日々雑談:2002年08月
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8月1日
基町・バラック・トタン屋根
盲腸を切った13歳の前の年には、秋に重い気管支炎になって3ヶ月学校を休むのだけれども、直前の夏の今頃は、何度も書いた基町の学習塾で毎日10時間くらい勉強していた。
戦後そのままのバラック街に不法に建てられたトタン屋根の一つが塾だった。
まだ世の中にクーラーなんて珍しい時代で、自宅から塾までバスに乗って通っていたのだけれども、クーラー付きのバスは国鉄と、広島電鉄の快速便くらいしかなかったと思う。
広島にはたくさんバス会社があったのだが、クーラーの付いたバスに乗ると随分ラッキーに思えた。

もちろん塾にもそんなもんなくて、更には寺子屋式に床に座り込んで、自由自在や五千題に取り組んでいた。
暑いの暑くないの、とにかく小学6年生とか、いかにも汗かきそうな年齢で、ハンカチを膝のウラに挟んで我慢していた。
これを考えるとそれからちょうど8年後に働き始めた学習塾は机もイスも立派で、エアコンはもちろんあり、快適だったなあ。
でも先生の質が悪くて(ほとんど大学生だもの)1学年50人いても修道に2人くらい通ったらラッキーだった。

何度も言ったと思うけど、基町の塾の算数の先生は広島大学の院生で、小学生に一元一次方程式を教えていた。
なんでもXとYにしてしまえば、入試の算数など簡単なのだ。
おかげで鶴亀算も流水算も植木算も、理不尽な理屈を覚えることなく、方程式で解けることがわかった。
今は「解の公式」も思い出せないばか者だが、当時12歳の私にが知った「数学」の世界は心踊るものがあった。
その大石先生とは6年後に河合塾で再会して、また数学を教えてもらった。
が、不幸にも知的能力はすっかり衰えてしまって、いつまでたっても数学の偏差値は上がらなかった。

僕は灘にもラサールにも興味はなかったけど、威勢のいいやつは多かった。
同級生でも随分な人数が受験したと思う。
灘中には2人合格したが、1人は辞退して地元の国立附属に進み、一人は神戸に行った。


8月5日
あまりの暑さにずっとぼんやりしていて、今まで夏の夜とはかように蒸し暑かっただろうかと疑問に思うほど。
先週末何かしながら冷蔵庫にあった、アイスを5本一度に食べた。翌朝6時に激痛で目が覚める。
あれ?まずかったかな。
それから3度トイレに出入りして、また一眠りしたら、10時だった。
やっぱり腹が痛いし、眠いので面倒になって病欠にした。
情けないことに40男が、アイスの食いすぎで腹痛で会社休んだわけだ。
(一応、手帳見てMTGがないのは確認)
妻から冷たいものと刺激物とアルコールを禁止され、二日じっとしていると落ちついてきた。
大人しくMSNでチャットしたり、リクルートものに登録したり(最近凝っている)して、金土をすごした。

土曜日、ちょっとした外出時にキャロルの助手席PWがいきなり壊れる。
そもそも軽にPWなどいらないのだが、最初からついてきているのでしょうがない。
近くのカーコンビニに行ったら、なんたらいう部品が壊れているらしくて、取り寄せ待ちとなった。
6、7千円で済むらしくてほっとする。
先々週はプレマシーをバックさせてて思いっきりホテルの柱に当てて、「バンパー総取り替え」→4万5千円の痛い目に合ったばかりだ。
最近は版金もせんといきなり取りかえるようで、ディーラーは金がかかる。
というわけで、安くすまそうと行ったカーコンビニは親切にも開いたまましまらない助手席の窓にビニールを張ってくれて、これがまたすごく風きり音を出すのだが、とりあえず雨はしのげそうだ。

なんだかんだとあれこれ病気になるし、仕事は全然進まないし、車は壊れるし、ホンマに厄年を実感。
来年の本厄が怖い。
####
日曜日は高知県東洋町の甲浦で泳ぐ。徳島より約2時間。
水質は恐ろしくよい。
ビーチからちょっと離れた場所に岩礁があり。「ポイント」である。
水質・お魚とも大月なみにかなりよい。
浅い海底の岩にあれこれうごめいていて初心者に楽しい。
チャンスがあれば今シーズンもう一度来よう。


