日々雑談:2006年01月〜06月
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1月14日
土曜日夜に、楽しいライブ

土曜の夜に鳴門のライブハウスにて、3バンドのトリで出演。
ライブはほぼ2年ぶり、このバンドでは初めて。写真右端が私。
40分ほどのステージで異常に汗をかく。

以下本日の曲目
1.サウダージ(ポルノグラフティ)
2.銃爪(世良正則)
3.メリッサ(ポルノ)
4.ボヘミアン・ラプソディ(QUEEN)
5.ルパン三世のテーマ(大野雄二編曲版)
6.Earth Ark(レイジー)
----アンコール
7.銀嶺の覇者(レインボウ)
8.Smoke On The Water(D.パープル)

かなりミーハーな選曲で、高校生の文化祭的雰囲気でした。
しかし近年にない楽しい演奏。
頭の鍵が取れて、ドーパミンでまくりで飛んじゃう感じ。
こういうのをたまに体験するとやめられないのよね。
ボーカリストY氏のショーマンシップに脱帽。


2.銃爪はオリジナルでなくて最近の録音(ギターは野村義男?)のコピー。
ポルノの曲はライブ版から。
4.ボヘミアン・・は中間のオペラ部分を1コードのメンバー紹介にした。

ローランドの古いシンセ(D-10)以外にサンプラー音源や、ソロ用のディストーションを持っていった(リハでは使った)が、事情により本番ではそれらは使わず。
備え付けのデジタルピアノの動作にちょっと不安あり。


2月2日
>>以下mixi06/2/2入力分より

フォークソング BUZZとか

というわけで、会社のバスからN901iSをツータッチ入力wで書き込んでいます。
最近Amazonで買ったバズのCDについて書きたいのですが、とりあえず帰宅途中で時間がないので、ケンとメリーのスカイラインが実に懐かしいのです。
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というわけで帰宅して飯食って風呂は入ってほっとしているところですが、早めに帰宅すると余裕があっていいですなあ。

・・あ、バズか。
「愛と風のように」(スカイラインのCM)の頃はまだ僕は小学生で記憶が定かではない。中学に入るときにラジカセを買ってもらって「ラジオから音楽を録音してコレクションする」ようになる。
ギターやピアノなんかの楽器をはじめる。
僕が中学に入ったのが1975年で、かぐや姫・ガロ・猫などが解散、甲斐バンドや中島みゆきがデビュー。マイペース「東京」、とんぼちゃん「一足遅れの春」NSP「夕暮れ時はさみしそう」ふきのとう「白い冬」といった曲がこの頃売れていたと思う。因幡あきら「わかってください」とか布施あきら「しくらめのかほり」
陽水・たくろう・泉谷・小室でフォーライフを作ったのもこの年ですね。

バズはこの年に「はつかり五号」「わかれ」を発表。そんなに売れなかったけれども「ケンメリ」と違ってリアルタイムで何度も聞いたのでずっと親しみがある。その乾いた音を聞きたくて買ったのが「BUZZベストオブベスト」です。
ケンメリとはつかりは高橋信之という人が作編曲していて、ちょっと調べたら高橋ユキヒロのお兄さんなんですね。
同世代でも「はつかり五号」を知っている人はまずいないと思うのだが、あの頃のフォーク独特の旅情感てか浮遊感てか放浪した雰囲気がよろしい。

ちなみに「はつかり五号」は常磐・東北本線の特急で、後のあずさ2号(1977年)のために後から刷りこまれたのか、なんとなく新宿駅をイメージしていたのだが、歌詞に出てくるホームは上野駅なのだ。
「はつかり五号」のB面は「サマー・ビーチ・ガール」というビーチボーイズサウンドなポップスなのだが、これのコーラス編曲と録音に参加したのが山下達郎だそうです(このとき達郎はシュガーベイブ解散後、ソロデビュー前)。

ウィキペディアではかぐや姫は「1975年よしだたくろうと嬬恋でのライブを最後に解散」とあるが、私の記憶では解散コンサートは神田共立講堂(1995年4月)だったと思う。さがせばテープの音源があるはずだ(オールナイトで録音)。4月に解散して夏にはもう再結成して嬬恋に出たのだな。かぐや姫解散と並行して風が「二十二歳の別れ」を出してすごいヒットだった。

というわけであの頃は音楽を本当に真剣に聞いていたのだなあと、語りだすと止まらない自分を振り返るわけです。


2月11日
>>mixi06/02/10入力分
ゴジラの作曲家
の伊福部昭氏が亡くなったわけだが、しかしあの荘厳で重みのあるテーマ曲は未だに何拍子なのかわからないのだが、多分4拍子と3拍子が交互に出てくるような(7拍子?)繰り返しだと思うのだが一度オフィシャルな譜面を見てみたい。今度本屋で探してみよう。

亡くなってというよりは、まだ生きてたのが驚きだが、(ゴジラは昭和30年くらいだと思う)調べて見ると芥川也寸志や黛敏郎の師匠だというのだからそりゃ昔の人だわ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD
妙な経歴で、北大農学部を出て役人をやってて、音楽は独学。
作品の映画音楽のところを見ると東宝の怪獣映画のオンパレードだ。
土俗的な映像と音楽の一致というところでは宮崎アニメ+久石譲に匹敵するか。

