日々雑談:2003年04月〜06月
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4月1日
というわけで3月の残業時間が130時間ほどとなった。
通常「みなし残業」40時間なので5、60時間だったら残業付けないんだけど、3月はさすがにナトークでけんと思って、上司に相談。
上司(課長)はそのまた上司に相談。
随分時間がかかって、結局+20時間の超過(つまり60時間残業)と、妻が寝こんで休んだ2.5日の有休をキャンセル(有休をとらなかったことになる)。という条件となった。
+20つっても時給が安いので大した額にはならないのが悲しい。
有休を返してもらっても元々余りまくりだし。
これで今期の評価が悪かったら、とりあえず労働基準局に出向くか、弁護士に相談するか、協賛党に相談(?)して裁判でも起こすか。
ひと騒ぎぎ起こして会社辞めよう。
上場企業が平気で違法行為をしているわけで、さすがに怒るときは怒るよ。
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カットオーバー前日。朝8時前から出勤して準備。
10時にメンテナンスのHTMLに差換えてもらって、システムの入れ替え作業を行う。
実はここにいたって、数個明かなバグが発覚。
ちょっと心配だが、とりあえず正常系はいけてるので明日10時カットオーバーは心配なかろう。
今回のプロジェクトは全然SEでなくて、たんなるコーディングマシンだったおりは、かなり不満が蓄積している。
奴隷じゃねーつーに。
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あ、今日は4月1日かあ。社歴が満7年。8年目に入ったわけだ。


4月3日
というわけで4月3日の23時を回ったところですが、昨日稼働したシステムの負荷状況を監視しています。
昨日は夕方からトラブって大騒ぎでした。
いろんな条件が重なって、かなりレスポンスが悪くなってヒンシュクもんでした。
確かにアクセスは多かったけれど処理できない数ではなかったはず。
今更ながらベンチマークやっとくんだったと後悔。
午前1過ぎに会社を出て2時に寝て6時に起きて出社してきたので眠いねむい。
今日は一日中監視してましたが、アクセスがかなり少なくて問題なしです。
というわけで帰ってねます。
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一昨日帰宅するとリビングのテーブルの上に妙な形をした音響機器が。
サンヨーのラジカセ(死語か?)で、CDは聞けるがMDは使えない。
これが6000円だと。
さすがに安くて音が悪い。
CDを聞く機械がなくて、いやあるのだけど、AIWAのミニコンポ(CD8連装)はCDの部分が壊れたままだし、PS
もコントローラが(多分)断線していて使えない。
パソコンはは2台あるが気軽にCDを聞くのには面倒だ。音源ボードが安物だし。
結局自動車でしかCDを聞けないことに我慢ならなくなった妻が買ってきたのがそのサンヨーらしい。
CDなのにランダム再生ができないのは値段のせいだろう。
今時珍しいよな。
まあ壊れなきゃいいんだけどね。
俺は昔から所有する音響機器がすぐ壊れる運命にあるのよね。
カセット・CDひどいね。ビデオデッキも寿命が短い。
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というわけで4月4日の午前2時前ですが、上の文章を書いて会社から入力しようとしても、CGIのURLがどうしてもわからなくてしょうがなくメールで自宅に送って入力しとるわけですわ。
しかしこのURLは試したぞ?プロクシ通すとCGI使えないのかな。
そんなわきゃないわな。そしたら掲示板とか書きこめないもんな。
というわけで今から寝ます。


4月5日
あれこれあった土曜日
朝起きたら9時半。いかん10時から整体の予約いれてるのに。
最近全然目覚ましで起きられなくなった。
予約より20分送れて、整体院に到着。
さすがにここ2ヶ月の疲労が蓄積しまくっているようで、全身がかなり緊張しきっているらしい。
終わって帰るときに珍しく、「来週も来てください」と予約を入れされた。
一回の治療では普通の状態に戻せないらしい。

昼頃帰宅して、午後は自室の音響関係の整備に打ちこむことにする。
昨晩娘が、コンピュータミュージックに興味をしめした。
多分、学校で少しはやっているんだろう。
一応鍵盤でデータを入力できる環境は必要だ。
以前、人の披露宴で演奏するために環境をバラしたのと、その後のバンド活動のためにたんなんる楽器置き場になっていた。
シールドとMIDIケーブルと電源と(これが一番大変)あれこれ接続。
どう丁寧にやってもケーブル・電源のスパゲティー状態になる。
キーボードから直接MIDIデータをパソコンに入力させるか、アカイのMIDI音源経由で入れるか迷った。
パソコンのMIDII/OがまだUSBになってないので、結局音源(AKAI)経由にした。
今更古いSBのボードで入出力することは設定変更とかで結構めんどい。
しばらくこういうことをしてなかったので、マニュアル出してきて調べたりした。
ついでにCDの使えないミニコンポがP.A.代わりなのだが、これが擬似4チャンネルでけるモデルなので、背後のスピーカーにPC用のアンプ付きスピーカーを使う。
よっつのSPに囲まれている気分、これ結構気持ちいいですよ。