8月7日
ちょっとしたライブで3曲ほど演奏することになった。
ドゥービーを3曲。オレ全然知らないんだよね。
LongTrainRunningのイントロだけだった、知ってるの。
曲のコピーしてて、ああ、こういうのがアメリカオリジナルのロックなのかと思った。
考えるに、若い頃ドゥービーやイーグルス・シカゴとか全然聴かなかったもんね。
どっか僕自信の音楽性と異なるのだと思う。
ブルース・ファンク色が薄いとか、ハードさが足りないとか、西海岸すぎるとか(ワラ
良識ある白人音楽っての?どーも受け付けないものを自覚しました。
が、とりあえずライブはライブなので、練習せねば。
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拙宅、新築5年目にして、ついにゴキブリ出現。腹立つなあ。
キャロルのPWは7千円ほどで治った。すぐ部品とりよせて直してくれて親切だった。
猛暑でしんどいのだが、割りと寝つきがよくなっている。寝つきがよいと、次の日の精神状態が全然違う。
アイス5本で腹痛以来、アイスを食べられなくなった。一本でも腹こわしそう。


8月11日
割りと充実した週末だった。
Doobie
8/9(金)は早めに帰宅して、ドゥービーの3曲をコピー&練習。
メシと風呂も済ましてから、0時半頃ライブハウス入り。
木曜日の初練習がめちゃくちゃだったので、今回はみんな割と気合が入っていた。
練習の後、近くのギャラントムでライブを済ましたばかりののぶのぶさん(徳島JAZZ歴10年の女性VO)に、ジャズの「呼びこみ」について教えてもらいました。
普通、打ち合わせなし、譜面なしで演奏する場合、イントロがあって、どこからボーカルが入るとか、次はだれがソロをとるとか、ソロのキメを出して次に渡すとか、「次の展開」への呼びこみが大事だそうだが、別に目で合図するわけではないし、誰かが指示するわけでもない。
まあ呼吸の一体感とかだろうけど、なんかジャズができる人とできない人って基本的にDNAが違うのでは?と思うことがある。
まあオレには絶対できない世界だ。
週末なのでぐだぐだ雑談をしていて、店を出たのが朝の5時過ぎになる。
帰宅したら妻がとっくに起床していた。

で、その日の夕方が本番なので午前中ちょっと寝てから、ピアノの練習と、人から頼まれたCGIの解析を交互に夕方までやっていた。
早めに夕飯を食ってから、ライブハウスに行く予定だったのだが、食事後うっかり寝てしまい、起きたら20時。
この日のライブは20時始まりの5バンド出演で、各3曲づつ。
ドゥービーのバンドは4番目の出演だったので、ぎりぎりの時間だ。
あわてて用意して、プレマシーで出るも、国道を5分走って、ペダル類の器材忘れが発覚。
ターンして帰宅、探しても部屋になくて、キャロルに乗っていた。
結局現地入りが21時になってしまい、スケジュール通りならすぐに「出」なのだが、そこはいつも曖昧な世界で、ちょうど3番目のバンドの演奏が始まるところだった。
そのバンドの後、3曲だけ演奏して、その日はお終い。
なんせ全体練習が2回だけだったので、結構とちったが気楽に楽しく演奏できました。
なかなかいい感じだったので、出演インターバルは長いが、ある程度レギュラリイなバンドになりそうだ。
次はいつになるかな?

プール
日曜日(8/11)は子供二人を連れて小松島のプールへ。
水につかることが非常に気分転換になることを最近すごく実感していて、家族サービスではなくて自分が行きたくてここんとこ毎週海やプールに出かける。
徳島市と小松島市の境界に「日の峰」という山があって、その小松島側の山腹にプールがある。
場所はだいたい予想していたが、途中全く標識・案内なし。なんでだろう?
ここは初めてで、標高も高いが入場料も高い。
成人・小学生・園児各一人ずつで、計3500円。
規模はある程度の大きさだが、いかにも20年近くは営業してそうなプール(もっと古いか?)。
昼飯に食ったたこ焼きも焼きソバもぼったくりで、もったいないので、昼前から夕方まで5時間近く遊んでいた。

ゴキ
夜9時過ぎて、週末にCATVで録画しているSFモノを見ていたら、突如6畳和室をゴキブリが横断、テレビのウラに隠れる。
今まで住んできた実家やアパートでは、ゴキブリなど珍しくなかったし、必死になって追っかけたこともあまりない。
しかし、自分名義の一戸建て住宅に出現するゴキブリは許せない。
なんとしても退治することを決意し、現場の回りを整理して出てくるのを待つ。
5分ほどして出てきて、スリッパで追うが、再びTVのウラに逃げ込む。
そーと、TVの後ろをのぞき込むと、電源やCATVその他の配線がからまるなかに、一匹でかいのがじっとしているのが見える。
ためしにTV台をゆらしたり、ビデオテープを投げ込んで見るが、動かない。
このへんがゴキブリの賢さかもしれない。追われていることを自覚していて下手なゆさぶりは効かないのだ。
で、投げ込んだテープを取ろうとしたら、いきなり動きだして、窓際を全速力。
脱出コースは読めていたので、スリッパで今度はしとめる。