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一風堂(!)のキーボード見岳章が20年くらい前に「シンセだけで伊福部の曲をカバー」したアルバムがあって、それを録音したカセットを探し出してきてゴジラのテーマを聞いているのだが、やはり拍子がよくわからない?私のリズム感ではつかみきれない。


>>mixi06/02/11入力分
交響詩エウレカセブンの303や808
というわけで今日は出勤していて、鯖の様子を見ているだけなのだが、ほかに企画書書いたり設計書書いたりプログラムソース書いたりプログラムテストしたりやるべきことはたくさんあるのだけれども、休出の名目が鯖守ではやる気もでず(そのくせ代休はしっかり取る)、自宅から持ってきたCDをしきりとリッピングしている。
開発マシンは半ば高価なHDDレコーダーとして機能しており、再生時にコンパイラやSQLツールを動作させると音飛びが発生するのだが、考えてみればどちらも共通のCPUを使っているの当然のことだ。

僕が前の会社でPC周辺機器の営業をやっていた頃はペンティアム前夜で、今日のように安価なパソコンで画像や音楽を扱うことはあまり現実的ではなかった。
CDからwavに落としても400MBのHDDではすぐに一杯になってしまう。
秋葉原の店にはアダルトのCD-ROMが多量に販売されていて、営業で歩いているとついつい目がいってしまうのだが、そういうのをついぞ買ってないので、はたして1995年当時のそういうROM画像集がどいうフィアル形式だったのかは知らない。gif?

僕が特に取り扱っていた音楽パッケージはWindows3.1(95)で動作する「シーケンスソフト」+外部MIDI音源のセットで、HDDレコーダーはパソコンとは別のプロ用専用機の世界であった。

MIDIがいかなるものかここで語り出すときりがないのだが、パッケージを使えばパソコンで気軽に音楽作成ができた。
PCの画面に五線紙があって音符を乗せれば音楽データが作成できる。または、プロが作成したMIDIデータを読み込みばリアルタイムで自動演奏ができる。
MIDI黎明期のシーケンサーを考えれば、操作性やコントロールできるデータ量において夢のようだった。

YMOの初期にはオペレーターの松武秀樹はステージで何をしていたかというと、ひたすら「次の曲のデータ」をシーケンサーに読み込ませていたらしい。そしてそれはマシン性能の不安定さのためにたびたび失敗し、YMOが実はヘッドフォンからのクリック音を元にすべて手弾きしていたというのは当時のライブビデオを見てみると確かにそんなのである。あまり自動演奏されていないw(しかも教授はたびたびミスタッチをしている)
当時のシーケンサーはライブ用ではなかったのだ。

話を95年に戻そう。
千葉の「あざらし」なる天才プログラマーがWinGrooveとう「ソフトシンセ」を作成してそればNiftyのMIDIフォーラムで評判になる。当時のインテル486CPUだけでMIDI音源と同等のことができてしまうのだ。実はMacではQuicktimeで既に実現していたらしいがそれがGMフォーマットに準拠していたかは知らない。
デジタルシンセやピアノは音源チップを核にした電子機器になっていたから、それがパソコンで実現されただけの話なのだ。
しかしPCの汎用CPUで音源テーブルを使ってシンセを作るなんてすごいと感動した。実際に会社の技術者がやってみるとすぐできたらしい。ペンティアム+Win95が出回る頃には「ソフトシンセを使うMIDI」というのが増えてきた。RS-232Cケーブルも、MPU-401カードもいらない。

で、PCで音楽作成をする人が増えたかというと、結局のところ全体としてのパイは95年当時からそんなに変わってないと思う。
MIDはデータの小ささからネットに適していると考えられていたが、演奏データの圧縮技術が進化し、一般的になって、かえってPCで五線をいじる人は減ってしまったのではいか。

なぜか。結局技術がいかに進歩しようと、ソフトが使いやすくなろうと、作曲したり編曲したりすることはそれなりに「音楽の素養を必要とする」というしごくあたりまえのことが原因だと思う。
楽譜が読めるとか、C・F・Gくらいの和声がわかるとか、あるいはそれらを知らなくてもある程度ギターかピアノが弾けるとか。
現在MIDIパッケージがどうなっているのか知らないのだが、ハードソフトの機能性能は、それを使う人間の能力を求めるのだ。私はいまだにWindows3.1時代のシーケンスソフトを使ってデータを作成している。で、やっぱり手で楽譜を書く。

一方で進化するCPU機能を存分に使って、アナログ時代のシンセをモデリングする更にマニアックな世界があるが、ついていけない。今更だけどTR-808やTB-303を音だけじゃなくて見た目もシミュレートするなんてすごい。


3月4日
ベスト・クラシック100 東芝EMI
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/B0007TFC8O/503-5345225-2311954?%5Fencoding=UTF8&v=glance

