日々雑談:1998年12月
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12月21日
ずうっと前からここの容量が苦しくて、なるべく画像を増やさないようにしてやりくりしてきた。
しかし写真も必要なわけで、あんまりけちっても面白くないし、ひとつ別な場所にファイル置き場を作ろうかとも考えたりする。
ページのメイン部分はBIGLOBEに置いたままにして、古い書込みやでかい画像を別サイトにすればいい。
ほんとは、昔の「ワシ」とか飲み会や同窓会の報告とかは、とっくに見るべき人が見てしまっているので、削除してもいいのだけれども、せっかく「見せる」ために作ったページをサーバーから削除するとそれで終わりのようでさみしい。
だれも見ないファイルでもローカルにしかないのと、サーバーに置いてあるのって気分的にずいぶん違う。
このあたりの感覚がホームページをやっていてやめられない一つの理由であるような気がする。
単なる日記とか、昔話とか、どうでもいいような個人の感想とか、WEBサイトで(全世界にむかって)発信する必要もないのだけども、パソコンのハードディスクにしか置かないんだったら、絶対にこんなにhtmlファイルやjpgファイルとか作らない。
日記帳の日記だったら3日と続かないが、ここに書いて少しの人でも時々見てくれてるだけで、もうかれこれ1年と8ヶ月程続いている。不思議ですね。

他のプロバイダ事情を知らないもので、どうするものか調べてみないといけないが、JUSTNETは10MBまでの容量がデフォルトなので、いいかなとも思う。(BIGLOBEは5MBしかない。)
ただ、JUSTNETは未だにCGIを許していない。
確か最初頃はアクセスカウンターもなかったような。
さすがに、最近ではカウンターと出来合いの掲示板くらいはおけるようになっている。
ちらりと規定を見てみると、「サーバーでプロセスを起こさせるもの」とかいうよくわからない言葉でCGIやSSIが禁止されている。
7.プログラムの提供等というところです。

しかし月々500円の基本料金だけで10MBが維持できればいいような気もする。
なんだか宣伝になったな。


12月20日
フルバンド
今日は夕方に徳島駅の近くの郷土文化会館というところに出かけて、ジャズコンサートを聴いてきました。
演奏したグループは7つもあって、ほとんどアマチュアか、セミプロなんだけれども、全部スイング系(?)で、更にフルバンドも3つありました。
多分ジャズのフルバンドといってもなんのことやらわからないと思いますが、サックスやトロンボーンやトランペットが大勢いるジャズのオーケストラです。
代表的なのはカウント・ベーシーでしょう。グレンミラーもそうかな?
私もこの世界は全然知らなくて、フルバンドの演奏を生で聞いたのは今日が初めてです。

アルト・テナー・バリトンの各種サックスとトロンボーンやトランペットも何種類かあって、管楽器の分厚いハーモニーは迫力があります。
こういう音の力を専門用語で「音圧」といいますが、最近のシンセサイザーやサンプラーは似たような楽器音は出せても、やはり生の音圧には勝てません。
また、フルバンドではピアノやギターは単にリズムを刻むのが仕事で非常に地味な存在です。

ジャズのフルバンド全盛時代なんて、レコードのSPの頃だから、5、60年も溯るのではないかと思います。
今日演奏をしていたフルバンドに結構若い人がいるのが不思議でした。
ジャズのフルバンドなんて、グレイを聞いてバンドをはじめるように簡単にはいかないだろう。
僕らの世代でも大学のJAZZ研究会はフュージョン傾向が強かったものです。

そういえばJAZZのコンサートに初めて行ったのは、高校1年生の夏に広島のチチヤスでのオールナイトジャズフェスでした。
夕方から始まって、本当にオールナイトで朝までずーとコンサートで、いい加減疲れてしまいました。
この頃全盛の渡辺貞夫や和田あきら(G)、松本英彦(サックス)なんかが出ていましたが、大抵5・6人のバンドで、フルバンドはありませんでした。
(このジャズフェスはひこ氏と行きました。)

今日見たフルバンドで演奏する若者たちはミュージシャンなのにみんな髪の毛が短くて、茶パツなんていないし(もちろんモヒカンも)、揃いのジャケットを着てとても真面目そうでした。
しかし、きっと60年くらい前にアメリカでスイングが全盛の頃は、いかれた不良の騒がしい音楽だったんでしょうね。
スイングなんてやるやつは、近所から白い目でみられたに違いない。
不良の音楽も完成されて何十年もたつと、クラシックになりますね。
そういう意味では僕らの世代が集まってハードロックを演奏したら、実にクラシカルで地味に見えるんでしょうね。


