Salzburg (Austria)     Europe trip, March, 1997

 (6)ザルツブルク
 この街は二度目でした。今回は泊まるホテルを変えましたが、他の街が全部過去に泊まったことのあるホテルばかりにしていたので(粗相があると
同行者がうるさいと思って)、せめて一日くらいは新しい経験をと考えたのと、駅に近いところによさそうなホテルを見つけたためです。この街には電車で入って電車で出る計画でしたから、駅の近くというのは正しい選択でした。予約していたのは駅から歩いて4分ほどのところで、外見よりは中がきれいな快適な宿でした。 ここにも万が一に備えて「着くのが遅れるかも知れないけれど、部屋は確保しておいて下さい」と日本からFAXを入れておいたのですが、明るいうちに到着したので、フロントの女性に「なーんだ、早かったじゃないですか」と言われてしまったりしました。
 彼女からザルツブルクカード(24時間)というのを買い、乗り物(バスしかありませんが)と施設の入場料の節約をはかります。このカードは優れもので、街を見下ろす位置にあるホーエンザルツブルク城(正確には要塞跡)に向かうケーブルカーにも有効で、城の入場料も案内ツアー(英語とドイツ語とで別の集団に分類される)も無料でした。Mozartの生家にも、住家にも有効(つまり無料)だったので、大変価値のあるカードと言えます。
smart cardの電極(花びらが8枚並んだ形状)が表面にあり、これでどこで使ったかを記録するようです。要はICカードですね。逆に、同じところに二度は入れないのかも知れません。
(7)ザルツブルクのMozart

 a)生家

 ここは二度目ですが、前回に比べるといっそう博物館風になっていて、ちょっと寂しくなりました。前来たときには台所に黒ずんだ鍋が置いてあったのを見て喜んだのに、それも見つからず、相当(後から書く)住家を意識しているのかなと思いました。

売店もえらく立派になっていて(店員のおばさんがふてくされた表情で煙草をふかしているのも気に入らなくて)何も買いませんでした。前に行ったときには素朴な感じのおば(あ)さんが店番をしており、所望した真鍮製のメダルを懸命に探してくれたりしたのが嬉しかったのですが。

展示している作曲家の楽器を使って録音したCDも売っていますが、これも前回tapeで買っているのでパス。このtapeがきっかけで、以後スコダのピアノを聴き始めたのでもありましたが。
 b)住家 

 前行ったときはベンツか何かの車屋になっていて、小さなプレートがMozart一家が住んでいたことを示していただけだったのに、昨年再建されて博物館になりました。日本の資本も相当入ったと聞いていますが、低周波を使った誘導受信機のような装置を貸してくれ、各国語の案内放送が聞けるしかけです。もちろん(?)日本語もありました。

 それでも足りないと思うのか、館内に立っている案内係のおじさんが、「展示されている楽器の前に行くと、それぞれの楽器で演奏した音楽も聞けます」とわざわざ(英語で)説明してくれて、本当に至れり尽くせりの感じでした。
交響曲のスコアを平積みにした展示では、「これを作曲するのに10年かかったんですよ(と言ったと思う。向こうの英語も訛っていたので、多少不安あり)」などと我がことのように熱弁してくれました。この程度の親切(?)なら十分許容できるし、一緒に「本当にすごいですね」と言いたくなったりします。 彼の旅の過程を関連する映像と音楽で見せる仕掛けもあって、ずいぶん近代的な博物館になっていると思いました。

 反面、再現された部屋では、「彼の所有していた家具は競売に掛けられて一切残っていないので、手紙に書かれた部屋の様子から椅子の色などを再現した」という解説があり、結局この街は生前の彼にはやさしくなかった(これは史実でもそう)のが、改めて理解できます。やはり、生前の彼にはプラハの人が最も理解を示していたのでしょう。
上の二つの家の所在ですが、ガイドブックを見るまでもなく、街の地図には必ず載っているので、詳述は避けます。他に大して見るもののない街でもあり(聴くものはいっぱいありますが)、今はMozart以外には音楽祭とSound of musicの映画の舞台とが観光資源になっている小さな街ですから。 案外参考になる(?)本は、ケストナーの「一杯の珈琲から」(創元推理文庫)かも知れません。題詞からして"Hic habitat felicitas!"(「ここに幸住めり」この銘はある古代ローマのモザイクの舗床に書かれてあったのを、ザルツブルクで、モーツァルトの記念碑の基礎工事をしたとき発見されたものである。)と書いてあったりします。
 音響屋として強いて言うなら、b)の家の右隣(美容院か何か)の家の壁には、ドップラ効果を発見したドップラさんが住んでいたというプレートが貼ってあります。b)の家の画像・音響機械の大半はSONY製でした。
Salzburg cardで入場したので、料金は0になっています。
 順序は逆ですが、朝一番に駅前からバスに乗り、旧市街に入りました。まずはホーエンザルツブルク城塞に行こうと考えたわけです。ところが、雨が降っているうえに、着いたのが早すぎて建物の中に入れず、大変寒い思いをしました。ケーブルカーの運行時刻と城塞の公開時間帯が一致していないとは予想していなくて、風邪をひくのではないかと思ったほどです。他にも一かたまりの観光客が震えながら待っていました。

 この街は、名前の通り、昔は特産物の塩の商売で栄えた街だったようです。城塞の中には中世を思わせる拷問の道具や、特別な拷問室も作られていました(案内してくれたお兄さんの説明では、「監禁は城塞内だったが、処刑だけは見せしめのために人通りの多い町中で行われた」と言っていました。この部屋では、
同行者が通訳してくれなくてもいいと言いました)。
 城塞には音楽室にも使われたという(楽器をはじめとする道具を運び上げるのは大変だったでしょうが)広い部屋があります。居室を含めて、これらの部屋には描写に苦労する仕掛けが設置されていて、これの正体がやっとここで判明しました。巨大な瀬戸物の家具(?)で、類似のものがウィーンの宮殿にも置いてあり、最初は洗面台か何かだと思ったのですが、それにしてはどうも変だと話し合っていたのです。何と、裏側に薪を入れる穴が開いていたので、これは暖房器具だと納得しました。城塞の売店にこの器具の絵はがきがあったので、記念に(?)買い求めました。
結局、毎回同じような写真を撮っていたことになります。
 音楽会のシーズンでもないし、ウィーンより寒いし、また雨が降り出したということで(そう言えば、前回来たときも雨に降られました。この地は周辺に比べて雨の多いところだと言われていますが、深く納得しました)、我々は予定より少し早い電車で国境越えをして、ミュンヘンに向かうことにしました。 列車でヨーロッパの国境を越えるのは'90年の冬以来のことです。これまでもずっとドイツ語の国を歩いていましたが、いよいよ本場に突入することになります。でも、この辺の国の人たちは英語を理解してくれるので、言葉で困ることはほとんどありません。
 
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