それはいいのだが、その自分の作業に入る前に一大事があった。
息子が頭にケガをした。
俺は2Fの自室にいたのだけど、ただならぬ雰囲気で下から妻が呼ぶ。
あわてて下りたら息子6歳の後頭部が5cmほどぱっくり割れて、血がどばどば出ている。
こりゃあわてる。柱の角にぶつかったらしい。意識ははっきりある。
妻にめぼしい外科病院に連絡させて、俺は息子の血を拭いていたが5分くらいで収まった。
本人も痛くはないといっているし、まあたいしたことはなかろうと思ったが、場所が場所だけに心配だ。
脳神経外科のある救急病院が市中心部にあって、そこに向う車中から携帯で連絡する。
眉山のロープウエイ乗り場のすぐ横にある病院で、治療はすぐ終わった。
「レントゲンを取るまでもない」軽傷だそうで、ただ傷口が開いているので5針縫った。
正確にいうと縫うというよりは、5芯で傷口を抑えたそうで、ホッチキスみたいな機械でパッチンパッチン傷口を閉じたらしい。
(この治療は見せてくれなかった)
わりとお医者も看護婦も詳しく説明してくれて安心できた。
血が出るとあわてるが、最初に意識なくしてたら絶対救急車呼んでただろうな。


4月6日
もう疲れがどっと出ているので寝ます。
でも久しぶりにうどん道を更新したので、見てください。
http://www.tcn.ne.jp/~cozy/udon/udon34.htm
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本日天気がよいのでお花見に行きたかったのだが、昨日の息子のケガでどこも出ず。
唯一の外出は自転車のタイヤのパンク修理にすぐ近くの自転車屋に行ったことだな。


4月7日
月曜日、昼前から妙に首筋から背中がひどく熱くなる。
ハンカチをぬらして冷やしていたが、そのうち体中に疲労感が充満しだした。
昼飯も食欲が出ず食えない。
そうなると集注力が極度に欠落してきて、仕事にならない。
しょうがいないので、午後は単純なルーチンワークだけして、4時に退社。
帰って寝る。

ちょっと怖くなってきた。
過労が原因であることは明確だが、このまま俺がどうかなったとき会社は責任を取らないだろう。
というわけで、2月3月の勤務表(これには実際の労働時間が書いてある)を印刷して持ちかえった。
もし俺になんかあった場合は、これを持って弁護士に相談するように妻に言った。
ここを呼んでいるおりの連れの人々は、その場合はすまんが協力してほしい。


4月13日
息子バス通学初日
息子が小学校に入学した。
7年前、徳島に来た年にできた子供だから、当然といえば当然だがようやく子供ふたりが小学生になってちょっと一息だな。

4月10日(木)が入学式だったのだが、日の丸・君が代嫌いもあって私は出席せず。
息子は市内中心部の国立大附属小学校に進学したので、いきなりバス通学なのだ。
6歳児がちゃんと行って帰ってこれるのかかなり心配なのだが、しょうがない。

4月10日は偶然東京から友達が出張に来ていて、いきなり飲みにでた。
それで車は会社に置いて帰った。
そうすると次の日はバスで出社しないといけない。
くしくも息子のバス通学一日目だ。
俺はこそーり一つ前のバス停から乗って後ろから様子を見ていた。
適当なところで声をかけて隣に座らせるつもりだったが、意外に混んでいる。
おれの横の席もおじさんが座ってしまった。

自宅近くのバス停で、息子が乗ってくる。
自宅向いの盆栽さん(趣味名)の息子さんがうちの息子の1歳上なので、いっしょだ。
この路線は同じ学校の子供がかなりいる(俺が数えた範囲では10人)ので心強い。
盆栽さんJRが私の息子のことを同じ学校の子供に紹介している。
うちの子供は緊張しきった顔でずっと黙っている。
息子は俺には全然きがつかない。
というわけで俺はバスを降りるまでずっと息子を観察していた。
しかし7年前に切迫流産で流れかけた息子が、無事出産してここまで成長しているのを見るのは感慨深いものがある。

徳島駅で俺は降りたが、息子はもうすこし先まで乗る。
降りがけに頭をつついて声をかけたら、ちょっとびっくりした後、緊張顔が一気にほころぶ。
まあバス通学も自立心を持たせるのにいいだろう。
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2月3月と家庭を顧みる余裕もなく働いたが、こういうのははっきりダメだと言いきりたい。
4月カットオーバー後、おれが家にいると子供がたちがくっついて離れない。
なんのために生きているのか反省したいとこだね。


4月16日
休養一日目
最近、どうも疲労感や緊張感が抜けないので、かかりつけのお医者の進めもあって、しばらく会社を休むことにしました。
つってもたかだた連続して4日有休取るだけですが。
(その程度でも結構ガタガタ言われたのでちょっとむかついているがこれは後述)

で、今日(4/16水)はその一日目だった。
平日休んでやってみたかったことに、讃岐うどんの名店谷川に行くというのがある。
もともと土日に行くとたいて20、30分待ちだったのが、最近のブームで1時間以上待たされるというすごい状態になっている。
多分この時期の平日ならさすがにお客はいないだろうと思う。

それと、来月から会社で週一度の英会話教室に参加しようと思っていて、そのためのリハビリに2年くらい前やっていたNHKラジオの英会話のテープを探した。
どういうことかというと、谷川は比較的徳島に近いといっても下道で片道2時間くらいはかかるので、その時間を英語の勉強にあてようと考えたわけです。
ところが探してもテキストはあるが、テープがない。
というか日々のダイアログだけ集めたテープを作った覚えがない。
おー?と思い、パソコンの中を捜してみると、WAVEとMP3の形式で録音したファイルがあった。
つまりハードディスク上にしか残っていないわけだ。
しょうがないので、パソコンから再びテープに戻す作業をしていたら、結構時間がかかり結局うどんは行けなかった。
谷川は営業時間が11時〜13時と短いのです。

