日々雑談:2001年8月
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8月1日
少し体調悪し。月曜日会社を休む。
結局7月はよく熱を出して、5日も会社を休んだ。
昨日・今日(水曜日)と、昼間37度ちょっとの微熱が出る。
ずっと、クーラー風邪をひいている感じ。
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夕方から鳴門でバンドの練習。
次回は8月18日。お盆の後の土曜日です。
僕らの後に、若者のパンク系のバンドがやっていた。
ギターは直でアンプに入れて、ノーエフェクトで歪ませている。
バッキングもソロも同じ音量なのがすごい。
世代の差か?単なる趣味の違いか?全く別世界に思えるから面白い。
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選挙
日曜日は選挙に行ったよ。
昼間からビールのんでふらふらと公民館まで歩いた。
選挙区は民主党・比例区は共産党という前回の参院選と全く同じ投票をする。
前回はこれがモロに当たったが、今回は全敗ですね。
選挙区は土建屋がかついだ橋本派自民党が勝った。
馬鹿野郎、おいらみたいな浮動票の行き場所無くしたのはだれだい。


8月4日
思ひで
毎日昼も夜もえらく暑くて、暑いとこんなに物事が面倒になるものかと思うのだが、僕が一生で一番「努力」しようとした夏は、12歳の中学受験勉強なのだけど、夏休みに毎日通っていた基町の学習塾は、当時まだ大規模に取り残されていた広島市のバラック街の中にあり、トタンでできた粗末な家であった。当然クーラーなんてなかった。板間に横長の机が並んで、40人ほどの小学生が床に座り込んで勉強していた。まさに寺小屋のごとき風情であるが、全然ほんとに休みがなくて午前と午後の2時間ずつ2コマが毎日の授業であったと思う。とにかくめちゃくちゃ暑くて、正座をしていると膝の折り目の内側に異常に汗をかくので、小さいタオルを挟んでいた。しかし妙に真面目な児童で今よりはるかに集中力を発揮していてよくがんばっていたと思うのだが、その頃に人生の真面目な時間の殆どを先取りして使ってしまって、今日のようになってしまったと、今のわたくしを弁解するのです。
いくら若いといっても相当疲労は溜まっていたはずだが、盆の2・3日は授業が半日だけになったので、喜んで友達と遊びにでかけた。親に家でじっとしていろといわれたのに、なぜか坂か小屋浦あたりの友達の家に遊びにいってそこの小学校のプールで泳いでいたと思う。多分これが発端で、軽い風邪からきつい気管支炎になってしまい、その年の秋は3・4ヶ月学校も塾も休んで自宅療養することになった。秋口にバスの料金の値上げがあるので、初めて国鉄バスの「半年定期券」を買って「これで数万円は浮いた」と悦に入っていたが、その定期は半分も使わなかった。
病人になって、毎日午前は病院・午後は家にいたが、特にあせるでもなく、だらだらしていた。どのくらい学校を休んだのか記憶が定かではないのだが、運動会の時もまだ休んでいたので、9・10月の2ヶ月は確実に学校に行っていないと思う。学習塾に戻ったのはもう冬だったろう。特に塾で成績が良かったわけではないが、まあ小学生だし、受験をそう真剣に考えていた風もなくて、悠然と引きこもりの生活をしていたのだが、この頃(12歳の秋頃)暇に任せて鉄道やバスの時刻表をひたすら追うようになり、その習慣は今日まで続いている。実は成績がよくないことを親に隠していたので、後で母親にひどく怒られたが、受験のことも病気のこともえらく気に揉んでいたようではあった。肺炎とか六角膜の病気とかを心配していた。自分自身は病気も勉強も軽く考えていたのでただぼんやりとした毎日だったのだが、そういう態度の罰が当たったのか、20数年後に、子供が二人とも肺炎で入院するというこれも珍しい体験をすることになった。
病気後、しばらくして本当に久しぶりに学校に行くと、驚いたことに隣のクラスの松川さんという女の子が病死(脳腫瘍だったと思う)しており、そこの担任の女の先生が僕のことをすごく心配してくれたことが心に残っている。僕のクラスの担任は体育大学出たて2年目の馬鹿教師で僕の病気について気をかけるでもなく、特になにか話をした覚えがない。11月・12月とだんだん普通の生活に戻ったが、どういう原因だか今度は足が片方ひどく腫れあがって、普通に歩けなくなってしまい、これは痛みもなかったので医者に見てもらった覚えがないが、ひどく不自由だった。そういえば気管支炎が完全に治るまで洗髪とか散髪とかできなくて、12歳の僕はフケだらけのロン毛少年だった。
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久しぶりにZ-プロジェクトの練習に参加。
夕方帰宅すると、娘が一人でしくしく泣いているので、妻に怒られたのかいと思ったら、「鼻くそが取れない」
?ん、よく聞いてみるに鼻の中にデキモノでもあるようだった。
この暑さのせいではないかと思うのだが、息子もアセモが酷いので昔なつかし六一0ハップ(むとうはっぷ)を買ってきて風呂に入れる。