習性は良く知らないけど、テープを取ろうとした俺の体臭で危機感を感じ、動いたのかもしれない。
とりあえず、家を買って5年目、初めてのゴキブリ退治になった。


8月19日
厳島
久しぶりに宮島に行ったよ。
前回は結婚する前、まだ学生だった妻と行ったきりだから、15年は経っている。
今回初めて車(友達のアメ車)でフェリーに乗って渡った。
子供の頃は父親に連れられて毎年初日の出を見に大晦日にみせん(MS-IME出ず)に登ってた。
でも車はいつも対岸に置いて行ったから、車で渡ったのは初めてだな。

中学高校の頃は毎年2月に、宮島でマラソン大会があってね。
高校生で10kmくらいは走らされたのかな。これがつらくてね。
中高6年の最後の高三は無断欠席した。
宮島の表裏を越える坂道がすっごくしんどいんだもん。
大会前の体育時間はほとんどマラソンの練習で、これも嫌だったけど、授業のときは10位くらいには入ってた。
スポーツは全然できなかったけど、短距離も長距離も割りと速かっただけどな、俺。
T大のK井君も同じ高校だけど、陸上部だし、きっと宮島で大活躍してたんだろうなあ。

マラソンの後、広島電鉄の電車で帰るときにいつも足の「しもやけ」がひどくなっててすごく痒かった。
だいたい、冬になるとしもやけやアカギレの酷い手足でね。
手なんか指がパンパンに腫れて鉛筆持てなかったもん。
20歳過ぎるくらいまで、続いたな。
不思議と大人になるとならなくなった。

マラソンもつらいけど、風俗中学には伝統の遠泳合宿があった。
あったけど、僕らの世代ではもうなかった。
数年前におぼれて死んだ子がいたんだよね。それで永遠に中止になったらしい。
僕は水泳も苦手だから当時は合宿がなくてよかったと思ったけど、今考えるにそれでちゃんと鍛えてもらえば、今ごろ普通に泳げて楽しいだろうになあ。

ところで広島は原爆ドームと宮島でイサン過多=世界遺産が多すぎるってよ。


8月21日
夏休み1日目
正確には8/16(金)に休んだのも夏休みの一部なので、2日目なのだが、とりあえず今年は今日からの6連休を夏休みと呼ぶことにする。
つまりは仕事の関係で妙な場所から連休が始まってこうなって、いつもと違う。
以前のようにみんな一斉に休んだ方が絶対効率的だと思うんだけどなあ。

「整体」の予約を朝一で入れたら、平日にもかかわらず午前中が取れず13時からになる。
10分前に到着したら、先生は昼飯を食っておった。
筋が妙に固くなっているらしく、「何かしたっけ?」と考えるに先週末軽自動車で広島まで往復したことで、かなり体が固まってしまったらしい。
行きは6時間、帰りは7時間、ほとんど休憩なしで運転したのだが、そういうことをすると当然こういうふうになると先生が言っていた。
あんまり自覚がなかったのだけれども、かなり全身が緊張状態にあったようで、施療後帰宅したらどっと疲れが出た。
3時間程昼寝をする。

夜、レンタルした「ハンニバル」を見るが、今一つ怖くなかった。


8月25日
8/25日 夏休み5日目
一人で海にでかける。
2時間ほど南下して、宍喰と甲浦のポイントでスノーケリング。
http://kaanapali-diving.jp/map01.htm
これの「豚太郎前」で、1時間程、高知県側の「間の浜」で2時間程。
前者はダイバーばかりでスノーケルなんてしている人はいなかった。
後者はまだ普通の海水浴場状態。
しかしどちらも波が穏やかで透明度はまあまあ。
魚の多さに驚く。
最初にいきなりクラゲの群れを見たのでウエットスーツを着たけど、その後出会うこともなく、あんまり意味無し。
####
体重が約60kgに。4月の調子が最悪だったころ52kgまで落ちてたから、この3ヶ月ほどで7・8kg太ったことになる。
妙に食欲がある。歩こう。

8/24土 夏休み4日目
午前中散髪に出向く。
妻に預金の引き出しを頼まれる。
うちの裏のバス通りの向こうに銀行の支店がある。
てっきりそこだとおもって、そこで降ろしたら手数料を取られた。
今の家に住んで5年半、ずっとその支店を徳島銀行だと思いこんでいた。
阿波銀だった。

