日々雑談:199909
日々雑談:1999年09月
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9月30日
空が落ちてくる
10年くらい前に、東京でバンドをやっていました。
僕は人から頼まれてピアノを弾いていたのだけれども、それが左翼系のバンドでした。
反核集会やら千里塚の集会やらに呼ばれて演奏していました。

ボーカルでリーダーの男性(実は名前を忘れてしまった)が、筋金入りの「運動家」らしくて、定職には付かずに反体制の音楽をやっていました。
そのバンドの代表曲に「空が落ちてくる」という作品があって、その歌詞をこちらに書きました。
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/dabun12.htm

福島の原発近くのGSで働く男の話です。
大きな事故が起きたようなのだが、何も知らされない。
男は落ちてくる空に怯えながら、家族の元に急ぐ。
そして(多分)最期の時間を迎えるのです。


自宅近くの化学工場で、「臨界状態」が発生する恐怖を考えてみよう。


9月29日
久しぶりに家族の起きている時刻に帰宅すると、5歳の娘がうるさいウルサイ。
しゃべり始めるのが遅くて少し心配したこともあったが、ここにきてはじけたのかよくしゃべる。
幼稚園であったことなど、やっと最近になって話すようになった。
それと森羅万象への質問が多い。
曰く、「月になんで兎がいるの」「バッタはなんでできているの」「神様はどこにいるの」「宇宙はだれが作ったの」
真面目に答え出すときりがないし、ちゃんと説明する知識もないので、いつもいい加減なことを言っているのだけれども、つまり世の中は謎だらけなのだ。

私「宇宙ができるまでは何もなかったのだ」
娘「神様もおらんかったんえ」
私「多分いなかったんでしょう」
娘「じゃあだれが宇宙を作ったの」
私「だれもいないところに突然宇宙ができたのさ」
難しいですねえ。

しかしなにはともあれ、「神」の存在はへ理屈をこねる場合に重宝する。
####
ひい。株式をどうしよう。
まさかこんな直近に売れるチャンスがあるとは思っていなかったのであたふたしている。
自社株なので、売れる期間がかなり限られる。
今日(9/29)は2600円くらいをはさんで上下していたが、昨年の今ごろ300円だったり、3週間前には3500円くらいだったことを考えると、なんとも不確かすぎてどうもこうも困りますねえ。
妻が一時「3000円以上でないと売らない」(僕ら社歴の浅い人間はかなりの株数を公開時の2500円で買わされている)と言っていたので、果たしてどうしたものか。
2度程証券会社に電話をしたが、それはそこ、優柔不断で小心ものの私なので結局売却できなかった。
しかし今回がまともな値段で売れる最後のチャンスかもしれない。
あるいは、半年なり一年待てばとんでもなく化けるかもしれん。
今日の家族会議の結果どうにかローンへの元金補填の単位程度の現金は作ろうということで、もう面倒なので全部妻に任せることにした。
といっても、9/30一日のことだけど。
会社にいると、なまじっか株価の動向がネットでわかるので、落着かなくていけない。
まあ、もう上がる要素はないから、今回のところは、売るタイミングを逃して、結局そのままになるんでしょうねえ。
株なんぞ素人が手を出せないといところを改めて実感するのでした。


9月26日
うどんとシンフォニー
9/25日土曜日に、またまたまた讃岐うどんしてきました。
朝の7時半に集合一路中讃へ。
まず、綾南町赤坂、高崎
どちらもかなりのディープ度です。

それから坂出市内に出て、トミーというスーパーで念願のピギー冷凍麺を取得
持参のクーラーボックスに入れます。
それからそのスーパーのすぐ近くの彦江へ。
ここは特別思い入れの強い店ですが、今日は普通のできでした。
彦江を出ると、私はもうその時点で結構苦しくて、谷川直行でもよかったのです。
が、若者たちがもっと食いたいということで、やはり坂出市内の蒲生へ。
ここもいいときは恐ろしくうまい麺を出すらしいのですが、まだあたらないですねえ。
でも、チクワ天ぷらも食ってしまう。

そして、いつもの「締め」の谷川へ。
お腹いっぱいでひーひーいっていても谷川だと「まだまだ」入ります。
冷やの小をおかわりしました。
ここはあんまり出来不出来の「波」を感じさせません。
いつ行っても最高の麺が出てくる。
自家製唐辛子がすごくよい。

そして、徳島県に戻ってから、鳴門〜池田の県道沿いにある、イタリアン・ジェラルトのドルチェに。
今回はむらさきイモを注文。
本当はいちじくがよかったのだけども、この日はありませんでした。

3時頃徳島に帰着して、一旦家に帰り、シャワーを浴びて(この日はひどく暑かった)からすぐに出直した。
朝が早かったから、本当は1時間くらいは昼寝をしたかったけれでも時間が無い。

で、久しぶりにクラシックのコンサートを観てきました。
地元の交響楽団(徳響)の定期演奏会で、ショパンのピアノコンチェルトとチャイコフスキーの悲愴(6番)というかなりメジャーな選曲です。
ピアノコンチェルトはソリストがなかなかの美人であった。
珍しくコンチェルトの後にアンコール演奏があって、小犬のワルツをえらい早いテンポで演奏しました。