では午後から映画でもと思ったが、昼飯を食べているとまたひどく全身に疲労感がよみがえって動くのが面倒になり、そのまま昼寝をしていたら映画の時間も逃してしまう。
しかし午睡でちょっと元気になったので自転車を取り出して久しぶりに園瀬川ロードに出かける。
自宅すぐ近くの川沿いに往復40分ほど走るだけなんだけどね。
天気もよくて快適な汗をかいた。かなりしんどくなった。

夜はいつものように水割りをのみながらチャットをしてから、早めに就寝。


4月17日
休養二日目
今日は予定通りに谷川でうどん食ってきて、映画も見ました。
かなり疲れたけどいい疲れ具合だった。
ちょっとした話もあるのだけれども、明日早いのでそのうち書きます。
http://www.tcn.ne.jp/~cozy/udon/udon35.htm
うどん道に今日の谷川の話しを追加しました。


4月21日
時間と場所について
別に物理の話しをするわけではないですが(できない)、ちょっと感じたことです。
4/17(木)、私は讃岐うどんの名店「谷川」を目指して、徳島県の県道を西に向っていた。
市内鮎喰川を過ぎたところで、片側2車線の道路が途中から1車線になる。
私は左車線にいて、右側に入りこまないといけない。
そんなに混んでなくて、別に問題はなかったのだが、右車線のすぐ後ろは福祉団体関係らしいでかい1BOXだった。
車椅子ごと人が乗っていることも追いぬいたときに車内を見てわかった。
そういう車にブレーキを踏ます/アクセルを緩めさせるのは、なんとなく気が引ける。
それなりの対策はしてあるだろうが、前後のGは乗客に不愉快だろう。
そう思って、その1BOXは先に行かせてその後ろに入った。
ここで私は往路の数秒をロスした。

それから20分ほど経った。その1BOXの姿は既になかった。
市内をちょっと出たあたりの信号待ちで私の車は3台目だった。
前の2台は業務用のワゴン。
そこで事故が発生した。
信号が赤のままなのに、いきなり2台目の車が動いて、先頭車両にぶつかった。
これには驚いた。
1台目から人が出てくる様子がない。
信号が青になっても、全然動かない。
これはヤバイかな?と思い、私は外にでて1台目をのぞいた。
加害者の2台目からも女性ドライバーが出てきた。
多分、いきなり追突されて軽いショック状態にあったと思われるが、運転手は大丈夫なようなので、私は車に戻った。
次の青信号で2台は路側帯に移動し、後続車は県道を進むことができた。

もし私が鮎喰川を渡る時に、前出の1BOXの前に割り込んでいたら多分追突されるのは私の軽自動車だったろう。
善行すればいいことがあるとかいう説教論ではないけれど、何かが私の割りこみを抑えさせる力があったのだと思う。
つまりは時間と場所を司るなにものかの裁量によって私は事故を受けることがなかった。
偶然といえばそうだろうし、神の判断といえばそうだろうし、(いるのなら)背後霊が私を守ったのかもしれない。
ちょっと不思議な体験だったなと思うところです。


4月22日
小旅行とSE
ネット友達といわゆるオフ会で岐阜県の下呂温泉にいってきました。
まあこのあたりなら、関西からも関東からも来れるかなと。
岐阜といえば高山温泉が有名ですが(行ったことない)、下呂温泉も初めてです。
私がその「下呂」の響きに魅せられて(笑)かれこれ30年近く行きたいと思っていたのです。
言って見ると予想外にでかい温泉街。
しかしケバケバしさがなくて落ちついた雰囲気でした。
(多分、このあたりが高山との違いだろうなあ)
桜が満開で駅前の桜並木をマターリと歩く。いい風景だ。
駅前には源泉の自販機があった。観光客がポリタンクに入れて持って帰るのかな。
かなり印象がよかったので、そのうち家族連れてもう一回いってみよう。

一泊して次の日はネット友達の滋賀県の家に泊めてもらう。
ほんとはせっかく岐阜まで行ったので、名古屋のみちやんとこにお世話になりたかったのだが。
あるいは大垣のイトコ(かなりの美人・38歳独身)と会ったりね。

そのネット友達の親友がフリーのSEを大阪でしているということで、来てもらってあれこれ話を聞いた。
俺みたいに会社内にこもって仕事しているとわからないことがたくさんある。
最近ではAS-400(IBMのオフコン)をそのままにして、WEBでアクセスできるようにする要望が多いらしい。
フリーSE氏はあちこちコネクションを持っていて仕事には困らない。
まさにこの不景気どこ吹く風といった感じだった。仕事の依頼が多すぎて断っているんだと。
大阪で会社組織にもという話しもあって、良ければそのスタッフにとうい話になった。
まあこっからは俺の技量と踏ん切りだな。
今の会社は今期大赤字を計上、この先これといって好材料はなし。
倒産していきなり路頭に迷うよりは、早めに手を打っておくのも賢明かも。
しかしおれに独立の根性があるのかと聞かれれば疑問もあり。
極めて悩ましい問題だ。


