日々雑談:1999年10月
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10月29日
とうわけで10/29の金曜日です。
なんだかんだで10月も終わりだ。
でも妙に暖かい。
来週からはフレックスになるのだが、僕の通勤はシャトルバスの時間に制限されるのであんまり生活は変わらないでしょう。
これを機会に軽自動車でも買いたいところですが、まあ僕一人が我慢すればすむことなのでしばらくこのままでしょう。
おお、となりのあけぼぼが帰っていった。今日は今から飛行機で東京らしい。
そういえば昨日は例の裁判の調停がある日だった。
きっと和解が成立したと思われますが、直接関係がないのであまり知りたくありません。
午後はちょっと集中して仕事をしてある程度すすめておかないと。
今日は晩に飲みに出るので残業できん。
というわけで12時53分です。


10月28日
UZ君がイタリア旅行にでかけるらしいので、イタリアに行ったときの話を書こう。
#外国旅行を自慢するのは楽しいですねえ。

90年の初夏に、おおざっぱに4週間欧州にいた。
そのうちローマ・ベニス・フィレンツェ・ミラノに4〜5泊づつ、あとはパリにいた。
行き帰りの飛行機だけ予約して、あとは現地で宿を探しながら、ユーレールパスの一等で移動した。
新婚旅行のスイスでも思ったけど、鉄道は一等がいい(船はもちろん)。
国内じゃグリーン車にも乗ったことないんですけどね。

ローマはスリが多くて怖いところだとさんざん聞かされて行ったが確かに怖かった。
まずテルミノ駅近くの安い宿をとったら、そこのおやじが「明日はバチカンの法王を見れるから行け」という。
そして「バスや地下鉄に乗ったらスリがいるからずっとバックを抑えていろ」といわれた。
地元の人間にそういわれるとさすがに身構える。

テルミノ駅あたりも治安の悪いところらしくて、昼間から失業者らしい男たちがあちこちにたむろしている。
駅北側にバス乗り場があるのだが、夕方になると南米系やアフリカ系の人間が大勢集まってくる。
まことに雰囲気が怖い。
こういうところから人種差別が生まれるんだろうけどね・・とう話は前にも書いた。

そんなこんなで、ドキドキしながらバチカンに行って法王も見たし、ミケランジェロも見た(首が痛くなる)。
ローマは道路事情が悪くて路上駐車が難波(!)あたりの比ではないし、道路を横断するのに歩行者が車を無理矢理遮らなければならない。
結構街をうろつくのも命がけだと思った。

しかしローマもミラノも女性が実に美しい
さすがにファッションの中心だから?
はっとするような美人がものすごく多い。きょろきょろしてしまう。
マドリッドやパリやロンドンでは考えられないくらい、高い美人率を誇っているといえよう。

フォロ・ロマーノやコロッセオをじっくり見る時間があるのなら古代ローマの歴史を勉強していくと楽しい。
凱旋するシーザーや、ライオンに食われるキリスト教徒が見えるような気がしてくる。
#フィレンツェならルネッサンスをちょっとかじって行こう。

私は、ローマの雰囲気が悪かったのでそれ以上南に行く勇気がなくて(小心者)、北上しフィレンツェに行った。
ローマ・フィレンツェは特急で4時間くらいだったと思う。
イタリアは大都市間が特急で短時間で結ばれていて便利がいい。

あと、イタリアでは予想外に英語が通じるので、旅行者はイタリア語を使う必要がない。
観光用の英語なので難しいことも言われないし、スペインやフランスと比べると100倍話が通じる。

といわけで以下後日。(もうないかも)