8月6日
今日は広島原爆大虐殺の日です。
以前に書いたと思いますが、あの日私の父は爆心近い千田町の学校〜後の広島大学工学部の校舎にいて、爆発の瞬間を見たそうです。
空襲警報が鳴り止んでほっと外を見たところ、米軍機が何か落とした。
それが光る瞬間を見たそうです。
幸いに大した怪我もせず生き延びた父ですが、その後市内で見た地獄絵の話はよく聞かされました。
僕も子供がもう少し大きくなったら話しをしてやろうと思う。
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体調かなり悪し。
やはり昼頃になると37度少しの発熱がある。
妻に話すと「そりゃなまけ病じゃ」、その通りとも思える。
のどがずっと痛く、咳が出るので、気管支でも痛めているのではないかとちょっと心配になってきた。
明日病院に行ってみよう。
子供たちはこの暑さで、アセモが出たと思ったら、皮膚科で見てもらうとトビヒだそうで、大丈夫なのかな。
木曜日から南のほうへでかける予定なのだが。


8月7日
というわけで、本日(8/7)の午前中は自宅から徒歩2分の町医者に行ってみてもらいました。
たいした風邪ではないようだが、せきが止まらない。熱もちょっとある。
平日の朝一で老人が多くて、ちょっと待たされました。
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会社で阿波踊りの野外合同練習。
練習不足がたたって、テンポキープがかなり怪しい。
音が出せるようになったばかりの初心者が、思いっきりテンポをくずしているのに引きずられる。
もう練習できるのは明日だけだな。
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午後微熱でしんどくてしんどくて、仮眠室で1時間ほど寝る。
数十分は睡眠がとれてが、実はその時間帯にミーティングが入っていたのを忘れていた。
後で適当に誤魔化したがすいません。
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あれ明日は夏休み前日なのに、社外のお客さんが来るではないか。
ネクタイどうしようなあ。
最近太って、首まで太くなってネクタイがかなりつらい。


8月19日
11日間の夏休みが終わってしまった。
別に大して何をしていたわけでもないのだけど、頭がスコーンと「抜けて」しまって、仕事復帰に時間がかかりそうだ。
暑さのせいか?
◆8/9(木)〜11(土)
高知県の大月へ。足摺岬のもちょっと西。
http://www.gallery.ne.jp/~otsuki/ecovill.html
岩場だらけのリアス式海岸でシュノーケルくわえて海中探索。
海面から透明度の高い海中をのぞいていると妙な浮遊感があっていい。
これはちょっとはまりそう。
◆8/12(日)
会社の連で阿波踊り。
◆8/15(水)〜8/17(金)
妻子だけは岡山に帰省。
俺はバンドの練習があるので徳島にいた。
呑気な一人暮らしだったが特に何もせず。
◆8/18(土)
兼子バンドで2ヶ月ぶりのフルライブatD-BOX。
昨年の10月に初めて参加して、いったい何回目のライブだろう。
今回SAX・パーカス(ともに女性)が新加入。
演ってて音が厚くなっているのがよくわかった。
バランスが大変だよな。
◆8/19(日)
午後あまりの暑さに子供を連れて田宮のプールに。
2時間いたが、天候がだんだん悪くなって寒くて帰る。
台風が近い。

