日々雑談:2001年3月
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3月1日
ついに3月に。来週末またまたまた「ヤマ」がありそうで不安です。
結局まともなスキーに行ってないのだが、一人で平日にハチでも行ってこようかしらん。
なにはともあれ、3月中に1週間程度の休暇を取ろう。
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2月の超負荷状態ですっかりタバコが戻ってしまい(妻には内緒)、これはいかん。
っても日に4本が限度ですけどね。
それにしても老眼か乱視かますますもって、視界が不安定なので、これは一度眼科で見てもらおう。
もう新聞が読みづらくてたまらん。
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娘のクラスメイトが原因不明の難病で緊急入院。
いつ出れるかわからないらしい。
こういうのを聞くと、いたたまれません。

元気であれば、全てOKてのが印象ですね。

3月2日
今更PHS
を持たされてしまい、今や24時間携帯しているが、仕事の呼び出し以外は全然かかってこない(あたりまえ)。
今までこの手の機械を所持していかかったのでので、どうも要領がわからないのだが、番号を教えますので、一度かけて.みてください。

070-は通常通りです。
070-6189で、その後の4桁は、広島の実家の下四桁に3262を足した数値です。
または、現在の徳島の自宅電話番号の下四桁から1112を引いた数値です。
一度かけておくれ>征服者・さとちゃん・UZくん・ひこくんなどの人々。


3月5日
突然に帰省
事情で、土曜(3/3)から一人で広島に帰省していました。
一人でなるべく安くあげようと、なるべく高速は使わず、軽自動車で往復したのだが、
これは極めて非常に大変しんどかった。
2月の仕事の疲れが出たからかもしれないが、あまりのしんどさに、日曜日に徳島に帰る気にならず、
しかたなく今日(3/5)の月曜日を急遽休みにして、帰ってきました。

徳島と広島を軽自動車で往復すると、
距離:約620km
ガソリン:約34リットル
(リッター18kmの計算になる。軽としてはかなり燃費が悪い。)
高速代:瀬戸大橋を坂出北〜児島 3100円*2=6200円

交通費としては約1万円で往復したきたことになる。
瀬戸大橋が意外と安い。
軽自動車だとフェリーをつかうより、橋を渡ったほうが若干お徳であることが今回わかった。。

しかし片道7時間、軽自動車を運転し続けるのは本当にしんどい。


3月10日
3/9・10予想されていた嵐は来なかった様子。
極めて平穏であった。今日も呼び出しはなし。
これがいいのか悪いのか。
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ここんとこ殆ど子供の顔も見ていなかったが、娘(7歳)が自転車に乗れるようになっていてびっくりした。
確か年末に補助輪(ころ・こま)をはずして、暖かくなったら本格的に練習するつもりだったのだが、
大した苦労もなくいきなり乗れるようになったらしい。

僕は何度も転んで痛い目に合いながら練習した覚えがあるのだが。


3月11日
ヤマハのGS-1を買ったひとは今どうしてるんでしょうね。
DX-7が出る直前のFM音源シンセです。
260万円、MIDIなし、音色数32、同時発信数16。
しかしあの当時(1980年頃)、これを持ってないとスタジオの仕事ができないといわれていたんだよ。
過去を切り捨てるヤマハの体質の典型的な楽器といえよう。

先週帰省した折に、私物をあれこれ持ちかえったでのあるが、楽器のカタログが相当数ある。
面白いのは僕が大学に入る前後の1982年頃のもので、ヤマハ・ローランド・コルグなどの総合カタログが実に興味深い。
全然知らないようなメーカーのもたくさんある。
そういえばパールもシンセやエフェクタ出してたんです。
まだ、MIDIもなく、デジタル化前夜の業界の様子がよくわかるのであるが、詳細は別途書きたいと思います。
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「ちょっと残務処理」で午後から出社。
とても簡単なプログラムをひとつ作ったのだけれども予想外に時間がかかった。
最近随分迷惑をかけている、夏目雅子嬢(仮名)から仕事のメールが入っていた。
「読んだからには無視はでけん」という訳で(メールを開かなければいいんだけどね)、こちょこちょデータを修正する。


