+螺 旋(らせん)+

【3】



自分で自分を褒めたくなるほど、かなりうまいこと立ち回れたと思う。

それで結果的に飛影から「お前、気に入ったぜ」なんて評価をもらえたんだから、上出来じゃないか。


魔界統一トーナメントか。おかげでまどろっこしいことを考えなくて済んだ。
一歩間違えば愚直とも思われる、なんてストレートな案。
なるほど、浦飯幽助という男、昔の雷禅にそっくりだ。


国家が解散となり、混乱する百足内の中で、真っ先に出て行く名乗りを上げたのは
元ナンバー2の奇淋だった。
いつもと同じように、臣下の礼を取り深々と頭を垂れる奇淋。 こんな時まで相変らず律儀な男だ。

「今まで、世話になり申した。」
「オレはお前のお世話をしていたつもりはないけどな。」
くっくっとおかしそうに笑う躯。

ここ数ヶ月で躯は驚くほどいろいろな表情をみせるようになった。
そもそも、人前ではほとんど顔を隠していたわけだから、表情もへったくれもないが。

「躯様を討つ絶好の機会、みすみす逃すわけにはいかないからな。」

躯の横にいる飛影を挑発するようなセリフ。飛影は何も答えない。
飛影は一体どうするつもりなのだろう。まぁわざわざ聞くまでもないが・・・。


もう一度軽く一礼をし、踵を返した奇淋の背に、躯から声がかかる。

「トーナメントを楽しみにしているぞ。」

抑えきれなくなり、奇淋は躯を振り返った。
すらっとした立ち姿。端正が顔が「ん?」と言いたげに少し横にかしぐ。
そんなささいなしぐさにさえ、心がどうしようもなく揺らいでしまう。

「躯様、いつもの頭痛薬の調合は時雨に伝えて、ああでも時雨もここを・・・」

「そんなことはもう気にしなくていいから、さっさと行け。さっさとな。」

「・・・はっ。」

さぞかし自分の姿は滑稽に映っているだろう。特に飛影には。
でも今日でそれも終わりだ。
自らの力を試す時がきた。百足を捨て、主への密かな思いも捨て・・・。




奇淋の選択は極めて潔い、と思った。

飛影は闘技場でいつもの通り汗を流していた。
後に続けとばかり次々と猛者達が百足を後にしていき、今では部下は半分にまで減っていた。
おかげで闘技場が広く使えるし、変な中傷をしてくる奴等もいなくなった。

魔界統一トーナメント。
幽助や蔵馬と戦うのは楽しみだが、魔界統一には別に興味もない。
奇淋は躯を討つと言った。俺は躯を倒すことが目的なのではない。

躯を超えたい。ただその一心だ。
修行をして力を上げるのが一番手っ取り早いが、かと言って躯の側を離れることが出来ない。
それに、「黒龍波を撃つな」と言われたことがどうもひっかかる。
あいつは何かを知っているのだろうか。知ってしまったのだろうか。


ふと妖気を感じ、少し上を見上げると観戦用につくられた小高い台に躯の姿があった。
観戦台に上ると、この闘技場がぐるりと一望できるつくりになっている。
肘を突き、何か考え事をしているようだ。その表情まではこちらからは見えないが。



奇淋の選択は極めて潔い、と思った。

奇淋がオレの元を去るわけがない。そう考えてしまったのは自らの驕り昂ぶり?
そして続いていなくなってしまった数多くの部下達にも。
別に奴等がいようがいまいが、オレには関係ない。
だが、この閑散としてしまった闘技場を改めて眺めてみると、どこかで胸が軋む。

気に入らない部下は即この手で葬ってきたし、いくら周りを取り囲まれようが
いつも一人きりで戦ってきた。だからこんなことぐらいで心動かされるのはプライドが許さない。
百足内に仲間意識など皆無なのだから。


仲間・・・か。先程雷禅の国の方角で巨大な妖気が放出されていたが
あれが雷禅のかつての仲間達なのだろうか。凄まじいほどの妖気だった。
ヤツの考え方はとうとう、最期までオレは理解できなかったことになる。
何故あれほどのヤツが人間を食するのを断ち、飢餓で死ななければならないんだ?
ご丁寧にも本当に最期まで貫き通しやがって・・・。

