日々雑談:1999年12月
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12月29日
越年時にメールを出してはいけないらしい
というわけで12月29日の早朝です。
昨晩は飲み会でした。
お金がないのと翌朝の出が早いので一時会でさっさと帰りました。

28日最終日もえらくばたばたしていて、全然机の周りとか、パソコンの中の整理ができませんでした。
この日、運用しているデーターベースにひどく原始的な部分を発見して、どうにかせんと・・というところで時間切れです。
来週、休み明けに考えよう。
それにしてもWEBのシステムは24時間誰かが使っているから、プログラムの置き換えにえらく気をつかう。
####
今年はまさにうどんの一年で、さんざん香川県にうどんを食いにでかけました。
思い出せる限り行った店をあげてみよう。
◆長尾町
入谷(1)
◆高松市
あたりや(2)穴吹(1)谷川(1)中北(1)馬淵(1)中西(1)小縣屋空港店(0)
◆坂出市
上原(1)蒲生(2)彦江(*)山下(2)
◆綾歌郡
赤坂(2)池内(0)木村(1)高崎(1)田村(2)なかむら(*)前場(2)松岡(1)山越(2)ひこえ(1)
◆善通寺
宮川(1)山下(1)
◆仲多度郡
小縣家(1)近藤(2)谷川(*)長田(1)三谷(1)宮武(2)山内(3)カントリー(1)
◆観音寺市
大喜多(1)
◆三豊郡
橋村(1)

店名のあとの数字は行った回数です。
0なのは(多分)99年にはいかなかったが、以前に行ったことのある店。
*なのはあまりに繰り返し行ったのではっきりした回数がわかりません。
やっぱり坂出・綾歌郡・仲多度郡といった中讃あたりの店が圧倒的に多いです。
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先ほどオームの上祐が先ほど広島刑務所(吉島?)を出所したそうです。
多分、今は山陽自動車道を空港に向かっているところです。
マスコミがみんな「上祐幹部」と表現しているのは、なんか気味悪いですねえ。
もう受刑者でないから呼び捨てにできないし、「上祐さん」というと視聴者から文句がでそうだし・・
というわけでそういう表現になったと思われる。
それはそれでいんんだけど、横並びでみな同じ言い方をするところにマスコミの程度の低さがよくわかる。


12月27日
年末の予定です。
Cozy's忘年オフ会&ピロピロ大フォークOB会のお知らせ
・・・とかいっても代わり映えしない顔ぶれが集るのであろうが。
とりあえず12月29日 18:30 広島八丁堀三越ライオン前集合です。
(銀座の三越や、鹿児島の三越前に集合してもらっても全然かまいません。)
アポなしでもいいですから、だれでも来てください。

というわけで、1999年の更新はこれで終わりだと思います。
無事に2000年が迎えられればいいですね。
でもたかがソフトウエアのせいで社会全体が混乱するってのも見てみたい気がする。
とりあえず現金はたくさん持っておこう!


12月26日
井上陽水
今、NHKの番組で、井上陽水のコンサートを流していた。
割と小さいライブハウス(クラブという?)のようで、バンドのアレンジがかなりラフっぽいのが印象的だった。
でもバックがどんなにラフな演奏でも、一旦陽水のボーカルが入るとすごく完成度の高い緻密な演奏になるのはさすがだ!
奥田民生が出てきていっしょに歌っていたが、格違いがよくわかる。あの奥田が!である。
それと、忌野清志郎と「帰れない二人」(これは二人の共作)をやっていたが、清志郎のアナーキーなボーカルと、陽水のきっちりしたボーカルの対比が面白かった。

陽水のボーカルのパワーがコンサートのすべての音を制圧している。
改めて陽水の偉大さを認識しました。
ロックでもフォークでもブルースでもないその独特の世界は、全然変わりませんねえ。


12月25日
というわけで12月25日の夜中です。
クリスマスということで昨夜子供が寝ている傍らにおもちゃを置いておきました。
娘はくまのプーさんはちみつなんとかで、息子はドラエモンのリモコン自動車です。
娘に、サンタさん見たかとか、トナカイの鳴き声聞こえなかったかとか聞いてみたが、知らないそうです。

サンタさんはいくつまで信じていたかなあ。
小学校低学年くらいまでは本気で信じていたと思う。
12月に母とフォード田の売店(会社の厚生施設)のおもちゃ売り場へ行って、「あれがほしい」とかいうと、母がなにやらメモっていた。
僕はそれを母がサンタに連絡(どうやって!)するものだと思っていた。

サンタと雪とトナカイがいっしょになったのは19世紀のことだそうで、サンタのモデルといわれるお坊さんは暖かいとこにいたらしい。
バチカンは千年に一度の行事があるらしいが、よく考えるとそれはまだ二回目ということになる。
2000年前には当然キリスト教はないわけだ。
ちょっと年表を見てみると、キリストの生年が紀元前7年で、処刑が30年。
380年にデオドシウス大帝とうい人がローマの国教にしている。
・・とういふうな事はどうでもよくて、とりあえずイベントでプレゼントでセックスの口実で、それはそれでいいのでしょう。
しかしいえることは、今年の夏くらいまでは年月日を表すのに、西暦を2桁で書いていた(99-08-01)が、最近は4桁で書いておかないと何か問題がおきそうな気がするようになった。
Y2K症候群といえよう。
####
12/23は今年最後のジェットうどんツアーでした。
初めての高松特集で、
中北・馬渕・穴吹・谷川・入谷(長尾町)。
中北以外は初めてでした。
「青い屋根」の谷川の麺が出色のすばらしさ。感動しました。
写真入りでレポートします。