12月19日
中国地方征服者(いつのまにか「征服予定者」になった?)の言論の自由を整理しました。
表示のしかたも変更しました。「高校狂師(御主人様と家畜)」の続きをばんばん書いてください。>征服者
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昨日飲み会の始まり前に時間があったので、徳島駅近くの書店に行ったのだが、「コンピュータ関連コーナー」にLynuxやらFreeBSDやらJAVAやらperlやらCGIといった、UNIXやWEB関連の書籍が多い。
パソコンで動かすUNIXのハウツー本が何種類も、平積みで置かれているというのも考えるとなかなかすごい。
しかしこの手の本は厚くて高い。平気で3000円くらいするので、個人ではちょっと手が出しにくい。
Perlのすごくわかりやすい解説本があって欲しかったのだが我慢して、飲み会が始まる時間まで立ち読みしていた。
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来週末の帰省は橋で本州にわたる(初めて)予定で、高松〜坂出あたりを通るので、是非お昼をうどんにしたい。
ディープな怪しい店に行きたいが、幼児連れだとなかなか難しい。
できれば彦江あたりに寄りたいのだが。
そういえば最初の最初に連れていってもらった、中北(こつるばあちゃんで有名)は外観が怪しい割には中に座敷があったり、天ぷらがいろいろあったりしたので、比較的ファミリー向きか?
写真撮ってページにもできそうだし行ってみようかな。
場所は高松市内なのだが、恐ろしくわかりにくい所に民家然として存在していた。
多分自分の運転ではたどりつけないだろう。

12月18日(その3)
今日の忘年会は深夜1時頃解散して、僕はそれから歩いて帰宅しました。徳島には秋田町という飲み屋街(広島の流川のようなところ)があって、そこのカラオケ屋に男女8人で行って3時間歌っていたのですが、すっかり喉が痛くなってしまいました。僕はカラオケ屋を出てもまだまだ元気があったので、普通ならタクシーで帰るところですが、徒歩で帰ってきました。歩くといっても40分ほどだし、酔った勢いなのか全然寒く感じなかったので、いい運動になりました。今日いっしょに遊んだ8人は男性5人(既婚3・独身2)と女性3人(人妻2・独身1)という構成でしたが、やっぱり私が一番年寄りでした。一番若い人とは10歳くらい年齢差がありますが、こうしていっしょに飲んで騒げるのはありがたいことです。ところで、今日は初めて征服者の日記をまねて日に3回更新してみましたが、これは「征服者のまねをした」という点が面白いだけなんで、今後はやらないと思います。こんな面倒なことそうそうできません。先週今週と飲み会ですっかりストレス解消できてご機嫌ですが、いよいよ来週末はお待ちかね広大フォーク&Cozy'Sの忘年会が広島であるので今年のしめくくりとして思いっき り盛り上がって楽しみましょう。征服者にほーむぺーじびるだーのマニュアルを持っていくのを忘れないようにしよう。それとそういえば歯医者のK村にまだ連絡していなかったので、明日にでも電話しよう。広大フォークの現役学生からも以前にメールをもらったことがあるので、ひとつ誘ってみようかな。おなじみのひとも初対面の人も集まって楽しく飲みましょうね。というわけで、飲んで歌って歩いたので疲れ果てて眠くてしょうがありません。おやすみなさい。


12月18日(その2)
そういわけで、今ちょうど定時(17:30)をすぎたところですが、今日は忘年会なので、もうすぐここを離れなくてはなりません。ハードディスクが壊れたコンパック野郎の代わりには、なんとFMVが来てしまいました。いつも富士通の悪口を言っていた罰でしょうか。それもかなり旧型で、ペンティアムは133MHZです。システムが安定していればこれでも別にいいんですが、使っている内にいろんなところが壊れそうです。しかもOSの設定を調べていたら、前に使っていた人が会社のO山○ポートという部署の人で、こりゃ怨念がマシンにとりついていそうでとっても心配です。今日の午後はこのFMVくんにスカ自慰ボードをつけたり、メモリ増やしたり、仕事で使うソフトをインストールして終わってしまいました。実は設定はまだまだ必要なのですが、もう会社をでなければなりません。今日行く店は以前にもいったことがあって、そのときは体調がすぐれなかったので、あんまり飲めなくて思いっきり「割り勘負け」してしまった店です。ちなみにその名も「割勘」という飲み屋です。今日はがんばって飲むとしたいところですが、名古屋のみちやんさんは昨晩遅くまで飲んで○ルスまで行ったとうことで すが、なかなか元気があってとても同い年には思えません。みちやんは60歳のじじいになっても風俗に行って、「えがった」とかいいそうですね。今日は女性もいるし、二次会はカラオケと決まっているし、一番大きい原因はお金があんまりないので、僕は(多分)○ルスには行かないと思います。飲みに行く店は徳島駅の近くなのですが、金曜日なので、きっと国道がばか混みで、六時のバスに乗らないと7:30の開始に間に合わないと思います。だから今日はすぐに片づけをして6時のバスにのるのだ。それにしても新たに僕のところに来たFMVくんはちゃんと言うことを聞いて仕事をしてくれるだろうか。それがとても心配だ!!