10月27日
バンドエイド
朝バスに乗って聴いていたラジオ番組で、「地域の言葉」みたいな話があって、それは広島修道大学の先生の研究なのだが、方言の話
かと思ったら、そうではなくて商品名の普遍化(←これは僕の理解でのことば)といった主旨の話だった。
どういうことかというと、そこで出てきた例では「バンソウコウ」のことを東日本ではだいたい「カットバン」という。
指先を怪我したときに、●●出してと頼むとき、かなりの日本人は「カットバン」を要求する。
バンソウコウ=カットバンという認識が浸透している。
んが、中国地方ではこれが「バンドエイド」だ。
これは僕もそうです。「カットバン」よりも「バンドエイド」の方がより一般的な言葉に思える。
実際に薬箱から取り出すのが、カットバンでもバンドエイドでもどちらでも問題ないのだが、とりあえずバンソウコウとは言わず、「バンドエイドないか
な」とか言うと思う。
これが九州の南部に行くともっとちがう(聞いたこと無いような)商品名になるらしい。

これは面白い。
肩が凝ったときに貼るシップ薬を僕は「サロンパス」と僕は言う。
関東では一般的に「トクホン」という。
中国地方人にとっては「トクホン」は「貼る」というよりは「塗る薬」という語感が強いが、関東人はシップ関係をだいたい「トクホン」と称する。
多分大手メーカーでも、地域によって営業力の強弱があって、一般的に使われていると思われる商品でも、案外、ある地方では全然別なメーカーの
商品が強かったりするのかもしれない。

よくいわれるのは食品関連で、食べ物の嗜好は個人差地域差がすごく大きいから、大企業の寡占状態にならず、中小のメーカーでもやっていけるら
しい。
就職で上京した頃の話で、スキーにいくのに女の子が「珍しいお菓子を買ってきた」と自慢気に話すのである。
これが「おにぎりせんべい」なのだ。
こんなもん渡辺篤(たてもの探訪)のCMで、大昔からお馴染みだ。
ところがこれが関東ではほとんど流通してなくて、非常に珍しい。
東日本と西日本ではかなり味付けもちがうらしくて、カップ麺も東西で中身がちがうらしい。

商品名の普遍化といえばシンセサイザーも初期のころは「ムーグ」(モーグ)と総称された。
これは最初のシンセサイザーがムーグ博士の発明による商品だったためでしょう。
電子オルガンは多分いまでも「エレクトーン」だと思っている人が多いと思うが、これはヤマハの商品名で、カワイは「ドリマトーン」だし松下は「テクニト
ーン」(まだあるのか?松下の電子楽器)だし、ローランドはアトリエだ(←これが思い出せなくて資料を調べた。営業してたのに)。
ウォークマンなんて完璧に普通名詞になっていて、携帯で音楽を再生する機械は全部ウォークマンだよな。
####
あしたは健康診断の日。
朝、尿採取を忘れないように。


10月23日
うどんデイ
金曜日(10/22)は遅くて帰ったら夜中の12時を回っていたのだ。
次の日は例によってうどんなので早いので寝ないといけないのだが、なんかかんかで寝られなくて結局3時間程の睡眠で早朝に出かけた。
8時くらいに徳島を出て、坂出まで約2時間。
そっから高松までかなり広い範囲で5軒のうどん屋で食べた。
帰宅したのは4時過ぎだったので、かなり長いうどんデイだ。
今回のツアーでは、私の新規は2軒。
またピギー麺もゲットできたし、加えて粉も入手できたのでなかなか充実した一日であった。

今回の概要は
1.彦江(坂出)
10時前くらい。あいかわらずレベルは高いが、いつぞやの感激の麺ではなかった。
2.トミー旭町店
スーパーでピギー麺を購入。
大勢(10人)で大量に買っていたら「キャンプなん」とか地のおばちゃんに聞かれた。
3.松岡
×駐車場が一杯で入れず
4.前場(綾歌町)
急遽予定外の前場へ。
これがタイミングが良かったのか、すごく腰のあるいい麺が出てきた。
普通のセルフ店だが、ここは侮れない!
念願のうどん粉(スズメだったかな?金魚ではない)を購入。
5.近藤(満濃町)
おどろきの普通の家。
打ち立てをそのまましょうゆでいただいたら、かなり固かった。
カケを一口もらうと、麺もいい具合の柔らかさだし、出汁がちょっとうどんらしくない?味でなかなかよい。
次回は「かけ」で食べよう。
6.中北(高松市)
私のタコナビのせいで、でさんざん3台の車を引っ張りまわしてようやく到着すると、臨時休業だった。
天ぷらを楽しみにしていたのですごくショック。
7.中西(高松市)
中北の近くのセルフ。ここは初めて。
どんぶりの色で玉数が決まっているらしい。
味はどういうこともなかったが、いかにも地元の人が集まる大衆セルフといった雰囲気がいいですね。
8.あたりや(高松市)
締めはあたり屋。どっかのTV局の取材が来ていた。
やっぱりS級店。5杯目だったが、一番うまかった。
見た目濃いそうな出汁の味わいが深い。