システムがトラブっていて、前の日の夜中に、上司に「明日の午後1時からミーティングね」とか言われたのだが、「連絡入れて、必要なら3時くらいから出社しますから〜」ともごもご言い訳して23日のミーティングには出なかった。
何はともあれうどんの方が大事なのだ。
でも一応うどんから帰ってきて3時間ほど働いたんだよ。
で、それから再び街に出て忘年会をやった。
帰ったら夜中の一時だった。
朝は8時に集合してうどん食いにいったのだから、随分長い一日だった。
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年賀状作成。
今年から、メールで連絡できる人には葉書出しません。
もう賀状はなるべく減らしたい(もともとかなり少ないんだけどね)。

年賀状作成にパソコンを使ったことはない。
いまだに、11年前に購入したソニーのワープロ(PRODEUCE)を使っている。
ストックしているインクリボンが無くならないからなのだが、結構この「枯れた」印字が気に入っています。
ビデオやカセットテープのラベルにも使っていて、なかなか重宝している。
かな漢字変換なんか当然バカだけど、半角漢字とかあって便利です。


12月21日
というわけで火曜日の夜中です。
今日は我が家に新しいテーブル(データを格納するものにあらず)が来ました。
先週末家具屋でひどく気に入って、ほとんど衝動的に買ったものです。
しかし部屋に入れてみると随分でかい。
えらくその部分だけ空間が妙に立派になった。
テーブルが広くて、飯を食ったあとに酒を飲みながら新聞もゆったり読める。
そこに腰を落ち着けると、パソコンも食卓でいじりたくなる。
しかし私がノートパソコンを所有できるのはまだまだ先のことであろう。
子供たちははやくも定位置を決めてしまった。
角の椅子は僕が狙っていたのに娘のものになった。
まあこれで割とゴージャスな気分でクリスマスを迎えられる。


12月19日
東京12チャンネルうまいもの番組
出てくる芸人のマイナー度がうれしい

昨日(12/18)の夜8時半頃テレビをつけたら、いきなり赤坂のおばちゃんが出ていて驚いた。
赤坂というのは香川県綾南町にあるかなりディープなうどん屋である。
雰囲気のディープさと、愛想のいいおばちゃんの面白さで、最近雑誌に出てくるようになっていた。
讃岐うどんは全国的にもちょっとしたブームらしい。
マスコミの取り上げ度からいうと、
1.なかむら(飯山町)
2.山内(仲南町)
3.谷川(琴南町)
その次くらいに赤坂が出てくるような印象がある。
直近では「どっちの料理ショー」でうどんすきが取り上げられたときに山内が出ていたそうだ。
#なんでうどんすきにわざわざ腰の強い讃岐うどんやねん...とも思うが。

テレビ東京も今ごろ赤坂を取り上げるのはちょっと遅い。
例によって粉を踏んで腰を作る工程であるとか、ネギをはさみで切るとかいうところがクローズアップされていたが、あれでは讃岐うどんの魅力は伝わんでな...とかいうのが自称うどん通の共通した意見であろう。

ことし一年香川県にうどんを食い倒しにいって実感しているが、やっぱり食い物の魅力は実際に食ってみないとわからんよ。
あたりまえだけどね。
テレビや本だけでは絶対に伝わらないですねえ。
神戸や岡山からわざわざ高い料金払って橋を渡って来ている人々にはいっそうその感触が強いのではないのでしょうか。

というわけでこんどの木曜日(12/23)は今年最後のジェット発動となりそうなので、是非一軒くらいはこれは!と驚ける店を開拓したいと思います。


12月18日
腹痛に苦しみながら書く日記
そういうわけで1999年の12月も半分を過ぎてしまった。
ここのところあれこれ取り組んでいたモノもいよいよ20日からオープンだ。
製品のアップやシステムのスタートは数え切れず経験してきたが、WEBモノはまた違った感触である。
今日や明日は環境を作る人たちが懸命に働いていて、僕はやることもない。
以前は業務システムとかだと、スタート直前までデータ整備やバグ取りに徹夜で注力したものだが、割と最近はめちゃくちゃな労働状況を経験しなくなっている。

娘が来春から小学校に上がるので、木工団地の家具屋に机を見に行って、展示品傷モノの安くなったのを一つ注文してきた。
ぼくらの時代、学習机といえばオフィスにあるような金属製で、本棚だけでなく、時計やカレンダーや蛍光燈やらいろいろ付いていた。
最近は割とオーソドックスな流れに戻ったのか、木目調の机しか置いていない。
机の上の本棚も小さい。
私が小学校に上がる折りに買ってもらった机は、いろいろごてごて付いていた。
大学を卒業するまで計18年も使った勘定になるが、実家が立て替えられた時に廃棄されているであろう。