12月18日(その1)
というわけで、今は金曜日のお昼休みですが、お弁当(手作り)を食べてのんびりしているところです。中国地方征服予定者が日記でいっているように僕は毎朝9時前に会社に着いて、それから征服者の日記が更新されていれば読むことにしています。会社の始業は9時です。以前は8:40頃には出社するようにしていのだけども、会社用意のシャトルバスに乗るようになって、更に年末は道路も混んでいるので最近では9時5分前くらいに到着です。それから自席のパソコン(DELLとCOMPAQの2台)に電源を入れて、給湯室でコーヒーを入れてきます。朝インターネットで必ずチェックするのは自分のページのログや掲示板と、征服者の日記、中村正三郎のページくらいです。今日は京都のTさん(以前いっしょにうどんを食べに行った)が珍しく朝会社からここのページにアクセスしていました。名古屋のみちやんは10時過ぎにいつもアクセスがあるので、多分この時間に出社して征服者のページとここを見ているんだと思います。今日の午前中にはkajima(鹿島建設?)と名の付く企業のサーバーからアクセスがあって、これは 多分初めてだと思うのですが、infoseekででもヒットしたんでしょうか。ところで仕事でメインで使っているDELLのパソコンはぺんてぃあむ133ながら安定していてもう3年近く役立ってくれているお気に入りですが、もう一台のCOMPAQはP200とDELLより頭がいいくせにいつも機嫌が悪くて、昨日ついに起動しなくなりました。どうも内蔵HDがいかれてしまったようで、FDで立ち上げてFDISKしようにも、「ハードディスクがありません」とかいうふざけたメッセージを出します。腹が立ったので、増設したメモリーを抜いてやって、すかじいボードもはずして総務に返してしまいました。今日の夕方には新しいマシンが来るはずですが、それはだれかのお古なんだけども、スペックはほどほどでいいから、僕と相性のいいPC君ならいいなあ。そういうわけで、たまには仕事をしろよと征服者君にも言われているのだけども、今日の午前中はCOMPAQやろうの分解で潰れてしまいました。午後はちょっと不便だけども、DELLくん一台でプログラムを作ります。


12月17日
今日は久しぶりに早く、といっても9時頃帰宅したのだが、だらだら夕食をくって、そのあとみぽりんのドラマを見ていたらこんな時間(午前零時)になってしまった。
明日はまた忘年会なので、元気にでかけたい。
そうすると、ここや征服者の日記を読んでいる人は、なんてこいつは仕事をしていないんだと思われるにちがいない。
確かに(たまには)ヒマで眠くて、自席で本当に寝てしまうこともないことはない<<否定の繰り返しATOK警告>>が、少なくても一日10時間くらいはパソコンに向かっているのではなかろうか。
会社にいる間は、特に会議がなければ自席で終日パソコンで仕事をし、休み時間もパソコンで遊んでいる。
家に帰るとこうしてまたマイマシンに向かっているわけで、なんでこんなんだろう。

パソコン利用の頻度は職種や担当業務とか趣味で差はあるだろうが、コンピュータがネットワークの窓口になったことが大きいと思う。
少し以前のスタンドアロンでワープロ打ったり音楽作ったりして、たまにNIFTYにつなぐだけだったら、そんなに生活がパソコンにディペンドしない。
しかし今ではネットから離れた状態がなんとも落着かなく感じるようになっている。
インターネットで書き込みしたりメッセージもらったりてのもあるし、会社では社内のネットワーク上で仕事をしている。
つまり「パソコンで仕事をしている」のではなくて「ネットワークを利用しての仕事や遊び」になってしまっている。
これはかなり重要な世界だ。
また、改めて書きたいのだけれど、10数年前パッケージソフトをPC-98で開発していたころは開発環境がネットワークといっても汎用機を中心としたツリー型で、例えばパソコンソフトのソース管理なんかフロッピーでやっていた。
実質的にスタンドアロンのパソコンを数十台使用して、ソフトウエアを開発していた。
これではパソコンは単にエディタやコンパイラなだけで、ネットワークの世界とは無関係だ。

もう眠いから中途半端に終わりますが、とにかくオフライン状態が長く続くと呼吸が苦しくなるような、ネット依存症になっている昨今だが、昔と今のパソコンソフトの開発環境のあり方だけを比べても、「ネット環境が生み出す可能性」の大きさがわかるような気がします。


12月16日
PDの憂鬱
パナソニックのPDドライブを買ってから、2年近くになる。
自宅のパソコンはHDが540MBしかないので、バックアップ&HDの補助として使うつもりで購入した。
(PDは媒体一枚の容量が640MBあります)
使ってみると予想外にアクセスが早いので、バックアップよりはHDの一部といったかんじで、データやプログラムをPD上に書き込んで使った。
homepage関連のファイルは全部PD上で更新していた。