10月21日
<B>AS賛歌
中村正三郎がまたAS-400を誉めていて、
http://www.asahi-net.or.jp/~KI4S-NKMR/
こういうオープン系の人(だと僕は思っているのだが)がメインフレームを持ち上げているのを読むとうれしくなる。
僕はS/38の時代にRPGで随分プログラムを書いた。
最近会社でAS-400をいじる機会があってものすごくひさしぶりにエディター使ったりコンパイルしたり、あれこれさわっていて、操作性が全然変わってないのに驚きました。
コマンドラインから打つコマンドは若干異なるのだけども、OSの「それらしさ」は変わりませんねえ。

これはなぜだろう?
アーキテクチャーの基盤部分は当然進化しているのでしょうが、上モノは頑固なまでに同じスタイルだ。
具体的に言えばアプリを組むためのインターフェースが10数年ほとんど変わっていないということでしょう。
APIには最初から、無駄なものはないし、足りないものもなかった。
非常に完成度が高かった。
だから、技術者はVERUPの度に極力基盤部分の違いをOSで吸収して、外側を同じにする努力をしてる。
これはなかなかすごい。

開発言語のRPGは実にコマンドが少ない。
びっくりするくらい。
なんでこんな少ないコマンドでシステムが構築できるのか?
逆に他の環境ではなんであれこれ勉強しなければ使いこなせないか。
UNIX&オラクル上でPRO-Cでソフト組むってのと、AS-400でRPGを組むのはレベルが全然ちがうんでしょうね。
UNIXは自由度は高い(らしい)が、ユーザーは多くのことを学ばなければならない。
ASはOSレベルでがっちり固まっているので自由度は低いが、開発者はあまり中身を知る必要が無い。
基幹システムを組むのにどちらが適しているかは明白ですね。

中身を知らなくてもある程度のモノができるのであれば、当然保守性も高い。
トラブルも少ない。
本当にいいマシンだと思います!


10月19日
縦書き横書き
ふと、もう長いこと文章を縦書きで書いていないことに気が付いた。
そもそも、手で文字を書くことが少なくなっている。
ワープロで作文するのに、わざわざ縦書きにこだわる人は少ないだろうし、パソコンの画面で縦書きの文章は見ずらいに違いない。

小学生の頃に通っていた学習塾で超保守的な国語教師に現代文を叩き込まれた私は、結構日本語文にこだわりがあった。
国語の授業を横書きで板書しているやつは馬鹿にしていたし、縦書き文章を左から右に書くヤカラは更に軽蔑していた。
大学ノートを使うにしても、国語だけはノートを横にして、文章は縦書きだった。
しかしだんだん「国語の授業」というのが生活から離れていくと、(手書きでも)文章を横方向にしか書かなくなっていた。

普段、文章を縦に書く機会があるか?
あるとしたら手紙だろうが、手紙の文章さえもワープロで打つから横書きにしてしまう。
ワープロだと横書きになるのは、その方がレイアウトしやすいからでしょう。
ワープロで作っている年賀状は縦だったり横だったりしている。
「年賀」だから縦の方がそれらしいような気もする。
しかし、例えば(そんなことはしないけど)自分で小説でも書いてみようとか思って、ワープロに向かっても縦書きにはしないだろう。