有名曲100曲を6枚のCDに詰め込んだ強引な企画モノです。
曲が途中で終わっているもの、途中から始まっているものもあり、楽章や組曲・オペラから部分的に取り出しいるので、従来のクラシックの聴き方からすると極めてお行儀の悪いCDです。
Amazonのレビューでも評価の良し悪しが極端に別れています。
娘が学校の行事でヘンデルのハレルヤコーラスを演奏して少し興味をもったようなので、これを機会に西洋古典音楽に馴染んでもらおうと、この手の企画ものの中から選びました。
私は、はまりました。
3/3(金)の深夜帰宅して食事をしながら聴いていると止まらなくなり結局7時間ほどかけて一気に全部聴きました。こんなに真剣にクラシックを聴いたのは極めて久しぶりです。
有名曲のいいとこどりなので飽きません。
私の信条的に(クラシックに限らず)曲のFADEIN/OUTは許せないのですが、そんなに気にならないようにうまく編集してあります。サンサーンスの交響曲「オルガン付き」とか(2楽章の途中オルガンが鳴るところから)。



私は交響曲ならベートーベン・ブラームス・ドボルザーク、ピアノはショパンのマズルカとノクターン、古典派・バロックの室内楽を好む程度のクラシック好きですが、CD単位なら絶対に買わない歌曲やオペラ関係、ロマン派以降の曲もあるので、入門用としてはこういう形式がよろしいかと。
クラシックは1曲がだいたい4楽章で1単位なので、それだけでCD1枚分くらいのボリュームになってしまいます。
作曲家としては通して一曲の意味があるわけですが聴く方にもそれなりに負担があります。
例えば超有名な「アランフェス協奏曲の第二楽章」を聞きたいがために、全曲入ったCDを1枚買うのはちょっともったいない。

久しぶりにオーケストラもののを聞いていると、弦楽器のよさを再認識しました。メロディアスなバイオリンソロでも重奏な合奏でもクラシックでないと聴けない音というのがあります。



とりあえず日ごろ音楽を全然聴かない(JPOPでさえも)娘が、気に入ってしきりと聴いているので買ってよかったと思います。
CD6枚ですが一見2枚組みのようなBOXになっています(写真)。


3月10日
PSEで売れなくなるもの・売れるもの
昨晩22:30まで仕事をして帰宅したら23時をまわっていて、それから遅い晩飯と風呂に入ってちょっとネットやって楽器さわって1時くらいには寝たとおもうのだが、朝5時に目が覚めてしまってしかたないので朝飯を食ってから2度寝したら午前中起きられなくて結局午前休みにしたのだが、えらく寝不足のようでふらふらしている。毎日きちんと規則的に7時間睡眠が取れればかなり生活が安定すると思うのだが、しょうがないのだ。昔からこうだから。

で、相変わらずPSEで大騒ぎであるが役所もはっきりしないとこがあって、取り扱い店は困っている様子。
施行まであと3週間だぜぇ、何やってんだろ。
今回の騒ぎも2ch情報では「ハードオフが2005年11月頃経済産業省に問い合わせたところ1月に返答があって2006年4月から売っちゃダメ」というあたりが始まりらしい。


で4月から売れなくなるのは、少なくとも家電・音響機器で「電源内蔵製品」のものに限られる。
つまりACアダプター使用製品はもうすこし(2年)猶予がある。
・・これって結構微妙だが重要なのだ。

電子楽器の場合本体が小さいものはたいてい(でかくてじゃまな)ACアダプターで駆動している。
これはアダプタをPSE規格製品に変えれば2008年4月以降も売買できるのである。
ゲーム機で今回NGになるのはPSoneを除くPS/PS2だけのもよう。

しかし!
ここにいたって対応を明確にしているメーカーがほとんどない。
今ざっとチェックしてみたら、Sony・松下・オーディオテニカ・デンオン・ヤマハ・コルグ全てサイトには何のお知らせもなし。

ただひとつ、(株)ローランドさんやるじゃあないの。
http://www.roland.co.jp/go.html?cs/info_PSE.html

1.電源内蔵製品については
→期間・対象をもって有償対応(1年間)
*ただし生産完了してから10年以上経過していない機種に限る。

2.ACアダプター使用製品
→PSE対応のACアダプターをご購入ください

実に明確である。
経済産業省のサイトのわけのわからん記述より100倍わかりやすい。

こういうのを企業が社会的責任を果たしているというのだ。
(ちなみに写真のシンセは30年前後たつので「対応不可」だそうです。)


3月14日
激しく寒の戻り
というわけで火曜日の夜ですが、どうも昨日からの冷え込みで軽い風邪をひいたようで、調子が悪いのでさっさと寝たいと思います。

思うところあって、mixiの日記を全公開にしました。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=306252

小学校卒業式
週末の土曜日は娘の小学校の卒業式で、まったく久しぶりに、多分3年か4年ぶりにスーツを着てネクタイ締めて行ってきました。
思えば日頃こういう格式張った行事に出ることがまるでないので、2時間弱じっとしているのはしんどかったがたまにはいいものだと思ったのは、「あおげば尊し」が三声か四声のハーモニーになっていてそれがなかなか重厚な雰囲気を醸し出していたこと。
小中高エレベーター学校なのでみんな同じ中学にあがるのだが、式が終わると娘が妙に涙ぐんでいて、なんだいったい何がそんなに悲しいのだというと、小学校が終わってしまうのが名残惜しいと。

そんなに学校のことが好きなのか、そうか、しかし俺はそんな感情は一度として持ったことがないからよくわからないが、でも、娘をこの私学の小学校にいかせてよかったのだと最期の最期に思ったわけよ。
私のレベルでは分不相応であることと、管理教育な雰囲気に私には内心反発するものがあったのだが、そんなに喜んでいるのなら結果的としてはよかったのかと。