ところがである。
買って10ヶ月頃に、突然PDを認識しなくなった。
パソコンを立ち上げ直したりして、何度かトライしてやっとアクセスできるという状況である。
これではいつ使用不能になるかもしれないので、こわくなって、大事なデータはHDに移した。
これではリムーバルディスクの意味がない。
私はレンズの汚れかと思って、CD-ROMのクリーナーを使ってみたがやはり不安定だ。
結局ドライブの故障という結論を出して、(まだ保証期間だったし)松下に修理に出した。
が、「再現性なし」で戻ってきた。

あれ?それでは媒体がいかれたんだろうか。
最初のPDはドライブを買ったときに付いてたやつで、松下の純正品だが。
で、新しい媒体を買ってきて、フォーマットして使ってみたらちゃんと動くようである。
ははん、なんかの理由で媒体が壊れたんだな、と思ってPDの使用を再開した。
主にデータ類をPD上に保管していた。
それが最近になってまた同じ状況で媒体の読み取りエラーがおこり、ついには書き込みができなくなった。

以上の事実から考えられることは、実はPDは頻度の高い読み書きに耐えられないのではないか?
購入してからずっと、ほぼ毎日読み書きをしていた。
平均して一日5回WRITEするとして、半年で1000回程。
これだけWRITEしたら、媒体がダメになる・・・これが私の結論です。
少なくとも2枚の媒体は半年程の使用でだめになった実績がある。
たったこれだけの書き込みでいかれる媒体が果たして実用的であろうか。

私は今更MOやZIPを買うわけにもいかないので、今はPDを単にバックアップ用として1週間に一度程度の書き込みに抑えている。
こういった媒体類は当然耐久テストを繰り返しているはずだが。
結局信用できるのはフロッピーだけか?
最近はHDの調子も悪いし、わしゃやっとれんよ。


12月15日
帰宅時間が遅いので更新する時間がない。
ブラウザがあればCGIを使って更新できるしくみにしたので、会社から「ワシ」に書き込めばいいんだが、やっぱり飯食って風呂に入って寝る前のひとときじゃないと、作文する気になりません。
最近PDにものすごい不信感を持っていて、かなり迷惑しているので事情を詳しく書きたいけど、これは週末にしましょう。
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どっかで読んだけど、NECってEWSを捨てているんですね。
私は最初に触ったUNIXがEWSのUNIX(名前知らず)でしたが、今は自社開発のUNIXはないそうです。
加えてACOS-2にNTのせるだ?これはかなり嘘っぽいようなきがしますが。
NTサーバーってオフコンでしょ。汎用機にNTてのはすごく恐いですね。
それって全然汎用機の意味がないような気がしますが。だれか詳しく教えてください。
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2GBくらいのHDが欲しいほしいと考えて、祖父マップ(←どうにかしろMS-IME)のページをみると、2万円くらいですね。
でもって、3GBが23000円。
3万円出すと、6GBくらい買えるようです。
6ギガなんて、パソコンの単位じゃないですよ。


12月13日
日々の体重と運動を更新。記録を取り始めてからちょうど3ヶ月ほどになる。
この間に、3kg弱減量できているようであるが、こんなもん正月に食ってごろごろしてたらすぐに戻るであろう。
要は当たり前だけれども、3食以外には食べないことですね。
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鉄分
徳島市の南部にある自宅のすぐ近くにJR牟岐線が走っている。
最寄りの駅は「文化の森」というのだけれども、その駅の南北およそ1km程の区間で、もう長いこと線路や鉄橋の付け替え工事をしている。
工事の様子をおおざっぱにいうと、もともとの線路の東側に新しい線をひいて、若干迂回するようにした。駅もそれにつれて東側に移動した。
駅が移動したのは11月の終わりだから、まだ新線になったばかりだが、今日行ってみたらすでに旧線はレールを取り除いてあった。
旧線跡がどうなるのか想像がつかない。道路になるかもしれない。まだまだ工事中の様子である。
どういうわけだか、こういった事柄に異常に興味があるので、ほぼ毎週現場にでかけて工事の進捗を観察している。
写真も時々撮っているので、そのうちレポートをページにしたり、NIFTYの鉄道フォーラムに投稿してやろうかと考えている。

今日も昼下がりに一人でふらふら見に行った。
まず自宅近くの鉄橋を川の南側から観察・撮影し、それから約20分かけて下流の橋を回って川向こうに行き、新駅(仮駅らしい)を見た。
旧線の鉄橋は橋脚がレンガ作りで、なかなか格好がよい。
新線に手動式の遮断機がある。こんなの初めて見たが、工事車両専用らしい。