しかし一方で読む文章は縦書きの方が圧倒的に多い。
新聞も雑誌も文庫も全部縦書きだ。
文庫本の文章が横書きだったら読みずらそうだ。

これは結構不思議なことかもしれない。
欧米の言語やアラビア語の文章で縦だったり横だったりすることはあるのだろうか?
何かで読んだが、仏語では本の背表紙は下から上に向かって文字が並んでいるそうだ。
それでも横書きの文を縦にしているだけだろう。
読む人は首をかしげて文字を追わなければならんが。
中国語や韓国語はどうなんでしょう。
中国語は縦書きが普通だと思っているが、左から右の横書きで作文することもあるんだろうか?

ある日突然、朝日新聞が(英字紙のように)全部横書きになったら、随分混乱しそうな気がする。
しかし次の世代では、縦書きの日本語文章というものは存在しなくなるかもしれない。
####
だるい。熱はないのだが、非常にとてもかなりしんどい。
なんで熱がないのだろう?このしんどさはなんだ。
顔がむくんでいて表皮が痛い。ヒゲがそれない。


10月17日
10/16・17と、なにもしない週末を過ごす。
外出は近くの公園に、2日続けて2時間ほど子供を連れていっただけ。

先週の「名曲物語」(テレビ大阪)で取り上げられていた「G線上のアリア」が弾きたくなって、昔の楽譜を探してみる。
「レイモンド・ルフェーブル」の曲集にあった。
中学生の時に買ったのだけど、あの頃はフレンチポップスがはやりでポールモーリアやカラベリやいろんなポップスオーケストラがあった。
広島の体育館でポールモーリアかフランクプールセルかそのあたりのコンサートを見に行ったことがある。

その譜面には「ある愛の詩」や「エマニエル夫人」といった映画音楽や、出所はよくしらないけどだれでも知っているようなスタンダード・・・「シバの女王」とかが、しごく当たり前なピアのアレンジで載っている。
「当たり前」というのは、前奏間奏エンディングありの構成で、左手アルペジオ+右手メロディのアレンジということです。
フレンチだからかミッシエル・ポルナレフの曲もあるぞ。
ポルナレフといえば、前回のサッカーのWカップの時に日本のテレビ局が「シェリーにくちづけ」をテーマ曲にしていたが、若い人はオリジナルがなんだかわからんだろう。
クラシックではパッヘルベルのカノンや、アランフェス協奏曲の2楽章、モーツアルト40番の1楽章なんかある。
「二人の天使」〜Concerto Pour Une Voix〜(独唱協奏曲?)があるのですが、確か「スキャットの女王」という歌手の持ち歌だ。
中学二年生の時にこれも来日コンサートを見に行った覚えがある。
歌手の名前は忘れてしまった。

「G線上のアリア」は英語のタイトルは「Air For The G-string」だそうで、アリアは英語でAIRなんだろうか?
レイモンド・ルフェーブルはこの曲をどういうアレンジで演奏していたのだろう。
邦題は「哀しみのアリア」だそうです。ちょっと恥ずかしい。
よく見ると、アランフェスは「愛のアランフェス」だ。
マイケルジャクソンのビートイットが「今夜はビートイット」だったり、サンタナの「ヨーロッパ」が「哀愁のヨーロッパ」だったりするのと同じですね。

今週の「名曲物語」は「サニーサイド」であった。
ジャズのスタンダードだけども、ゲストは小野リサ(ボサノバの人)だ。
この人も準レギュラー格でよく出てくる。
最近の週末はこの「名曲物語」と渡辺篤「建もの探訪」の録画を見るのが習慣になっている。


10月13日
なぜ暑い10月
そういうわけで今10/14早朝の4時半です。
なんでこんな時間から起きているかというと、暑くて寝苦しくて寝てられないのです。
ちょっとテレビをつけてみたら今日は西日本では最低気温がだいたい24度くらい、最高気温が28度。
なんじゃあ、これは10月中旬の気温かい。
部屋の空気は残暑で暑いというよりは、まだ夏そのものといった感触です。
たたでも不眠ぎみで調子が悪いのですが(いつもそう)この蒸し暑さはたまりませんねえ。
とうけでどうにかあと1、2時間は寝る努力をしないと、今日は夕方からミーティングがあるのでしんどいのです。


