日々雑談:2005年07月〜12月
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7月31日
ユビキタスライフ
曇りで少し涼しかった日曜日に、午前中に海に出かけて1時間ほどスノーケル。貝やクラゲを採取。帰ってから自宅近くの県立図書館に行って借りてた本を返して、借りて来た。
今回借りたのが、ガンダム語録とキルビル解説本、村上龍「すべての男は消耗品である」のVol6、平凡新書の英国王室関係、泉麻人のエッセー集の文庫2巻。


午後は妻子がピアノのお稽古で出かけて静かだったので、先週録画したライブ「CROSSOVER JAPAN '05」(BS FUJI)にチャプターを入れながら、パソコンで曲のデータを入力しつつ、泉麻人のエッセーを読んでいた。
チャプターてのは動画データに「区切り目」を入れる作業で、映画など通常だとCMをカットすることが多いのだけれども(自動で入る場合もある)、ライブ映像は曲ごとに区切ってデータを入れている。
それが一通り映像を再生しながらの作業になるのだが、出演者が懐かしい面々で感動した。
なんといっても「CROSSOVER」だから、いわゆるフュージョンて言われた音楽がシーンを席巻していた頃のバンドが出てくる。
今年はNANIWA EXP・AB’S・ネイティブサン・シャカタク・竹田和夫・T-SQUARE・井上尭之・高中正義&野呂一生といった、まさに今我々40代の世代が高校や大学の頃、あちこちであふれていた音だ。

詳しくはこちら。
http://eee.eplus.co.jp/coj05/
それぞれコメントしてると切りがないのだが、「シャカタクが今ごろ日本でライブ」に驚いた。
放送されたのは、曲は超有名曲の「Night Birds」だけだったが、これって1980年頃だろうか?
ピアノのメロをいまだにYAMAHA CP-80という当時の楽器を使っているところが心憎い。
今は同じ音がデジタルピアノで出るというのに、88本の弦を張った「電気ピアノ」を使うのはメンテナンスも運搬も大変だろうなと思った。

で、何がユビキタスかというと、DVDレコーダーのHDDに録画されている映像にキャプチャーを入れながら、手元のノートパソでデータ入力ができるというところが味噌なのだ。
厳密にはユビキタスは完全にコンピュータを意識しない家電を含めたネットワークを想定しているが、ビデオデッキとパソコンが直接連携できるのは広い意味でユビキタスの初歩的実現かと。

詳しく言うと、家庭内LANに接続されたDVDレコがWEBサーバーになっていて、パソコンからブラウザでサーバーのアプリケーションを操作し、DVDレコのコントロールや、映像の編集や照会ができる。
拙宅のパソはハードスペックが低いので完全なコントロールはできないのだが、HDDやDVD上の動画のタイトルやキャプチャーのデータ入力は可能だ。

これが、DVDレコを5月に購入して3ヶ月、自室のデスクトップからはアクセスできたのだが、無線LAN接続のノートからどいうわけか操作できなかった。
それで、今まではまずリビングで動画のキャプチャー打ちを行い、それをメモって自室のパソでデータ入力をしていた。
これが狭い我が家ながらも1・2階と離れているので結構面倒だ。
必要があると何度も行き来していた。

接続については職業柄サポートに問い合わせるのもしゃくなので、デスクトップとノートの通信設定を調べたら、なんのことはないノートのIEがLANでCATVのプロクシ使用になっていた。
ケーブルテレビのサーバーに問い合わせても自宅のDVDレコは探せない。

といったきわめて初歩的な問題を解決し(w)、テレビを前にノートパソコンを開いて上記の「ちょっとユビキタスな作業」をしていた。
タイトルだけならなんとかDVDレコだけで入力できないこともないのだが、曲データ入力だとさすがにリモコン操作での文字列入力はつらい。
録画した番組を再生しながら、曲ごと、CMにDVDレコでチャプターを設定する。
パソコン上からチャプターデータに、テレビ局のサイトからコピーしたミュージシャン名と曲名をコピペしてキャプチャーデータとして登録する。
実に楽だ。
長い曲は早送りしてもいいんだけど、せっかくだから全部聴く。
聴きながらPCの裏でチャットしつつの、泉麻人のエッセイを読む。
エッセイは夕刊フジに連載されてたもので、文章は軽く短く面白く、まさに泉麻人の真髄です。