できたばかりの、あたらしい駅を見上げると、ホームに10歳前後くらいの少年がいて、あたりをきょろきょろ見ている。
しばらくして、私のところに近寄ってきた。
少年が、古い駅はどうなるのかと聞く。
私はいきなり質問されてちょっと驚いたが、「線路ははずしたし、もう使わないだろう」というと、更に、これが新駅なのかとか、電車は停車するのかとか
いろいろ質問してきた。
私は何にも知らないので、いい加減にしか答えられなかった。工事関係者だと思ったのだろうか。
「君は鉄道が好きなの?」と聞くと、そうだという。時々この駅を利用するらしく、自転車で工事の様子を見にきたという。
なんだ、私といっしょである。
行動が子供と同じなので、こっちが恥ずかしくなって苦笑いしていると、少年は礼を述べて自転車で走り去った。

多分、どこのクラスにも1人や2人いるちょっと理屈っぽくてませた少年・・・「ケンちゃん」の学者くんタイプか?・・・という印象だった。
私もああいう子供だったんだが、そのまま大人になっちまったなと、一人で笑えてきた。

また、現場からすこし上流の川沿いの墓地で、「道路用地買収」の告知看板を発見。
このあたりは、ずっと前から、市南部を横断する環状道路の計画がある。その道路が墓地の上を通るらしい。
近所の風景もどんどん変わる。

12月11日
そういうわけで、今は11日金曜日の午後5時過ぎですが、もうすぐ定時で、そのあと忘年会の予定です。
前から楽しみにしていた忘年会なんですが、どうもさっきから頭が痛くて、なんだか熱が出そうな体調ですが、飲む分には多分大丈夫そうだから、いいのだけど、飲んで帰ってからペー
ジの更新なんかなる元気は無さそうなので、今のうちに12月11日分を書いています。

こういう風に書いていると、まるで「中国地方征服予定者」の日記のまねをしているようですが、実際にまねをしています。
最近征服者の日記にアクセスログのことがよく書いてあって、このアクセスログというのは、HPにアクセスしたときに、アクセス元のサーバー名と時間とOSとブラウザ名をテキスト出力す
るしくみになっていて、ここや征服者のページは見る人がかなり限られるから、だいたいだれがいつアクセスしたか類推できます。
ただあくまで「類推」です。
というのは通常のプロバイダならAPごとのサーバー、会社や大学ならゲイトウエイサーバー名までしかわからなくて、個々人のIPアドレスまでは取得できません。
だから、たとえばAAAA株式会社からのアクセスはgw1.aaaa.co.jpとしか出ない訳で、AAAA株式会社から何人もアクセスしてくると、どれが誰だかはわかりません。
征服者はこのログを見るのが楽しいらしくて、ログ作成プログラムを作った私としては喜ばしいことですが、知らない人がアクセスしてきているのがわかるのがいいですね。
そういえば私のページも「awo.com」やIBMネットやAOLから定期的にアクセスしてる人がいらっしゃるのだが、実は私を知っている人なんでしょうか?
もしよかったら、ゲストブックに匿名でもいいから一言書いてもらえるとHP作成にも励みになるというものです。
もし広島にお住まいなら12月27日の忘年会(18:00〜の予定)に突然現れていただいても喜ばしいですね。

そんなこんなでもうすぐ定時ですが、この文章を書いたら、FTPでアップするのではなくて、直接プログラムで「最近のワシ」用のテキストファイルを更新します。
自宅のパソコンが使えなくても、インターネットさえできる環境があれば、すくなくともこの「ワシ」の部分だけは更新し続けられるという仕組みです。
この仕組みで来年はひとつホントの日記帳をWEB上に作ろうかと考えています。

ところで、今日はボーナス日ですが、額は予想通りだったので、悲しくもうれしくもありませんが、去年よりははるかに少ない額なので、どれだけ私の懐に入るかは不確定です。
できれば壊れかけたパソコンに2GB程度のHDを追加するくらいもらえればいいのだけども、そこは我が家の労使交渉です。
だけども交渉が決裂したからといって、ストに入るわけにはいきません。
ますます頭が痛くて、寒気がするので、どう考えても風邪の症状ですが、今夜は久しぶりにたくさん飲むぞ、というわけでまた明日。


12月10日
■T石くん
私が広島市郊外の公立小学校の6年生の時のできごとだとおもうのだが、ある朝クラスのA吉君とN内君がだべっていて、「なんか臭いぞ」と異臭に気がついた。
匂いはかなりきつかったらしく、すぐにそれがT石くんの机から発していることがわかった。
その時近くにT石君がいたかどうかは定かではないが、A吉君とN内君が勇気をもってその机をあけてみると、なんとそこには腐敗した鶏卵がありその上を無数のwormがうごめいてい
た。
かなりおぞましい絵だと思うので、妙な書き方をしたが、つまり「給食で残したゆで卵を机に入れたままにしていたので腐ってウジがわいた」のだった。