10月12日
1年くらい前から身辺で遺産問題でもめているのだが、今月末漸く和解に至る。
私も当事者の一人なのだが、面倒で人まかせにしている。
結局裁判所には一回も出向かなくて済んで正直なところほっとしている。
が、一方で腹が立ってしょうがない。

そいつは親が死んだ時に連絡先もわからない状態だった。
かけつけた葬儀の後、わずかな額の預金を即座に差し押さえ、親族を相手方に裁判を起こした。
1部上場企業を定年まで勤めた人間だ。暮しに困っているわけではあるまい。
そこまで金が欲しいか?
半身不随の親を騙して、病室をあら捜しして通帳を盗むことが平気でできるか?
寝たきりの親の面倒を長年看ていた妹に感謝の気持ちは全くないのか?
金のためなら人間はそこまであさましくなれるのか?

そういう下賎な野郎と血がつながっているだけで本当に身の毛がよだつ。
心から軽蔑してやる。
ワシはこいつの葬式には絶対にいかんぞ。
もっとも死んだことを、僕ら知る由もないだろうが。


10月11日
なぜバッハ
テレビ大阪製作の番組に「名曲物語」とうのがある。
スポンサーは松下で、日曜日の朝に放送している。
ジャンルを問わないスタンダードを毎週一曲取り上げてあれこれ解説する番組なんだけれども、なかなか趣味良くできていて最近見るようになった。
テレビ大阪ローカルみたいで、その存在を知らなかった。
ここんとこで取り上げられた曲は、「イパネマの娘」「What a Wonderful World」「サマータイム」「煙が目にしみて」とかホントにスタンダード。
こういうスタンダードだと、いろんなジャンルのミュージシャンがカバーしているて、それの紹介も面白い。
渡辺香津美が月に一度くらい出てくるみたいで、ガットギターで一つの曲を「ボサノバ風」や「ジャズ風」「フュージョン風」に弾いてくれる。

昨日(10/10)放送分は、僕が見始めて初めてのクラシック、バッハの「G線上のアリア」。
誰もがバイオリンの曲だと思うだろうこの曲、僕もバイオリン・パルティータかソナタの中の一曲だとばかり思っていた。
元は管弦楽曲で、これがバイオリン独奏でひかれるようになったのは今世紀の初めだそうです。
http://www.co.jp/meikyoku/
↑ページはこちら。なんか妙なドメインですね。
あ、テレビ大阪とテレビ神奈川だけか。もったいない。

バッハはいろんな曲がコンテンポラリーな世界で取り上げれるけど、クラシックの世界ですでにカバーされてたわけだ。
なんとマーラー編曲によるフルオーケストラバージョンまであるらしい。
スイート・ボックスとかいうのがラップでカバーしたのはかなり最近ですね。

古典派やロマン派やそれ以降のクラシックの曲よりも、大昔のバッハがロックやジャズでよく取り上げれるのはなんでなんでしょう?
プログレやアートロックと言われた60年代のブリティッシュなんて、バッハ抜きでは絶対にありえないよね。
そもそもロックにクラシックオルガンを使うこと自体バッハのオルガン曲を意識していたにちがいない。
すごく数学的・建築的といわれるバッハがコンピュータミュージックに非常に相性がいいのも興味深い。
####
みました、マトリックス。
面白い。(レンタルビデオでなく)映画館でみてよかったと思いました。
映画館でまともな映画を見たのは「フック」を浜松で見て以来だから、約7年ぶりです。
ストーリーが完結してない。どう考えても続編がありそうだ。
映画館から出たらすっかり気分はキヌアリーブス。
眼鏡は幅の狭いグラサンで、黒のジャケットとコートを着た僕は、カンフーの達人になっていた。