理事長・・自信に満ちあふれ傲慢さとエネルギーを持ち合わせている、いかにも私学の理事長・・の話はいつも文科省関係の自慢話が長いのでイヤだったのだが、卒業式ではとてもうれしかったことに「ある生徒に握手をしてと言われたこと」という話をして、後でそれが娘であることがわかってかなり意外だった。
教職員に握手して回ったらしい。
少なくとも私は絶対にそんなことはできないし、多分やりたくないのだと思うが、娘が私の知らない一面を持っていることはうれしくもある。

朝より積雪・大渋滞
さて、今日火曜日(3/14)は明け方より雪が降って市内もかなり積雪があって、おいおい3月半ばの四国だぞ、今シーズンは12月と3月に積雪があった希有の年になったのだが、典型的な地方の車社会なので国道は大渋滞になり、普段30分で行ける距離に3時間かかる始末である。
私は国道に出る道にすでにかなり車が並んでいたのでさっさとあきらめて今日は休もうか、午後から出ようかと思ったが、戻りかけると国道と平行している県道が意外と動いていたのでそちらで出勤した。
こっちは空いてて40分ほどで会社に着いたよ。
本四架橋が通行止めらしくて関西方面の高速バスが全面運休で、こういうときに旅行の予定があったり、仕事や受験や就活などでたくさんのひとが困ったようだ。
関空から旅行に行くときは、少なくともフェリーの代替手段は考えておかなければな。

PSE法関連進展
PSE問題は今日になって「ビンテージ楽器は対象外」みたいなよくわからん措置が発表されたが、どの機種が単なる中古でどれが高価値なビンテージなのか、役所が判断できるのだろうかときわめて疑問で、考えてみれば個人によって価値観は随分違うわけで、経産省大臣の会見を見ているとはたしてこの人「ビンテージの電子楽器」てものがいかなるものか少しでもわかって言っているのか実に疑問だった。
曖昧な基準を追加したら法律の解釈がメチャクチャになるのではないのかな。
衆議院議員川内氏のプログ
http://blog.goo.ne.jp/kawauchi-sori/

とりあえずR社の10年前のレアなMIDI音源を安くゲットしておいた俺は勝ち組か(w)
あしたからシンセ関係の「最終処分価格」は(多分)なくなるだろう。


4月19日
ここ最近のこと
〜2006年3月中旬から4月中旬にかけて〜

3/13(月)より1年半ぶりに自動車通勤再開。
それに合わしたように右腕が神経痛で痛み出す。
3/17(金)より市内の整形外科にほぼ毎日通っています。
レントゲンと頸椎の炎症止めの点滴が3日。
それから首のけん引を約3週間。
一時右手がほとんど使えない状態に。キーボード入力を左手だけで。
なるべくキー操作が左手でできるように、USBのマウス&テンキーをamazonに注文する。

3/20に仕事上でかなり大がかりなトラブル発覚。劇鬱。
最初現象を聞いたときに「あ、こりゃだめだ。仕事探そう」て思った。
発見がはやかったこととそう深刻なバグではなかったのでどうにか収拾したがおかげで夏のボーナスの見通しは暗い。

どうにか仕事を片付けてグアムへ。
3/29 徳島→関空は高速バス。20:40のJAL便で初めて家族で海外旅行。
飛行時間は3時間ほどで、アメリカ入国書類を何度も間違えながら書いていたら着いた。
空港のJTBカウンターでホテルの鍵をもらいバスでニッコーグアムへ。
寝たのは現時時間午前2時頃だった。
3/30 終日ホテルのプールと夕方水族館
3/31 午前中アクアウォークで海底散歩。午後ホテルのプール。
夕方サウンドキャッスルでアイススケートのマジックショーを見る。
ディナーショーなんて初めてだぜ。
4/1 午前市内観光、マイクロネシアモールで食事と買い物。
ホテルに戻って子供と私はまたプール。妻は足裏マッサージ。
4/2 朝2時半起きで空港へ。6時発の便で、9時には関空にいた。
とうわけで4泊3日の旅行でしたが、すっかり真夏で暑かった。
海外ということで太っ腹にお金たくさん使いました。
日本人大杉、100人中130人が日本人観光客のようだ。
たいていの場所で日本語が通じた。
ホテルやショッピングセンターのあるタモン地区あたりしか見てない。
もう一度行く機会があったらレンタカーで島を一周してみたい。

海やプールで泳いだため、腕の神経痛がよくならない。
4/7(金)娘が中学入学式。
片道だけ送っていく。スーツを着る元気がなくて私は欠席。

4/9(日)井川スキー場が最終営業日で、息子と二人で2時間ほどすべってくる。
すでにあちこちで桜が満開。

内科で血液検査。いろんな値がよくなっている。
脂肪肝は変わらないが、コレステロールが数年ぶりに正常値に。
神経痛のせいでほとんどアルコールを飲めないためγーgtpなどよい。

4/14(金)この日は車が使えず、帰りに自宅まで徒歩途中で右足の関節がひどく痛み出す。
どうも歩くとよくないようで、じっと座っていれば平気なのだ。
今日(4/19)もやはり痛い。
自席から駐車場の車まで歩くのがつらい。
痛くてアクセルがうまく踏めない。
明日、整形外科で診てもらおうと思う。頸椎神経の件と関係なければいいのだけど。