3月12日
徹夜
日曜の夜はどうも寝つきが悪くて、あれこれがさごそしていて3時過ぎに布団に入ったが、やっぱり寝られなくてもんもんとしながら5時になってしまった。全然眠くない。今更お酒を飲むわけにもいかないので、しかたなく起き出してシャワーを浴びてぼけりとしていた。かなり寒い。妻は朝と寒さに強くて、だいたい6時前には起き出してまだ暗い中洗濯モノを干している。1Fで、暖房も点けず、部屋のドアも全部開けているので、極めて大変寒い。僕はシャワーを浴びたあと、ヒーターのある自室にこもりコンピュータなどをいじる。日ごろから寝つきが悪くて、そのくせ朝早起きなので常々睡眠不足に悩まされているが、本当に完璧に徹夜したのはここ数年なかったと思う。全く寝てないが、わりかし元気なので7時半には出社した。睡眠時間が不足すると自律神経がおかしくなるらしくて、例えば、胃腸の調子が悪くなったり、肌が異常に乾燥したり、部分的に(手のひらとか)すごく汗をかいたりする。だれでもそうなのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。昼休みも全然お腹が空かないので弁当にもて手を付けず。午後ミーティングがひとつあったのでそれに出て、16時 にはさっさと帰宅した。


3月13日
どうもやっぱりどうしてか調子が悪くて普通の睡眠が取れない。
2月に仕事しすぎたせいであろうか。
本日も朝方まで眠れず、5時頃就寝して午前を半休に。

久しぶりにバンドの練習で鳴門へ。
次回は4月21日(土)であるが、新曲はネイビーと、ジョー・コッカーのそれぞれ1曲づつ。
ジョー・コッカーの音は意外とアコースティックピアノの比重が重い。
SOULともR&Bともいいきれない世界があって、なかなか面白い。
4/8にもなんか鳴門の公園で、営業があるらしい。
天気がよかったら子供連れて演奏しに行こう。

バンドのドラマーが、バンドのページを作ってくれた。
こちら。
http://www.bc.wakwak.com/~tatsupro/d-box1.kanekoband.html
やっぱこういうバンドではキーボードは地味だね。


3月14日
どうも体内の時計がおかしくなった様子で、今3/15の朝4時過ぎですが、起きてます。
ちゃんと規則正しい睡眠が取れないのは非常につらい。
こういうのは不眠症の経験の無い人にはわかんねえだろうな。
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2ヶ月ほど前にバンド仲間と話してて、「うちの会社は上の思いつきでころころ施策がころころ変わるからたまらんよ」というと、
だれかが、「ぽっとでの企業だからしょうがないよね」と言われて、不思議と腹も立たず、納得してしまった。
だってほんとにそうなんだもん。


3月15日
結局本日も寝たのか寝てないのかよくわからないまま朝を迎える。
やることもないので、朝風呂に入ってから、出社。7時半ですよ
午前中は眠くてほとんど仕事にならず。
昼休みに一時間ほど自席で寝る。
最近これがすっかり習慣化しているが、本当に熟睡してしまう。
ぱっと起きると昼休み時間を10分ほど過ぎていたりしたりするが、まあいいやと、また15分ほど睡眠。
しかしおかげで午後は快調であった。

木曜日は英会話の日なのだが、teacherクリスに不眠の話しをすると、アドバイスとして、寝る前にビールを飲んでピアノを弾くことをすすめられる。
ようは気分転換(change mindでは通じなかった。なんと言うのであろう)ということであろうが、「ピアノを弾く」のPlay Keyboardsが同僚に通じない。
それはぼくらは職業がらkeyboard=パソコンだからです。
ちなみにIBM系のマニュアルではパソコンのキーを押すことを「押下」(おうか)という。
touchかpushをだれかが訳したのであろうが、コンピュータ業界でも、あまり一般的ではない。(ATOKも変換しない)
そういえば、IBM独特の表現で、少し前までフロッピーをディスケットと言っていた。
今でも業務システムでAS-400とか使っている会社ではディスケットの方が通りがいいかもしれない。
個人的には8インチのフロッピーはディスケットと呼びたい。

クリスが次のライブはいつだというので多分4月の終わり頃の土曜日だろう、ジョー・コッカーやネビルブラザーズやサム&デイブの曲を演るよ、というと、
「それは私の母親が聴いたら喜ぶ音楽だ」と言っていた。
クリス先生は僕とおなじ歳だから、確かにそうかもしれない。
ジョー・コッカーは、ジャニス・ジョップリンあたりと同世代だろうといっていた。
僕のいるバンドは恐ろしくオールデイズなR&Bバンドといえよう。


3月17日
そういえば、このサイトに自己紹介とか、プロフィールとかいうページがない(以前はあった)ので、最近の写真を集めて作ってみました。
http://www.tcn.ne.jp/~cozy/sonota/aboutMe.htm