10月10日
連休
10/9
ひどく暑い。
午後から近くの動物園に行く。
去年の8月に娘と二人で行って以来。
夕方ひこ氏から電話あり。
香川でうどん食べるらしい。
是非、谷川と中村は行って欲しい。

夜、テレビで「ミッション・インポッシブル」を見るが、どうも筋が分かりにくい。
トム・クルーズがどこで事件の真相に気が付いたのかよくわからなかった。

10/10
家族で鴨島の三木でうどん。
私は釜玉と冷を一杯づつ。
今回はあんまり感動がなかった。外れの日か?
更に足をのばして阿波町のイタリアンジェラートの店に。
この店は3回目。行くたびにメニューが違う。
梨と小豆をいただく。さっぱりしていていい。

石井町から山を越えて神山町へ。
神山森林公園に。
今シーズンはここに何度かでかけた。
広くていい。

今日は日曜洋画劇場で、「インディペンデンス・デイ」を見た。
特撮がすごいけど、中身の無さもすごい映画だ。
UFOの現れ方と攻撃の場面がすごいだけで、その後の話が無理だらけ。
SFの面白さに乗っかっただけで、リアリティが全然無い。

昨晩の「ミッション・インポッシブル」の録画を見直してみる。
2時間全部見てみた。
ああ、生き残っていた上司に会う前に、聖書のホテル名で気が付いていたのか。

明日、ものすごく久しぶりに映画館で映画を見ようと思うのだが・・マトリックスなのだけども、「インディペンデンス・デイ」と同じような感想を持ちそうで心配です。
テレビやビデオで見てつまらないのは我慢できるが、ロードショーの高い料金払って駄作だと腹が立つ。
んが、年に1回も映画館で映画を観ないので、たまたま見に行った作品が「はずれ」でも文句がいえる筋合いでもないといえよう。


10月7日
おお、今日は息子の3歳の誕生日ではないか。
思い返せば3年前の10月、その春に縁も縁も無い徳島に越して来て、最初に仕事らしい仕事をしたのがこの時期であった。
ネットウエア上に作られたシステムで、会社の棚卸しをしたのだけれども、その中身がよくわからないし、未完成の部分があったりして、なんかえらく作業に手間取っていた。
私は(実は)製造系のシステムの経験が一番長いので、当然棚卸しなんて何度もやっているのだが、この時はシステムの中身がなかなか見えなくて困りました。

ホントは息子の出産には立ち会うつもりで、出そうになったら連絡するように言っておいたのに、知らない間に生まれていた。
まあ二人めとかなると陣痛が始まってから出てくるまではやいようです。
んでもって、岡山の産院で生まれたのですぐに見に行きたかったのだが、そこはそれ仕事から容易に開放されなくて、結局息子の顔を見たのが10/10の祭日(その日も出勤していた)の後だったと思う。
別にいつもそんなに忙しいわけではないのに、ちょうど仕事のピークと出産が重なったわけですが、ものごとはそういうものです。

という風な話を毎年この時期になると思い出してここに書いているような。

出産の後、しばらく一人暮しで動きやすかったので、以前に世話になった男性の墓参りに奈良まで行ってきた。
その人は37歳で突然死して家族がまことにかわいそうであった。
といいったことも毎年この時期に思い出します。


10月5日
10/3のワシは、南米に出張している弟のメールが面白かったので、そのまま使ってしまいました。
私の弟は財閥系の重工会社の技術者であるが、この不景気で仕事がないらしく、最近海外出張ばかりしています。
作っているモノが、プラントやら火力発電所やら(よくわからない)で、納品先に行ってメンテ作業をしているらしい。
インドネシアのなんとかいう島のジャングルや、ブラジルとボリビアの国境とかいう普通だと絶対にいけない場所に出向いているようです。
#幸いなことに原子力がどうこういう話は聞いたことがない。
同じメーカー勤めでも、私のようにソフト会社にいるのと、重厚長大産業にいるのとえらいちがいだ。
私は今時の技術者(技術者でなくても)は、職種に関わらず、大抵コンピュータを使って仕事をしているものだと思っていたが、プラント屋はあまりコンピュータに馴染みはないそうです。
ちなみに私の長兄は自動車メーカー勤務なので、兄弟3人で重→軽3段階の製造業で仕事をしているといえよう。
####
ピギー冷凍麺
食いました!ピギーの冷凍麺。
我々のバイブル「恐るべき讃岐うどん」で絶賛され、「ピギー麺+東マルうどんスープより不味いうどん屋はいくらでもあるで」とまでいわれているやつです。
現在、ピギーは現在は日清製粉の子会社になっていて、日清冷凍とうい社名に変わっています。

