+玉響+



そのとき、席に案内されてきた客に、飛影は見覚えがあった。
「・・・彼女、私の友達なんだ。ここを紹介しようと思って」
やって来た雷禅と時雨に声をかけたのは、弧光。ここの顔馴染みだ。
一緒にいるのは・・・
黒々した髪のトップはやや短めにし、ふわふわとくせを付けている。
そのスタイルが彼女のほっそりした首を美しく見せることを、彼女自身もよく分かっているのだろう。
今日、大きくVに胸元の開いた服を着ている彼女は、そればかりでなく、むき出しの形のよい耳たぶに、長いチェーンの揺れる、イヤリングを着けている。
飛影はどこか信じられない気持ちで、女の顔を凝視した。

まさかと思ったが、彼女は間違いなく例の少女の母親だ。
着ているものが違うだけで、これだけ印象が変わるものなのか、と飛影は改めて思った。
前に見たときには、いかにも育ちの良いお嬢さんがそのまま奥さんになった、というふうだったのだが。
それは、子や夫、父に囲まれていたからかもしれない。
「こんばんは。いらっしゃいませ。どうぞ、こちらに」
黒服が席を指し示す。
「お名前は、なんと仰るのですか」
そう声をかけたのは時雨である。
ソファーへ静かに腰掛けて、彼女はすっと顎を上げ、なめらかな喉を誇示するように微笑んだ。
「棗、といいます。」

その様子を遠目に見ていた飛影は、はっとした。
クラブで働くようになって、飛影は気付いたことがある。
それは『自分が美しいことを知っている女に、特有の表情がある』ということだ。
今の彼女がしたのは、まさにそれだった。
男にかしずかれることを、悠然と享受する、顔。
“私は、あなたより上位なの”
無邪気にそう言える女の顔だ。
飛影の経験上――まあ、大した蓄積があるわけでないのは自分でも知っているが――、そういう表情のできる女の造作がまずかった例(ためし)は、今のところない。

「楽しんで、いらっしゃいますか」
「あらぁ!オーナー」
弧光は、ゆっくりと腰を屈めたその人に目を見張って、ぱちんと手を打ち合わせた。
「嬉しいわ、オーナー自らお出まし?もちろん楽しんでるわよ。ねぇ?」
「ええ。ほんと、びっくりするくらい喋ってしまうわ。二人とも話が上手だから」
にこにこと笑いながら、黒髪の女は躯のことを見上げた。
「それはよかった。」
躯も、にっこりと微笑んだ。
「いくらでも話していってください。彼らはそのためにいるんですよ」
「あら、そうなの?」
躯は、女の隣に腰掛ける。
「酒呑み友達するのでもいいですよ。そこの“彼”みたいに」
話を向けられた二人は顔を見合わせて笑い出した。
「私に負けない飲みっぷりの男って、中々いないんだよねぇ。」
「そいつは光栄だな!いつでも声かけてくれよ。どこまででも付き合うぜ」
「あら本当?本当に?嘘ぉ」
「あれ、信用できないか?」
「だあって、聞いてよ。ドライブに連れてってくれるっていうから、すごく楽しみにしてたのに、このバカ。うちに送って終わりなんだもん」
「もう!旦那が家で待ってるくせに!」
「そうですよ“奥様”?」
雷禅はおどけて身をかがめてみせる。
本気か冗談か、区別できない不満顔で、弧光は雷禅を睨んだ。
「あのときは騙された!酒の量が全然だったから、本気なのかと。思っちゃったのよ!あー、ひどい男」
「誤解させるのはね、いけないことだよ?雷禅」
これは半分冗談、という表情で躯が雷禅を見る。
「ああ・・・申し訳ありませんでした。以後は肝に銘じます、ですから“奥様”。あのときのことは・・・。」
そして雷禅は、明らかに芝居がかった身振りで弧光の手を取り、彼女を下から見上げる。
弧光は苦笑いして天を仰いだ。
「あーもう、分かったわよ。分かったからいい加減にして!あんたにそんなこと言われたら、背中がかゆくなるじゃない」
「へえ?じゃあ」
「許してあ・げ・る」
「おお、有り難き幸せ」
言って、雷禅は弧光の指に口付けた。
「っ、きゃあ!だから!!いい加減にしろって言ってるじゃない!あんたには似合わないよ!」
「あっはっはっはっは!」
大笑いしている二人の横で、にこにこと微笑んでいた女の目が、ふと暗く沈む。
躯が、彼女の前へコースターを滑らせたのを見て、飛影は彼女の変化に気付いた。
「オーナー?」
不思議そうに目を上げた女に、躯は柔和なまなざしを向けた。
「何かもう一杯、いかがですか?」
女は一つまばたきし、そして小さく、くすっと笑った。
「いただこうかしら」
「何がよろしいですか、お好きなものがあれば」
「そうね・・・じゃあ、シャンパン。」
「シャンパンですか?」
「ええ。シャンパンが良いの。」
「まー、私はのけ者?」
弧光がすねたような声で割って入る。
躯とまばたきして、女はくすくすと笑った。
「そんなことないわよ。」
「そうですよ?いかがです、シャンパンをお持ちしようと思っているのですが」
「ああぁ!もちろん飲むよ〜?」
顎に指を添えて、彼女はふふんと微笑んだ。
「なら、ボトル1本開けようよ。どう?」
「ふふふ。いいわね。」
二人のやりとりを微笑んで見て、そして躯は立ち上がった。
彼女がこちらを向く、と感じて飛影は思わず顔をそむけた。
直感は正しかった。
躯が飛影へ視線を向けた。
脈拍が上がる。
躯は、見るだけで終わりにはしなかった。
彼女は飛影へとまっすぐに歩いてくる。
その足音と空気で、彼女が近付いてくるのを感じて飛影は顔をそむけ続け、躯は少年の前に立った。
「飛影」
「なんだ」
自分の前に立ちはだかった女へ、飛影は逸らした視線を戻す。
そうやって見た躯の表情には、なんの感情も読み取れない。
ここが薄暗いせいでも逆光を浴びているせいでもなく、女のごく静かな表情には、感情が見えなかった。
「裏へ行って鏡を見ろ」
「・・・え?」
「自分の顔を、鏡でよく見ろ。そして、今日はこれで帰れ」
「躯、何で」
「命令だ。帰れ」
「躯!・・・」
見上げた躯の顔に、感情はやはり現れない。
「・・・とっとと行け。ここは、客に気分よくいてもらうための場所だ。今のお前みたいな顔をしてるやつのいる場所じゃない」
すっと血の気が引く。
飛影はそれ以上を言えなくなった。
何か言わなければ。
しかし何も言えないまま、飛影は裏に下がった。