結局この1週間は日曜日に阿波踊り、土曜日にライブがあって、その間の5日間はほとんどなにもしなかった。


8月21日
台風前の静けさの中、ワクワクするものもあり
夏休み明けの出勤。
は、ともかく最近なんだか妙な立場にいて、自分でも訳わからなくて困る。
とりあえずやたらと打ち合わせが多い。
悲しい薄給がちょと上がったので、それなりに働かないといけないのだけれどもどう動けばいいのか。
なんか転職した直後に経験する立場が不確定な状態に近い。
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大型で強い台風11号はゆっくりこっち(四国)に向かっているらしい。
が、今現在(8/21午前0時過ぎ)の徳島は全然風も雨もなくて静かだよ。
テレビの予想コースだとどう見ても徳島は大荒れになりそうで、それも朝の出勤時間帯が危ない。
そういえば今の家を買った直後の夏に大雨で近くの川が氾濫、床下浸水した地域があった。
自転車で付近を見にいったが、頑丈そうなコンクリートの堤防が見事にかち割れていた。
刈り入れ前(徳島は9月初が稲刈り期)の田んぼが悲惨だった。
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今年は'94以来の猛暑らしいが、その年のことはよく覚えている。
第一子の娘が生まれた年だ。
生まれた2月はひどく寒かったが、その分、夏が熱かった。
2月に猛吹雪の志賀高原に1週間いて、遭難しそうになりながらスキーしてた。
一人で家に帰ったら、直後に娘が生まれた。
で、その夏はクーラー必須の猛暑になった。
浜松に住んで3年目だ。
ああいう地方都市だと住宅地も風通しもいいし、家屋も少ないので、エアコンなくても夏を乗りきれるものだが、94年は限界まで我慢してこりゃたまらんというとこで、7月の中ごろに駅前のヨーカドーでクーラーを買った。
ったら、取りつけまで3週間待ちと言われたよ。
そのときのクーラーは今でも我が家唯一の冷房だけどね。
毎晩寝る前にクーラーを止めるのに凄く勇気が必要だった。
暑くて喉がかわくので、よくアパート下の自販機でジュース買いにいったよ。
スプライトばかり飲んでいた。
あんとき思うと今年はそうでもないかな。浜松と徳島の違いかな。

そういえば、その前の年(93年)は冷夏で稲が育たなくて米が買えなくなった。
うどんやラーメンばかり食ってた。
会社の弁当にはタイ米が入ってた。


8月22日
事情により本日は1日休む。
休みついでに古本屋と、持病関係の病院と、更に夕方にあんまに行く。
病院は2ヶ月ぶり。徳島であんましてもらうのは初めてだ。
電話帳を開いて、JRに乗ったときに電車から見える治療院にした。
本日は皇太子が来徳しているとかで国道沿いに異常な警官の数だった。

あんまの治療院は、市中心部、かちどき橋近くのどうみても普通の小さな家屋だ。
(県庁が近い)
がらがら玄関を空けて入り、畳の部屋(待合室?)を抜けて、狭くて急な階段をとんとんと上がる。
8畳ほどの部屋があって小さな布団がひいてあり、そこで揉んでもらった。

左の肩から背中が痛くて(いつもそう)・・・というと、かなりそのあたりを念入りに揉んでくれて、そのあと全身のマッサージがあった。
丁寧にやってくれて、90分近くの治療になったのではないかと思う。
マッサージ代は、田舎の温泉だと40分で4000円、都会のホテルでは6000円とうところが相場だ(割と詳しいよ)。
徳島とはいえ街中だから1万円くらい取られると思ったら、4000円だった。
安いし、なかなかいい按配だったので(俺は爺か)また行くことにしよう。

先月琴平の温泉宿でもいい人に当たって、40分のところを頼んで倍(ダブルというらしい)の時間揉んでもらった。
その人がいうには、俺はかなり張り易い体質らしくて、定期的に揉んでもらった方がいいと言われた。
最近よく見るマッサージ機(だいたい20万以上)はどうですかねと聞くと、ああいうのは必要なところも不要なところも揉むからよくないよと言われた。
まあ、ああいう機械があんまり出回ると、この人たちの商売にもさしつかえるのだろうが。