懐かしい曲としてはナニワエクスプレスのBeleavin、竹田和夫のSpinning Toe Hold、スクエアのIt's Magic・Truth、高中正義&野呂一生でブルーラグーンと朝焼けをミックスした曲w。
全部僕が高校生の頃だろうか。ほとんどバンドでコピーして演奏した覚えがある。
うれしかったのはスクエアのIt's Magicのボーカルがオリジナル版のマリーンだっての。すげぇ。
9月にはDVDが出るらしい。
せっかく自前でデータ入力までしてDVD-Rを作成したのだが、オリジナルを買おうかと考えている。


8月2日
早朝覚醒・半休・買い食い・メンテナンス
今朝4時頃一度起きてしまったせいか、通常の時間(7時)にどうしても起きられず、何度か意識があったりなかったりしてふらふらいると、きちんと起きた時刻は10時半ということであった。
しょうがないので午前中を半休とし、みそ汁とお昼用のおにぎりを食べて新聞を読み、11時半頃自動車で出勤した。
昨日から出ている発疹は広がってはいないが、消えてもいなくて、痒いような痛いような曖昧な感覚が常時あってどうも落ち着かない。

夕方空腹で売店に行くと、ハムサンドがあったので200円を出して買い、食べてから、ああこういうことをしているから全然体重が減らないのだと後悔する。
4月頃からお昼ご飯を半分ほどの量にして、毎日30分のウォーキングを課しているのだが、一向に体重が減る様子もない。
現在65・6キロなのだが、これは私の人生の中での平常時体重より10キロ程多い。
ストレスによる過食で一時的に太っているのだとずっと思っているのだが、「一時的」が2年程になるので、それはこの状態が常態化してしまっているということだ。

今朝4時に起きたときにビデオデッキを見ると何か録画しているので?あれなんだろうと疑問に思いテレビをつけてみるが、砂嵐を録画している様子であった。眠い頭で判断力がなかったと思われるが火曜日のこの時間に毎週録画しているものがあって、それが今週はどういうわけか放送していないのだった。
ケーブルテレビの番組表を見るとたしかに今週は深夜のメンテナンスが多い。
とりあえず録画を止めて、それから他の番組も調べて砂嵐だけ保存されているものをHDDから削除した。

それから息子のあせもの膏薬を塗ろうと取り出したのだが、テレビをあれこれしているうちにどこに置いたかわからなくなり、少々自分に立腹しつつも別な薬をだして湿疹に塗った。
それから読みかけの本を読んで再び寝たと思う。

暑いのと痒いのと遅い食事のどれかか、あるいは、全てかが原因で眠りが浅くて妙な具合になってしまったのではないだろうか。


8月6日
土曜日は昼頃起きて病院に。暑い中片道20分の自転車。
予想外に混んでいたので薬だけもらって帰る。
帰りにPCデポによって録画用のDVD-Rを三種類買う。
1.imation 10枚 697円 @69.7円
2.TDK超硬 10枚 2470円 @247円
3.TDK CPRM対応 5枚 1270円  @252円

2.はハードコーディング仕様で長期保存用。Hi8の資産の記録目的だが本当に耐用年数が長いのかは10年後くらいに検証予定w
3.CPRM対応はBSデジタル番組の保存用。BSデジタルの番組は全てコピーワンスで、コピーワンスの保存はCRM対応のDVDでないと不可。
HD&DVDレコを使いはじめて3ヶ月になるが、DVDで残す番組はあまりなくて、僕の場合ほとんどてか全部音楽番組だ。CATV経由でアナログ化されているBSデジタル放送(ややこしい)を見てるのだけどコピー制限についてはデジタルデータとして認識されるみたいで(芝のデッキの仕様)保存が通常のDVD-Rでは不可なのだ。CPRM対応と非対応では随分コストが違うのでどうにかしてほしいよ。
ちなみにコピーワンスのワンスは放送→HDDに録画時点で使ってしまわれているらしくて、その後DVDに記録(データの移動)は一回きりという制限になっている。
デジタルデータの無劣化複製での著作権侵害対策なわけだが、日本独自の仕様で地上波もデジタル化されたあかつきには非関税障壁になるといわれ、また現在コピワン番組への対応がメーカーで違っていて実にわかりにくいので、不評極まりなく最近再検討の動きがあるとうことで、どうにかしてほしい。

