「貴様の目と俺の半身が同じもの?何を言い出すのかと思えば下らん戯言か。」
未だうずくまった姿勢のまま、躯はうめくように答える。ひどく腹が立つ。この苦しみはオレだけのものだ。他人と比較できる類のものではないはず。なのにこの男は涼しい顔をして爆弾のような言葉を投げかける。
「過去の傷だ。」
ぽつりぽつりと黄泉は話し出す。
「いくら拭おうと思っても拭いきれぬ、過去の傷だ。抗おうとしても蔓のようにからみつき離れない。そして憎悪の念が強ければ強いほど、己の力は強大になっていく。違うか。」
え?というように、抱え込んでいた頭を上げ、躯は黄泉を見上げた。そのしぐさは無防備でとてもあどけなく、黄泉の興味を誘った。
「強さを手に入れれば長く生きられる。過去にがんじがらめにされた生だがな。」
「・・・・・。」
躯は何も答えない。答えないということは肯定なのだろうか。飛影は心の奥でショックを覚える。かつての忌まわしい記憶をひきずってこれまで生きてきたというのは分かる。だが今でもそうなのだろうか?
「そして奴も一緒だ。」
「雷禅、が?」
またきょとんとした表情をする。ほんのささいな変化が、美しい顔にさらに彩りを添える。これがあれほどまえでに恐れられていた、三竦みの躯か?と思わずにはいられない。話しながらもつい躯に気をとられてしまう。
「一人の人間の女を想い人間を断ち、飢餓で死に至った。」
雷禅があそこまで徹底的に人間断ちをしていた理由。まさか黄泉の口から聞かされる破目になるとは。
それにしても意外だった。雷禅に想い人・・・。その息子が浦飯幽助という訳か。嫉妬にも似た痛みを感じた。雷禅に惚れた女がいたから、ということではない。長き時を経て息子に会い、未来を託して己の人生を全うし逝ってしまった、妖怪にもそんな生き方ができるというのがひどく羨ましかったのだ。
「やはり馬鹿だ。」
他にどんな言いようがあっただろう。仲間、恋人、子供・・・。手に入れたヤツが羨ましいと思うということは、自分もそれを欲しているということだ。だが、それを認めるにはあまりにも惨め過ぎる。
躯はぱんぱん、と服の汚れをはらうと立ち上がると黄泉を真正面から見据えた。
「えらく短絡的な考えだ。貴様にしてはな。」
「五百年の均衡が急に崩れれば、色々思うところもある。」
雷禅の死に動揺していたのはオレだけじゃないのか。黄泉の声には迷いを感じた。ふと肩の力が抜けていくのを感じる。
しばらく二人は黙って墓の前に佇んでいた。魔界の風がふきっさらしの荒野を駆けていく。黄泉の長い黒髪が風に煽られる様子に、雷禅の髪も確かあんな感じだった、と思い出す。なぜか思い出すのは風に逆らって仁王立ちしている、ヤツの後姿ばかりだ。
一度躯は軽く目を伏せた。その姿を振り払うかのように。
「過去を背負わずに生きている者なんて、いると思うか?」
そう言うと、ちらと飛影に目をやった。飛影はずっと躯を見続けていたため、正面から目が合ってしまった。過去という呪縛に捕らわれることなく、運命に抗い漂流するように生きてきた男がここに居る。潔くて心地よい意識。だからこそ、この男に惹かれれたのではなかったか?側に居ることに慣れすぎて、肝心なことを忘れそうになっていたことに気づく。
「なるほどな。年の功には敵わんな。」
ついでに、その素顔をこれ以上見ているとこれまで築いてきた「躯」の認識が変わってしまう、とは無論言葉には出せなかったが。
「んだと?!」
「その点では同感だ。」
「飛影!そんなところで話に加わるな!!」
「さて、夫婦漫才を眺めたところで、そろそろ戻るか。」
『だれが夫婦だっ!』
「おおおおおーーーーい!!!!いたいたっ!!なんだよおめぇら!!他人の領地に勝手に入っといて、挨拶なしで帰ろうてのかーーーっ!!!」
「幽助さんっ!!不用意に近づかないでください!!!!」
砂煙をもうもうと巻き上げて走り込んで来たのは、新国王(本人に自覚ナシ)の幽助とおつきの北神、その他部下達も後からぞろぞろとついてくる。
「よぉ飛影!!えっと、こっちは黄泉。んで、あ?!こっちのちっこいネエちゃんは?」
「初めまして、ではないよな?オレが躯だ。」
「えっ?!躯ってオンナ?!なんだよーー!俺が坊主だらけの国で汗と泥にまみれてる時に、一人だけいい思いしやがって!」
「なっ、何を・・・やめろっ!!」
幽助は早速飛影の首を絞めにかかった。いつもならあっさりかわすのだが、不意をつかれてあっさり技にはまってしまった。
