+子猫+


1.

彼女の意識は、かすかな覚醒を始めた。
彼女の上にいた“何か”が、もぞもぞと動き出したからだ。
しかし、ぼんやりと半覚醒の中に漂っているうちに、“何か”はぱったりと動かなくなった。
それまで、その“何か”を乗っけて眠っていたくせに、いまさら息苦しくなってきたような気がした彼女は目を開けた。
「・・・!!!」
――そりゃあ重いに決まってる。
比較的小柄とはいえ男一人、覆い被さっていたら・・・じゃなくて。
なんでこいつがオレの上で眠ってるんだ?
いや、“なんで”か、は分かる。
前後の記憶から推測して・・・推測なんてしなくても、今の自分の状態で、何があったのかは分かり過ぎるほどよく分かっている。
ただ、“前”“後”の、“あいだ”の記憶がないだけだ。
頭が痛む。
躯は瞼を閉じた。
――あの時、グラスを一気に空にしたこいつは、オレを見て、途端に顔色を悪くした・・・。

「いい加減にしろ、お前・・・!」
躯が、テーブルから取り上げたグラスを、飛影は奪い取った。
「帰れよ。もう、こんな所で酒なんか」
「じゃあ、それ、お前が飲むんだな?」
躯はシニカルに唇を歪める。
「なあ。」
飛影が、躯を睨みつけた。
「・・・ふざけるな」
「はぁ?」
躯は、にぃ、と笑った。
「何だって?なんて言った?」
どうしてか、躯はひどく楽しい気がしていた。
「飲まないのなら、返せ」
「冗談じゃない・・・」
飛影の顔が、苛立ちに赤くなっていくのを見て、躯はついにあははと声を出した。
「だったら!お前が飲め。」
「そんなことをして、どうなる」
「どうにも」
躯は立ち上がって、少年の手の上からグラスを掴んだ。
「・・・ならないんじゃないか。ほら、飲めよ」
無理やりに口元に寄せようとしたグラスから酒がこぼれて、二人の指を濡らす。
「やめろよ。・・・こんなことをしたって」
「飲みたくないか」
「飲みたいわけないだろう!」
「・・・聞き分けのないヤツは嫌いだ」
「だからいい加減にし、!」
躯は自分の唇にグラスを寄せて一口含んだと思うと、男の顎をぐいと上げた。
「むく、う・・・く」
薄く開いた唇に舌を挿し入れるなど、わけもない。
目を見開いて自分を凝視する飛影を見て、躯は笑い出しそうになるほど可笑しかった。
――状況を把握できているか?今、お前の口に酒を注いでるのはオレの舌なんだぜ。
躯は唇を離し、もう一度含んだ酒を、歯の間を割って今度は舌の上へと流してやる。
飛影は二度、瞬きした。
さらに飲ませてやろうと目論んだ唇は、その前に舌の侵入を許した。
思わず、酒のほとんどは飲み下してしまったが、舌は口腔に残った酒を舐め取っていく。
体のバランスを崩して躯は目を閉じ、それまでグラスを握っていた手で思わず男の肩を掴んだ。
グラスが鈍い音を立てて絨毯の上に落ち、男の右腕が背中に回され、ああグラスは割れなかったのかと思った。そして・・・

・・・
目を開けたとき、『それ』は自分の上で寝ていた。
躯は溜め息をついた。
そう、いつの間に自分は、こんな中途半端に服を着たんだろうか?
シャツのボタンは上半分しか掛けられてないし、なんで下着も着けずにパンツを穿いているんだ?
・・・なんてこと考えてる場合か。
ああシャワーが浴びたい。早く。できれば服を着る前がよかったのに。
だから、そのためにもオレの左手首を掴んだまま、肩を枕に寝息を吹き掛けてくる“これ”をどうにかしなければ・・・。
しかし、この少年が、寝入ったら最後、揺すっても叩いても目を覚まさないことを、実際に試してみて躯は知っている。
――いっそ、床に突き落としても目を覚まさないかどうか、試してみるか?
しかし、実行はしなかった。
手首を握っている力は決して強くなく、ちょっとひねれば簡単に外れた。
背もたれ側に男を押して、躯はその下から抜け出した。
躯は、そして少年を見下ろした。
こいつも、いつの間に服を着たんだか・・・だって、脱いでた気がするぞ。ぼんやりした記憶だが。
じゃあ、さっきもぞもぞやっていたのは、服を着てたのか。オレに着せたのもこいつか。
それで、どうしてオレの上で寝直す?
寝なおすのはどこででもできるだろうが。