一度だけ、人間断ちをした理由を聞いた事がある。

「おしめが取れたら教えてやるよ」

雷禅と並び巨頭と言われるようになり、黄泉を交えて三竦みと称されるようになっても
まるで対等に扱われないばかりか、まるっきり子ども扱いなのは結局変わらなかった。

雷禅の国は三竦みの中では一番規模が小さいが、何より結束が固いので有名だった。
「強さが全てではない」と暗に告げられているようで、そう思えば思うほど
オレはムキになって戦力を増強し、使えない部下は片っ端から消していった。

なぜ飢餓で勝手にオッ死ぬヤツにあれだけ人が集まり・・・。
納得がいかなかった。答えを出さずにいなくなってしまった雷禅。
モヤモヤとした胸のつかえと、奥底のキリリとした痛みがいつまでも消えてくれない。

気がつくと、あまりに拳を固く握り締めていたせいで、手が血の気を失って白くなっていた。
瞬時に国家解散へと持ち込み、一個人の「躯」として名乗りを上げたことに対し、
その潔さが「お前、気に入ったぜ」につながったんだろうか。オレはそんなに強くない。
オレは雷禅の息子みたいにストレートじゃないし、この身体も心を裏切ってばかりなのに。

もう一度会いに行ってみようか。雷禅の息子に。どっちみちこのままじゃ、頭が沸騰しそうだ。




すっと闘技場に目を戻すと、飛影が一心不乱に剣の鍛錬をしている様子が目に入った。
その動きが不意にぴたっと止まり、飛影がこちらを見上げた。

目を逸らそうかとも思ったが、その紅い瞳は真正面からオレを捉え、離さなかった。
オレがふっ、と相好を崩したのを合図に、飛影は抜群の跳躍力でもってこちらに飛び乗った。


「退屈そうなツラをしているな。暇なら手合わせに付き合え。」

「よく言ってくれるぜ。オレだって色々考えることがあるんだよ。」

「ぐちぐち悩んでいる暇があるなら、少しでも身体を動かしたらどうなんだ。」

「お前は随分鍛錬に余念がないんだな。魔界統一でも考えてるのか?」

「くだらん。立ち向かってくる敵は倒す。それだけだ。」

そこまでしゃべり終えると二人はしばし黙った。
沈黙が二人の間を覆う。お互い次の言葉を探しているように・・・。


「この闘技場もいつの間にか人が少なくなったもんだ。」

躯がぽつりと漏らす。幾分いつもの鋭い眼光が弱々しく細められたような気がするのは
気のせいだろうか。

「うるさい奴等がいなくなってせいせいするぜ。」

「そう、だな。」

答えた口調にもどこか強さが感じられない。
飛影の視線に気づいたのか、躯が意を決したように振り向き、先を続ける。

「お前も好きなようにしていいんだぜ。」

「何がだ?」

躯の言わんとしていることは理解していた。いつかそう言われるとは思っていた。
苦労してもぎ取ったナンバー2の称号も、国家解散で何も意味を持たないものになった。
このまま躯の側に居る理由はあるのだろうか?もし出て行けといわれたらどう答える?

「ここに留まるも離れるも、お前の自由だから。」

「当たり前だろ、そんな事。」

「だけど、お前がここを出て行くのを黙って見守れるほど、オレは強くない。」

「躯・・・?」

躯は飛影の手を取ると、その中に何かを握らせた。
飛影は手のひらを開いてみると、そこにはチェスの白い騎士の駒があった。

「何だこれは?」

「もう、上司部下ごっこは終わったんだ。」

飛影が何が何だか訳が分からない。
急にその場を去ろうとする躯の腕を思い切り掴んで引き戻す。

「待て!なにが何だかわからんぞ!!」

「離せっ!」


バッと力任せに飛影の手を振り解く。
そのまま飛影の方を見ずに、つぶやく。

「オレだってわからないよ・・・。オレ・・・奴等は残るんじゃないかと思ってた。
はは、勝手な話だよな。『寂しい』って、こういうことをいうのかな。」

「貴様でもそんなことを思ったりするのか。」

「お前が思っているほど強くないと言ったろう?」

そう言うと、美しい顔を包帯で覆い始めた。無論呪布を貼るのも忘れない。
その所作が、今は少しだけ哀しいと思えてしまうのは何故なのだろう。

きゅっと顔の横で包帯を締めると、妖気も一瞬にして魔界で三巨頭と恐れられる
躯その人のものとなった。

「躯、どこへ行く?」

「・・・ちょっと散歩だ。」

「ならそういうツラをして行くんだな。」

「・・・。」

いつもなら、部下が「どこへ行かれるのですか?」とすかさず躯のところへ走りよるところだが
国家解散となった今は誰も気に留めるものもいない。躯と飛影は連れ立って移動要塞を後にした。