久しぶりにネガから画像の取り込みをした。
ペンティアムIIIのパソコンにしてからは、初めてで、「きっと恐ろしく速く読みこむに違いない」と思ったが、486マシンでやってたのとあんまり変わらない。
考えてみればあたりまえで、ネガをデータ化するのはパソコンのCPUではなくて、スキャナー本体だからね。
ただ、いったん取りこんだ後の画像の編集は、486とペンIIIでは比べ物にならない差があります。


3月19日
3/18日曜日の話
久しぶりに何もない日曜日(3/18)、春休みに入った子供を連れてスキー場へ。
まさか四国のスキー場がこんな時期まで営業しているとは思わなかったのだが、ネットで調べて見ると、
http://www.town.ikawa.tokushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM02000
井川町の腕山スキー場は(なんと)4/8迄営業している。

天気が良くて暑い。どうせ雪質は期待できないので、自分はスキーをしないことにして、
とりあえず子供たちに白銀の世界を見せる!目的で出かけた。
子供を徐々にゲレンデに慣れさせて、近い将来シーズン一度は家族で信州あたりにスキー旅行できるようにする
というのが目論見である。

予想通り途中の道(とても狭い)に雪はなく、チェーンは不要であった。
四国でスキーのできる場所だからかなり標高も高いし、町からも遠い。
こんな時も持参のPHSはさすがに使えないが、iMODEはちゃんとメール送信してくれる。ありがたいのか迷惑なのか。
ソリ(1つ500円)を借りて、子供用のゲレンデで遊ばせる。
私はそばで昼寝をしていた。

しかしこの時期になってもスキー客は多い。
リフト一本しかないこじんまりとしたスキー場で、もう雪もしゃりしゃりなのだが、かなりの人出であった。

3時間ほど遊んで、下界に戻る。
高速のパーキングで温泉につかる。予想外に安くて快適でした。
とろとろ徳島に戻ったのが18時頃。ちょっと贅沢な懐石料理の店で夕食とする。
冷酒を飲んでしたたか酔っ払う。

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そういえば独身の頃はこの連休あたりは必ず志賀高原にいたものだと思い起こす。
雪もまだまだあって、それでもって天気もよく暖かく、スキーヤーにとっては天国であった。


3月21日
昨日(3/20)の休みは鍵盤の練習日と決めていたので昼間全く外に出ず。
テープ聴いて音を取ったり、楽譜書いたり、ネット見たりしてた。
ちょっとcgiをいじってみたり。

夕飯を食ってから、鳴門にバンドの練習に出かける。
行ってみたらだれもいなくて、実は1時間も早く着いてしまったらしく、しかたなく店のカウンターで
水割りをなめながらぼんやりする。
大阪から合宿免許で鳴門に来ているという「スカ」でもやりそうなルックスのにいちゃんと話す。
若いのかと思ったら僕の2つほど下で、なんたらいうギタリストの坊やをやっていたことがあるらしい。
ワシもこの世界が長いが、この「ミュージシャンの坊や」というのはいったいいかなる存在か未だ不明瞭だ。

マスター(ギタリスト)の昔話をあれこれ聞いていて、CCBの米川英之氏の話しが面白い。
オレらCCBといえばかなりミーハーなイメージがあるが、メンバーはそれぞれプレーヤーとしてすごかったらしい。
米川氏の自宅録音のインストものを聴かせてもらったが、すごいすごい。
あのフュージョン全盛時代にこれだけのテクのある人がCCBのギターじゃあ、本人もあんまり面白くなかったのではなかろうか。
いくら売れていてもね。
http://home8.highway.ne.jp/hy5150/

バンドの練習はベースが痛風でこれず(ほんまにおおごとらしい)、ドラマーはなんかの事情で欠席だったが、
新曲を軽く合わせる。
ジョー・コッカーの曲の「乗り」がどうもつかめない。

練習の後、漫然と現れたアンドリュー氏(店の定休日を決めることができる超常連)の坊主頭を拝見、ありがたいお言葉を
いくつかいただいて、それから徳島まで帰ったら0時を回っていた。

3月22日
空が落ちてくる
ミール現在位置
http://kibo.tksc.nasda.go.jp/tracking/index.html

こっちに来るんじゃあない!
しかし「南太平洋に落ちるから大丈夫」とは南太平洋に大変失礼な話しでしょう。

大気圏突入時にかなりが燃え尽きてしまうらしいが、そういう話しを聞くと、
木馬を追ったシャアの部下のザクが、コムサイに戻れず、大気圏外で燃え尽きてしまう
という連想しかできないので、やはり僕はガンオタといえよう。