昔は見られなかった機能として、引き出し部分にコロ(岡山ではゴマ)が付いていて、本体とは独立しているというのがある。
脇机のようになっていて、更にはその登頂部が持ち上がるようになっている。
どうもパソコンのモニターを置くことを想定しているようだ。
娘の学習机にパソコンが設置される時は、きっとモニターは液晶TFTであろう。
20kgもあるテレビを机の上に乗せていたことは、笑える昔話になるにちがいない。

で、二階のタンス部屋を娘の部屋にすることになっている(僕の部屋よりも広い)のだが、ここでも面倒なのが妻が持ってきた立派な婚礼家具である。
巨大な家具のうち一つは、今の家に引っ越す時、実家に引き取ってもらったが、まだ2つある。
幅もあるし、背も高いので動かすことが実に難しい。
一つは幸い上下に分割できるタイプだったので、ばらして別の部屋に移したが、一つはあれこれ試みても部屋から出すこともできず、結局あきらめた。
一戸建てとはいえ、ドアも小さいし廊下も狭い。
横に倒してみたり、斜めで出し入れしようとしたがどうしても無理であった。
結婚するときは最近の住宅事情にあった家具を用意してほしい(実感)。
こんなことなら最初から部屋の使い方をよく考えておくのだった。
もうこうなると、くだんの家具はその道のプロにお願いして、二階の窓からいったん屋外におろして、再び窓から別の部屋に入れなければならないだろう。まるでピアノの扱いだ。

とかなんとか忙しい時に、再びパソコンのHDが死んだ。
ちょうど去年の今ごろ購入した2.1GBで、確か2万円ほどだったが、今では同じ金額で20GBの製品が買える。10倍だ。
〜ちょっと思い立って1995年10月のアスキーDOS/V ISSUEの「アプティバパワーアップ」の特集をめくってみると、増設するEIDEのハードディスクは1.2GBで3万円だそうだ。
僕の2.1GBはインターネットから持ってきたたくさんの意義ある画像を保管することを主な仕事としていたが、モーターが回っていない様子で、何度立ち上げなおしても認識できない。
幸いメーカーの保証期間があと一週間ほど残っているので、すぐに自宅近くのヤマトから宅急便で祖父マップに送った。
500MBくらいは食っていた画像類は全て消えてしまってもしょうがないだろう。
ちゃんと治って帰ってきたら、LINUXのディスクにしてやろう。

というわけなのだけれども、どういうわけか週末になるとお腹が痛くなって下るのである。
今もこれを書きながら2回トイレにしゃがんで泣いていた。
これはなにか精神的な状態と関係があるのであろうか。
だれか教えてくれないだろうか。


12月16日
マカオが中国に返還されるらしいが、いったいいつからマカオはポルトガル領だったのだろう。
もしかしたらフランシスコザビエルの時代からなのだろうか。
そうすると400年以上になる。
いや、香港は阿片戦争から英領であったから、マカオもそんなもんかもしれん。

十数年前に一人で欧州旅行をしたとき、マドリッドからリスボンまで夜行列車に乗った。
同じコンパートメントにアジア人の若いカップルがいた。
彼らが読んでいる本をちらりと見ると漢字があったので、日本人かと思ったら、香港から来たという。
そしてリスボンには初めて行くのだといっていた。
香港なので国籍はイギリスかと思ったら、ポルトガルだという。
パスポートを見せてもらったらたしかにポルトガルのそれである。
?なんで香港に住む中国人がポルトガル国籍なのかよくわからないが、もしかしたらもともとマカオ出身で、香港に移り住んでいたのかもしれない。
このあたりのやりとりは当然英語なのだけれども、彼らの英語はひどく訛っていてよくわからない。
go toをゴトウという。
香港人は流暢なキングスイングリッシュを話すと思っていたので、意外であった。

彼らは今でも多分香港に住んでいるのだろうが、返還されてから国籍はどうなったのだろう。
一方マカオに何世代にもわたって定住しているポルトガル人はどうなるんだろう。
そのまま中国人になるんだろうか。
汎中華人(という言葉があるのだろうか)とはどういう人を指すのだろう。
漢民族?それだけではなかろう。
宗教でもくくれない。
中国語をしゃべる人間は中国人といえるのだろうか。
代々マカオに住んで、カトリックであり、生活習慣はポルトガル人と同一であるが、しかし中国語をしゃべり生活の基盤が中国にあればそれは中国人といえるのだろうか。

考えてみれば世界のあちこちにいる華僑だって、国籍はまちまちでもやっぱり中国人だろう。
スペインのカディスで中華料理店をやっている中国人はどうみても中国人であった。
しかし何世代にもわたって欧州に根づいているのかもしれない。

