+螺 旋(らせん)+

【2】



「・・・飛影、飛影!起きて下さい!」


・・・なんだ・・・?
重い瞼を少しずつ開けると、そこには良く見知った赤毛の男の顔があった。

確か前にもこんな事がなかったか?
ああ、あれは暗黒武術会の時。武威相手に黒龍派を放ち、冬眠から目覚めた時だ。

ということは俺はまた黒龍派を使った?!
ぼやけた頭が次第にはっきりとしてくる。
そうだ、仙水。奴はどこだ?!そもそもここは・・・何処だ?
さっきまで心地よく肌を撫でていた魔界の瘴気が全く感じられないが・・・?!


「ここは・・・??」

「正真正銘、人間界ですよ。」

「仙水は?!幽助は?!魔界の扉はどうなったんだっ!」

「仙水は・・・倒しましたよ。幽助に言わせると『勝ち逃げ』ってことらしいですけどね。」

「それで何故俺がココに居る?!魔界に帰ると言った筈だぞ!」

「だって貴方が欲しがってた黒の章は人間界に置きっ放しだし、それを渡すためには
貴方をこっちに連れてくるしか方法がないでしょ?」

あっさりとそう言いのけ、おまけに涼しげな微笑を付け加えるのも忘れない。
くそ、蔵馬め。覚えていろよ。


それよりも、これだけは聞いておかねば。

「俺は何時間寝ていた?」

「そうですね・・・だいたい4時間ってところですね。」


4時間か。暗黒武術会の時が確か6時間。一応時間は縮まってはいる訳だ。

「前回黒龍派を放ったときよりも、短時間で済んでるって事ですね。
妖力と肉体の回復のため・・・ですっけ?」

正に今俺が考えていたことをそのまま口にする蔵馬。

「貴様、何が言いたい?」

「黒龍波を本格的に撃ったのは、武術会以後今回が二回目ですね?」

「・・・。」

「あまりお節介な事は言いたくないんですが、どうするんですかこれから。」

「どうもこうもない。霊界の奴らを縛り上げてでも穴を開けさせる。」


「そうですか。」

そう言うと、ふっと肩の力を抜いて蔵馬は再び微笑みを投げかけた。
さっきとは違ってやや寂しげに見えたのは気のせいだろうか。


きっと魔界に戻ったらまた昔のように独りで闘い続けるんでしょうね。
でもその時貴方は撃てるんでしょうか、黒龍波を。



・・・周りに俺達という仲間がついていなかったとしても・・・?

無意識にも仲間にこんなに頼っている、縋っているって気づいたからこそ
俺達の前から姿を消してしまうんですか?・・・飛影・・・。





「飛影っ!!!!」


躯の身体は鮮やかに宙を舞った。
突如湧き上がった巨大な妖気の持ち主に、襲撃者達は縫いとめられたように動けなくなる。

いや、現に動けなかった。
瞬時に繰り出した妖気が絡みつき、動きが取れない。
それでも必死に拘束から逃れようともがくが、徒労に終わっていた。


ざっ。
彼らの主は、抗いがたい威圧感を伴って、目の前に降り立った。


飛影を助けた形になったものの、三人を拘束したままこれからどうしたらよいのだろう?はたと考えた。
百足では互いの寝首をかくなどというのは当たり前のこと。
強さこそが全て。それがこの世界では暗黙の了解なのだから。当然仲間意識など皆無。
周りが全て敵のような状況で「助ける」なんて行為など存在しなかった。

だが自分は部下の目の前でナンバー2を助けた。
なぜか?なぜ助けた?
三人の目は、もはや主への恐怖心よりも疑問・嫉妬・妬みの色に染まっていた。

沈黙を破ったのは、彼らの中で一番格上の烽(ホウ)だった。
「どういうおつもりですか。躯様。」
烽の周りに微風がたつや否や、パン!と戒められてた拘束がはじけ飛んだ。
薄紫の長髪が、風にそよとなびく。