「みんなしてオヤジの墓参りか?」
「躯とNO.2とは偶然会っただけだ。」
「あーそう。三人ともトーナメントには出場するんだよな!盛り上がるといいんだけどな。」
黄泉が参戦表明をしたせいで、躯と黄泉の一騎打ちになることを想定してか、トーナメントの参加者は三国の戦士と雷禅の旧友のみで、思ったように参加者は増えていないという。
「魔界って、強さが全ての世界だと思ってたんだけど。つまんねー駆け引きだの策略だのってどこの世界にもあるんだな。気にいらねーんだったらそいつらぶっとばせばいーじゃねーか。」
その言葉を聞いた北神は、ぷっと後ろで吹き出している。
そして躯と黄泉は思わず顔を見合わせてしまった。このセリフって・・・。
「まるで雷禅そのものだな。」
「そうなのか?オヤジも最期にお前等と似たようなこと言ってたぜ?手を組むなら躯にしろって。」
「お、オレ?」
「幽助さ・・・!国王から遺言が出てたんですか?!それならそうと・・・」
「だって言ってる事が良くわかんねーし。そのうち人間が魔界にくるようになるから、突然変異でどうこう?とか邪魔とか?そんなまどろっこしーことはやってらんねぇからやりたいようにやっただけだっつーの。」
「さすが、人間に惚れただけあって奴等には友好的だ。」
なるほど、雷禅はとっくに未来を見据えていたらしい。現にこのまま放っておいたらじきに魔界と人間界の境界はなくなっていくだろう。その扉を開いたのは、自分の息子だったわけだが。果たしてそこまで計算していたのかどうなのか。どっちにしてもオレには住みにくいことこの上ない。結果的に流れは雷禅の思うとおりに動き始めている。勝ち逃げされたような気分だった。
「信じてもらえるかどうか分からんが、俺はただの黄泉としてこのトーナメントを戦う。」
少し考えに浸っていた躯は、黄泉の言葉に驚いた。
「敗者は勝者に全員従うのだろう?それなら思うとおりにするまでだ。」
そう言って不敵に笑う。この男にもこんな表情ができたとは。
「フン、やっと面白くなってきやがった。」
飛影も楽しそうな表情をする。ここまで魔界を動かすとは。浦飯幽助という男、自分では気づいていないかもしれないが、相当のカリスマだ。
「さてそろそろ行くか。浦飯、息子の修羅はかなり手ごわいぞ。楽しみに待っておけ。」
「息子?あんた息子がいるのかよ?!」
おいおい、それはオレも初耳だぞ。
黄泉は後ろ手に手を振りつつ、その場を後にした。つられて周りでぞぞっと気配が動く。さすがに単身で乗り込んできていたわけではなかったらしい。
「飛影、折角だからちょっと手合わせしていくか?」
幽助が飛影を誘うが、
「トーナメント前に手を明かす気にはなれん。それに・・・。」
ちら、と躯を見る。さすがにその動きを見逃さなかった幽助は、
「あ、ああそうだな。邪魔しちまっちゃ悪いよな。折角のデートを。」
「ほー。なかなか気が利くな。幽助。」
「おい!躯、余計なこと言うな。」
これ以上からかいのネタにされてはたまらないとばかり、飛影が抗議の声をあげる。きっと話は蔵馬・桑原あたりに(かなり誇張されて)流されることだろう。
「じゃあなーー!トーナメント、楽しみにしてるぞーーー」
「やっとやかましいのが去ったか。」
心底ほっとした、というぐあいに飛影はちょっと肩をすくめてみせた。
「結局何しにここまで来たんだ。」
「さぁ、オレにもよくわからなくて。ここに来れば、胸にたまってるもやもやっとしたものが晴れるかと思ったんだが。」
ちょこっと小首をかしげて困ったような顔をした躯は、少なくとも黄泉がいたときよりはずっとリラックスして見える。そして雷禅の墓の前をぐるっと一回りすると、事もあろうに墓石の上に腰をかけてしまった。
いくらなんでも止めようとした飛影だったが、足をぶらぶらさせて空を見上げ、今にも歌でも歌い出しそうな躯の様子が、急にいとおしく思えてしまった。久しぶりに見せた躯のすがすがしい表情だった。
「飛影、幽助ってのは本当に面白いな。」
「フン、あいつ自身はただの単細胞にすぎん。」
「それはちと言いすぎじゃないか?まだまだ魔界も捨てたもんじゃないな。これから楽しくなりそうだ。」
よくわからんが結局は躯の気持ちを浮上させたのは、幽助だったということか?反吐が出そうなくらい醜い嫉妬心がわきあがってしまう。が、