そうこう考えると「民族のアイデンティティ」とは何だろうと不思議になりますね。


12月15日
とうわけで12月15日水曜日の夜半です。
####
ひげをのばして約一ヶ月。
もとから濃い方ではないので、まばらなのだが、ずいぶん長くはなってきた。
このままがんばればグルと呼んでもらえるようになるかもしれない。
そういえば口髭は何度もたくわえたことがあるが、頬もあごも全然そらないのは初めてかもしれない。
幸いにして髪の毛を伸ばしてもひげを剃らなくてもネクタイをしなくてもなんにも言われない会社で働いてきた。
現時点で風体の怪しさにはかなりの自信あり。
####
12/29は18:30に三越ライオン集合です。
・・とかいいながらいつもライオンの前ではなくて、建物のなかの待合所みたいなところに座っている。
あの場所はなんというのであろう。
間違って三越バイトに行かないように(ちょっとわざとらしいか)。
####
BIGLOBEが同一料金で月15時間から30時間になった。
こんなん全然使い切れん。
いったいどうすればよいであろうか。
####
今日は珍しくLINUXとMACをちょっとづついじる機会があった。
OSがちがうと戸惑うことだらけなのだが、一方でWindowsに依存しすぎているのも問題ありますね。
メインフレームの仕事をしていた時はクライアント側で結構いろいろなOSを使っていた。


12月14日
お受験
ここのところ苦労田家はお受験でばたばたしている。
実は例の文京区の事件は、その当事者と子供たちが同じ年齢なので、あんまり他人事ではない。
小さい子供(3歳とか5歳とか)をそれ専門の学習塾に入れて仕込むことには僕は大反対なので、積極的に受験対策はしていない。
猿に芸を仕込むようなことをしてまでするのはどう考えてもばかげている。
しかしそれにしても、割と教育熱心な妻はとりあえず娘の小学校と、息子の幼稚園の受検を強行してしまった。
これが結果的にいいことなのか、悪いことなのか僕もよくわからないが、何らかの無理が見えたら、たとえ合格した学校でも辞めさせてしまおうと考えている。

僕の母親はかなりの教育ママであった。
どうしてそうだったのか長年不明だった(もう故人である)のだが、どうも近所に名門私立学校から東大にすすんだ人がいて、それの影響だったらしい。
僕は小学校5年・6年の二年間その人と同じ学習塾に通って(みちやんもいっしょだった)かなり「ガリ勉」をし、結果的に希望する中学校に進学できた。

しかし、並みの大学にしかすすめなかったし、更に現在は弱小ソフト会社の平社員でしかない。
少なくとも世に言うエリートにはなれなかった。
こんなことなら、無理して中学受験しなくても、公立の中学・高校出てももっといい人生があったかもしれない。
・・・別にいい大学に行くとか、大企業に入ることがイコール幸せとは思っていませんよ
このことは人生40年近く生きてきてよくわかっている。

僕の弟は地元の公立中学と高校を出ているが、僕よりもずっと名門(偏差値の高い)大学に進んだし、かなりの大企業ではたらいている。
僕らの母親が描いていた息子たちの将来象を思うと、名門中学に進んだぼくよりも公立に進んだ弟の方がよっぽど成功者といえよう。
まあ人の幸せは、卒業した大学のレベルや勤めている会社の規模とは全然べつな世界であることは十分わかっています。

つまりは、いくら親がお受験に力を入れても、結果的にそれがいい人生を約束するものでは決してないということです。

しかし一ついえることがあって....それは一般常識で見ると変なことかもしれないけど、第一志望で受験した国立大学附属中学の受験の時のことだった。
僕(当時12歳)はあんまり試験の「でき」が芳しくないと思っていて、多分落ちるだろうと予想していた。
合格発表は兄に見に行ってもらった。
その兄から電話がかかってきた。一言「おめでとう。名前があったよ」
これで僕ら母息子はどれだけ狂喜したであろう。
あの時のうれしさは今でも鮮明に覚えている。
いまだにあれ以上うれしいことはないともいえる。
意外な結果に僕はかなり動転していて、きっと採点ミスで、そのうち「あんたは本当は不合格だ」と連絡があるのではないかと不安にさえなった。

その学校は定員の倍の人数を合格者として発表して、集った合格者から抽選で最終的な合格者を出していた。
確か、古い講堂のステージに木の箱がおかれ、そのなかに番号札が入っていて、受験者一人一人がそれをひいた。
最後に校長が残った札(2枚しかない)から一枚ひき、その番号を起点にして60名程が最終的な合格になったと思う。
実は僕は筆記試験で合格したことがうれしくて、クジはどうでもよかった。
クジに通ったことはあんまりうれしくもなかった。
母親は、僕が黙っているので不合格だったと思ったらしい。

この時の前後の事はいまでも鮮明に覚えていてる。
その中学の合格が決まってから、暗くなって別の私立中学の合格発表(同じ日だった)を見に行ったこと。
そのとき母がコートを着たまま合格証を受け取り、「あれは失礼だった」と後々まで気にしていた。

今思うに多分、このことが僕の生涯の一番の母親孝行ではなかったか。
そのことだけ考えれば、一生懸命勉強して国立中学校に入学できたことはよかったかな...と回想している。