「ふ。少しは使えるんだな。」
「我等の敵は飛影ただ一人。邪魔をしないでいただきたい。」
「あいにく奴はお昼寝中だ。後にするんだな。」

躯自身、苦しい言い回しとは思いつつも、つとめていつもの調子で話す。
だが、いつも躯を狂おしい程の思いで見続けてきた烽には、声の裏の動揺が丸聞こえだった。

「なぜ庇うのですか?」
「退けと言っている」
「今回のナンバー2は王の庇護つき、ということですか。」
「オレの言っていることが分からないのか?」

烽は尚も執拗に躯に食い下がる。

「俺は軍を思って、ご忠告申し上げているまでのこと。
奇淋殿は黙っておられるようだが、いささか飛影への寵愛が過ぎるのではないですか?
そんなご様子でこの先どうやって黄泉と対決するおつもり・・・!!」

烽の言葉は最後まで続かなかった。
ぐっ・・・。躯は烽の口にかけた手に一層の力を込める。

「忠告?貴様いつの間にオレに対等なクチを叩くようになった?
もはや目障りだ。オレの前から消えろ!!!」




一気にナンバー5、ナンバー6、ナンバー7を失った。
先程の戦略をまた立て直さなければいけない。
別に構うことはないが。どうせ黄泉との戦いで捨て駒にしようと思っていた奴等だ。

この騒ぎの最中でも、飛影は昏々と眠り続けている。
普段の無愛想顔からは想像もつかない、あどけない寝顔だった。

躯が近づいていっても、もちろんぴくりともしない。
そのことが今はちょっぴり嬉しい。

すっと飛影の隣に腰を下ろす。緩慢な動きに遅れ、金糸の髪がふわりと揺れる。
あまりに穏やか過ぎて、そこだけ時間が止まってしまったような雰囲気に包まれていた。
普通の眠りではない。冬眠だ。また黒龍派を使ったんだな・・・。

しばらく起きてこないとは分かりつつも、躯はおそるおそる飛影の頬に触れようと手を出し・・・。
その手に血がついていることに気がついた。先程の三人を殺った時か。
烽の言ったことは全て真実だ。彼は皆の疑問を口にしただけに過ぎない。
でも触れられたくない。その傷口には・・・。
ぺろりと血を舐め取る仕草。心の傷も消し去ってしまえればよいのに。

飛影の、思ったよりあどけない小さな鼻梁に、同じくらい小さな唇。
その頬にもう一度触れようと、手を伸ばした途端。


「な、なにっ?!!」

一瞬何が起きたのか分からなかった。
感じたのは、白い閃光と鋭い痛み。
白い手につぅと赤い血が糸を引く。

飛影に目を戻すと、驚くべきことに結界が張られていた。
しかも躯が弾かれるほどの、強力な結界だ。
これは一体・・・。

飛影はもちろん眠ったままだ。
誰かが隙を見て仕掛けたのだろうか?
辺りに意識を飛ばすが、術者らしき姿はまるで見当たらない。
となると、飛影が張ったものとしか思えない。

もう一度慎重に手を翳し、結界の性質をチェックしてみる。
意識を凝らし・・・。

「まさか、そんな・・・。」

躯の背中にじっとりと汗が流れた。
結果に納得できず、もう一度今度は深くまで結界と同調する。

冬眠。改めてその言葉がひっかかる。
冬眠は全ての炎殺拳の使い手に共通して起こるものなのだろうか?
蔵馬あたりだったらきっと詳しいのだろうが、生憎今答えを得ることは出来ない。
飛影から感じたそれは・・・紛れもなく・・・


冷気だった。
それも桁違いの。

治癒力を存分に兼ね備えた、強力な結界。
おかしい。飛影には元々そんな力は備わっていなかった筈。
いずれにしてもきちんと確かめておきたい。


さっきは油断をしていたが、今度は己の妖気を高めなるべく飛影の気・・・?
冷気と同調し、結界に触れる。

凍てつく妖気が容赦なく躯へと襲いかかる。
何故いつもの炎の妖気が全く感じられないのだろう?
黒龍派の撃ち過ぎで、力尽きてしまったから?
躯は妙な胸騒ぎを抑えることが出来なかった。