「飛影、隣りに来いよ。」
ぽんぽん、と躊躇いもなく自分の横を指差す。無論そこは墓石の上なのだが・・・。
ひらりと身を翻すと、躯の隣りの位置に収まった。もともと充分なスペースがないから、どうしてもくっつかずにはいられないし、この下に雷禅が眠っているのかと思うと、とても躯のようにはくつろげない。
と、躯はくい、と飛影の肩をひきよせた。目前に美しい顔が迫り、目を逸らせない。
唇の端をちょいと持ち上げ、魅惑的な笑みをつくると、飛影の耳もとでそっと囁いた。
ありがとな、と。
飛影はびっくりして、躯を見つめ返した。当の本人はくっくっ、と楽しそうに笑っている。
「一体なんの事かさっぱり分からんぞっ!」
照れ隠しとバレてしまうと分かっていても、ちょっと怒った顔をしてみる。
「オレ、雷禅が死んでから自分の気持ちが落ち着かなくて。」
「ここに来た直接の理由はそれか。」
「そう。結局さ、分かったんだよ。オレはあいつが羨ましくてたまらなかった。部下には慕われてるし、仲間もいる。その上好きな女がいて息子までいる。勝手に自分の想いを貫いて人間絶っても、周りはついていっただろ?国が滅びるかもしれないのにだぜ?」
「・・・奇淋や時雨が去った事がこたえてるのか。」
「部下なんていようがいまいがどうでもいい、と思ってたんだかな。今まで居たのが急にいなくなったら・・・悔しいが寂しいって思うな。」
その部下達は、当の主がこんな風にぽつりとこぼしている事を知ったらどう思うのだろう?
『悔しいが』とわざわざくっつける辺り、いかにも躯らしいな、と感じてしまう。それにしても・・・。
「気持ち悪いぐらいに正直に喋るんだな。」
「なんだよ、たまには素直になったっていいだろ。」
飛影は少し反動をつけると、ぽんと地面に降り立った。くるりと振り向き、
「帰るぞ」と言うとすたすたと歩き出した。
「帰るって・・・?」
「なに呆けてるんだ?百足にだろ。」
「いや・・・お前まで離れてしまったらどうしよう、ってずっと思っていたから・・・。」
胸がぎゅうと締めるけられるような痛みを感じる。
飛影は飛影で、躯の側にいる理由を探していた。
躯は飛影を縛りたくないと思いつつも、側においておきたかった。
「歩きながらでいいから・・・もうちょっと聞いてくれるか。」
「何だ。」
「さっき黄泉にオレが過去を向いて生きてるって、言い当てられたようですごい動揺したんだ。」
その動揺っぷりは飛影にも伝わっていた。同時に躯に拒絶されたときの事をどうしても思い出してしまう。未だに躯が過去に心も身体も捕らわれているということを知るには、充分だったから。
「黄泉は大方、貴様の動揺を誘い戦意を失わせ、戦況を優位に進めようとしたんだろう。」
「実際、危ういところだった。でも飛影の姿が目に入って気づいたんだ、大切なことに。」
え?と思わず歩みを止めた飛影の手を、躯は両手で包んだ。飛影から感じる妖気と同調し、気を読む。灼熱の炎が見える。そして、その炎の中に隠れるように秘められた、零度の氷の妖気。炎の中にありながらも決して溶けることのない強さ。
「この前、黒龍波を撃った後の冬眠中、氷の妖気を感じた。」
「!!」
「お前の妖気は確かに炎系に属するものだ。だが、器となる肉体は氷女なんじゃないか?」
「それは違う。男児は雄性側のみの情報しか遺伝しない。」
「お前に限って言えばきっと例外だ。双子として生まれてきたのだから。」
「仮にそうだったとしても、それが貴様に何の関係がある?」
「炎と氷、相反する妖気を同じ肉体に住まわせるには、肉体へのダメージが大きい。」
「何が・・・言いたい。」
「どちらか一方を捨てることも出来るはずだ。でもお前は共存させたいと思ってる。」
躯はなおも飛影の手を握り続けている。様々に伝わってくる葛藤の記憶。強くなりたいと炎を極めても、反動で襲いかかってくる肉体のダメージ。だが母を想い、妹を想い、困難に打ち勝ってきたひたむきな魂。その潔さの何と心地よかったことか。
「オレが惹かれたのは雷禅でも幽助でもない。飛影、お前のその生き方なんだよ。」
そう言った躯は、極上の笑みを飛影に向けた。
「飛影、好きだ。」
ずっと二人に必要だった言葉。
喉の奥でつっかかり脅えて、出てきてくれなかった言葉。
一番伝えたかった言葉。
「躯・・・。」
飛影が躯の手を握り返す。
何と返されてもきっと後悔はしない。後戻りはしない。
「先に言うな。」
「え?」