もちろん、飛影はいつもどおり裏口から外へ出た。
ただ、今日はいつもとは違う経路を・・・歓楽街の中を、家へ向うのとは逆の方向へと歩いていた。
そのとき、彼は男女の二人連れの、男の肩にぶつかった。
二人は振り向きもせず行こうとしたが、飛影は、男が何かを落としたのに気付いて拾い上げた。

茶の革の財布に、札とカード、そして名刺。
中を確認して、飛影は男に声をかけた。
「この財布、あんたのじゃないか」
「え?あっ・・・」
男はスーツの内ポケットを探り、はっとしたように顔色を変えた。
「ああ、本当だ。そうらしいな。ありがとう」
「君、えらいわね。」
そう言って笑った、ぴんと背筋の伸びた薄化粧の女が堅気でないことを、飛影はなんとなく感じた。
「拾った人へは1割、だったかしら。」
女が、ちらっと男の顔を窺う。
「何かお礼でも・・・」
「いらん」
返事は聞かず、飛影は彼らから離れた。
そして財布から抜き取った男の名刺に目を走らすと、クラブへと歩き出した。

店内に躯の姿を探す。
「なんだ、お前まだ・・・」
しかし先に“見つけた”のは躯だった。
飛影は、声のほうを向いた。
いやなものを見るように、躯は顔をしかめている。
「躯」
飛影は構わず、声を潜めて躯の耳に唇を寄せた。
「・・・さっきの客の夫と、表ですれ違った」
すぐに身を離した飛影に、躯は目を見張った。
その目を、飛影は見返す。
「そう、か。」
「まずいんだろう」
「ああ、まずいな」
躯は少年の肩をドアのほうへ押し、自分はフロアへ向き直る。
「早く帰れ」
すれ違いざま、彼女の呟きをかろうじて拾い、飛影ははっと振り向いた。
躯の唇が、ほんのわずか笑ったように見えた。
その後姿を目で追おうとし、ふっと息を吐いてやめた。
あの客はまだ、帰っていないらしい。
「もちろん行くさ」
そう呟いて、彼は歩幅を大きくした。




作者よりコメント

やっと。
・・・本当にやっと、躯の心情が(表立って)動いた。
と思ったアタクシ。
どこがどう?と言われようとも、私には、そうだったのです。
飛影も動いてるけど、コイツは前から動いてるからなぁ。
どう変わったか、あまりインパクトがないかも。
まあ、それはさておいて。
よーしくっつけてやるぞ。覚えとけ!(・・・誰に言ってる)

おまけでもう一言。
『“私は、あなたより上位なの”
無邪気にそう言える女の顔だ。
飛影の経験上――まあ、大した蓄積があるわけでないのは自分でも知っているが――、そういう表情のできる女の造作がまずかった例(ためし)は、今のところない。』
例(ためし)その1:躯
・・・だと思う。
その2以降は、さて、私の預かり知らぬこと。
ただし、初めてそう思った女、ではないはずですね。
なぜならはじめ、躯は『女』ではなかったから・・・
うん、弧光だった可能性は高いかもしれません。

棗の夫役は黄泉がいいかなー(ついでに、娘は修羅で)、とちょっと考えてました。
が、躯の商売敵(蔵馬が元々いたクラブのオーナーですね)という事になってますので、一応は九浄ということで。(あるいは二役もありですか?あくびさん)
連れの玄人のおねーちゃんは瑠架で想像しませう。


あくびのコメント

出たー!!棗&弧光のコンビ!!ウチのサイトを見てくださってる方ならなんとなく分かると思いますが、
私はこのコンビが大好きです(力説)!
さらに雷禅のホストっぷりも読めて、弧光と雷禅って結構絵になるかも?!とドキドキしてしまいました。
しかし棗&弧光の二人がお店にやってきたら、それだけで華が咲いたような雰囲気になるでしょうねv
おっと、思わず興奮してしまいました♪

ここでも飛影クンは苦悩していますね。いいですねぇ、恋に悩める少年。
でもさすがに若くても一流ホストクラブのスタッフだけあって、「イイ女」を見分ける術は自然と身についてるんでしょうか?
"私は、あなたより上位なの"のくだりは、飛影かっこいい!と思っちゃいました。
もちろん、その裏に躯サマの姿が見え隠れしているせいでもありますけど。
飛影と躯の間も、少しづつ動いてきてますね。躯サマの中に少しづつ入り込んできているような気がします。

あっ、ちなみに棗の旦那役には九浄がいいなvと思います。娘役の修羅も、それはそれで見てみたいですが・・・(笑)。