もうちょっとで飛影に触れられる。
意識に触れれば、きっと何かが・・・。


『誰なの・・・』


「!!!」

なんだ?頭の中に声が響いてくる。加えてより一層冷気が吹き付ける。
普段から白い顔は既に蒼白となり、形の良い唇は色を失って紫色に変色していた。

その冷気が少しづつ人の形を取り始める。
青色の後ろで束ねた髪。白い着物。・・・雪菜?!!
いや女の瞳は雪菜とも飛影とも違い、真っ青だった。氷泪石のように。

「あんた、氷菜か?」
『この子に触れないで頂戴。』
「飛影の妖気が感じられない。飛影は・・・どこへ行った?」
『それを聞いてどうしようというの。』
「飛影を取り戻す。」
『取り戻す?私はこの子の治癒に力を貸しているだけよ。』

事実そうなのだろう。だが、躯は納得できなかった。

「助けなど必要ない。こいつは自分の力で乗り越えることを望んでいる筈だ。」
『貴方にこの子の何が分かるというの?』
じわり・・・。焼け付くような痛みが新たに襲う。熱い・・・。
冷気に絡みつくように立ち昇ってきたのは・・・。


炎の妖気!!!

「飛影!!!」

だがそれは、氷菜の周りに絡み付き拘束し出した。
一体何が・・・。

戒められているというのに、氷菜の表情がしだいに恍惚としてくる。
氷と炎が入り混じり、辺りには狂おしいほどの熱波が押し寄せる。
躯は必死になって妖力を高め、自らを守った。


『愛しい・・・人・・・』

炎の妖気を愛おしそうに抱きよせる。
飛影ではない。これは飛影の・・・父なのか?

飛影の身体を使い、こうして父母はつかの間の邂逅を遂げているということだろうか。
躯は拳を握り締めた。
氷泪石には自分自身随分助けられた。見ているだけで不思議と安らげた。
あの暖かな光は母の思いの結晶なのだろう。そう思っていた。

だか面前で繰り広げられている光景。
息子のためと言いつつも、結局己の欲望を満たしたいだけではないのか?
嫌だ。嫌気がする。こんな思いをするのはオレだけで沢山なのに。
親にいいようにされてしまう、怒りと苦しみと、どうにもできない悲しみと。
飛影を返してほしい。飛影をここから解き放たねば!!


「飛影を返せ!!!」

ありったけの力をこめた拳を、氷と炎の妖気に向かって突き出す。
飛影を傷つけまいとするあまり、防御に回っていた力を一気に吐き出す。
全力を出した躯には敵うべくもなく、ほどなく結界は破れた。




「はぁはぁはぁ・・・。」
さすがに息が上がる。
長い間冷気に晒されていたせいと、今の攻撃で妖力が下がってしまったため、
なかなか体温が上がらない。意識も朦朧としてくる。
反対に、飛影の身体には彼自身の確かな気が戻りつつあった。

良かった。程なく目を覚ますだろう。

「しばらく力を貸してくれ。」
そう言うと、飛影の上にゆっくりと覆い被さった。

とくんとくん。
身体に耳を付けると鼓動が聞こえてくる。
そしてじんわりと妖気が躯の体を覆い、冷えた身体を温める。
まるでそのまま抱きしめられているかのような錯覚に陥ってしまう。
目を覚ますかもしれない。そう思いつつも、もう少しこのままでいたかった。
やっとこうして触れ合えたのだから。せり上がってくる想いを止める事ができない。

あんな事があったのに、全く気づかないままあどけない寝顔をのぞかせている。
微かに上下する意外に厚い胸。気づかれないのをいいことに、思い切って顔をうずめてみる。

「飛影・・・。」
吐息交じりの声でそう呼んで。
固く閉じられた瞼に、そっとそっと・・・口づけた。
オレから飛影への初めてのキス。



「むく・・・ろ?」

聞き慣れた低音の声が耳をくすぐった。

この世のものと思われないほどの美貌がまさに目の前にあった。
柔らかな唇が微かに開かれている。瞼に微かにその感触が残っている。
いつもの鋭い力は今瞳の中にはなく、代わりに一つの想いだけを写していた。