4月24日
歯医者
「歯周病がかなり進んでいて危ない状態です」いきなり徳島屈指の歯科医(ホントに有名)に言われて驚いた。
普段から怖い顔をした先生だが、もっと怖い。
以前から左上奥、銀歯をかぶせたあたりが時々痛んで、歯医者で治療してもらってきたが、ここまで言われたことはなかった。
前回までは同じ歯科医院でも別のお医者が担当で、その人はそんなに深刻な状態だとは言わなかった。
もしかしたらここ半年くらいで病状が進んだのかもしれない。
「歯肉炎」ではなくて、「歯周炎」の段階で、歯茎がはれるということは菌が増殖して骨がとけることらしい。
それが進むと、そのうち歯が抜けてしまう訳だ。
とりあえず3週間で口内の歯石を取り除き、その後も3ヶ月ごとくらいに治療を受ける必要があると。
ここまで悪くなっているのはなんとかいうムツカシイ名前の細菌(絶対に覚えられない名前)が原因の可能性が強く、その場合は完治は不可能らしい。
どうにか歯周炎が進まない様に正しいブラッシングを教えてもらって定期的に歯医者に行くしかないらしい。
最悪の場合外科手術が必要らしいが、それでも完治はムツカシイと言われた。
私の口内は不治の病に犯されてしまったわけだ。

ガキの頃から虫歯が多くて歯医者嫌いだった。
確かに昔はなかなか麻酔をしてくれなかったし、院内は暗くて怖くて痛い場所だった。
社会人になって一念発起して会社近くの歯科医院に出向いた。
その時既に詰め物が取れてたり、前歯が半分折れててたり、鏡でみてもあちこちに虫歯があった。
多分3・4ヶ月は通ったと思う。
幸い、適当にルーズな職場だったしプログラマという割りと自由な職種でもあって、勤務時間中に毎週歯医者に通っていた。
ついでに親知らずも3本抜いたが、これはあまりにつらくて4本目は勘弁してもらい、最後の一本は未だに横向きに生えている。
多分治療していない生え抜きの歯(妙な表現だな)はこの時に一本もなくなったと思う。

と、まあその時点では一応まともな状態になったのだけど、30過ぎてからくだんの歯茎が痛むようになった。
浜松時代に一回と、徳島に来た7年くらい前に一回、問題の銀歯をはずして元の歯に詰めているクスリを入れ替えてもらった。
これも相当期間がかかった。
その時点では神経を抜いた元の歯の問題だったと思われるが、今回は銀歯回りの歯茎が病気なのだ。
いわゆるなによりよくわからんがブラークコントロールの世界なのだ。

今現在、虫歯は一本もない。「80歳で20本の歯(28本のうち)を残そう」とかいう政府のスローガンも簡単かんたんと思っていたが、大きな間違いで実は50歳くらいから急速に抜け始め、70代では15・6本の歯が失われるのが普通らしい。
私も歳を取った訳だ。
毎食後歯磨きをして虫歯がなくてもこうなるのだ。
今こうしていても左上奥の歯茎が痛い。それに伴って肩が凝ってしょうがない。
どうなるんでしょう。怖いですね。


4月29日
デジカメ
最近のうどんの写真はたいていデジカメで撮ったもんです。
2年くらい前に買った、LV-10てカシオの製品ですが、安いだけで(9000円くらい)メモ代わりにと買いました。
これが30万画素というオモチャレベルなので、色具合は悪いし、フラッシュ使うと電池がすぐなくなるわで、かなり使い勝手が悪い。
まあ、2年前の技術ではしょうがないと思うのだが、現実として、晴天・野外のみの使用に限られてしまう。

で、最近は300万画素あたりが普通らしいのだけど、友人が200万画素の旧モデルがいらななくなって買わないかという。
デジカメ事情に疎いのでいろいろ調べたが、このモデルはなかなかいい。
http://www.olympus.co.jp/LineUp/Digicamera/C2020z/
これなんだけど、友人が購入した3年前当時は、かなりの高級機で、フォーカスとか露出をマニュアルでコントロールできるのも、往年のカメラ小僧としてはうれしい。
友人は購入当時10万円以上したらしいが、なんと8千円で売ってくれるという。
技術の進歩がそれだけ早いってのもあるんだろうけど、かなりお徳な値段に思える。
というわけで、これを売ってもらってデジカメに凝ってみたい。
ただ、USB接続でけんので、USB〜カードリーダーを別に購入する必要があるけど。
ということで、今後あれこれ撮ってみたいと思います。
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プロジェクト
明日(4/30)に、今回(2・3月)にやっったプロジェクトの反省会がある。
事前資料を見ると、おれ(ならびにおれの部署)がかなりパッシングされている。
睡眠時間削ってなんとか予定通りに稼動させたのにそれはないだろう。
俺はこの際、言いたい事を全部いって、会議を荒らしてやるつもり。
傲慢なやつどもを個人攻撃してやる。
もしかしたら、そのまま会社辞めちゃうかも。
フリーになれば、嫌な仕事しなくていいし・・・。
120億程度の売上で40億の赤字をだす会社だ。そろそろやばいよ。
やばいなら、いまのうちに逃げ出すことも考えないとな。
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そういえば、昨日(4/28)はおりの誕生日でした。
もう41歳にもなると誕生日もうれしくはないが、俺が若い頃の41歳サラリーマンてもっとしっかりしてたと思う。
未だに20代のネット友達と遊んだり、子供に下品なギャグを仕込んだりしているおれはバカかな。
親が一番見せたくないアニメって「くれよんしんちゃん」らしいけど、確かにあのシニカルさは面白いもんなあ。
劇場版もよくできてるし。
てことは、歳だけとって、精神年齢がいつまでたってもガキなのかしらん。
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暑かったので、日曜日(4/27)に続いて自宅近くの川に自転車で遊びに行く。
かなり水位が低いので、子供といっしょに川に入ってあれこれ遊ぶ。
やっぱりガキは外でいろいろ経験せんとな。
鴨が結構多いので、エサやったりする。仕事を忘れてマターリ。
こういう時間は大切ですね。