カメラのキタムラによってDVビデオカメラとデジカメの価格調査。先週日本で唯一徳島に出店してなかったのヤマダ電器がオープンしてかなり影響が出始めている。特にデジカメの値崩れがひどすぎで、僕が今欲しくてたまらないキヤノンのPowerShot S2 IS(500万画素・12倍ズーム)が一週間で49K円→43K円に下がっていた。価格.COMの最安値よりずっと安いっすよ。ただ故障したオリンパスカメディアを損害保険で修理したばかりなのでまだしばらくは買い換えできない。
ビデオカメラも下がり始めている。運動会時期が「旬」らしいので9月になってから買うつもり。これも多分キヤノンの製品になるだろう。娘が生まれたときから11年間家族の記録を残してきたハンディカムはお疲れ様という訳だ。

帰宅してたまったDVD-R記録作業と、録画した映画を見る。
はやく見ないとHDD160GBがすぐみててしまう(広島弁)。
1.エリザベス(1998年英)
2.禁断の惑星 (1956年アメリカ)

エリザベスは確か劇場公開時に見たいと思って見れなかったような覚えがあるのだが、歴史の知識なしではかなりきつい内容。
ちょうど英国王室関係の新書を図書館で借りていたので16世紀あたりを復習しつつ観る。
どういうことか本を見ながら記述すると「ヘンリー八世(1509-47)が離婚したさにカトリックから離反して英国国教を独立させたので、次の次のメアリー一世(1553-58)時代にはまだ新旧が混乱してて、ヘンリー八世の再婚相手との子供だったエリザベスは嫡子扱いされなかったとか、エリザベス一世(1558-1603)の統治時代はイングランドがスコットランドとフランスとスペインとの微妙なバランスにあってそれらの王族との結婚ができなくて結局独身を通した」ということがイギリス人には当たり前に頭にあるんだろうけど。
ちなみに私この映画をてっきりスペイン国土回復戦争時のカトリック両王のイザベルの話だと勘違いしていました。
2.の古典的SFについては、まあ時代を考えればよくできた作品です。


9月4日(日)
この週末
週末は例によってたまったビデオ見て、病院と楽器の練習。
もう10日ほど経つがやっぱり抜歯の跡が落ち着かない。痛い。
土曜日の夜はバンドのミーティングと翌朝10時〜12時スタジオ練習。
バンド経験30年近いが、初めて「ボヘミアンラプソディ」(1975年頃のQUEENの曲)をバンドで演奏してみる。

日曜日は3時から子供連れてまんが喫茶に二時間、こち亀とモーニングとか読む。

電器モノ購入。
土曜日は携帯ラジオ(AIWA製)1650円。小さくてAMとステレオFMが聞けて十分。遠目にはMP3プレーヤーにみえそう。
日曜日はついにデジタルビデオカメラ(キヤノンのFV M30KIT)購入。
三脚・バッグ・DVテープ3本・SDカード128MBで58000円。
DV初心者にはちと贅沢な機種です。使いこなしが大変。
いろいろいじくってみて報告します。
10年使ったSONYハンディカム(Hi8)ご苦労さま。

映画「スティグマータ 聖痕」(1999年)
筋はいたってよくあるパターンの宗教ホラーもの。
ただ最近原始キリスト教に興味があってそういう小説を読んでいるので(「ダビンチ・コード」や「イエスの古文書」)ちょっと面白かった。

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最近つれづれなる日記をmixiに書いてますので、興味のある方はそちらを。
ニックネーム「コイル・ウインザー」で出てきます。マイミクどぞ。


9月30日(金)
仁義なき戦い 広島死闘篇
漏れが11歳になる春のことなのだが、つまり思い起こせば30年以上前のことになってしまったが、1972年4月から広島市内中心部の基町に通うことになった。
それはいわゆるお受験のための有名な学習塾があったからで、それから2年間(途中病気になって半年休んだが)ほぼ毎日(6年生では土日も授業があった)塾に通った。これもそれも難関中学を受験するためで、その頃私は真面目な「よいこ」だったので、それなりにがんばって片道30分ほどバスに乗って郊外の自宅から市内に通っていた。

