+shower U+



彼は、降り注ぐ、淡い水音を聞いた。
(雨か・・・?)
朧な意識の中で、これは夢かもしれないと思った。
・・・確かに夢なのだろう、と思い直した。
気付くと雨音は止んで、人影が近付いてくる。
その人物を自分は知っている――あれは躯だ。
目を開ければ、薄明るいような空を背景にその人が立つ。
逆光の中、表情はよく見えない。
(・・・)
何か言って、“彼女”はかがみこんだ。
赤い唇が自分に対して開かれて、名前を呼ぶ。
(・・・ひえ)



+落花+


1.

「落花狼藉だな」
蔵馬は大仰に溜め息をつくと、彼には珍しく、あからさまにとげとげしい口調で言った。
しかし、それも無理はない。
蔵馬が花を生け終えたばかりの花瓶を幽助が倒し、花瓶だけはなんとか押さえて落ちるのを免れたものの、辺り一面花だらけという有様だからである。
「ラッカローゼキ??」
数本残った花が、水音とともにちゃぽちゃぽ揺れている花瓶に抱きついた幽助は、情けない顔で蔵馬を見上げる。
「床が水浸しにならなかっただけましか。」
蔵馬はまた、溜め息をついた。
「花瓶を落とさなかったことは評価してやる・・・こんなふうに花を乱れ散っていることを、そう言うんだ」
蔵馬は、飛影を手招きして床を指す。
むっつりと口を尖らせて、飛影は散乱した花を拾い始めた。
「大抵は、強風で花びらが散らされることを指すんだけどね。それから・・・」
蔵馬は、違う意味で柳眉を歪める。
「もう一つ、別な意味もある。・・・女性に性的暴行を加えることだ」
「っ、へー・・・」
幽助は立ち上がって床の有様を見た。
「婦女暴行を『落花狼藉』なんて、喩えが美しすぎるね」
そのとき、飛影の肩がぴくりと振れたのを幽助は見逃さなかった。
「およ?なんだなんだ?まさか、身に覚えがある、なんて言うのかな〜?」
床に散乱した花を拾い集めていた飛影の手が止まる。
しかし彼は顔を上げなかった。
ただ、元々つりあがった目をさらに険しくし、再び花を拾い始めた。
「・・・あってたまるか。お前と一緒にするな」
「あー、ひっでぇな。俺はな、女性にはそりゃあもう、ひじょ〜〜!に、紳士的ですよ?」
「ふん、どうだか」
幽助を無視し、飛影は花を拾う。
幽助はその向かいにしゃがんで、自分も拾い始めた。
「いやぁ、この仕事をしてりゃ、嫌でもそうなるぜ。ホストって女の人を甘やかすのが仕事じゃん?それで金もらってんだからさ。そういう態度はできて当たり前なの。それに、まず躯がそのへん厳しいし」
「・・・そうなのか?」
幽助は、そこで初めて頭を上げた飛影の隣に回った。
「こういう仕事の常だけどよ、客とデキるヤツっているわけ。それ自体は咎めないけどさぁ・・・一度、見たことあるんだ。なんていうか、その・・・徹底的に叩きのめしてるところ。もう、足腰立たないぐらいにな。躯って、ぜってー腕に覚えがあるぜ」
「それで、そいつは」
「実は、それを見たのって俺がまだここで働く前だったんだ。ここの裏で、偶然見かけて・・・。やられてる奴の方がガタイはいいんだぜ。それが許してくれって懇願してさ。それももう、声になってねえの。立ってるだけで圧倒してるっていうか、こいつ、すげぇ!と思ってさぁ。ここで働かしてくれって」
そのとき蔵馬が、幽助の頭を小突いた。
「幽助。話がずれてる」
「ああ、悪りぃ。えっと、殴られてた奴な。その後はもちろんクビ。おれは入れ替わりに来たもんだから、詳しい理由はよく知らないんだけどさ。客となんか“そういう”方向で悶着を起こしたらしいんだ。慰謝料も取られて、踏んだり蹴ったりだったって聞いたけど、その慰謝料は問題起こした相手へのだから、自業自得ってやつだな」
ふうんと呟いて、蔵馬は腕を組んだ。
「慰謝料を請求されるようなことをしたんなら、そりゃあ、ぶん殴られても文句は言えないね」
「だな。その点、うちの親父はまだ罪がねぇよ。手が早ぇのはともかく、べろべろに惚れ込まれて付きまとわれるってなくらいで、騙したり脅したりは絶対しねぇから」
「手が早いのは、十分に問題のような気もするけど」
「店によっては、どんどん貢がせるのを方針にして、何やってもいいみたいなとこもあるらしいじゃん」
「それはまた別問題だって・・・」
「“万が一の事態(はらませる)”なんてことにならないよう細心の注意は払ってるらしいし?」
ああもう、と溜め息をついて彼は頭を抱えた。
「問・題・外・だ。そんなのは」
「っ」
それまで、沈黙して花を拾っていた飛影は、舌打ちして立ち上がると、腕に抱えていた分を放り出した。
「あ、おい」
背を向けようとしていた飛影は、斜に幽助を見下ろした。
「貴様の不始末を、何で俺が片付けなきゃならない」
「もっとも、といえばもっともだけどね。これも仕事のうちだから・・・って、聞いてないなぁ、あれは」
ばん、と音を立てて閉まったドアに、蔵馬は今日何度目か分からない溜め息をついた。