5月7日
5月の連休
子供二人が義理の妹の家にいったまま帰ってこないので、次の日はめずらしく夫婦二人で遅くまで寝ていた。
私は普通通りに7時くらいに起きたのだが、いつも5時起きの妻は爆睡したままだ。

9時頃遅い朝飯を食ってから、マターリしていると、もしかして子供がいなければこういう静かな生活なのかと思ってしまう。
義母は、子供がいなければいちいち夫婦だけで実家に帰らないだろうという。
確かに二人だけならどっかに旅行にでもいってるだろう。

ほとんど年子状態の歳の差で、うちの子供と義妹の子供が2人づつ計4人いる。
昨晩は4人が4台のゲームボーイアドバンスで遊んでいて、煩いことこの上なかった。
北海道から米子に転勤した自衛官の友達に電話したが、ガキどもが煩いので半分も聴き取れない。
電話途中で子供4人が義妹の家に移動したのでいきなり静かになった。
やっと普通の話しができて、自衛官の友達は今年中に二人目の子供ができるそうで、おめでたい。
この友達には浜松の英会話教室で初めて会った時に、妙に近い「何か」を感じた。
聞いてみると妻と同じ西大寺の出身で、中学校まで同じ校区だった。
つまり実家が近い。
更に私と同い年で、かれこれ10年来の友人となる。
きっと老後の茶飲み友達になると思われ(笑

・・とかいうことをぼんやり考えながら、白装束の行方を新聞で読んでいると、子供たちが戻ってきた。
義妹の子供もやってきてがやがやしだしたので、現実の世界に戻されて、荷造りを始める。
その日は夕方から広島で飲みにでるのだ。
10時過ぎの列車に乗るため西大寺駅まで車で送ってもらう。
この西大寺は裸祭りの西大寺だけれども、駅は内田百閧フ随筆に出てくる西大寺駅とは異なると思われる。
百閨i閧ヘ機種依存文字と思われるがMS-IMEでは出ますね)は、祖母に連れられて西大寺駅に向う風景をスケッチしているが、その駅は山陽鉄道時代か、国鉄であったとしても山陽本線の駅だろう。
とにかく百閧フ幼少時代に現在の赤穂線にあたるものはなかったはずで、現在の東岡山駅かその前後のだと思う。

岡山から小郡行きの普通電車に乗り、広島まで3時間弱かかる。
西条・広島間は快速なのでいくつかの駅を飛ばすのだけれども、相変わらず岡山と広島は遠い。
広島県に入ってからの時間がかなりの割合を占めるのでそう思うのかもしれない。
これは自動車に乗っていても同じで、山陽自動車道を真西に向い夕刻の強い西日を受けながら、広島県を横断するのは結構しんどい。
大学卒業後15年余りを広島県外ですごしていると、心理的・地理的な遠さが擦りこまれてくる。
しかし、また、この岡山広島の3時間は妙に本が読める時間でもある。
それは学生時代に宮本武蔵の出身地を見に行った折、初めて岡山から電車で広島まで帰ってから変わることがない。
その時に何を呼んだか覚えてないが、妙に集中していて気がついたら広島に着いていた。
今回も小松重雄という人の時代劇モノをずっと読んでいたら、福山も尾道も西条も気がつかないうちに過ぎている。
という訳で50分で着く広島まで移動するのに新幹線など使わない。
本を読んでいると九州まで行ってしまいそうだ。

広島に着いてすぐ翌日の帰りのバスを予約する。
最近できた広島・徳島直行の高速バスで、広島交通(前財閥!)と徳島バスが運営している。
事前にネットで予約状況を見た時は既に一杯だったのだけれども、広島駅から電話で聞いてみると2号車が出るそうですぐに席が取れた。
これが徳島までわずか4時間とは。税金を無駄遣いしてガラガラの高速道路を作っている公団に感謝せねば。


5月10日
うーん。調子悪い。
連休明けから(実は連休中から)毎日微熱続きで一日しんどい。
というわけで、木・金・土と3日寝こみましたが、治りません。
寝てると熱が下がるのだけど、起きてなにかしてるとだんだん上がってくる。
無気力でPCさわること以上のことをやる気がしない。外に出れない。
病院行っても軽い風邪でしょうてことで、それならいいんだけど。
なんか内蔵でも悪いのかな。
週末までの仕事があったんで、しょうがなく明日の日曜日はちょとだけ出て仕事してきまつ。
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ひー、もう5月10日かよー。
加速度的に時間経つのが速くなっている気がする。


5月20日
中学高校の同級生T君の葬儀に行ってきました。
前日の夜中にE-MAILで訃報を受け、突然のことに驚きました。
今日(5/20)は担当の新WEBサービスの稼動日であったけれども、まあ大したことはなかろうと、午前中に動作確認してから会社を出て、徳島自動車道を西へ向かい斎場の松山まで2時間。