12月14日
お受験
ここのところ苦労田家はお受験でばたばたしている。
実は例の文京区の事件は、その当事者と子供たちが同じ年齢なので、あんまり他人事ではない。
小さい子供(3歳とか5歳とか)をそれ専門の学習塾に入れて仕込むことには僕は大反対なので、積極的に受験対策はしていない。
猿に芸を仕込むようなことをしてまでするのはどう考えてもばかげている。
しかしそれにしても、割と教育熱心な妻はとりあえず娘の小学校と、息子の幼稚園の受検を強行してしまった。
これが結果的にいいことなのか、悪いことなのか僕もよくわからないが、何らかの無理が見えたら、たとえ合格した学校でも辞めさせてしまおうと考えている。

僕の母親はかなりの教育ママであった。
どうしてそうだったのか長年不明だった(もう故人である)のだが、どうも近所に名門私立学校から東大にすすんだ人がいて、それの影響だったらしい。
僕は小学校5年・6年の二年間その人と同じ学習塾に通って(みちやんもいっしょだった)かなり「ガリ勉」をし、結果的に希望する中学校に進学できた。
そして中学・高校とかなりの名門を卒業した。

しかし、並みの大学にしかすすめなかったし、更に現在は弱小ソフト会社の平社員でしかない。
少なくとも世に言うエリートにはなれなかった。
こんなことなら、無理して中学受験しなくても、公立の中学・高校出てももっといい大学に進むことができたかもしれない。
・・・別にいい大学に行くとか、大企業に入ることがイコール幸せとは思っていませんよ
このことは人生40年近く生きてきてよくわかっている。

僕の弟は地元の公立中学と高校を出ているが、僕よりもずっと名門(偏差値の高い)大学に進んだし、かなりの大企業ではたらいている。
別に偏差値の高い大学に進んだり、親方日の丸の大企業で働けること=幸せとは決して思っていない。
僕らの母親が描いていた息子たちの将来象を思うと、名門中学に進んだぼくよりも公立に進んだ弟の方がよっぽど成功者といえよう。
まあ人の幸せは、卒業した大学のレベルや勤めている会社の規模とは全然べつな世界であることは十分わかっています。

つまりは、いくら親がお受験に力を入れても、結果的にそれがいい人生を約束するものでは決してないということです。

しかし一ついえることがあって....それは一般常識で見ると異常なことかもしれないけど、第一志望で受験した国立大学附属中学の受験の時のことだった。
僕(当時12歳)はあんまり試験の「でき」が芳しくないと思っていて、多分落ちるだろうと予想していた。
合格発表は兄に見に行ってもらった。
その兄から電話がかかってきた。一言「おめでとう。名前があったよ」
これで僕ら母息子はどれだけ歓喜したであろう。
あの時のうれしさは今でも鮮明に覚えている。いまだにあれ以上うれしいことはない。
意外な結果に僕はかなり動転していて、きっと採点ミスで、そのうち「あんたは本当は不合格だ」と連絡があるのではないかと不安であった。

その学校は定員の倍の人数を合格者として発表して、集った合格者から抽選で最終的な合格者を出していた。
確か、古い講堂のステージに木の箱がおかれ、そのなかに番号札が入っていて、受験者一人一人がそれをひいた。
最後に校長が残った札(2枚しかない)から一枚ひき、その番号を起点にして60名程が最終的な合格になったと思う。
実は僕は筆記試験で合格したことがうれしくて、クジはどうでもよかった。
母親は、僕が黙っているので不合格だったと思ったらしい。

この時の前後の事はいまだも鮮明に覚えていてる。
今思うに多分、このことが僕の生涯の一番の母親孝行ではなかったか。
そのことだけ考えれば、一生懸命勉強して国立中学校に入学できたことはよかったかな...と回想している。


12月13日
現段階においてご懐妊と発表できる段階ではない
?なんじゃこの表現は。
一般に妊娠しているか否かは0か1か白か黒かどっちかだと思うのだが。
妻が言うには、着床して袋はできているが、心臓が見えないから発表できないのではないか。
しかし普通、エコーで心臓が確認できなくても、妊娠していると言い切ってしまうようです。

少なくとも妊娠していなければ、「ちがいます」と発表するだろう。
妊娠していなくはないのは間違いない。
妊娠しているが、まだ安定期までは時間がかかるから、その間世の中が下手に騒いで、妃電化にプレッシャーがかかるのが怖いのかもしれない。

皇太子結婚は、僕が結婚した翌年だった。
この間に僕は自然体にしていて二人子供ができたが、あのご夫婦は跡継ぎの期待が異常に大きいのにまだ子供がいない。
不妊治療も当然しているだろうし、あれこれできるように工夫もしているだろうが、なかなかできない。
それがやっとこさ7年目にして、懐妊の兆候が見えたのである。
あんまり大騒ぎしてはいけないのだ。
馬鹿なマスコミは騒ぎ立てて、超反動日本テレビなんてさっそく緊急特番をやっていた。
####
お父さんには当校を希望する熱意が感じられないだと。
だめなら不合格にすればいいのに、随分な言われ方をしてしまった。
実に不愉快なのでこのことはよく覚えておいて、あんまり反りが合わないようならそのうち辞めさせてしまおう。
こんな歳になって、もう反省もおべっかも愛想もないのだ。
自分のスタンスは変えられない。
気位だけは高い田舎の学校が、どうも僕には合わないようです。
####
ボーナス日。
夏よりは1割くらい増えたからいいとしよう。
しかしこんな状態がいつまでも続くと、なんのために転職したのかよくわからない。
来夏は「普通」に戻ることを期待したい。