そのころの広島市基町という場所はかなり壮絶な場所で、説明しづらいがいわゆる「バラック街」とか「原爆スラム」とか呼ばれていた。
原爆で焼け野原になった広島の大田川沿いにバラックを建てて不法にすみついた人々が1970年頃はまだそのままの状態で生活していた。
スラムの中は細い道が迷路のように入り組み、長屋とも一軒屋とも区別のつかないようなトタンでできた家が雑然とならび、さすがにその頃は上水道や電気は整備されていたが、下水はかなりあやしかった。
スラムの中には住宅以外にも八百屋や飲み屋や屑屋がありそのどれもが近代都市広島とはかけはなれた風景だった。

つまり原爆から戦後急激に復興した広島の中にあって、基町一帯は30年近くその姿を変えることなく存在していた。
僕が通っていた学習塾があったスラムの場所は県庁から徒歩10分、市民球状から5分の場所だった。
当時既に博多まで開通していた山陽新幹線から見える市内中心部にそういう場所が残っていたのは実に興味深い。

で何がいいたいかというとその原爆スラムで映画撮影があった時の話です。

学習塾の前がちょっとした空き地になっていて、もちろん舗装なんてされてなくて塾のガキが集まってほこりまみれになって遊んでいた場所だ。
ある日普段通りに塾に向かうとあたりがただならぬ雰囲気になっている。
空き地に三輪トラックと屋台と割烹着の女性の姿が見えた。
まわりを大勢の人が囲んでいる。
普段はトラックや屋台がある場所ではない。なんだろう?事件かしら。
で、私がはっきりと確認できたのは椅子に座った千葉真一だった。
先に来ていた友達から映画の撮影らしいと聞いた。
30年たった今でもつきあいのあるM君は千葉に向かって「あんたホントに千葉真一か?」と聞いていた。
私はまだガキだったから映画も大人のドラマもよくわからなくて、でも「キーハンター」は大好きだったから千葉真一はわかった。

・・・と当日の私の記憶はこれだけだ。次の日はもう撮影は行われいなかった。
その後「仁義無き闘い」のシリーズがヒットして、あの日のロケはその映画だったのだと知ったのはもう少し大人になってからだった。

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30年以上経ち、もうあのスラム街もなく(公園になっている)ぼんやりと残った記憶を今更ながら確認したくなった。
考えてみればもっとはやく気がつくべきだった。
少なくとも20年前にはビデオレンタルはあったから確認できたはずだ。

で、調べてみました。
ネットで検索すると「仁義無き」シリーズで千葉真一が出演しているのは2作目の「広島死闘篇」のみであること、ロケが広島で行われたのはこれ一本であること。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005L9NS/249-6504110-7696316

さっそくDVDを借りてきました。
さて、学習塾の空き地でのロケはカットされずに出てくるでしょうか。
かなり身構えて見始めたが、いきなりでしたw

この作品の実質的な主演の北大路欣也(ちんぴら役で最後自殺)が無銭飲食でぼこられる場面がそうでした。
北大路をぼこるのが千葉ちゃんのチンピラグループ、それを止めようとするのが飯屋の梶芽衣子という設定。
つまり私が見たあの場所で割烹着の女性は梶芽衣子だったのだ。そして知らないから当然わからなかったのだが、あの場所に北大路がいたはずだ。
更になによりメガホンを持った深作欣二があそこにいたのだ(多分)。

北大路がぼこられる場面はカメラがかなりの動きをして回りを映している。
スローでじっくり見てみました。
あはは、確かにあの場所だ。空き地の横の八百屋が見える。
まわりの見物人はケンカのやじうまという設定だろうが、コマ送りで詳細に見ると、「あきらかに戦後闇市的風体の人」と「あきらかに最近の人」が混じっている。
前者はエキストラで後者は近所の見物人でしょう。
最近の人のなかには望遠カメラで撮影してる人も映っていました。
見物人の子供もエキストラ以外は地元のガキで多分中には塾の生徒もいたにちがいない。
「もしや」と思い自分の姿を探しましたが、さすがにわかりませんでした。

ちなみにまわりの住宅はほとんどそのままでw、多少原水禁関係のビラが貼ってある程度で、いやそれは僕の時代にも貼ってあったかもしれないが、だれかの車はシートで隠してありました。
つまり1973年当時の基町のあの場所はそのままで、時代考証的に1945〜47年の撮影に差し支えがなかったと思われます。