T君とは高校を卒業してから、特に付き合いがあったわけではありません。
中学高校6年間の音楽仲間としての思いでが多い。
思い起こすに中学1年生の時、私が初めて人前でバンドの演奏したとき、いっしょにギターを弾いていたのがT君だった。
その前、中学入学直後の研修で初めて話しをしました。
彼は既に小学校時代からギターの経験者で、じゃあフォークソングをいっしょにやろうという話しになった。
ついでに私は彼の引きで同じサッカー部にも入ってしまう(私数ヶ月で挫折)のですが。

10数年前、学年の同窓会で四国の大手小売系に就職が決まったことをうれしそうに話していた顔が浮かぶ。
卒業時のクラスが違ったこともあってその後顔を合すこともなかったし、彼がいつ結婚したのかしらなかった。
徳島に来てからは彼の就職先の支店を見るたびになんとなく思い出していました。

式で、夫の3年の癌との闘病生活を喪主である奥さんは比較的淡々と語った。
涙につまりながらも言葉が途切れることはなかった。
この日が来ることを覚悟していたのでしょう。気丈夫な人だと思った。
遺された2歳の一人娘は当然事態がわかるはずもなく、会場の外で親戚らしき女性に面倒を見てもらっていました。
それはあまりにもつらい光景でした。

40歳で癌で逝ってしまうなんてあまりに早過ぎる。
若いから進行が早かったのでしょうか。
家族を残して逝ってしまう彼の心境はどうだったのでしょう。

ちなみに私は午前中のシステムチェックに時間を取られ、葬儀の時刻に30分以上遅刻してしまいました。
既に読経が終わったところだった。
かなり慌てていたとみえ、革靴を忘れてしまう始末。
非常に気後れして最期の献花の列には入れませんでした。
実のところ彼の顔を見る勇気が持てなかった。
ここのところまた血が凍りつくような精神状態にあって、随分弱気になっている。
今考えれば、きちんと献花し直接話をしてあげるべきだった。
T君さようなら、遺された家族に幸福があることを。
黙祷。


5月26日
日記が全然更新されてません。特に楽しみにしているひとが何人いるかわかりませんが(藁
本人がここ数週間精神状態が悪くて、文章が書けません。
この血の凍る状態を抜け出せれば、またたくさん書けると思います。
でもわかんない人にはわからないと思うけど、ほんとに人は精神状態によっては血液が冷え切って凍った破片が体内を回っているような感覚があるんですよ。

とりあえず記録。
5/25:町内会の班の側溝掃除。まわりの班はやってなくてうちだけみたいだった。
新興団地なので挨拶するくらいで、日頃ほとんど付き合いがないが、この側溝掃除だけは妙に熱心。
作業でいちばんきついのが、側溝のフタ(四角いコンクリ)を外すこと。これが腰にくるんだよなあ。
昨年、3・4時間かけて、側溝の底が見えるまでキレイにしたので今年はたいしたドロの堆積もなく短時間で終了。
#####
カルト
とかいいながら書き始めると何か書きたくなる性分で。
別冊宝島の『「カルト」の正体』(1999年刊)を読むと、ものみの塔とか、ライフスペースとか、法の華とか(もちろんオームも)いろいろあっていかに家庭や個人の人生をめちゃくちゃにしているかよくわかる。
妻も俺も宗教嫌いで、ピンポーン「○○(個人名)と申しますが」「新聞の勧誘かNHKか宗教だったら帰ってください」というわけで、ドアも開けないくらい毛嫌いしてます。
宗教の勧誘なら、初めから「○○宗のお話に来ました」とか言えよなあ・・

実は私の母親は根が単純だったのか、宗教にはまるタイプでした。
「早起き会」にも連れていかれたことがあるし(すげー嫌だった)、特にものみの塔は信者を家に入れて話しを聞いていた記憶があります。
で、実際にサタンと神の闘いによる終末論とか俺も半分信じてた。
まだ俺は小学生だったから1960年代のことですが、カルトもそんなに先鋭化してなかったのか、私の母が信者になって財産を寄付するとか、勧誘に回るとかいった異常なことにはならなかったのは幸いです。
ただ私の宗教嫌いは天性のものがあるみたいで、子どもの頃近くでの普通のキリスト教会の日曜日のミサに一度連れていかれたけど、説教が嫌で、ニ度と行かないとおもった。イタリア旅行したときはバチカンの教皇はせっかくだからわざわざ見に行きましたが。
神社仏閣は建築物として好きだけど、神仏に祈ることもあまりしないし、お賽銭ももったいないもの。
宝島の本を読んでいると、日本でもアメリカでもいろんなカルトも同じパターンなんですよね。
1.終末論(ハルマゲドン)があって、信仰しないものは救われない
2.お布施をたくさんするほどご利益がある。全財産をささげればなおよし。
3.教祖様は絶対的な存在。どんなに理不尽なことを言っても信じるべし
でもね、みんなの心に神様はいるの。宗教とかじゃなくて理性とか正義とか道徳の規範として。これはずっとそう信じてる。

まあこの不安定な世情で、価値観を思いっきり押しつけてもらえば迷いもないし、楽かもね。
こんなことを言っている私が、このサイトで布教活動もしくは憂国活動を始めたら、みなさん逃げてくださいね。
・・・しかし会社が妙に宗教っぽい気もする(心配)。U専●教だな。