12月12日
谷川・トミー・山下・ドルチェ・オブボワブル
12月11日土曜日に香川県琴南町の谷川へ。
今年いったい何回足を運んだか数え切れない
徳島を出た時間が遅かったので到着が12時頃。
一発目が谷川でそれも12時なんてえ。うどん食いとしてちょっと許せない段取りですね。
天気はよかったが、さすがに12月にもなると四国の山奥は寒い。

店の入り口に並んだ列の前後に徳島の大学生らしき若者が大勢。
教授が研究室の学生を引き連れてやってきた...といった感じの人々もいました。
先生らしきおやじが、「次、山越いくでえ」とほえていた。
卵入り熱いの大+冷たいの小。
卵大はけっこう食いでがある。卵入りは小で食べるべきであろうか。
しかし一度試してみて失敗したが、冷たい麺+卵はやめたほうがいい
いつもながらムラのないできの麺は見事。
そば粉や小豆(ぜんざい用か?)を売っている。
そういえばここは米屋なのだが、米はどこで買うのだろう。

国道438号をそのまま北上して坂出に。
いつものスーパートミーに言ってピギー麺の購入。
時間が遅かったので、坂出市内の山下による。
「郵便局集配職員休憩所」の山下だ。
郵便局員の休憩所を特に指定するというのはなにか意味があるのかしらん。
ここはジェットの一回目以来で、9ヶ月ぶり。
でっかい釜で茹でるいい雰囲気の店だ。
壁には村上春樹が雑誌に書いたページの切り抜きや、サニーデイサービスの色紙がある。
このサニーデイ・・は僕は知らないバンドなのですが、ビデオクリップに山下が出てくるらしい。

ここで私の真ん前に座ったおやじの食い方がすさまじかった。
どんぶりに2玉入&かけだしをたっぷり注いだものを、ものすごい勢いで食べている。
勢いがすごいので汁がまわりに飛び散りまくっている。
自分でもそれが気になるのか、時々食べるのを止めて拭いたりしていてたが、やはり食べはじめると勢いが尋常ではない。
汚れるのが気になるのならゆっくりたべればいいのに...とか思っておかしかった。
よっぽどうどんが好きなんでしょうねえ。
おじさんはうどん大をあっというまに食べおわると、厨房に行ってまた丼に入れてもらい、またまた異常な速度で食べていた。

本来うどんは口内で味わうというよりも、喉ごしを楽しむものだから、ある程度勢いがいるのだ。
ビールを日本酒みたいにちびちび飲んでもおいしくないのと同じで、うどんは一気にすすり込まないと、それらしくない。
私は締めた麺大(2玉)+ネギ、ショウガに出汁しょうゆでいただきました。
びっくりするほどではないけれども、非常に「オーソドックスな讃岐うどん」だと思う。
僕の印象だと、蒲生、山下、田村あたりが、中讃のうどんのスタンダードかな。
なかむら・彦江・宮武ファミリー・谷川などの個性の強い麺とは一線を画するものがある。

とかなんとかいいながら今年はまさに讃岐うどんの年だった。
いったい何度うどんのために香川県に出向いたが自分でもよくわからない。
でも、まだまだ終わりではないよう。
クリスマス前にジェット出動が(多分)あって、その後帰省途中で、家族を連れてどっかでうどるであろう。
このうどん依存症はいつまで続くのであろうか。

途中、いつものドルチェでであっさりしたジェラートを食ってから、徳島に帰ったら4時も回って、そろそろ暗くなっていた。
それでもこれまた最近のパターンにになっている北島町(徳島市の北側に隣接している)のケーキ屋で焼いたシュークリームを買う。
一個150円と高いのだけれども、これが異常にうまい。
しかし家族にはこのシュークリームより、大判焼き(あたりや)の方が評判がいいのであった。


12月10日
というわけで12月10日金曜日の夕方です。
以下の文章は昨日の夕方会社で書いたのですが、日記にも入力せずにそのままおいていたので今日のワシにしよう。
今日は今から部署の忘年会で、それは別に楽しそうでもないのだが、多分月々納めている親睦会費が使われると思われるので、なるべく沢山飲んで、単価の高いものを食べるようにつとめよう。
####
というわけで12月9日木曜日の夕方です。
昨日は6時ジャストに会社を出て、6時半頃には徳島駅前にいたので、たまには家族サービスと思って駅前のあたりやという店(うどんやにあらず)で大判焼きを4つ買って帰りました。
ここの大判焼きはひとつ50円で、安くておいしいので評判です。
私もうどんを食いに出た帰りとか家族にごまをするのに買って帰ります。
もう店は閉まるところで、おやじさんが焼く機械(見ていて楽しい・・・もみじ饅頭を作る機械と似ている)を掃除していた。