僕らが小学生の頃はまだ周りの畑に肥溜があったしwormを見ることはそれほど珍しくなかったが、なんといっても学校の中だ。
現場にいるのは小学生ばかりだ。
当然大騒ぎ、パニック状態になった。
多分大多数の児童は思わぬ事件を面白がって、必要以上に騒ぎ立てたにちがいない。
しばらくして、保険の先生が来てブツの除去と消毒をしたが、クラスが落ち着くまで1時間くらいはかかったのではなかろうか。

かわいそうなのは原因を作ったT石くんだ。
自分の過失で机のなかをworm(「暖かい」ではない)にしてしまった彼はいったいどんな気持ちだったであろう。
ガキは残酷だ。
T石くんはその日を境に名前が変わった。「Tウジ」もしくは単に「うじ」と呼ばれるようになった。
これは当然の成り行きであった。

みんなが彼をからかって、「Tウジ」とか「うじ」とか呼ぶと、彼はずいぶん腹を立てていた。
が、これもそのうちウジ事件で騒ぐことにみんなが飽きてくると、だんだんT石君をそのことでいじめることはしなくなった。
これは彼のキャラクタがいじめにくかったのか、それともあの頃のガキは飽きっぽかったのかよくわからないが、すぐに事件は風化した。

しかし、彼の呼称は風化しなかった。
つまりT石くんのニックネームとして「うじ」は完全に定着していた。
そしてそのうち、彼自身も「うじ」と呼ばれることに抵抗を感じなくなってしまった。
なんとも妙な話だが、少なくとも小学生の間はT石くんは「うじ」だった。
その後ぼくはよその中学校に進んだので、彼が中学校でどう呼ばれていたのか知らないが、彼にとってあの事件は一生忘れることができないでしょうね。

ところで、私はこの事件の時に学校にいなかった。
事件当日の話は、後からN内くん(親が洋裁学校経営)から聞いたものだ。
私がなんでいなかったのか、不思議に思っていたが、そういえば小学校6年の時に重い気管支炎をわずらって2〜3ヶ月学校を休んだ。
その時の事件なんだろう。
当時の私は「気をつけないと肺炎になりそう」な病状で、ずいぶん長いこと 病院に行く以外はどこにも外出できなかった。
もやもやとした思春期の入り口だったCOZY少年は、一人悶々と部屋に篭りっきりなのであった。

しかし給食のゆで卵を机に入れっぱなしにしちゃあいけんわな。


12月9日
いきなりトップページが変わってしまったので驚かれた方もいるかも。
これは好きでこうしたわけではなくて、最近マシンの調子が悪いので最悪の事態を想定してこの形にしました。
まああんまり詮索しないでください。しばらくはこのままでしょう。
しかし疲れた。変更作業にものすごい時間がかかりました。
また、こういう時に限って仕事でトラブったりしてて早く帰れないんですよ。
というわけなので、急ごしらえでフレーム化したもんで、トップページから各コーナーへの動きとかおかしなところがあったら、ゲストブックにでも書き込んでいただけると、ひじょーに助かり
ます。

12/08
(多分)気にしている人は全然いないと思われるが、冒頭テロップは、20年くらい前に所ジョージがオールナイトニッポンで言っていたギャグだ。
確か「新しいことわざを作る」とかいうコーナーで、上記「おぼれるものはわらわは姫じゃ」は、
溺れているお姫様を見てだれかが助けようとしたが、お姫様は溺れながらも「わらわは姫じゃ」といばったので、だれも助けるものがいなかった。
救われようと思えば謙虚にしなければならないんだよ というつまらない落ちです。
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本日株価100円アップ。大変驚く。JAVA太郎効果であろうか。
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忘年会は12月27日、日曜日の夕方になりそうです。集合場所は追って掲示します。
特に条件はないので、だれでも参加してください。アポなしでいいです。
多分、ここを見ているのは私の知り合いか、征服者の知り合いか、藤川さんの知り合いのいずれかと思いますが、そうでない人が来ると大変面白いです。
最悪の場合は、この3人+ひこ氏で飲むことになるかな。

12/07
ローン控除
私は今年の初めに家を購入したので、住宅ローン控除を受けるために確定申告をする必要がある。
住宅取得等特別控除申告書なる書類を税務署に持っていって確定申告しないといけない。
当然ずっとサラリーマンなので、確定申告をしたことなんてないが、たいがいの勤め人はそうだから、通常はローンを組んだ銀行が対象者を集めて、書類の書き方を教えてくれる。
・・・という話だったので、年もさしせまったところで、窓口銀行(T島銀行)に問い合わせたが、これがまったく要領を得ない。
電話に出た人は私が融資の手続きをしたときにも話をした支店長代理だが、この人は住宅ローン控除のために確定申告が必要なことを知らなかった
私はちょっと驚いた。
何か言い方が悪かっただろうか?私の方が何か勘違いをしているのだろうか?
いや、住宅ローンの控除を受けるために申告の仕方を教えてくれないかと、普通の言葉で説明したはずだが。
その支店長代理は、「確定申告なぞしなくても、年末調整で税金がかえってくる」と明言した。
これは何の本を見ても、経験者の話を聞いても、WEBで調べても明確なことなのだが、「年末調整で税金が返ってくる」のは確定申告をした翌年からだ。