6月1日
この1週間気分が良かったり悪かったり。
時々黒い犬がやって来て私を苦しめる、といっていたのはチャーチルだったかな。
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K山くんから8千円で200満画素のデジカメを譲り受ける。
カメラ以外に、充電池8本(カメラは4本必要)とその充電器、予備のスマートメディアとそれを読み込むためのカードまで付けてくれた。
なんてていいやつだ。ありがとう。
200満画素てのは既に初心者モデルらしいが、買ったモデル
http://www.olympus.co.jp/LineUp/Digicamera/C2020z/
は3年前は10万以上したそうで、技術の進歩はすごい。
前に書いたけど、マニュアルモードで絞りやシャッター速度をコントロールできるのが気に入ったのです。
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1週間ほど前にソニーのビデオが壊れた。
8mmとVHSのダブルデッキで随分重宝して使ってきたのだが、VHSが録画・再生ともできなくなる。
これは確か、結婚当初に買った日立のビデオが壊れて、わざわざ大阪日本橋まで買いに行ったものだ。
いつだったか、どうも記憶が定かでないけど、徳島に移住した以後で、家を買う前だったから6年くらい使ったかな。

本音は修理して使い続けたいのだが、修理代考えると新しく買った方が絶対お徳なのよね。
どうもそういう風潮が嫌なのですが、妻がさっそくサンヨーの安いやつを買ってきた。
(壊れたデッキは8mm専用として残しておく)
ところが、これ(サンヨー)が初期不良で「再生できない」という恐しい状態で、すぐに同型の代わりを持ってきてもらう。
ところがこれも、録画中のランプが点かないという不良品で、メーカーの品質の低さにあきれる。
結局ソニーの別製品にした。

思うに、この不景気、ビデオデッキなぞどんどん安くなっている。
上記のサンヨーは1万3千円・ソニーは1万5千円。
20年ほど前、初めてHi-Fiビデオを買った時は、20万円を切ったところだった。
貯金を崩してマックロードを買った。
まだVHSとベータの勝敗が完全にはついてなかった。
ソニーか松下か随分悩んで、留守録の機能が充実していたのでマックロードにしたようなきがします。
知り合いの電気屋で定価の65%(!)で購入したのだが、今考えるにそれってメーカーからの卸値そのままじゃないかな。
あの時代と今は全然価格も機能も違っているけど、昨今の安売り合戦が過ぎてメーカーも品質管理のコストを落しているとしか思えない。
数年使って壊れたら修理せずに買い換えってのは、どうも我々の世代の感覚ではもったいない。
少々高くてもいいから高品質で10年くらい使えるものがいいです。
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そいえば、我が家で使っている、ハンディの8mmのビデオカメラはSONYのSC-7といって、ソニーでは初めて液晶モニターをつけたやつだ。
ビデオ入力は無いし、テレビチューナーも付かないけど、全然壊れないので未だに使っている。
娘(9歳)が生まれた時に、父親にせがんで買ってもらったものだ。
だから今回壊れた据え置きデッキより長く使っている訳だが、壊れないのはビデオデッキより使用頻度が低いからでしょうね。
本当はデジタルの小さいのが欲しいのだが、SC-7が壊れるまでは買いかえられないだろうなあ。


6月16日
2週間ぶりの日記です。
相変わらず気分に波があってしんどい。
金曜日は最高な気分で日曜日は憂鬱だ。
休みの日には運転はしない。
携帯はじゃまくさい。
仕事はそんなに忙しくないけれども楽しくもない。
便秘と下痢を繰り返す。
休みがないほうが気分は安定していていいかもしれない。
無性に腹が減って過食気味。かなり太りそう。
タバコは全く吸わなくなった。吸いたいと思わない。
ワインに妙に弱くなっている。すごく酔っ払う。
水割りにして飲む。スペイン人はそうやって飲む(人もいるらしい)。
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ビデオデッキが新しくなってから妻がVHSで映画をひんぱんに録画している。
知らないうちに「マトリックス」をテレビでやったようで、これも録画している。
「リローデッド」を劇場で見る前に、ビデオで借りて復習しておこうと思っていたので、これ幸い。
確か徳島の映画館で初めてみたのがこれだった。
何年前だろう?
記憶といささか異なる場面多し。
「現実の世界」に目覚めたとき、監視してる機械がカプセルからネオを引っ張り出すのだと思っていた。
チューブの中をを流されて下水に落ちるのだった。
あの「銃弾を立ったままそり返ってよける」場面はビルの屋上だったんだ。
部屋の中だと思っていた。
思いのほかモーフィアスはかわいらしい(藁)顔をしていた。
もっとごつい印象があった。
予言者のおばさんの家は、託児所でうるさい子どもであふれていたと思っていた。
どうもそれはブルースウイルスの12モンキーズと混同しているに違いない。
キアヌリーブズ若すぎ。

それから・・
ブラッド・ピットの「ファイト・クラブ」を見る。
現実と妄想がよくわからず終わる。
チャリーシーンの「アライバル」を見る。
B級だがこの手のSFは好き。X-FILEの方がよくできているが。
しかしチャリーシーンてあんなに太ってたか?
ケーブルテレビで20年以上前の刑事コロンボを観る。
金持ち大学生が教授を殺害する話しは3度くらい観たような気がする。
最初に観た時はまだおれは高校生だったのかな。
しかしコロンボは「警部」なのになんで一人で現場の捜査をしているのだろう?
CATVでやっているアメリカの刑事モノを観ていると、大抵主人公のボスは黒人で警部補だ。
警部は制服を着て奥の部屋にいる。エライのだ。
太陽に・・の石原裕次郎がいばっているけど係長なのといっしょだ。