一番肩凝りが酷かったのは20代中ごろからではないかと思うのですが、初めて都会で生活し始めたころなど、偏頭痛がするくらいいつも肩が張っていた。
若い頃は専門の場所にでかけて揉んでもらおうとか思いつかなくて(すごく高いと思っていた)、しきりと千年灸を乗せていたが、それは今も続けている。

マッサージの快感は、セックスのそれにも匹敵すると筒井康隆が書いていたと思う。
セク−ス(2CH的表現)の細かい描写は小説になるが、おじさんにアンマしてもらってよだれがでるほど気持ちよくても、それは小説にならないだろうと書いていたとも思う。
確かにセックスの場合はどういう状況であれその裏にドラマチックな話しがあるだろうけど、あんま屋に行ってもんでもらうのはそれだけの話しだもんね。
散髪行くのといっしょか。


8月26日
うーむ痛い、歯茎が。
軽度の歯槽膿漏が進行中か?
水曜日にマッサージに行ったのに、はやくも左半身が重くて困る。
そろそろ根本的な治療(奥歯を一本二つに割る)が必要でしょうか。

8/24給料日
市内のお寿司やで久しぶりに飲み会。
本日の収穫はKeepFrom(〜をやめる)。I've kept from smoking.(←?)
それと、アウト・醤油。
例)業務をリストラクチャーするんなら、アウト・醤油は必須だね、とか。

意味がわからなくて、気になったクラプトンのカバーでスティービーワンダーのオリジナル、
I Ain't Gonna Stand For It
邦題で意味がわかるかなと思ったら、それもアイ エイント ゴナ スタンド フォー イットだった。
今、辞書で調べたらStand For は、「を表す・を支持する」だが口語では「を我慢する」。
全然逆やん。
歌詞の前後を読み下せないとわからんだろうけど、なんとなく「おいら我慢できねーよ」みたいな感じがする。
前回のライブでやったもう一曲のクラプトンナンバーは「ForeverMan」だけど、これも「永遠の人」ってなんだろうね。

3軒目の途中で、最近仕事でかかわりがあるプログレス嬢が合流。
ついついマジな仕事話しに。こっちもつらいのよ、とか。
更に、ついついいない人の悪口を思いっきり言ってちょっと後悔。
でもどうもあん人は好かん。入社早々の上司だったから印象が悪いのかな。

8/25
殆ど寝て過ごす。
午前中に文化の森図書館に。
今回借りた本。
ゲルマン民族の昔話しと、内田百けんの全集と、北朝鮮亡命者の話し。
北朝鮮の亡命者による母国暴露本は多数あって、どれもおんなじような内容なんだけど、面白い。
食料がないとか、親族の成分(政治的な立場)で人生決まるとか、ラジオは外国の放送が聞けないようにハンダ付けしてあるとか。
北鮮は、近くて不思議な国だから興味をひくのでしょう。

卒論を書くときにシーザーのガリア戦記やそのあたりの歴史モノは随分よんだと思うけど、今世界を動かしている白人(金髪・青眼・長身)なんて、千数百年前のローマ時代は辺境の野蛮人なのよ。
定住せずに、肉食で、長い頭髪はいつも不潔。
異端の宗教を持ち、戦争していても合理的な行動ができない。
・・・歴史はいつも動いている。
ところで紀元前後のローマ人(実は今のラテン系民族とは異なるらしいが)は平均身長が155cmくらいらしくて、大帝国の英雄・暴君もそれくらいなんだよね。
それがゲルマン(フン族に押しやられて西に移動した?)は170cm強あったから随分、巨人に見えたらしい。
日本人の体格も縄文からこっち、歴史上かなり変化があるらしいが、それがかならずしも食糧事情に関係してないらしいところが面白い。
一番ちっちゃかったのは明治維新頃らしいですよ。