4/10(日)バンドの練習。ねるとんパーティのバイトはいる(4/23)。
この日の練習後にメインのシンセ、D-10を壊してしまう。
修理する時間もないので、4/23はだましだましでどうにかしのぐことにする。
コルグのRADIAS(アナログモデリングシンセ・4月末発売)が非常に魅力的である。
しかし、パソコンも既に満6年を超えて使っている(Windows98)。
グアムで散在したのでしばらくは我慢だ。

4/17(日)K's電器で息子が東芝製携帯ラジオを購入。

とまあこんな感じの1ヶ月です。


4月24日
ねるとんな日曜日

--4/23 mixiから転載--
1ステージ30分のライブを2回やって、撤収のためにパーティが終わるのぼんやり待ってます。

ねるとんパーティての初めてなのだが、極めて合理的に見知らぬ男女がカプールになれるように段取りがすすめられている。
テーブルを10分ごとに男子が移動して全員と話ができる。
その後フリータイムで集中攻撃。
で、交際キボンヌを3位まで書いて投票、集計。

男女50人くらいだったけど、成立したのは2組だけでした。
恋愛って大変なんだなと関心。

単に好みの女子を捜すんじゃあなくて、男がこの顔ぶれだと、漏れの順位はどのあたりで、じゃあかわいいあの子は高値の花だから、こっちあたり現実的なとこで手を打っておこうか・・・とか葛藤があるんだろうな。

--4/24 mixiから転載--
日曜日のイベントで随分疲れたようで、月曜日の朝妻に起こされたらもう10時だったので慌てて着替えて朝飯抜きで出勤したのであった。

日曜日は、朝は10時に現地入りして音出しでバランスをとる。パーティーは「30歳まで」の1回目と、50歳(!)までの2回目とあって、全部終了したのが20時過ぎ、それから撤収作業をして、機材を車に積んで帰宅したら21時を回っていた。今回P.A.なしのドラムまで持ち込みだったのでセッティングも撤収も面倒だった。

演奏は、あまりにうるさいバンドだったのが主催者の予想外だったらしくて、「参加者が話ができない」ということで(あたりまえ)一回目のステージは30分予定のところ20分でカット。「もう今日はいいです」といわれるかと思ったが、用意してもらった仕出しの弁当を食って、第二部でも演奏、こちらは年齢層が高いためか妙に受けて4曲予定のところプラス1曲演奏した。

終了後お客の退場を待っていると、ねるとん参加者の女性がバンドのボーカルにアプローチしてた!おしいことに彼は既婚者であったし、奥さんが私と会社でいっしょなので、彼は軽はずみは行動には出られなかった。
機材を車に積み込んで、ギャランティをもらって、割と楽しい一日だった。

帰宅してから夕飯をくって風呂に入って、録画したドラマを二本見た。ERの11シーズンはそろそろ外科医のエリザベスが降板するあたりで、そういう複線が出ている。制作サイドが年齢を理由に降ろしたらしくて、本人は相当立腹だったらしい。


5月8日
タバコをやめて
実は禁煙は8年くらい前からやってて、確かそのときは、フイルムスキャナとPD(光ドライブ)が欲しくてその金を出してもらう代わりにタバコやめたんだよね。だいたい高血圧でガンの血筋だから前からやめたかった。
で、本当にすっぱりやめれたかというと「少なくとも1日1箱をコンスタントに消費する」スタイルからは脱したけども、飲みにいったときとか、普段でも1日3本くらいこそっと吸っていた。
よく半年やめてて飲み屋でもらいタバコした一本のために元の状態に戻った・・て話があるけど不思議とそうはならなかった。元来喫煙が体に合わなかったかもしれない。どんなに吸っても一日1箱以上にはならなかったから。

で、まあだんだん間欠的に間引き喫煙していたのだが、ここ数年は一月に1箱くらいになって、それでもなかなか完全にはやめられないのよね。
で、はっと考えると多分この12ヶ月くらいは全く吸ってなくて、特に意識にもないので、ああやっと本当の意味でやめることができたと喜んでいるわけです\(^o^)/

ニコチン中毒から脱したと自覚しているのですが、というのは紫煙を吸い込んだときの快感を思い出せないのよ。
よく麻薬中毒患者が治療途中で、「毎朝起きるとまず薬を吸い込んだ時の多幸感を思い出すんだよ」て話がありますが、ニコチン中毒もそうで「すーっ」て吸い込んだときののどの刺激とか、「ああニコチンが血液中をかけめぐる〜」ていう快感がたまらんわけよ。

だいたいたばこなんて最初からおいしいわけじゃなくて、我慢してしばらく吸ってるとそのうち手放せなくなるのよね。

価格の60%は税金だとか、肺ガンその他の罹患率が上がるとか言われても、やめられないものはやめられないわけで、知ってる人は肺ガンを手術した後も吸ってて結局50代半ばで亡くなったけど、やっぱそこまでして吸いたいわけよ。