6月17日
今日は7時前に起きて8時には出社。
9時半からのミーティングの資料作成。
午前中かなり眠い。
午後4時にいったん会社を出て病院に行く。
ついでに前日息子がバスに忘れた体操着のカバンを徳島駅の営業所まで取りに行く。
5時過ぎに仕事に戻り、7時過ぎて退社。
かなりはやい。
今日はテレビで「アメリカンビューティ」を見た。
別にこれを見たくて早く帰ったわけではなくて、偶然なのだけれども、これも劇場でみた作品だ。
2・3年前か?
僕が劇場で見る映画は数少ないけど、この作品はその年に見たものの中では一番よかった。

テレビ欄の解説では「さえない中年男が、女子高生に一目ぼれしてせまろうとするが・・・」、あーあ、やっぱりこういう扱いかい。
実はかなり奥の深い作品。
ビデオに録画した風に舞うビニール袋がこの映画を象徴している。
まさにビューティを追求している。
映画館ではしびれるほどの虚無感があったが、さすがにテレビで日本語吹き替えだとかなりイメージが違っていた。


6月18日
ご前2時前です。
まいったな、眠れない。
昼間はずっと眠かったが調子はよかった。
10時半に出社して、21時までいた。
二つミーティングがあってよくしゃべった。
二つ動作環境の問い合わせがあってどちらも調べたがよくわからなかった。
1つはWindowsCEのポケットIE・もう一つはMacのサファリだった。
部署の環境では問題なかったし、ユーザーの環境の詳細は不明だし、特にサファリはベータ版なのでそんなんサポート外である。・・ことがわかった。
僕はMacでのキー操作がよくわからないので、詳しい人に手伝ってもらったが、サファリは速いな。
MSがMAC版のIEのVerUpを止めるわけだ。
二つの新しいサービスについて説明を受けて、人のアサインと開発環境を考えた。

15年前、ソフト業界に入った頃はまだ汎用機やオフコンが主流で、通信プロトコルは各社がそれぞれ独自の世界を持っていた。
ただ、研究関連の部署だけはでかいディスプレイのEWSでUNIXが動いていて、その頃から研究者間のネットワークがあった。
もちろんテキストベースだったけど。
インターネットの祖先みたいなものか。

そんなことを時々思い起こすが、ネットの普及なんてここ6・7年だろう。
頼むからそこに全能のレスポンスと機能を求めないでほしい。
動かないものは動かないし、対策はあっても対応できないんだ。

ブレインズの床面を歩いているとよく揺れる。
最初地震かと思っていたが、どうもめまいのようでもある。
あまりに床がふわふわと定まらないので倒れそうになる。
そういう時は何かにつかまってしばらくじっとしておく。

動揺に不安定な精神状態をもとに戻すには仕事との折り合いを明確につけるべきだろうな。
そのためにはあきらめも、割りきりも必要だろう。

トイレで血が出た。便秘が続いたためと思われる(切れ痔ということ)。
しかし私の人生で便秘なんて言葉はずっとなかったのだ。
直腸にポリーブでもできたのかしらん。


6月19日
というわけで金曜日の午前1時半近くですが、やっぱり眠れません。
昨晩は(多分)4時くらいに寝ついたらしく、起きたら11時半だった。
いくらフレックスでもそれは遅すぎるだろう。(起こせよ>妻)
ということで休みにしました。
で、すっかり忘れていたのですが本日(6/19)は結構大事な仕事の日だったのです。
午後まったりネットとかしてると(台風の暴風雨の中)、5時過ぎに上司から電話。
「WEBが動かなくなってますよ」
しまった。
取りあえずそれから出勤して(酒飲んでなくてよかった)、データベースのチェックとかしました。
かなりきまり悪かったなあ。
アクセス集中が原因のトラブルで、結局は分散するまで監視して帰宅は0時過ぎになった。


6月29日
久しぶりにまともな週末を過ごす。
28日土曜日
前日なかなか寝つけず、午前3時から明るくなるまで馴染みのチャット。
朝6時に就寝して昼前に起き、午後はここ2年くらいの懸念だった部屋の片付けを行う。
主にはビデオテープと、本と楽譜とカセットテープとCDを限られた格納スペースにいかに整然と並べ直すか。
特に膨大に増えたスタートレックのVHSビデオはまとめて奥の本棚に。
文庫本も増える一方(捨てられない)で、分類別に並べたりしていると終わらない。
かなりの数を占め、色が目立つハヤカワのSFだけを別にする。
あとは適当。
改めて整理してみると、池波正太郎と泉麻人が異常に多いのに驚く。
カセットはもう殆ど聞かないのでこれも奥にしまい、CDのスペースを空ける。
とにかくモノが多いので今後の増加もふまえてなるべく空きを増やす。
・・とかやっていると一日が終わった。
29日日曜日
子どもを連れて海に。
先週、今シーズン初めてプールに行ったが寒くて2時間で帰ってきた。
29日は梅雨の合間のいい天気で海に行きたくなった。
鳴門の竜宮へ。
子どもに磯の生き物とか見せたかった。
鳴門海峡を望む海岸に、ちょっとした岩場があり干潮時にはいろいろいる。
(波のある日はサーファーが多い)
水着も用意していたので、結局海での初泳ぎともなった。
まだ海水を冷たく感じるが背中を下にして浮かんでいると嫌なことも気にならない。
思いっきり疲れて16時過ぎに帰宅、風呂に入って遅い昼寝。
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今年も半分終わったなあ。はやい。


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日々雑談:2003年01月〜03月