映画の途中で「原爆スラム」の全体を写すカットがありますが、これは時代考証もなにも1970年当時の風景でした。
今思えばスラム街は夜は暗く、治安に問題があったんじゃあないかと思うんだけど特に怖い思いをしたことはなかった。
せまい路地を走り回って遊んでいました。いい思い出です。


10月4日
今日はなんの日
あははは、躁転ぎみでアッパーになっています。ハイです。
先週末から風邪気味でどうも調子悪かったからな。いきなりえらく元気だ。

で、どうも日付を覚えるのが苦手で家族の誕生日も(年齢も)不確かなのはいかんと思うのだが、よく考えてみるに今日(10/4)は結婚記念日なのであった。
正確には披露宴をやった日で、UNIXのCALコマンドで確認したのだが、1992年の10/4は日曜日だから間違いないだろう。
今から思えば、なんとバブリーな時代に結婚したもんだ。もっと遊んでおくべきだったな。

1990年に最初の転職して1991年に浜松に転勤して1992年に結婚してる。結構せわしい30歳前後だったわけだ。
当時漏れは浜松、妻は岡山、披露宴は広島ということで、段取りがめちゃくちゃ面倒で、もうああいうことは二度とやりたくないと思います。
結婚してから、転勤したり転職したり家買ったり子供できたり育てたり、なかなか思うような人生にはなっていないが、そんなに不幸でもないと思う。
妙に落ち着いてしまった10年ともいえるか。
それもこれも歳のせいかも。

というわけで結婚満13年なのだが、これといってなにもなかったのだが(妻も意識にない)、今週末(10/7)は息子の9歳の誕生日なのではやく帰ることにしよう。



←スナップにもなっていないいい加減な写真。
最近購入したデジタルビデオカメラで撮った静止画像です。
あと久しぶりのライブ予定が入りました。12/10にいつもの鳴門のライブハウスで。
もしかしたら(初めて!)ボヘミアンラプソディをやるかも。



10月28日
■10月9日の日記
3連休のなか日、なんとなくぼんやりとだが爽やかな一日だった。
前日遅くまで映画を見ていたので昼頃起床。
ああこれでは何もできずに一日が終わってしまうとちょっと自己嫌悪と不安感が出る。

我慢して飯食ってから息子を連れてカメラのキタムラに行く。
1ヶ月前に買ったDVカメラがどうもノイズが多いのに先週気がついて、こういうのはそれまで気がつかない間は平気だったのが気になりだすと気になってしょうがない。
カメラが小型化されているので内臓マイクがメカニックな動作音を拾ってしまうのはある程度しょうがないんだけど、テープの走行ノイズでキキキといった引きずるような音が録音されている。
確かに録画時にボディに耳をつけると異音がある。
静かな場合内蔵マイクが思いっきり本体のノイズを拾うのでかなり耳障りである。
これは仕様上しょうがないレベルなのか?それとも初期不良なのか。

というわけで買った店に持っていったわけです。
結論としては多分初期不良なのでメーカーに送って修理ということに。
生産は既に完了している製品でもう店にも在庫がない。
多分メーカーで、中身をごっそり入れ替えるようになるだろうとの話だった。
事実上の交換だな。

しかしこういう電化製品のモデルのライフサイクルが短すぎる。
私が買ったのモデルは2005年3月に発売開始で、半年後の9月には既に生産は完了していて、発売されているのは在庫分である。
技術の進歩が早すぎってのもあるんだろうけど、これだけ短いと設計段階での不具合が改修される前に生産が終わってしまうような・・。
特にDVカメラ市場はもう成熟・普及しきってるのでそんなに台数が出ないだろうし、だけど価格競争で売価は下がる一方だしメーカーも儲からないんじゃないかな。
しかし新製品を常に出しつづけないと生き残れないというジレンマがあるわけで。

ちなみにDVカメラは今はSONYのハイビジョンハンディカムが一人勝ち状態らしい。
10万越えで安くはないのだが、それなりに付加価値があるものは売れるということですね。

カメラのキタムラを出た後、近くのおもちゃ屋やスーパーで買い物など。
おもちゃ屋でガンダムシードのMSプラモがたくさん並んでいて欲しくなるが、まだ仮り組みのガンダムMK-IIと、全く未着手のグフ(ともにMGシリーズ)があるので我慢する。
昔ながらの手動のサッカーゲームがあって懐かしくなって息子と少しやってみる。
こういう単純なゲームは楽しいね。
オプションで「全日本チーム」のメンバーセットがある。