約15年吸ってて、その後5年かかってやっとニコチンから逃げられたような気がする。
ここ5・6年くらい、社会がヒステリックに「嫌煙」しだして後押しされたとも思う。

5月6日 瀬戸内海を航行中
広島へ墓参りで帰省した帰りの洋上です。
今回は久しぶりにフェリーで往復。
香川県多度津と福山の航路でここも乗るたびに本数が減っているようで次回利用はないかも。
二月の法事があれこれあって流れて、気になっていたのですが、家族では二年ぶりくらいか。
実家はスルーして安いホテルに泊まりました。
連休で予約が取りにくかったのですが、旅の宿は少しくらい高くてもまともなところに泊まるのがよい・・教訓ですw

パルコの島村楽器でシンセやリズムマシンいじくる。最近の器材は店先でちょっと触るだけでは機能把握しきれん。
R社の発売直後のJUNO-Gが10万未満で機能ありすぎ。
http://www.roland.co.jp/synth/index.html
入門機だが、これ一台あればむこう十年は買い替え不要とおもわれ。
アルペジエーターを使うといかにも「今風」の音になる。

あと、コルグのリズムマシン エレクトライブシリーズが安価で遊べる。
一台買おうかしら。
http://www.korg.co.jp/Product/Dance/ES-1mkII/

都会はこういう店があるからいいんだよなあ。


5月22日
若者のお葬式の話
それはもう随分昔のことで、時期や詳細なことは忘れてしまったが、20代そこそこの若さで自死してしまったある学生の話である。
同世代だが私は知り合いではなかった。

それは私の父親の会社の同僚の息子さんで、広島でも有名な私立高校を出て、東京外大の学生であったと思う。
弟は同じ高校を出て東京大学に現役合格していて、つまりは優秀な兄弟であった。
亡くなったお兄さんは、精神的な病をわずらっいて休学中だったのだと思うが、発作的に灯油をかぶって焼身自殺をした。

私は当時高校生だったか浪人生だったか曖昧だが、まだ若くて同世代の死について実感がなかった。
ただ今でもこうして記憶にあるのは、葬式から帰ってきた私の父親の話が印象深かったからである。

その学生の葬式には高校の同級生がたくさんやってきて、悲しんでくれたそうである。
大学に入って2、3年していれば自然と高校の友人との交流も途絶えよう。そのなかで大勢が見送りに集まった。

父は言う。おまえは葬式にやってくる友達がたくさんいるか。あそこの息子さんは随分人望があったに違いない。
友達が大勢で悲しんでくれていたよ。

ふむふむなるほど。私は友人が決して多くはないし、私の葬式にだれがくるのかよくわからない。
多分その人ほど集めることはできないだろうと漫然と思った。
ではがんばって葬式に来てくれる友達をたくさんつくる努力をするのかというと、それはなんか違う気はした。

それから20年あまり過ぎて自身も子供を持つ親になって振り返るに、そんな単純な話ではないことがわかってくる。

焼身自殺などそう簡単にできるものではない。
せっかく成人まで育てたのに、希望あふれる未来があるのに、大人のほんの入り口で死なせてしまった。
親は何を感じただろう。

話が細かくまた想像でしかないが、その私立高校から東京外大は進路としては決して成功者ではない。
たしか外大でも専攻がマイナーな語学であればなおさら劣等感があって、そのことを本人はすごく悩んでいたのではないだろうか。
親は小学生の頃からガリ勉させて私立中学に進ませ、ひたすら東大々々と吹き込んでいたのではないだろうか。

社会人を20年やっていると、もはや大学だの専攻だのが、ほとんど意味をもたないことがわかってくる。
今の私からは、彼はなんてつまらないことを悩んで最悪の選択をしたのだろうとしか思えない。
そう、たかが大学で。
いやでもこれは私の勝手な憶測だ。
学校とは別にことで苦悩していたのかもしれない。

・・・もっとリアルに考えてみよう。
どこで実行したのかは聞かなかったが、見るに耐えない姿になった我が子を見て親はどう思ったのだろう。
以前から抑鬱状態になったのなら、せめて自殺は防げなかったのか深く後悔と自責があっただろう。
多分、今もそのことを引きずったまま親御さんは生きていると思う。

つまり何がいいたいかというと。
私が自分の子供にこの話をするとしたら、
いいんだよ、友達なんていなくても。葬式に来てくれる友達がたくさんいなくていい。
そんなことより、親よりはやく死ぬな。
それも自死という最悪の選択をするようなことは、たのむからしないでほしい。

気の毒な話なのだが、やはり何か腑に落ちないのは葬式帰りの父が「友達が多いこと」を強調して、決して「自殺なんかするな」とは言わなかったことだ。それってやっぱり変だよね。


5月23日
2000回転の男
省エネ・エコ運転もこだわりだすとそれ自体が目的となっていて、実際の数値はあまり関係なくなる。

今ひたすら試みているのが「エンジンを2000回転以上回さない」運転。
MTなら簡単だがATだとその設定をよく理解しておかなければならない。
発進時にはふかさないふかさない。
アクセルは軽く、ひたすら軽く足を乗せる程度。
・・後続車はかなり迷惑。
2000回転前で、2回シフトアップして60km/hくらい。
更に慎重に踏み込めば2000回転未満でオーバートップで、75km/hくらい出せる。

それから極力ブレーキを踏まない。
通勤経路はまっすぐのバイパスなので先がよく見える。
2つ先の信号でひっかかりそうであればすぐにアクセルオフ。
自分の車がそうなのか不明だが1500回転以下ではインジェクションがオフになるらしい。
エンジンブレーキでよろよろと減速する。