こっちは税金やらローンやらの素人だから、金融のプロのいうことは絶対に正しいと思い込んでしまいそうになる。
しかし支店長代理の言う通りにしてたらいつまでたってもローン控除は受けられない。

私は全く合点がいかない状態だったが、とりあえずその人では話にならないので電話を切り、家を買ったときの不動産屋に相談した。
私の話を聞いて不動産屋も驚いていたが、とりあえずそのT島銀行のローンセンターから必要書類を取ってきてくれるということで安心した。
素人はプロの言うことをなんでも正しいと思いがちだが、結構いい加減な世界もあるもんだあ。
しかしそういえば、私なんぞも「システム屋だ」とかいって大きな顔をしているが、知ったかぶりで大嘘言ってることがよくありそうだ。

12/06
最近のわし
この週末は年賀状用の写真撮影以外はなにもしなかった。
寒いから外に出る気にならないし、休みの日って昼寝が気持ちいいんでよね。
人からもらったビデオデッキをセッティング。
多分小さい子供のいる家庭を持つ人はよくわかると思うけど、リビングのテレビやビデオデッキは子供に独占されてしまうので、見たいときに見たいものが見れない。
幸いテレビは妻の実家からもらった旧型があって、自室に置いているのだが、加えて不要なビデオデッキをくれる人がいて、ありがたくいただいてきた。
すっかりうれしくなって、自分の部屋のTVにつないで録画したスタートレックのビデオを見ていると、ガキが部屋に入ってきてギャーギャー騒いで、全然落ち着いて見られないのよ。
子供が小さい間はこういう不自由な状況も、いたしかたないですね。

余談ながら、テレビを見るのにパソコン用スピーカーが役に立つことを最近発見した。
多分スピーカーの周波数特性が原因だと思うが、パソコン用スピーカー(アンプつき)は、小さな音でも人の声を判別し易い。
テレビのスピーカーで聞くよりも、ずっと聞き取りが容易なようだ。
一方、ミニコンポでテレビの音を出すと、低域不足がよくわかって、かえって音が悪く感じる。
テレビ放送の音はFM・ステレオでいい音だとよくいわれるけれども、ダイナミックレンジが割合狭くて、通常のFM放送よりははるかに音が「悪い」ですね。

12/05
年賀状を作る
2週間がかりで年賀状用の画像作成がどうにか完了。
どいう作業をしたかとうと、
1.年賀状用の利用する写真をかなりの枚数の写真を1ヶ月くらい前から撮影。
2.利用できそうな写真を選んで人物部分を切り取り、ケント紙に貼付、レイアウトをあれこれ検討。
3.住所・名前・電話番号・e-mail・urlをワープロで作成、印刷。
4.これらを使って年賀状用画像のための原盤を作成

ここまでは比較的簡単にできるのだが、難しいのが
5.その原盤をあらためてカメラで撮影
これが実に難しい。一眼レフは持っていないのでオートカメラで撮影。
オートカメラではファインダーで覗いた画像が、そのまま写真にならない。
いろいろな角度からいろんなアングルで撮影。
光の加減がわからないので、撮影場所をかえたりアングル変えたり、フラッシュあり/なしとかで結局40枚ほど撮影。
これを現像プリントしたところ、使えそうな写真はほんの数枚だけ。ほんとに難しい。
以前はこの撮影をカメラ屋に頼んだが、それでもなかなか納得のいくできの写真はなかなかできなかった。
それで今回は自分で撮影したが、一眼レフでないとどういう結果になるか撮影時に全然予想できない。
これは経験的な「感」と、偶然に頼るしかないですね。

とりあえず、ずいぶん時間をかけて、年賀状用の写真1枚を作ることができた。
せっかく苦労した作品なので、今年はあちこちばらまきたい。

最近はパソコンのグラフィックツールを使って、デジタル処理した画像で年賀状が作れるのだが、どうもこの部分はパソコンではなくて、手作業で作成した年賀状用原盤にこだわりたい。
細かいところが汚くなっても、手作りのかさかさした部分が私は好きなんです。

12/04
ご存知のように、私の姓 苦労田(嘘)は非常に珍しくて、どのくらい珍しいかというと「同姓の他人」に会ったことがないくらいです。
しかし、同姓の他人が全くいないわけではなくて、infoseekで「苦労田」で検索すると結構見ず知らずのひとのページにでてきます。で、いったいこの姓がどのくらい珍しいのか知りたかったのですが、ちょっと参考になるページを見つけました。
『30万人よみ方書き方辞典』に基づく「日本人の姓氏」というページがあって、そこに一位から14000位までの姓が並んでいます。
書物からピックアップした名前がデータ元になっているようで、必ずしも名字ごとの人数順に並べたわけではないのですが、ひとつの目安にはなりそうです。