その昔「父母恩じゅう教の漫画」というのがうちにありました。
これは浄土真宗が子供を教化するためのテキストではなかったかと思うのだが、ありがたい教えの漫画であった。
私の祖母が熱心な信徒だったので、読むようにくれたのだと思う。

ちなみに祖母の家で真宗は祖母だけで、息子(僕のおじさん)は神道、嫁はカトリック、孫娘がプロテスタントとばらばらで、更にそれぞれがそれぞれの宗教を熱心に信仰しているという妙な家族であった。

この真宗漫画に工場労働者のお父さんが土曜日に半ドンで早く帰るので、子供たちにおいしいお饅頭を買って帰るという約束をして、家族が心待ちに待っているという心温まる話があった。
お父さんは同僚に誘われて飲みに行ってしまうのであったが、家族との約束を忘れずに饅頭を買って帰って待ちわびた子供が喜ぶのであった。
僕はその優しいお父さんになった気分であったかい大判焼きの包みを抱えて帰宅したのだが、家は真っ暗であった。
時刻は7時半頃だったが、既にみんな寝ている!
一人で夕飯を食っていると妻が起きてきたが、もう歯を磨いたので、大判焼きは明日食べるという。
そのうち娘も起きてきた。これは喜んで食べていた。
「あんこがたまらん」とかいっている。
僕も食べるつもりであったが、酒を飲みながら飯を食っていると、甘い物などいらなくなった。

「父母恩じゅう教の漫画」にはお釈迦さんが出てくるような話や、どういうわけだか宮本武蔵の話もあったような。
盲目の人々に象をさわらせて、王様が「象はどんないきものじゃ」と訪ねると「ひらべったくぺたぺたとしたものです」とか「細長いひものようなものです」とかいって、最後には喧嘩になるという逸話もあったな。
あれは部分だけ見ていてはだめで、全体をつかむことが大事ですよ....という説教だと思うのだが、現在の人権的見地からいうとちょっと問題あるね。

というわけで今日は大判焼きを1つおやつで食べようと会社に持ってきたが、やっぱり冷えて固まっていて全然おいしくなかった。


12月7日
というわけで年末のオフ会しましょう。
今年は12/29水曜日に広島で集合です。
参加資格は特になくて、いっしょに楽しく騒げる人ならばよい!
とかいってもいつもあんまりびっくりするような顔ぶれにはならないのだが。

そういえば去年はわりかしネットらしい集まりであった。
http://www3.justnet.ne.jp/~koji_karasuda/nomi9812_1.htm
ありゃ楽しかった。

T大のK井さんは広島に帰ってこないのでしょうか。
K井さんのお姉さんのようこさんもピアノの話が聞きたい。
#というかK井さんと旧姓K井さんを並べて話がしたい(二人は姉弟ではない)。
MIKOさん、だんなといっしょにどうですか。
みちやんや、UZくんも・・
とか言い出すときりがないのでこのくらいにします。
また追って詳細はここと制服社のページで告知しましょう。


しかし私は実はもうじきシステム稼動が待っていて、Y2Kもあるしちゃんと普通に冬休み取れるのかなあ。
という具合ですが、大抵のことはうっちゃる性格なのでどうにかなるでしょう。
・・・とかいいながら夏休みは直前にキャンセルしたな。


12月7日
というわけで年末のオフ会しましょう。
今年は12/29水曜日に広島で集合です。
参加資格は特になくて、いっしょに楽しく騒げる人ならばよい!
とかいってもいつもあんまりびっくりするような顔ぶれにはならないのだが。
そういえば去年はわりかしネットらしい集まりであった。
http://www3.justnet.ne.jp/~koji_karasuda/nomi9812_1.htm

T大のK井さんは広島に帰ってこないのでしょうか。
K井さんのお姉さんのようこさんもピアノの話が聞きたい。
#というかK井さんと旧姓K井さんを並べて話がしたい(二人は姉弟ではない)。
MIKOさん、だんなといっしょにどうですか。
宇部のUZくんは当然くるよな!
みちやんは年末帰省しないのかな。
・・・とか言い出すときりがないのでこのくらいにします。

しかし私は実はもうじきシステム稼動が待っていて、Y2Kもあるしちゃんと普通に冬休み取れるのかなあ。
という具合ですが、大抵のことはうっちゃる性格なのでどうにかなるでしょう。
・・・とかいいながら夏休みは直前にキャンセルしたな。


12月6日
第六感
映画「シックスセンス」の評を雑誌で読んで、「いるべきでない人がそこにいる恐怖」みたいなことが書いてあって、なるほどと思った。
SFXも血もどろどろした怪物もない地味な映画だけれども、自分の家の中を知らない人が歩いていたらどんなに怖いだろうという感覚が伝わる。
「いるべきでない人」が見える少年。
ふとふりかえると、知らない男の子が立っている。
「こっち来いよ。パパの銃を見せてやる」といって背を向けた男の子の後頭部は銃で撃ちぬかれて真っ赤だ。
これは怖い。
その子は暴発事故で自分が死んだことに気がついていなくて、現世をさまよっている。