停止中にアイドリングストップもしたいんですが、「細い道からバイパスに出る」信号待ちくらいしかできないのが悲しい。


06年6月4日
新PCキタ━━(゚∀゚)━━━━!!!!
DELLのノートパソ、Inspiron 710mを購入。
5/24にネットで発注して、6/2に到着。
週末ずっといじってました。

PenMと、メモリ512MB・HD80GB・無線LAN・DVD-R/Wでもって、チップセットが2世代くらい古いらしい。
モデルはもう生産終了間際で、割引クーポン裏技使用で、かなり安く購入できました(8万円台)。
これも2chのスレのおかげだす。

初めてのB5ノートですが、画面はきれいだし無線LANは速いしDVD見れるしいいですよ。
小さいので取り回しが楽。
多分屋外に持ってでる機会はないだろうけど、家庭内でモバイルです。
SKYPEも今までWindows98マシンで無理矢理動かしていましたが、もうサクサク動いて快適。

ただバッテリーの持ちが悪くて、8セルの大きいの付けてるんだどMAXで5時間駆動。
更に2年くらいでへたって使えなくなるという話。
バッテリーの買い換えは高くつくのよね・・

今回のノートはB5の12.1インチワイドディスプレイ(WXGAというらしい)で、通常使っている15インチ液晶と比べると相当小さい。

家庭内LANにつないである東芝のDVD/HDDレコの画面を見ることができるのが便利だ。
チューナーをつけなくても、自室でテレビが見れるわけです。
今までのパソコンスペックではそれができなかった。



前回Windows98SEのパソコンを購入したのは2000年の4月19日
http://www.tcn.ne.jp/~cozy/washi/washi200004.htm の4/20の日記。
やはりDELLでで、P3の550MHZ・メモリも64MB・HDは10GB・CD-R/Wのタワー型で12万ほど。

で、もう6年以上使っているPentiumIIIモデルですが、古いデバイスが必要なのでしばらくは手放せない。
MIDI機器関連がRS-232CとSB16でのコントロールや、PDやフイルムスキャナのSCSI機器はノートで使えない。
せっかくなので、Linuxのデュアルブートのできないか考えている。


06年6月5日
ガソリン/パッシング/中島みゆき
本日給油しました。
走行距離462キロ ガソリン45.0L @137円。
通勤走行だけでリッター10キロ以上いけました \(^^)/

21時半まで会社にいて、帰りにMBSで大西ゆかりのナニワミュージックショーを聞いていると中島みゆきの「悪女」が流れた。
1982年の作品だって。おいらが大学に入った年だ。
若い声で妙にかわいい歌い方なのが意外だった。

帰宅してニュースを見ると、逮捕されたアヤカママの大パッシングであった。
子供が亡くなった次の日に平然とラーメンを食っていた、平然とDVDをレンタルしていた・・

それと村上さん。あんなに強気だったのにどうしたの?てくらい簡単に罪を認めたのね。
ライブドアの話を「聞いちゃった」からインサイダーなのよねえ、困ったねえて感じだ。
堀江もそうだったが強面でやってて、あんなにぽっきり折れるものなのかしら。

あと画家の和田さんはまだパクリでないと言い張っているらしいのが笑える。
2chでいろんな説が出てます。
・間違い探し作品説
・チャネリング説
・憑依霊による自動書記説
・朝起きたら何者かがキャンバスに絵を描いていた「森の妖精作」説
・作家生命を賭けて日本画壇の無知無能を暴いた説
など。


2006年6月15日
6/15 ダンスホール レゲエ
朝からしとしと雨が降っていいかにも梅雨らしいのだけれどもいきなり気温が下がったように感じられて上着を着ずにはいられなかった。
前日朝の早起きのための携帯アラームに7時に起こされたが、それから二度寝して起きたら9時過ぎだった。
こういう時の睡眠充足感は割とよい。

巨人8連敗の記事vを読みながら朝食をとって、10時頃に出社する。
午前中には打ち合わせはない。
こういう段取りの日が一番合っていると思うのだけど、残念なことに行きの車の中で聴くラジオ番組に適当なものがない。
浜村さんの「ありがとう」のメイントークは8時台に終わっていて、9時台は交通情報と天気予報とCMだし、朝日放送の妹尾和夫の番組は今ひとつ馴染めない。

先週レンタル屋で「ジャケ借り」したレゲエのアルバムがよいのよ。レゲエてエレクトリックポップと合体してるのねというのを初めて知った。
てか「ダンスホール」というジャンル(?)で、トランス系と親戚みたいなものかな。

3月にグアムに行ったときにホテルのプール横でイスにねそべっって文庫本を読みながらFM放送を聴いていいたのだけど、グアムはやたらとFM局が多くてそれはアメリカがそうなのかもしれないが、ほとんど全部レゲイが流れているように思えたが、そのレゲエて僕らが認識しているボブ・マレーのそれではなくて、サンプリングやシンセベースやリズムマシンでうねるような繰り返しのトラックに乗った音楽であったのだと思う。
こういうトラックを作る人をトラックメーカーというらしい。DJの派生だろうか?