ここの冷凍麺が徳島では入手できないので、詫間の会社に直接問い合わせたところ「丸亀・坂出・詫間のトミーに行けば確実にある」ということでした。
トミーというのは中讃地元のスーパーらしい。
で、前回のジェットで坂出のトミーを探し(電話帳で住所を調べたら簡単に見つかった)、購入しました。
クーラーボックスに入れて持ち帰って、みんなで分けたのだが、これが驚きです。
さすがに幻の冷凍麺と言われるだけあるよ。

麺のぷりぷり・むにゅむにゅした弾力が普通ではない!
あまり腰の強いうどんに慣れていない人には抵抗があるのでは、と思うくらい歯茎を押し上げる麺です。
私はきちんと比較がしたかったので、マルヨシの冷凍麺(これも結構評価は高い)を買ってきて、同じ時間だけ茹でて比べました。
もう、ぜんぜーん腰がちゃうでえ。
今まで「それなり」と思っていたマルヨシオリジナルブランドの冷凍麺なんか、ぼそぼそのふにゃふにゃで×。
もしかしてこのピギー麺があれば、徳島の店でうどん食う必要ないんじゃあ(鴨島三木は別)と思うくらいです。
次回は10/23くらいに香川に出向く予定なので、またごっそりPG麺を仕入れて来よう。

会社のラウンジのうどんがピギーなら、俺毎日食っちゃうけどなあ。
####
忘れていたが昨日10/4はわたくし結婚記念日であった。
今年で満7年。最初は浜松に住んでいたんだけどね。
娘が生まれて、東京に移って、いろいろ苦労してから徳島に移住して、息子ができて家も買った。
結構あたふたした7年であった。


10月3日 その2
UZボリビア特派員です。

(9月30日:第2日目)
初日と同様、6時半にホテルのロビーで迎えの車を待つ。
しかし、待てどもやって来ない。
30分ほどたって、エンジ会社の人間から電話がある。
「ボリビア国境で、一般労働者がストライキで国境をバリケードで封鎖してるらし
い!」
との情報が。
ドライバーはボリビア人だから、どうりで来ないはずだと納得。
「ということは今日は休みか!!」と思いきや、
「ドライバーがボリビア国境で待っているので、別の車でブラジル国境まで行き乗
り換える。
今日は帰って来れないかも知れないので、すぐ荷物をまとめてチェックアウトし
ろ!」と。

ということで、どたばたしながらなんとか出発。
昨日の国境も、今日は歩いて越えた。
バリケードは車を並べて作っており、歩いて通るのは別に問題なし。
また、クーデタでもないので、危険は全く無かった。
ボリビアの国旗を振りながら、笑ってた。

ボリビア側では、確かにハイラックスが待っていた。

しかし、ここからもすんなりいかないのが、今回の旅。

更にボリビアへ向かう道路も封鎖されてるらしく、サイトに行くことも、ホテルに
帰ることも
出来なくなった。すでにここまで送ってくれた車はブラジルへ帰ってるから。

することなく国境で待ちぼうけをくってると、いきなり出発すると言い出した。
封鎖が解除されたのかと思ったら、そうでもないらしい。
道路がだめなら、線路があるさ!と言うことで、車はいきなり線路を走り出した!
線路を走って、封鎖が無いとこまでとりあえず行くらしい。