・・・ああ、
頭が痛い。胃がむかつく。
全身が、ぎしぎしと軋むようにだるい。
女は溜め息をついて、足に絡まった空き瓶を蹴り転がした。
とりあえずシャワーを浴びて。そして・・・
(今日、明日中か)
大儀そうに落ちていた服や下着を拾い上げ、躯はカレンダーの日付に目を留めてからシャワールームに向かった。

(・・・まだ寝てる)
シャワーの間、音をわざと立てる気は全くなかったが、いつもより静かにしたつもりもない。
予想を裏切らず眠り続けていた少年を、躯はしばらくぼうっと見下ろした。
――いつまでこうしてる気だ、オレは。
ふいと顔を上げて、躯は、デスクの上に放ってあった上着を取って部屋を出た。
出る直前、ドアを開けかけて振り返った彼女は、ソファの上で微動だにしない少年を見る。
まだ、眠っている。
躯はそっとドアを閉めた。



作者よりコメント

・・・
えーっと。
私の中での、『あの時起きていたこと』。
こうだったんです。ええ・・・

これ、子猫って題なんですが、その心は、あれです。
自分でおいでおいでして膝の上で遊ばせてた子猫が、そのまま眠ってしまって、どうしよう、動けない・・・無理やり放り出すことは、もちろん物理的には可能だけど、さ。でも・・・みたいな。
しかし、「おいでおいで」の仕方が過激ですよ、オーナー。

え?
・・・最中のこと?
そんなの!
躯本人が覚えていないのですよ?
だから書かない。書くもんか!

躯は、飛影のこと全然嫌ってないのです。
可愛く思っているんですよ、ほら。
むしろ気になってるでしょう?ああ男なんだ、みたいに。
(そのニュアンスが伝わるといいんですが・・・。)

「今日、明日中か」という独白は、モーニングアフターピルの服用開始の期限が72時間以内であることによります。できるだけ早いに越したことはないから、今日、明日中か、と。

この時の躯は、自分が卑怯で汚い、と思ってるような気がします。
自分は大人だし、飛影はまだ大人とはいえないし、それなのに飛影に八つ当たりしたりして・・・もしくは『甘ったれてる』とも、言えるのではないかしら。
当たるにせよ、甘えるにせよ、大人が。子供になんて、と。
(二人の年の差は最低10歳、という設定なので、そういう意味での罪悪感もあるかも・・・)
もし躯がまだいるうちに飛影の目が覚めてたとしたら、躯は「悪かった」と言ったはずです。
こうなったのは、全面的に自分の責任だという態度で。
そんなこと言われても、飛影だって対応に困るでしょうにね?
しかも躯が全面的に悪い?そんな馬鹿な。
恋が罪深いのは、それが一人ではできない罪悪だからだ、と、何かの格言があったような気がします。
(いや、まだ、この時点では、恋という認識は双方にないのですが)
作者としてせめてもの情けで、飛影を目覚めさせませんでした。

追記:見つけた。「恋愛の厄介なのは、それが共犯者なしには済まされない罪悪だという点にある。」byボードレール
・・・ああ、一体いつになったらこの二人はくっつく気になるんでしょう?



あくびの感想

あ、あれ??肝心な所がぽっかり抜けてないでしょうか?(笑)。
躯サマだったらきっとこんな風にしそうだな、と思います。大人な身のこなし、というか。好きですv

だけども、飛影を手玉にとって遊んでる風はしぐさを見せて「その場のノリでしちゃった」と思わせつつ、
実は結構動揺してるんじゃないのかな?という気もしちゃいます。
子供だと思っていたら、抱かれてみたら案外男っぽくて動揺してる、とか、そんな風に思ってたらいいな、と思います。
詳しく描写されていないだけに、色々と想像の余地があって楽しいです♪みかささん、ばっちり伝わってますよ!

しかし、これから二人が少しづつ歩み寄っていくにしても、
未だ少年の飛影くんがこの複雑な躯サマとどうやって接していくのか、とても楽しみです♪