帰って、前の晩寝る前にDVD-Rにダビングした「愛と哀しみのボレロ」の終わりあたりを見る。
グレンミラーやカラヤンやイブ・モンタンや亡命舞踊家とかモデルになってて、やたらと登場人物が多くてわかりにくく、長い(3時間)映画である。

それから無気力で酒でも飲もうかと思ったのだが、ちょっと奮起して(これが時としては非常に大変なこと)、ラジオを聞きながら、MTBで近所の川沿いを40分ほど走ってくる。
もう夕方なのでラジオはユーミンの時間。

毎週日曜日の午後は山下達郎の「サンデーソングブック」を聞きたいと思うのだが、これが14時で、大抵その時間は何かしてるかどっかにいっているので聞けない。
偶然車を運転してるときくらいしか聞かないなあ。

自転車で汗をかくと気分がすっきりして、「ちょっと何かやろうか」という気分になる。
こういうことは大事なことだ。

とりあえず、しばらく戸棚の奥に置いていてほこりまみれになっている、MSのプラモを出してきてきれいにする。
MG(1/100)のザクとゲルググ(ともに量産型)、HG(1/144)のドムの3体。
一時ディテイルに凝って「合わせ目消し」とか「墨入れ」とか「つや消し」したので、改めて見ると割とよくできてる。
最近はそういう集中力が出なくなってるな。
あと「簡易エアブラシで、グラデーションシャドー塗装」てのがやりたいんだけどね。

とりあえずホコリを落としていると夕食の時間になる。今日はお酒は飲まないことにする。
食後、お笑い番組を家族で見て、あらためて息子のお笑い好きには関心する。
南海キャンディーズのしずちゃんて面白いだね。

それからピアノの練習&曲の採譜を2時間ほど。
これが今日一番集中してできたことだな。
12月に久しぶりのライブが決まったので真面目に練習しないといかん。

ということで連休2日目が終わりましたが、明日はガンプラ作成やろうっと。


10月31日
画像あれこれ
というわけで月曜日の夜ですがそろそろ寝ないとなあ。
またちょっと最近ガンプラに時間を割くようになって色を塗ったり乾かしたり塗ったり乾かしたりしてる。
今作成中のはガンダムマークIIのティターンズカラー版。Zガンダムに出てくる黒いガンダムだ。
息子が「ケロロ軍曹」のキャラ、ギロロ伍長を作って漏れのクレオスカラー(水性)を使って塗っている。


これがギロロ伍長
一応紙やすりでゲート処理(パーツのはみ出し部分のカット)して、水性カラーで塗って、墨入れしてる。
これをmixiに載せてたら、ネット友達に「ケロロ軍曹シリーズとジオンのMSは頭が入れ替えられる」という情報をゲット、
やってみました。



ギロロ伍長専用ザク




アナベル・ギロロ専用ゲルググ
ギロロの目線が怖いのでなかなか雰囲気あるでしょ。
ギロロとガンプラの首のコネクト部分の規格が(狙ってか偶然か)同じなのでこういうことができる。



こちらザク伍長(汎用型)




画像ついでに
こら、小池
凶悪犯人らしいのだが「おい、小池!」というキャッチコピーがなんともたまらん。
徳島県警のサイトにある画像なのだが、「携帯の待ち受け画像にできます」だと。
誰がそんなことを?


11月10日
ちと先週末のことを書いておこう。
11/6日の日曜日に自室の整理をしました。

特にちらかっているわけではなく相変わらずモノは多いのだが、鍵盤楽器を置いているスタンドを3段から5段にした。
写真が変更前。(朝日がまぶしい)

ネットで似たようなタイプのスタンドが中古の2千円であったので、パーツ取り用に購入したんだが、配達代が千円の代替手数料が300円かかって、予想外に高くなってしまった。まあしょうがない。


で、こういう左右に柱のあるタイプのスタンドは安定性がいいのだ。
最近はどこ行っても柱一本で支えているのが多いのだが、あれは取り回しは楽だけど、非常に揺るんで演奏しにくいんだよ。

安定性がいいのだが段の追加は大変で、スタンドを一旦ほぼ完全にばらさないといけない。
そのためにはスタンドの下にあるパソコンやら雑誌やらオーディオとかもどけなければならない。
ついでにパソコンデスクまわりのモノの配置も変えることにする。

