ちでいっぱいです。

もし、薬を見つけたのが飛影でなければ、ここまで躯サマが動揺することもなかったでしょうし、躯サマ本人がさらっと説明してしまえば済む話だと思ったんです。
あと、時雨がここで関わってきている意味とか、なんでなんだろう?と思うと、うーん!この先がすごく気になります!