3月28日
ひー休ませてくれ
と悲鳴を上げていた先月のこの頃に、「なんとしても3月末にまとめて休みを取る」と決意、この3/26〜28の3日間は会社を休みました。
実はこの2・3週間は比較的落ちついた毎日だったので、「なんとしても休息をとる」べく状態でもなかったのですが、久しぶりの家族旅行でいい時間が持てました。

■以下、簡単な記録
3/25(日)
大阪天保山の海遊館へ。雨で寒い日でした。
春休みの日曜日ということで「意外と」混んでいました。
しかしまあ、僕の在阪時代(12年位前)のオープン当初とは比べ物にならないのであるが。
川を挟んで向こう側の「USJ」(来週オープン)がしきりと気になりました。

行きは明石大橋〜阪神高速〜湾岸線で、天保山へ。帰りは再び湾岸線で六甲アイランドへ。
阪神高速の湾岸線が実に快適なドライブでした。

ホテルは六甲アイラインド内のホテルプラザ神戸
かなりのレベルのホテルのようですが、かなりのレベルの経営難らしくて、信じられないような値段で泊まれました。
ホテルと一体化した施設内にMOVIXがあって、夕食の後一人で映画を見にいきました。(これもなかなかよろしい)
21時半のレイトショー、「アンブレイカブル」。
ブルースウイルス&監督がシックスセンスの人、ということで、期待大で観ましたが、超駄作でした。
シックスセンスが良すぎたであろうか。

3/26(月)
六甲山へ。乗り物オタクとしては車なんぞで登らず、ケーブルカーを利用します。
これも在阪時代以来なので、10年ぶりくらいです。
残念ながらロープウエーは強風のため運休でした。
バスで、オルゴール館へ。
へへん、神戸でオルゴールなんていかにもしゃれてるけど、大したことは・・・と思ったらなかなかの内容でした。

別途詳しく書きたいのですが、「オルゴール」というよりは、「自動演奏機械の資料館」みたいな趣で、現在のコンピュータミュージックの先祖を見るようでした。
もしエジソンの蓄音機の発明がもう少し遅れていたら、オルゴールの音楽市場(MIDIデータのようなもの)はそれなりに形成されたでしょう。
思えば、ドラム式の小さなオルゴールにしても方式は実にデジタルですよね。

オルゴール館では、デモ演奏を2回見て、ついでに無声映画までやってくれて十分楽しめました。
結局展望台とか寄らずにそのまままたケーブルカーで降りてきました。

お昼ご飯は定番通り元町で中華。
異人館とかはさすがに子供連れではつらいのでパス。
しかし神戸も復興したな・・というよりは震災の後が見えなくなっている。

それから岡山の実家へ。神戸〜明石の二号線は渋滞がひどかった。
竜野から乗った山陽自動車道をわざわざ備前で降りて、これも十数年ぶりにブルーライン(ブルーハイウエー)という自動車専用道路を使いました。
岡山県人も忘れてしまっている道路ですが、東側から実家の西大寺に入るには便利です。

3/27(火)
岡山・倉敷で買い物をあれこれ。
チボリの横を素通りしたら、春休みなのに閑散としていました。
ここも近いうちにもう一回くらい行っとかないと、レオマみたいに無くなってしまいそう。

しかしなんで子供は親の実家に行くと異常に喜ぶのだろう。
(僕ももそうでしたけど。)
義母がFMVのノートを購入していて仰天しました。
インターネットがわからない様子だったので、勝手にプロバイダを設定して、ネットに接続できるようしておきました。

3/28(水)

はやめに岡山を出て四国に戻る。
さあどっかでうどんを、と思って久しぶりに飯山のなかむらへ。
これが妻に大不評でした。(妻は山内とあたりやしか認めない)
僕も釜卵を含め3杯食べましたが、かつての吸引力を全然感じませんでした。
実はこれをもう1年以上思っているのだが、確かになかむらのうどんがおいしくない。
僕の味覚が変わったのか、本当になかむらの味が落ちたのか。

32号で県境を越えて、井川池田から徳島自動車道に。
つい最近行ったばかりの、井川のハイウエイオアシスで温泉に入る(500円)。
これがなかなか快適で、これから徳島に戻るときの定番になりそうです。


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