2.

飛影は、右手を握り締めた。
バラの棘を刺した、人差し指の先が疼く。
“『落花狼藉』なんて、喩えが美しすぎるね”
床に叩き付けられて香りを強くした花弁を握ったとき、躯の姿がフラッシュバックした。
淡く光ってうねる髪、柔らかく揺れる胸、震える白い喉、目尻から流れ落ちる涙・・・
飛影の頭に押し寄せた映像は、まるで切り替わっていくスライドのように切れぎれで、脳裏に響く声の記憶だけが、それらの連続性を証明していた。
(あれが、『落花狼藉』なわけがあるか・・・!)
あの女の気紛れだとしても、悪趣味なからかいだったとしても、『落花狼藉<婦女暴行>』でだけはない。
だが、『落花狼藉<乱れ散った花弁>』は、あの女の姿を飛影に連想させた。
あんな声で、泣いていたからだ。
あんな声を上げて、涙を。
躯が涙を流すのを、あの時はじめて見た。

普段、躯は涙を流さない。
ヒステリックに叫ぶこともない。
男っぽく見られるようにするためかもしれないが、いつだって冷静・冷徹で、何を考えているか、まるで明らかにしない、その躯が。
あれは、悲鳴・・・?

握り締めた右手を開くと、人差し指から血が滲んでいる。
バラの棘は、指の皮膚を破っていたのだ。
飛影は、分からなくなっていった。

その日も、躯は店に現れなかった。



作者コメント

泣いたり叫んだりするのって、ストレス発散にすごくいいんだけどなぁ。
もし仮に、“ああいう”状況でもなければ、泣くことも叫ぶことも、躯ができないのだとしたら・・・
あまりにも不憫で私が泣くTT(←自分で考えたくせに)
躯は、心の弱さを見せることへの抑制が強すぎるんだろう、と思います。
(思うからってこれはどうよ)


唐突ですが、中森明菜の『落花流水』という歌をご存知ですか。

○ahooの某音楽配信サービスを聞いていたら流れてきて、私は「これ結構いいなぁ」と思っていたのですが。
あるとき、『落花流水』ってどういう意味?と思って、オンライン辞書で「落花」を検索してみました。
(それまで知らないで聞いてた ^_^; )
いろいろ出てきました。
落花・落花生・落花生油・落花流水・落花狼藉・・・

『落花狼藉』の文字を見たとき、床に落下していく大量の赤いバラと、涙を浮かべて声を上げる躯のイメージが脳裏を走ったんですよ。
私は、『落花流水』の意味は知りませんでしたが、『落花狼藉」の方は知ってたんですよね。
で、これを書いたというわけです。

中森明菜のハスキーな声が、切々と歌うのを聞きながらだったので、そんな場面を思い浮かべたのかな・・・
あはははh(ry

ちなみに「落花流水」とは、男女が相思相愛であること、という意味。
はてさて・・・


あくびの感想

喜怒哀楽様々あれど、「泣いている躯」これは一番難しいです。きっと自分が女性であることに非常なコンプレックスを持っているだろうから、「人前で泣く」ということは最も嫌うと思うんですよね。泣き方すら分からないんじゃないか?そんな気さえしてしまいます。

ですが、『落花狼藉』という言葉(言葉自体はこの小説を読んで初めて知りました)、花と狼藉。なんとなく雰囲気で見てはいけないものを見てしまった、そんな危険な香りが漂ってきそうです。

薔薇の花弁を拾いながら、躯サマを想う飛影。躯サマの描写が・・・vv
「『落花狼藉<乱れ散った花弁>』は、あの女の姿を飛影に連想させた。」
この一文から始まる描写が・・・めちゃめちゃ色っぽくて、みかささんの『落花狼藉』の映像が目の前に繰り広げられて・・・美しくてため息が出ちゃいそうです。
女性の不意の涙ってぎゅっと胸をしめつけられるというか・・・美しいですよね。はい。