8/26
朝から雨で寒い。
気が進まなかったが、娘に約束してたのでプールに。
野外はいくらなんでもつらいので、船舶協会(銅像あり)の屋内プールに。それでも寒くて。
水からでると寒いのでずっともぐって、1時間ほどすごす。
潜っていると、なかなかハイレグ(既に死語)の女性の足が見えて、おおと驚く。
浮き上がってみると随分おばはんであった。
思えば俺が20代後半頃には、すでにハイレグが流行っていたから、同世代のおばさん(だいたい2人くらいの子持ち)が昔の水着でプールにいても不思議はない。

寒いのですぐ帰る。帰りに勝浦川沿いを走っていたら、警察やら消防やらがたくさん出ていた。
台風の時に潜水橋から落ちた車の運転手を探していたのだと思う。
濁流の中を水死体捜して回るのも大変な仕事だ。


8月27日
私は薄い紺色のスーツを着て、会社訪問をしていた。
概卒だったが、どういうわけか新卒募集の説明会に出かけている。
暑い夏だ。
そのうち、職歴があることを思い出して、TechBeingでも見てみようかと思いつく。
せっかく転職するので、あれこれたくさん会社を見てみたいと思う。
・・・という夢を先日見たのは、前日の英会話教室で中途入社社員の話しをしたからだろう。

前回就職活動をしていた1995年当時、まだそれほど不況が深刻でなくて、TechBeingはそれなりに記事があった。
もちろん「深刻でない」と思うのは今現在の状況と比較するからで、当時はすでに「氷河期」だったんだけどね。
「氷河期」より寒い今はなんていうのだろう。

その頃は、コンピュータ関係だと、MSやORACLEやINFOMIX、JUSTあたりが毎月しきりと募集していた。
ソフト会社は多かったけど、弱電メーカー系は既にほとんど無かったと思う。
あと商社系・生保系のシステム会社とか結構あった。
MSは自宅(府中)から近かった(電車20分)から魅力的だったが、絶対入れないだろうと思った。
今でも印象に残っているのが、京王電鉄
AS-400をサーバーにした社内システムを構築したが、ちゃんと動かないのでだれか助けてくれという広告だった。
勤務地は聖跡桜ヶ丘か、高幡不動か、そのあたり、八王子方向(北)だった。
その当時オープン系からはしばらく離れていたし、ASは馴染みが深いので、なかなか魅力的だと思ったが年齢制限がかなりきつかった。
今思うととりあえず履歴書でも出しておけば、と思うのだがそれがどうなったかは神のみぞ知るところでしょう。

最近だと、今の会社が随分な状況だったころ、ビールメーカーと、出版社の広告代理店に履歴書を出した。
前者は大阪まで面接に来いという通知が来たが、広告会社は全然ペケだったね。
暴露ついでに書くと、TV在京キー局のシステム要員に応募したことがある。
A42枚に職歴を詳細に書いたが、かすりもしなかった。
どうもメーカー系はある程度の感触があっても、(少なくとも)マスコミは全然ダメみたい。
というのが実感。


8月28日
仕事上のある件で、ちょっと極めてかなり愉快でない心持で昨日からいるのだが、つまりずっと腹を立てていて、昨晩は殆ど寝ていない。
しかしまあ延々と怒っているのも疲れるもので、別件に注意がそらされているうちにどうでもよくなって、結局いい加減なところで折り合いをつけることとなった。
眠かったし。
思うにこういう優柔不断さが一番の欠点のような気もする。
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就職活動の続き
10数年前のバブル時代を思い起こすに何を思い出すかというと、新聞の求人欄がすごかったのね。
土日の朝日新聞とか、3面分くらいびっちり求人広告で、半分くらいがコンピュータ関連企業だった。
あと、学習塾の講師の募集も多くて、これがまたえらい高給で惹かれるものがあった。
あの頃はなんでもかんでも人手不足で、「仕事があるのに人が足らない」という理由で会社が倒産したりした。
今はどうだろう。
日曜日に経済欄の片隅に、クスリ関係の求人(MR?)が数個あるくらいでしょうか。


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日々雑談:2001年08月