ちょとWikiで調べたら最初の「打ち込みレゲエ」はカシオトーンだけで作成されたらしい。
新しい音楽ができるときにきっかけとなる楽器て意外とその時点では安物だったりする。
TB-303(老国1982年 初期のベースマシン)なんて「音のチープさ」がいいわけで。
http://www.rebirthmuseum.com/

6/14 バスから(すごく久しぶりに

ちよっと事情があって今日は通勤往復会社のバスです。先週まで早朝覚醒で不調だったのですが、今週は一転して月曜日から寝起きが悪くて困っています。午前中は頭がふらふらしててる。

月曜はW杯オーストラリア戦みましたが、いきなり初戦で今大会が終わっちまったな、てとこで脱力感いっぱいです。

株がかなりさがってしまって、またしばらく我慢ですが、まあよい機会かと思い投資額をばばんと五倍に増額することにしました(5000円!)。公開した直後は月に3マソ入れてたけどね。いろいろあって、株はなかなか素人にはむつかしいと実感したわけよ。

地震があった。夢のなかで震度3を感じていた。ああこりゃ神戸のときと同じくらいだな、どっかでえらいことになってるだろうと夢で分析していた。震源地が大分県で呉市がかなり揺れたというのが不思議だ


6/10 パソヲタTVライフ

日頃サッカーなんぞ見ることはあまりないんだけど、周りの雰囲気に流されてWカップ見てます。
開幕戦のドイツ-コスタリカは早い段階から双方点が入っておもしろかった。今はイングランド-パラグアイ見てます。

ちょうど一年くらい使っている東芝のDVDレコは、LAN接続してあって、ネットから番組表を取ったり、パソコンと連携できて面白いのですが、

http://www.roy.hi-ho.ne.jp/masao/rd/
↑のソフトでパソコンにDVDレコから録画番組をコピーできるのだが、Windows98マシンではどういうわけかうまくいかない。DVDレコ側からパソコンをネットワーク上で認識できないのですね。(逆はいけている)
XPマシンでやってみても、やっぱり同じ状態なので、そこはパソヲタ的に我慢ならんわけですよ。

結果的には下記の設定でコピーできるようになりました。
1.NetBIOSを無効にする
2.XPのFireWallにてDVDレコからの通信を「許可」にする(IP指定)
3.マカフィーのFireWallも同様の設定
面倒だなあ。

これでDVDレコの予備HDDとしてPCが使える。
ノートなのでどこでも番組が見れるのもいい。


2006年6月16日
南太平洋海戦
ヒマ・・ではないのだがどうも仕事に身が入らなくて、自分の名字でググってみました。よくやるんですけどね。
珍しい名字なので他人はあまりヒットしない。
千葉県に地名があってそこがよくヒットするんだけどね。

ちょっとびっくりしたんですが・・
太平洋戦争で戦死した叔父の記録がネットにありました。

『空母瑞鶴の生涯』て小説の一部がネットに掲載されていて、
http://www.jihei-sushi.com/yoneda-zuikaku.htm
ここに出てくる飛行隊で広島出身の海軍中尉(海軍兵学校68期)が私の叔父です。

小説になっているという話は以前に聞いたことはあったのだが、読んだことはなかった。ソロモン諸島のサンタクルーズ海域での「南太平洋海戦」らしい。
もちろん相手はアメリカ。

戦闘機が墜落する時の叔父の表情の描写がある。
「じっとみつめていた。こちらを認めているらしい。これが別れだというように…。」
そのとき何を考えていたんでしょう。

1942年10月だからまだ開戦してまだ1年弱てとこですね。
一応「互角に」戦ってた頃の話ですね。
今更ですがちゃんと本を読もうと思いました。


2006年6月20日
作業自体が目的化すること
とういわけで月曜日は毎週しんどいですが、この週末はGW前後にやたらとNHK-BSで放送していた音楽番組を整理してDVDに落とす作業に打ち込んでいました。
VHSの頃は一度録画すればラベル貼って終わりだったのですが、DVDはキャプチャーや、曲情報入れられるので、それはそこまでせんといかんのかといわれれば、まあ単なる自己満足でしかなくいのですが、せずにはおれない性といえよう。

・今回編集作業したタイトル
ロック生誕60年その1〜その3、レッドツェッペリン永遠の詩、イマジン ジョンレノン、音楽番組のクリップ集 東京スカパラ/宇多田ヒカル/ドリカム

曲の切れ目探しながら流し見して、キャプチャー入れて、膝に乗せたPCに曲名を入力(Exelで管理)、いらない部分をカットしたプレイリストの作成、PCからタイトルごとにキャプチャーごとに情報入力、という面倒くさいことをなんでせんといかんのか、はたしてこうやって作成したDVDを今後何度見ることがあるであろうかと思うのであるが、「貴重な映像」とかいわれるとこれはもう編集して保存せずにはいられないわけですよ。

はやくDVDに移してHDD上から消さないと毎週設定のドラマはどんどん自動録画されて容量を圧迫していくわけで、まだ「ボブ・ディラン ノーデレクション」やストーンズのライブが2本、YMOの再結成の映像とかそれはもうたまっていますので。

買って二週間のモバイルがDVDレコの映像編集で非常に便利で、SKYPEで会話しながら、ますます面倒なことをやらされてしまうという、こうなると何が目的かよくわからないですね。


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日々雑談:2006年01月〜06月