8/23金 夏休み3日目
やはり涼しい。明け方には必ず寒くて目が覚める。
先週までの熱帯夜が嘘のよう。
どっかに連れていけと子供がうるさいので、神山森林公園へ。
真夏の平日で予想通り人がほとんどいなかった。
駐車場に5台くらいかな。
恐ろしくバブリーで広大な公園なのだが、遊んでいる人間を数えることが可能な状態だった。

8/22木 夏休み2日目
子供を連れて善通寺の市民プールへ。
高松自動車道の善通寺インターそばにあって、何度か見たことがあった。
http://www.pref.kagawa.jp/chiho/hurusato/zen/zen-4/zen-4.htm
そこそこの規模のウオータースライダーが目立っていたので一度行きたかったのだ。
造波プールもあって、これは初めての経験だったけども、なんということはなかった。
子供は喜んでたけどね。
さすがに平日で空いていた。
実はこの日から妙に昼間の気温がさがり(27度くらい)、水につかっていると少し寒かった。

徳島から善通寺まで約2時間。
10時頃自宅を出て、吉野川ぞいに県道を西に向かい、美馬というところから北上、県境を越える。
狙ったわけではないのだけれども、越えてすぐのうどん屋「谷川」のちょうど開店時間に横を通ることになった。
国道から店を見下ろすと、さすがに平日で空いている。
うーん。我慢できずに寄り道。小2杯、冷たいのと熱いの卵。

4時頃までプールにいて、同じルートで帰り、やっぱり途中ジェラートの店(ドルチェ)に寄った。


8月28日
なぜバラゴン?
バンダイの怪獣付きラムネ菓子に「ハイパーゴジラ2002」というのがあって、
http://www.bandai.co.jp/candy/03/2001/03962.htm
サイトには、「生産終了」とあるが、子供が近くのスーパーで買ってきた。
お菓子に怪獣が付いているというよりは、10cmほどのかなりよくできたビニールの怪獣のおもちゃ(フィギアらしい)に、ちょっとだけラムネ菓子が付属している(子供はその存在に気がつかない)。
怪獣のラインナップは、最新ゴジラ・初代ゴジラ・キングギドラ・モスラ・バラゴンの5種類。
耳が飛び出していて、凶悪面をしている「初代ゴジラ」があるのは、なかなかマニアックでよい。
ゴジラは後になるほど正義の味方な顔になってしまって怖くない。
それはいいのだけど、この東宝怪獣映画の出演者の中に、なんでバラゴンが入っているのだ?
モスラもキングギドラもかなりメジャーな怪獣だからわかるけど、バラゴンて知っているか?
「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」(1965年)にしか出てこなかった地味なキャラだぞ。

フランケンシュタインは戦争中にドイツから持ちこまれた人工心臓(じゃないかも)を広島で研究していて、原爆で怪獣になったのだ。
研究所がなんとなく広島大学の旧工学部のような気もするが、記憶は曖昧だ。
原爆で怪物が発生するなど、被爆者の神経を思いきり逆撫でしているが、まあともかく。
とにかくその映画はフランケンシュタインがメインで、バラゴンは脇役だった。
それがなんで、東宝怪獣フィギアの5つのなかの1つに選ばれているのだろう?
金型の共有でもできるのかと思ったが、ゴジラとバラゴンではかなり体格が異なる。
バンダイの意図がよくわからない。

「対象年齢3歳以上」のおもちゃを5歳と8歳の子供が買ってきたので、お父さんは自分が幼少の頃に集めた怪獣の写真を押入れの奥から取り出して、自慢げに説明するのであった。
駄菓子屋で売っていた一種のプロマイドなのだが、当然封切り映画が中心になるので、1962年生まれの私が買っていたのは1970頃の映画・・「ゴジラ対ヘドラ」とか「ガメラ対ジグラ」(超駄作)が多い。
それ以外にどっから入手したのか、友達と交換したのだと思うのだけれども、結構古いのもある。
自分でも忘れていたが、バラゴンが1枚あった。かなり貴重だ。
それと初代と思われるゴジラが3枚ほど。
1・2作目はモノクロなのだが、写真は着色してある。緑のゴジラだ。
私が所有しているのは多分、1作目の「ゴジラ」1954年か2作目の「ゴジラの逆襲」1955年(対アンギラス)のものと思われるが、いったい誰がこんな古いの持っていて僕にくれたのだろう。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~doka/godzilla2.htm

というわけで、息子に「アギトのカードを見せてくれ」といわれて、カルビーの仮面ライダーカードを見せて驚かせたのに続き、少しお父さんは面目を施したのであった。


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