これには、さすがにぶったまげた!!!
列車が来やしないかとハラハラしながら、からだはいつでも飛び降りれる体勢に。
ハイラックスならではの、行動だった。
なんとか、無事にバリケードを突破!
封鎖はたまにあるらしく、ドライバーは平然としてた。

こんな経験日本じゃ出来ないと思うと、自然に笑いが込み上げてきた。

ということで現在、サイト内の宿舎に居ます。
結局、夜になっても、封鎖は解除されなかったらしい。

今夜はゆっくり満天の星空の下で寝ることとしよう。

それでは、おやすみなさい。


10月3日 その1
UZボリビア特派員です。

現在、深い森の中にあるボリビアサイトの宿舎でこのメールを書いてます。
この宿舎には、テレビも無ければ、飲み物やツマミも手に入らない。
あるのは、シャワーとトイレ、ロッカーとベッドだけ。
唯一の救いは、エアコンがあり、また電源があるのでこのようにCDを聞きながら

ベッドの上でメールが書けることかな。

今日が2日目、とりあえず、あと2,3日の予定です。
10月末にプラント立ち上げのため、再度2〜3週間は拘束されることでしょう。

ここ2日の出来事を書いてみたいと思います。
ちょっくら私の暇つぶしにお付き合い下さい。

(9月29日:第1日目)
ブラジル側国境の街、コルンバを朝6時半にエンジ会社手配の車で出発。
車は、ハイラックスダブルキャブ。
街を出て10分程で国境へ。
国境事務所ではパスポートの提示を求められる事もなければ、荷物検査もなし。
何事もなくブラジル側を出て、川をはさんで今度はボリビア側。
生まれて初めて、陸路で国境を越えた!
ここも軍服姿の警備員がいるが、特に何もチェック無し。
どってことないじゃないか!!!と思うのもつかの間、
アスファルトの道路は突然悪路に代わり、家並みも突然バラックに。

これがボリビア探検の始まりだった。

バラックの家々もすぐ姿が無くなり、周りの景色は、森、森、森。
ひたすら真っ直ぐで、2車線ほどの悪路が、ただ、ただアップダウンを繰り返す。
そこを、時速100キロで駆け抜ける。
日本で言えば、林道を突っ走ってる感じかな。
後ろを振り返ると、砂煙で何も見えない。

時々ボリビア側から、コカインでも運んでそうな、トラックがすれ違う。
今度は前が何も見えない!
そんなWRCの気分を味わいながら、森の奥深いサイトをひたすら目指す。

サイトまでの所要時間は1時間半。
振動でとても寝られたもんじゃなく、手摺にしがみついてた感じ。
後の荷台では、荷物もいっしょに飛び跳ねてる。
行けども、行けども景色は全然変わらない。

疲れがピークに達する頃、ようやくサイトへ到着。
これから働かなきゃいかんと思うと、気分がめいった。

昼間の気温は40℃。
でも湿度が低いようで、インドネシアよりはまだましだった。
時々、屋外プラントを熱風が吹き抜ける。
仕事に対するモチベーションを維持するが大変だった。

昼の休憩は2時間、サイトの食堂でボリビアーノワーカーと共にとる。
食後は木陰でちょっと一眠り。

ようやく6時に仕事が終了し、これから来た道を戻ると思うとさらに疲れが。
帰りは既に日も沈んで辺りは真っ暗。

帰り道、時々路上に牛がいてびっくりすることも。
また、森の奥では野焼きをしてるようで、夜空を真っ赤に焦がしてる、不気味だ!

サイトを出て、30分程経って、今度は稲妻がブラジル方面で数分に一度光ってる

こんなにはっきり、しかも何度も稲妻を見たのは生まれて初めてだった。
幸いにも雨は降り出さなかったので、無事コルンバにたどり着くことが出来た。
前MHI・S/Vによると、大雨が降ると、車がスタックして、ちょっとやそっと
では、
脱出出来ないらしい。
あ〜、無事に帰れて良かった!
その夜は、飯食ってひたすら寝る。


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