そういえばこんな風に躯と二人、外に出るのは初めてではないだろうか。
躯自身、あまり外出を好まないようだし、そもそも不用意に走り回れる身でもないのだ。
なんとなく後をついてきてしまったが、どこに行くつもりなのかは全く分からない。

百足を降りてからもう小一時間ほど走りっぱなしだ。
この辺一体は草原地帯で、魔界の中でも比較的美しい風景が広がっていて
ところどころにキラキラと光る湖も眺められる。
躯と思いがけず二人きりになってしまったことを意識してしまい、密かに甘い喜びを感じてしまう。

小柄な身体ながら、力強くくりだされるストライドはとてもしなやかで、全く無駄がなく
美しいたてがみをなびかせ走る、若い駿馬のようだった。

周りの美しい風景と相まって、まるで一幅の絵のように感じられてしまう。
飛影は非現実的な時間に、二人置き去りにされてしまったような感覚にとらわれる。

だが、だんだんそんな優雅な気分に浸っている余裕もなくなってくる。
走るスピードたるや、並みの速さではないのだ。
玉座にでんと構えている姿や、ちょっとした手合わせしか見た事がなかったので
これ程までとは思わなかった。
俊敏さに自身のある飛影であっても、全速力に近い速さで走ってついていくのがやっと。

こんな時まで、自分と躯との圧倒的な力の差をみせつけられてしまい、
かすかに歯軋りをする。未だ何一つとして躯に勝てていないという惨めさ。
近づけたと思えば、その背はさらに先へと遠のいてしまう。ちょうど今の姿のように。
そして強引に引き寄せれば、決定的に拒絶される。
ならどうすればいのか・・・。こんなに迷い、悩まねばならないことに腹が立つ。
自分の情けなさに腹が立つ。



不意に規則正しく動いていた躯の足が止まる。
突然の動きについていけず、飛影の足がたたらを踏む。

「おいっ!いきなり何だっ。」
バランスを崩してしまったのが恥ずかしくて、抗議の声を上げてみる。

「ちっ、どうやら先客がいるようだな。」
躯の向いている方角。その先をちょっと探ってみると・・・。
ようやく躯が向かおうとしている場所が分かってきた。

「なるほど、あんなに目立つ妖気を放出しやがって。」

「全くいけ好かないヤツだな。」

「このまま進むのか、雷禅の国まで。」

「いつもなら無視を決め込むところなんだが、尻尾を巻いて帰ったと思われても
癪だしな。ここから全速力で飛ばす。」

一瞬ぎょっとなった飛影の表情を、躯は見逃さなかった。
顔を隠していて良かった。くすりと笑ったのがバレてしまうからな。




雷禅の国の外れにある、ただ荒野の広がる平地。
無骨な男達の手によって作られたであろう、その主の眠る墓は思っていたより
しっかりとした造りだった。雷禅自らがあらかじめ用意しておいたのかもしれない。

だが、その前に立ちはだかる一人の男がいた。

「・・・何の用だ。」

躯は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、そう言った。
そして思い切り敵意をむき出しにし、臨戦態勢を取る。
飛影もそれに倣い、剣の柄に手をかける。