あれだけ心の奥底にしまって、出さないようにしていたのに。
頭とは裏腹に、しっかりと躯を抱きとめてしまう。

だがそこまでだった。
飛影はありったけの理性を振り絞って躯を離す。

「俺は何時間寝ていた?」
「冬眠から覚めた時、いつも同じ事を聞くんだな。」

躯はなるべく平静を装って・・・なるべく声に落胆をみせないように、話した。
飛影に正直に言うべきなのだろうか。今遭ったことを。
冬眠の本当の意味を。

「あまりむやみやたらに黒龍波を撃つな。」
そうせざるを得ない状況をわかりつつも、つい口を出てしまった。

「俺がどう戦おうが、関係のないことだ。」
そこまで言って、ふと周りに転がっている死体に気が付いた。
ナンバー5、ナンバー6、ナンバー7。ここのところ最も飛影が手を焼いていた三人だ。
自分が倒した覚えはない。だとすると?

「こいつらを倒したのは、貴様か?」
「・・・・・・。邪魔だったから消したまでだ。」
「何があった。」
「いきなり質問攻めなんだな。」

本当に飛影と話したいのはこんなことじゃないのに・・・。
躯はきりりと唇を噛む。

「こいつらは俺を襲ってきたんじゃないか。」
「そうだったとしたら?」
「余計な手出しをするな!!」


躯を一喝した。だがそれが何の意味も成さないことも良く知っている。
所詮弱肉強食のこの世界、弱い者は強い者に支配されるのみ。

「つまりこんな格下の奴にむざむざと殺されたかった、ということか。」
「関係ない、と言っている。」
「黒龍波の後の冬眠、その時に襲われればお前を殺すことなど
赤子の手をひねるより簡単になってしまう。
それに身体への負担があまりにも大きい。自分でも気づいてるんだろう?」

「そんな事は分かっている。」
飛影は忌々しげに舌打ちし、そっぽを向いてしまう。


今の躯はあの時の蔵馬と同じ顔をしている。
哀しげに、気遣わしげに。
そんな顔で心配されなければいけないほど、俺は弱いのか?
怒りがこみ上げてくる。自分自身に対しての。

それと、そうとでも思って躯に反発していないと
想いを抑えきれず、きっとまた抱きしめてしまう・・・。
躯を襲ってしまった時にはっきりと感じ取った拒絶。
もう一度されてしまったら、その時は躯の傍にはいられない。そんな気がする。

躯の気持ちは痛いほど良く分かる。
黒龍波を撃つな。本当はそう言いたいのをこらえている。
冬眠する飛影を抱きしめていた躯。瞼に口付けをしていた躯。

胸の奥がじんと痛む。
どうしたらいいのかなんて分からない。
胸のうちを何一つ話すことのできないもどかしさ。


そんな甘い思いに浸っていられたのもほんのつかの間だった。

今度はナンバー3のご登場だ。

「躯様!こちらにおいででしたか。」

奇淋が小さな薬壜を手に、こちらに向かってくる。
そういえば、頭痛薬を持ってくるように頼んでいたっけ。
今ばかりは奇淋の登場が有難かった。


「ああ。わざわざすまん。」
「いえ、この事で馳せ参じたのではございません。急ぎ中へお戻りを。」
「どうかしたのか。」

「やはりまだお気づきではないのですか。」
飛影に気をとられるあまり・・・そう続けてしまえたらどんなに楽か。
だが、さすがに先ほどの部下のようにそのまま口にしてしまうほど愚かではない。


「雷禅が先刻、とうとう死にました。」

「雷・・・禅・・・が?」

足元の地面がぐらりと揺れた気がした。
そう言えば、魔界のどこに居ても強烈に感じ取れるぐらいの強大な妖気が、
跡形もなく消えてしまっている。

雷禅が・・・死んだ?

信じられない。信じられるはずがなかった。
いつも目の前にはヤツがいて、何百年もお互いいがみ合ってきて。
死にました、はいそうですか?


とっくに分かっていたはずなのに、いつまでも分かりたくなかった。
飛影の視線を痛いほど感じた。

今はただ一人にしておいて欲しかった。


--「3」に続く---