本当か嘘かわからないのだけれども、以前勤めていた会社に、いろいろなものが見える人物がいた。
「苦労田さんの背後霊が見えますよ」「いい霊だから安心してください」
とても信用できる話ではなかったけれど、こんなんこと言われると怖いよう。
「夜歩いているとね、家の前で小さい女の子が泣いているですよ」「そんなのがしょっちゅう見えるんです。」
幸い僕にはこういった超常現象を体験する能力はないようだ。


12月5日
ちょっと古い話なのでけれど、9月の終わりにうどん食いに行った話をレポートにしました。
こちら。
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/udon32.htm
赤坂と高崎の写真がディープでいいでしょ。
今年はかなりひんぱんにうどん食いに香川県に行きました。
年内にもう一回くらい行けるかなあ。
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ピアノのおけいこ
5歳の娘がピアノを弾きたいというので、僕がいつもひいているRのシンセサイザーを弾かせてみた。
(我が家にピアノはない)
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ファ・ミ・レ・ド を片手で弾く。
しかし娘は単音でメロディを弾くことにはあんまり興味がないようだ。
よく聞いてみると、ぼくがいつもじゃかじゃか和音を鳴らしているのをまねしたいらしい。

なるほど。
なんとなく音楽の入り口はドレミだと思うものだが、音楽とは元来メロディだけで成立つものではない。
旋律・和声とリズムの3本柱からなる。
ピアノだからといって、昔のバイエルみたいにドレミから弾かなければならないものでもない。

それで、Cの和音を教えてみた。
ドとミ。手が小さので片手でドミソを押さえのは無理のようだ。
左手は根音のド。
それで両手でCmajorの和音らしきものが出せる。
「きれいな音」だと感心している。

それならと、こんなのや、こんなのと、いくつか和音を聞かせる。
Amもきれいな音だし、ディミニッシュは不思議な響きだ。

よく考えてみれば僕もピアノは和音からはいった。
とりあえずフォークソングの弾き語りができるようになりたくて、ギターのようにCだかFだかG7をピアノで弾けるように研究したもんだ。
それから徐々に不協和音を知ってジャズやブルースの曲も弾くようになった。

ギターを始めるのにドレミから入る人はいない。
Cの抑え方から始める人がほとんどだろう。
その時に、Cがどういう音から構成されるとか、調性がどうこういうことは知らなくてもいい。
要はCとFとGが押さえれれて、ロックンロールの一つでも弾けるのがいいのだ。

一方で十年近くピアノを習っていて、ソナタが弾けるのに、ドミナントとサブドミナントも知らない人は多い。
そういう人たちは譜面通りに弾くこと以外に音楽を知らない。
最近の音楽教室ではもちょっとちがうアプローチもあるようです。

もう少し娘が大きくなったら、とりあえず歌謡曲やポップスの弾き語りを教えてやる。
それからテンションコードやペンタトニックの音階を仕込んでみようかと思う。


12月4日
つい数日前にこのページがあるBIGLOBEのWEBサーバーの設定が変更された。
セキュリティの強化&2000年問題の対応によるものらしい。
あんまり変わった様子もないのだが、今回の設定変更で、CGIで使っている環境変数に使えなくなったものがある。

アクセス元のサーバー(リモートホスト)を取得するのに
今まで、$ENV{'REMOTE_HOST'}を使用してきた(一般のCGIではそうする)。
これが使えなくなって(しかしなぜか東大のサーバーからのアクセスだけは取得できる。なぜ?)、$ENV{'REMOTE_ADDR'}に変更した。
この二つの環境変数がどうちがうのか今までよくわかってなかったのだけど、やっぱりわからないなあ。
新しいCGIに置き換えて動作確認をしたら、とりあえずアクセスもとのホスト名が取れている様子なので一安心です。

しかし、会社でもWEBのアプリをごりごり作っていているのだけど、自宅でもおんなじようなことをしているのはなんか妙ですね。
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年末多分広島に帰れそうです。
12/29か12/30に飲みに行きましょう>広島の各位。
また適当に段取りしてくれ>制服者・藤川さん
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僕の実家のすぐ近くにある自動車メーカーの社長に僕とおんなじくらいの年齢の若い人が就任するという噂はきいていた。
てっきり藤川さん(僕の実家の裏のマンションに住んでいる)が主任からいきなり社長に上り詰めるのかとおもっていたが(嘘)、やっぱりフォードから来ている超エリートだ。ハーバードで経営修士の38歳だって。すごいですねえ。
しかし前任のミラー氏は短かったなあ。体調不良が理由らしいが、実は裏でいろいろあるのでは?
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明日(12/5)にちょっと面接がある。それでここ3週間のばしぱなっしにしていた無精ひげを剃ろうと思っていた。
が、ちょっちほう骨あたりのヒゲを剃ったら、表皮の痛いこと。
結局全部剃るのはやめた。面接はどうにかなるだろう。
歳のせいか面の皮が随分弱っている様子で、日々のシェイビングにはとても耐えられない。
もうしばらくはほっておこう。
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ゲストブックの未整理の過去ログを見れるようにしました。
こちらからどうぞ。
http://www3.justnet.ne.jp/~koji_karasuda/nbmenu.htm


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