キーボードスタンドに乗っているものと、スタンドの下に置いてあるもの、それから机の後ろに置いていたものを一旦全部引っ張り出す。
テーブルの上にあるパソは1995年型のAptiva。使ってないけど捨てられない。
キーボード4台、ギター3本、あとオーディオやパソコン関係あれこれ。



でほぼ10時間ほどかけてスタンドの段追加と、あれこれごっちゃの整理。
パソコン机の奥にあった古い本棚を外にだして机を部屋の壁までひっこめた。

パソコン机上にあったコンポやMIDI音源もキーボードスタンドの下に移動。パソコン机が随分広くなった。
2段増えたスタンドは、ひとつが譜面置き用、もうひとつがシンセ置きの予備。
最上段左がウインドシンセで、右がDX100てミニ鍵盤の骨董品。
配線回り、電源回りもきちんとして、部屋隅はきちんと掃除機かけてすっきり。
ただこの配置って鍵盤ひきながら譜面がかけないのよね。
それはどうすればいいのか考えている。


11月24日
フレディの命日
ああまた朝起きれなくておきれなくて、眠くてねむくて携帯のアラームがスヌーズ機能で2回なったのだがそれを目覚ましの音と認識できないくらい眠っていて妻に起こされてやっと覚醒した。会社に行くバスのなかでいつも「ありがとう浜村淳です」を聞いているのだが最近はたいてい寝てしまっていて、せっかくの浜村さんのトークを聞いていない・せっかくのラジオ(の電池)がもったいない。昼休みも椅子を二つならべて眠って30分くらいのつもりが、昼休みが終わってもまだ寝ててだれも何もいわないが、もしかしたらいびきをかいていたかもしれない。

昨日図書館で借りた「フレディー・マーキュリーと私」ジム・ハットン著 が、けっこう面白くて一気に読んだので遅くまで起きてたのだ。
今現在、QUEENが来日しているので本屋には特集本が並んでいて、それはMusicLife増刊号みたいな感じのもんなのだが、写真も多くてがっちりした装丁なのでどれも高い。雑誌に2000円はちょっと買う気がしない。
ったら図書館の音楽の棚でみつけたのが前述の本なのだが、フレディの「ハズバンド」が、その出会いから死別までの日々を淡々とした文章で綴っている。
本当に淡々と事実を並べているのだが妙に引き込まれるものがあってそれなりに厚い本なんだけど一気に読まされてしまった。

20世紀を代表するロックスターの愛人の本なら、もっとセンセーショナルなりスキャンダルなり暴露本なりになりそうなのだがそうなってない・まさに「愛の日々」の作品になっているのはなぜだろう。
著者は元々美容師なんだが、出会った1983年にはフレディを知らなかったらしい。
イギリス人で同世代で1970年代のQUEENの活躍を知らなかったってそういうの信じられん気もするが。
いっしょに暮らし始めて、フレディとともにコンサートやパーティで有名人とも会っているのだが特にそれを喜んでいる様子がない。
この人ほんとうに有名人とか芸能人とかに興味がないのかもね。

今、命日を調べたら1991/11/24だそうで今日なのだ。
日本好きは有名だが、それは始めに日本で火がついたからかと思ったら、本当に好きらしくて買い物だけのために来日したり、屋敷に池を掘って鯉を飼ったりしている。
なぜかQUEENはアメリカでは今ひとつだったらしくて、それは本によるとフレディがあからさまにゲイだからだったと書いてあるが、それって逆じゃないか?と思うんだが、性的に保守的なイギリスや日本でブレイクして、何でアメリカでダメなんだろう。

それはともかく今日は会社で一日QUEENの曲を聞きながら仕事をしていました。


12月24日
22日金曜日に帰宅してから24日未明まで録画番組消化
とにかくDVDレコのHDDにたまっている番組をどうにかしないといかん。年末年始は特別番組が多いのでHDDを空けておく必要がある。
ノートパソをコタツの上にのせてあれこれしながらテレビに向かう。

1.音楽番組の編集と保存
デッキでチャプター入れとPCから曲名入力後、DVDに保存作業
・・KISS/カシオペア/モントレーJAZZフェス2004/東京JAZZ2005/坂本龍一2005