「期待させてしまって申し訳ないが、たまたま居合わせただけのこと。
それ以外の何物でもないが。」

さらりと言ってのける、涼しげな顔には感情が見えない。
言葉とは裏腹に、一見所在なさげに立っている様に見えるが、一部の隙もない。

「用がないのなら、早くどけ!」

躯は一気に力を解放させ、凄まじい量の妖気が辺り一面に広がった。
が、男から同時に繰り出された妖気とぶつかりあい、ちょうど二人の真ん中でせめぎあい始めた。

「ぐっ・・・」
均衡を保っていたエネルギーは、だんだん躯の方へと押し戻されていく。
躯は手を伸ばし、完全に受身に回ってしまった。

さすがに奴相手に力を拘束したままでは分が悪かった、か。
相変らず向こうの表情は不動の姿勢で、微笑すら浮かべているようにも見える。

じりじりと躯の身体が後退していき、両手が防御に回ってしまった。
飲み込まれる!そう思った瞬間、いきなり身体が軽くなった。



男の黒く長い髪が、突然の爆風に煽られる。
そして白皙の頬に一筋の血がにじんだ。
髪の先から、ちらちらと炎が立ち上った。男が手で払いのけると、すっと炎は引いた。

「ふむ。さすがはナンバー2だけのことはあるな。」

「飛影!余計な事をするな!」

「いや、ナンバー2としては当然の事をしたまで、だろう?」
くっくっ、と男は笑い声を立てた。
『ナンバー2』を殊更強調して喋り、飛影の苛立ちと怒りを煽る。
「なかなか優秀な副官を持てて幸せだな。ぜひウチの副官と戦わせてみたい。」

「貴様、何をごちゃごちゃと・・・!!!」
飛影は目にも止まらぬ速さで抜刀すると、目の前の男に向かって切りかかった。

「飛影、やめろっ!!!」

「くっっ!!!!」
飛影の身体は竜巻のような旋風に巻き込まれ、地面に叩きつけられた。

「そこで寝ていろ。お前に用はない。」

男は真っ直ぐ躯の方へ近づいていく。
躯も観念したように、構えを解き男に向き直った。

「ったく・・・飛影の奴、黄泉にのせられやがって。」

「黄泉、だと?!」

「こうして顔をあわせるのは久しぶりだな。」
黄泉は躯に向かって手を差し出した。が、躯は黄泉を正面から睨み付けた。

「相変らず貴様の顔を見るだけで虫唾が走る。」
差し出された手をぱしん、と払いのける。黄泉はおおげさにその手を押さえてみせた。

「随分と嫌われたもんだな。」

「そうだ、オレ達三人はお互いを忌み嫌い合って、ここまできたんだ。
相容れることなど有り得ない。」

「でも結局はこうして雷禅の墓の前に集まってしまった。違うか?」

この男、何を言い出すんだ?気でも違ったんだろうか。


「オレは雷禅の墓参りにのこのこやってきたわけじゃない。気色の悪い事を言うのはやめろ。」


「じゃあ聞くが、何をしにここへ来た。」

こいつ、一体なんなんだ?やっぱり読めない、訳の分からん奴だ。躯は苛立ちを顕わにし、
「貴様に答える理由などない。」と言い放った。

飛影はとりあえず大人しく、なりゆきを見ていた。
黄泉の問いは、まさしく飛影にとっても疑問だった。躯はなぜここにやってきたんだろう?


黄泉はふぅ、と一息つき、漆黒の髪を風になびかせた。
相変らずその顔からは何も読み取ることが出来ない。


「互いに似すぎているからこそ、激しく憎悪する。そう考えた事はないか?」

「なっ・・・・・・・・・・!!!」

躯は黄泉のあまりに唐突な問いかけに、一瞬たじろいだ。


「躯、避けろ!!!」

飛影の呼び声が空を切る。
躯が躊躇した僅かな隙に、黄泉は躯の間合いに入り呪布を全てはじけ飛ばした。


艶やかな金髪に縁取られた、白く美しく整った顔が目の前に顕わになる。
黄泉の見えぬ目にも、その美しさは脳に直接響いてきた。
無論、躯の素顔を見るのはこれが初めてではないが、いつ見ても思わず息を呑んでしまう。
左半身の造作の美しさにまず目を奪われ、その後で爛れた右半身に注意が向く。

「俺のこの光を失った目。その爛れた右半身。まぁ同じようなもの、だ。」


同じようなもの?
同じ?何が?
この痛みが?この苦しみが?この苛立ちが?
・・・この悲しみが・・・・?


「な・・・・・・・・ぜ?」

なぜ・・・・・・・・・・・・オレは今ココに居る?
視界がぐにゃりとゆがんだ気がした。ひどく頭が混乱して何も考えられない。
目の端に飛影の心配そうな顔が映った。ああ、オレはまた飛影にあんな顔をさせてる。
躯は頭を抱えてうずくまった。

黄泉はそんな躯を見、この男には珍しく苦々しい顔で後を続けた。



--「4」に続く---