さて、ここで調べると私の姓は9,421位です。この一覧には全部で27,836個の姓があるので、そんなに頻度が低い方ではありません。
ただ、この9、421位の姓は4,191個あって、次の順位が13、612位です。
どういうことかというと、一番珍しい姓の順位が13,612位で、その次に珍しい姓が私の9,421位なわけです。
おおざっぱに言うと全体では2番目くらいの「珍しさ度数」をもつ名字だということです。
珍しいだけならいいんですが、漢字が難しくて書けない/読めない人が多いです。
手紙とかもよく妙な誤字で書かれます。
時々普通の名字の人がうらやましくなります。

上記のページは、そのデータ元となった本の出版社から使用許諾が得られなかったらしくて、上記リンクはいわば隠しページのようです。多分このページの作者が作った名字検索ツールが設置されていないので、ある名字をここから探そうとするとinfoseekの検索ツールを使用するという妙なことになっています。

12/03
久しぶりにinfoseekで自分のページを検索してみると、10月の終わり頃に登録し直されていました。
/~cozy/index.htmから始まってリンクのあるページ(リンクしてないページもあるんだよん)は全部(40ファイルほど)登録されていました。
前回は2月頃でしたから、今回は8ヶ月くらいのインターバルで検索ロボットがやってきたようですね。
ちなみにこのページにはメタ情報でロボット・ノーとか入れてるんだけど、意味ないですね。
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ケーブルテレビのMTVチャンネルで、今年流した大物ライブの一挙再放送を12・13日に放送するそうで、わくわくです。
すごくよかったのが、ベビーフェイスで、クラプトンと生ギター弾いてた。レイニークラビッツはいまいちだったかな。
見てないけどKISSとかSTINGとか、再放送が楽しみです。

12/02
盗作話
多分お気づきの方も多いかと思いますが、クレヨンしんちゃんのタイトルソングはどー考えても「勇者ライディーン」のパクリでしょう。
最初しんちゃんの曲を聴いたときに、「こりゃなんかのパロディだろう」と思いました。
なんだったかなあ、と少し考えて、「あ、ライディーンだ。」
タイトルバックを見ると主題歌の作曲はあきらかにライディーンのそれとはちがう人だったし、曲調以外で特に「パロディです」てのがわかる絵やメッセージもないですね。
これは盗作の確信犯か?しかしそれにしては、だれが聞いてもパクっているのがまるわかりの曲です。
うーん、不思議だ。著作権の問題はないのでしょうか。
こりゃ小林亜星が服部なんとかを訴えるどころじゃないくらい、明白な盗作ですよ。

そういえば月曜夜の松たかこのトレンディドラマのテーマソングもなんかユーミンの「春よ、来い」を思わせるのだが、どの部分が似ているのかはそのうち確認しましょう。

ユーミンにも明らかな盗作があります。
20年くらい前に、「霧雨の朝突然に」というバンバンのために書いた曲があって〜これはあきらかにその前の大ヒット「いちご白書をもう一度」の2匹目のどじょうな曲なんですが〜その「霧雨の朝突然に」のサビの部分「小さな命をやどしたこと〜」から8小節の旋律はドボルザークの「ユーモレスク」(子供がピアノの練習曲として弾く)の中間部と全くおんなじ旋律です。
その昔ピーナッツの曲に「エリーゼのために」(ベートーベン)に歌詞をつけたものがありましたが、それとはちがって、「霧雨・・」はユーモレスクの部分をそのままサビに転用したということで、かなり確信犯的盗作といえましょう。
もっともドボルザークの作品には著作権自体がないんでしょうが。

あと思い付くところとしては、米米クラブの「こめこめウォー」(タイトル不確か)はファンクの大御所モリス・デイの「ジャングル・ラブ」とサビが全くおんなじです。
モリス・デイのこの曲も結構ヒットしたんで、誰も気が付いていない訳ないんですが、特に問題にはならなかったですね。
ユーミンのパクリについてもこれに言及した話は聞いたことがない。
わりかし日本人はこのあたりルーズなんですかね。

12/01
げろ
長年その存在を噂で知りながら、確認できずに不安でしょうがなかった、「げろのかおり」の実物入手。
単に下呂温泉のお土産であるが、予想していた「温泉のもと」(入浴剤)ではなく、お菓子であった
近日、写真入りで詳細を報告します。
それにしても、引き続き気になるのだが、JR高山本線の下呂駅を降りると、駅前に町の教育委員会の看板があって、「いつも元気なげろっこ」なんて書いてないだろうか。
学校の名前は、町立下呂南小学校、略して「げろみなみ」、下呂短期大学「げろたん」は存在しないだろうか。
#言ってることがほとんど小学生レベル


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