「愛してる、躯。」
飛影は躯の頬を両手で大事そうに包み込み、その蒼い瞳がうっとりと潤んでいくのを眺めた。
焦がれて焦がれて、欲しくてたまらなかったものが、今まさに目の前にある。
思うままに強く抱きしめた。ずっと閉じ込めていた感情が堰をきって流れ出すのを感じる。
「お前は出て行かないのか?」
「ああ、今のところは、な。」
「良かった。」
安心したように、飛影の胸に顔をうずめた。
ゆっくりと躯の髪を撫でる飛影の手が心地良い。
躯がちょっと視線を上げて飛影を見つめると、飛影も軽く微笑んだ。
それは今まで一度も見せたことのない穏やかな表情。
その表情を引き出したのは、誰でもない自分なのだ、ということに深い幸せを感じる。
同時に自分以外の誰にも見せて欲しくない、と思う。
飛影は頬を寄せ、白く細やかで滑らかな肌の感触を楽しみ、金糸の髪に指をくぐらせる。
顎に手をかけると、薄紅色の唇がわずかに開き・・・。
「あ・・・。」
一度は軽くついばむように、二度目は深くとらえるように。
溢れ出る想いが、ゆっくりと体の中を駆けっていく。
触れたくてたまらなくてどうしようもなくて、一度は強引に抱き寄せてしまった。
だが今はこうして抱き合っているだけで満たされる。
「躯、この前は・・・済まなかった。」
飛影は、以前躯に触れた時の事を言っているのだ。
確かに性急すぎた行為だったかもしれないが、その時ははっきりと拒絶された。
「あれはオレが・・・オレのせいだよ。」
「躯?」
躯はなおいっそう飛影にしがみつく。その縋り付くような様子が愛しくて、なだめてやろうとぽんぽんと背中を叩いた。
「飛影、オレ・・・絶対乗り越えるから。それまで待っててくれるか?」
そうはっきり宣言した躯の瞳は輝き、例えようもなく美しかった。
その輝きだけで周りを圧倒せずにはいられない、強烈な光。
俺の愛した女は、文句なしに魔界一だ。
いくら時間をかけたって構わない。じっくりとこの思いを育てていきたい。二人で。
「あんまり気は長いほうじゃないがな。」
「なんだよ・・・んっ。」
躯の抗議の声は、再びの飛影のキスで遮られてしまった。
「そろそろ戻らんと、捜索をかけられたら面倒だ。」
「もう奇淋は時雨や、主だった部下はもういないんだ。探し出すやつなんていないだろ。」
「本気でそう思ってるのか?」
「え?」
「いずれ戻ってくるさ。お前の望む望まないに関わらず、な。」
躯はきょとんとした表情。で飛影を見つめる。こいつは自分が周りにどう見られているかなんて、てんで分かっちゃいない。だからこそ飛影の苦労も絶えないのだが・・・。
「そういうもんか?」
「言ったそばから・・・これだ。」
前方にぱらぱらと人影が見える。「躯様!」「躯様がいらっしゃったぞ!」と口々に交わしているのが聞こえる。もう捜索隊はとっくに動き出していたらしい。聞き慣れた地響きも感じる。
「許可なく百足まで動かしやがって、何の真似だ。」
咎めを受けた、と思った下級戦士は、躯の前に平伏した。
「む、躯サマが雷禅の国に向かわれたので、後を追ったほうが良いと・・・。」
「誰かの命令か。」
「勝手を承知で、奇淋様に相談を・・・。」
「なにっ?!」
下級戦士は、さらに後方に飛びすざり、地に頭をこすり付けて平伏した。
「躯、あそこを見ろ。」
飛影が後方に見える百足の上を指差す。
「あ。」
まさかとは思っていたが、指揮を取っていたのは離れていったはずだった奇淋だった。
飛影が、「ほら言っただろ」とでも言いたげな顔で躯を見る。
躯ははーーーっと深いため息をつくが、微かに笑みが横切っていたのに・・・気づいてしまったことは本人には伏せておいたほうが良いだろう。
奇淋は躯がこちらに気づいたと知ると、少しの躊躇いの後、これまで何百年と律儀に繰り返してきた敬礼を、ご丁寧に返してきた。
躯も、奇淋に向かっていつもの悠然とした足取りで近づいていく。
「ホントに馬鹿な奴等だよ」と呟きながら。
躯の魅力に抗える奴なんていやしない。主を超えたいと思う反面、屈服させられ続けてもなお、近くで見つめていたいと思わせてしまう。他の奴等の気持ちが手に取るように分かってしまう。
今さら離れられやしない。そんな関係。仲間意識など皆無だが、その気持ちだけは連鎖している。
そのスパイラルからは当分抜けられそうにないな。
魔界の女王の背中は、今日も変わらず凛々しかった。
---END---