KISSはオリジナルメンバーでメークありの2000年頃のライブ。厨房当時、デトロイト・ロックシティとラブ・ガン以外は邦題で聞いていたので今ひとつ曲と曲名がぴんとこない。当時はたいてい「地獄の●●」という邦題がついてたのよね。
モントレーではDeepPurpleのハイウエィ・スターとスモーク・オン・ザ・ウオーターあり。もちろん現在のパープルでギラン・ペイス・グローバーと「その他」(笑
マーカスミラーも一曲。ただしF.O.に立腹。

2.海外ドラマ
ERの第三/第九/第十シーズンを並行して見ている。レギュラーがよく入れ替わるのでときどき混乱する。
ERと同じ製作による「サード・ウオッチ」の第二シーズンがかなり面白い。

あと24(TwentyFour)の第2シーズンが10話分たまっている。続けてみないとストーリーがわからなくなるので、しばらく見ずにためてた。これを何話か見る。
1シーズンで1ストーリーなので一番よいのは24時間かけて一度に見てしまうことだと思う。

3.映画
スパイダー(モーガン・フリーマン)、サウンド・オブ・サイレンス(マイケル・ダグラス)、はなれ瞽女おりん(岩下志麻)
など地上波の映画枠で最近放送されたもの。

サウンド・オブ・・はみたことあることにすぐ気がついたが、ストーリーが思い出せず結局全部見た。
はなれ瞽女(ごぜ)おりんは水上勉の原作をかなり忠実に映像化してある。貧しかった頃の日本の風俗描写が興味深い。

以上、途中短い睡眠と食事をはさみつつ無理やり見ました。
まだ映画が3本と「24」が8話分くらい残ってる。
また、音楽番組は23日に放送された松任谷由美(NHKBS)と小田和正(TBS)のライブが追加されました。

どうにかHDDの半分くらいは開けられたかな。

こういうのってなんか人生の貴重な時間を無駄にしているような気がするが、もうひたすら義務感で見てます。


12月25日
今年の冬は怖い
強い冬型の天気の合間をぬって日帰りでスキーに行ってきました。
午前4時半起床、5時過ぎに家を出る。
県西部の山間部にむかって国道を1時間、さらに山道をわけいって1時間半のところにスキー場があります。
昨シーズン信州志賀高原に行くために購入したスタッドレスを1週間前からはいているのですが、金属チェーンも持参。
車はFFです。

バブルの時代にスキーを初めて上越やら信州やら車でいってましたが、暖冬も続いてたしそんな大変な経験はなかった。
これが、四国はかなりの標高差を狭く長い山道でかせぐので他所より怖い思いをします。
基本的に人がすんでいるところはそんなに雪が降らないわけで、自然とスキー場は人里はなれた山の上になります。
普段は交通もないから道路が狭くて急。

スキー場手前30キロあたりで念のためチェーン装着。
ちょうどお地蔵さんがあったので、小銭を置いて無事に山頂まで上がれますように・・
結論からいうと、というか大抵そうなんですが、登りはある程度いきおいでいけます。
先シーズンの正月に同じ場所をチェーンなしで登りきりました。
でもなんか今日の道路は違うよう。はて以前はこんなに雪があったものかしら。

予想外にはやく7時半には到着して1番乗りでしたw
これなら出発がもう一時間遅くてもよかったな。
リフトが動く9時まで寝て待つ。

天気は最高、風もなく雪はパウダー。四国とは思えない。
ただいかんせんリフト一本だけの小さいスキー場なので半日いると飽きてしまう。
息子とリフト券2枚分、お昼までに12本滑っておしまい。
初滑りとしては満足です。

で、お弁当食べてから下山したんですが、帰りが結構怖かったんですよ。
スキー場から人家があるところまでのくだりはそれなりに慎重に運転して特に問題はなかった。
アスファルトが見え出したあたりでチェーンをはずす。
そこから国道まで40キロくらいでしょうか。
雪がなくても部分的に凍結が残っていて少なくとも5回くらい滑りました。
一瞬コントロールを失ってもすぐ戻るんだけど、一度はガードレール接触を覚悟しました。
ほとんど時速30キロくらいなんだけどね。
スタッドレスは凍結に弱いってのは本当ですね。
ちょっと今までにない経験でした。

四国に来て10年くらいになるんだけど、今日はちょっと怖かったんです。
冬をなめちゃあかんぜよと思いました。

なんか乾燥が強くて、喉痛めたみたいでちとしんどいです。


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日々雑談:2005年07月〜12月