メインのチャイコは弦のハーモニーも、管楽器のソロもなかなか。
この曲は4楽章のエンディングが地味で低音部(コントラバスとチェロ)が静かに鳴って終わるので、観客が拍手するタイミングが難しいですね。

それにしても、「開演に先立って」のアナウンスで、「楽章の間には拍手をしないでください」といのがあって笑ってしまった。
こんなの初めて聞いた。
アンコールはヨハン(?)シュトラウスのワルツかな。

それからちょっとお酒を飲んで帰ったら11時頃。
朝早くからよる遅くまで随分忙しい一日であった。


9月23日
先週の日曜日(9/19)昼過ぎに、買い物から帰ってテレビをつけると、いきなり「宇多田ヒカルのライブ」が始まるところであった。
日頃休日昼間のテレビ欄なんてチェックしていないので、全然知らなかった。

慌てて2Fからサラのテープを持ってきて、ビデオデッキを標準モードにして録画ボタンを押した。
ちょうど番組のオープニングとライブが始まる間のCMにスタートできたので、録りこぼしがなくてよかった。
しかし、慌てていたので読売テレビの放送を録画してしまった。
実は四国放送(徳島唯一の地元民放)でも同時刻に流していたのを後で知って、悔しくなった。
やっぱり地元局の方が画質がいい。

宇多田と他2アーティスト(ファンク系の大物らしい)のジョイントであった。
この手の番組に珍しく、90分程ひたすらライブ中継だった。
(多分あったと思われる)曲の間のMCも全部カットされていて、最大限時間内全て演奏だった。
テロップも曲名だけ。

こういう構成にする番組制作の人は偉い!と感心しました。
大抵この手の番組は、ライブとは別に、スタジオに司会者とかいて音楽評論家みたいなのがゴタクを並べたり、出演者のインタビューとか、リハの風景や、現地入りする画像をはさんだりする。
結果的に、あんまり曲が流れなくて、それも一曲ごとにCMと解説がはさまったりして、実に鬱陶しい。

いつも思うのだけど、音楽番組はひたすら曲流してればいいんですよ。

ミュージックステーションの、全然やる気の無いタモリといつまでも垢抜けしない女性アナのトークが嫌で、どうも一時間見続けることができない。
あれさえなければ、もう少し見る気になるのだが・・・という人が多くないか?
####
台風が近づいているらしいが、いい天気。
夕方散歩に出たら、いきなりすごい勢いで雨が降り出してずぶぬれになった。
んが、帰宅して風呂に入っている間に雨はやんだ。
今回の台風は8年前のなんたらいう台風とよく似ているらしくて、たしかあの時は広島で塩害がひどかったんだよな。
電気が3日くらい止まったり、強風が海水をまきちらして自動車がダメになったりという話を後で聞いた。
藤川さんは披露宴のキャンドルサービスのろうそくで夜をしのいだらしい。
太くて長いので明るくていいそうだ。あのろうそくはまだ残っているんでしょうか?


9月20日
久しぶりの谷川
徳島市から一番近い讃岐うどん屋は、多分香川県琴南町の谷川米穀店か、仲南町の山内であるけども、この谷川はいつもうどんツアーの締めくくりには欠かせない名店です。

知り合いの製粉所の若旦那がいうには、もしかしたら谷川の麺は香川県で一番かもしれないということです。
山内/宮武系のビシッとエッジの立った麺や、滑らかな歯ざわりにも腰の強いなかむら等と、単純に並べて比べても、それぞれ個性だから意味がないけど、僕が行くと必ずおかわりするのは谷川となかむらだけかもしれません。

というわけで、9月18日土曜日に、随分久しぶりに谷川に行ってきました。
谷川は開店が遅い(11時から)ので、10時頃徳島を出て山越えて開店直後に並びます。
ここの店には冬季限定の自家製カラシを練ったものが薬味にあるのです。
僕は冬季限定だから、寒い時期だけだと思っていたのだが、もうこの時期に出ていました。
狭い店の中は醤油とお酢の匂いが混じった独特の空気がある。

いつものように、一杯目は冷やで小。
これは2分ほどですすりこんで、2杯目は熱いのにタマゴ。
ここは出汁がなくて、酢と醤油だけかけるのだが、このお酢は結構かけすぎてもすっぱくならない。
普通のお酢とちがうのだろうか?そういえば醤油もあたりまえの醤油ではないでしょう。

なかむらで食えるだけ食うというのは一度やったが、谷川で極限までお代わりはまだ未経験なので、そのうち、できれば空いている平日にでかけて食べてきたい。

谷川の麺を堪能して、混んだ店を出てほっとしていると、道路から店への道を見覚えのある人物が下ってくる。
なんとM安師匠であった。僕にこの道を教えてくれた人物だ。
岡山のソフト会社勤務だが、会社の同僚らしき人をたくさん連れていた。
僕が大昔、とある電気メーカーに派遣されて「統合オフィスシステム」とうものの開発の下働きをしていたころ、いっしょに働いていたM本くんやW気くんがいた。
W気くんは僕の一つ年上で、随分おでこが広くなっていることを確認したが、それでも案外想像以上には進んでいなかった。
M本くんは今春会社を辞めて、家業を継ぐらしいのだが、この歳からちがう業種に就くのも大変だろうなあ。
M安師匠には「女王様はどれな」と聞かれたが、あいにくその日はいっしょではなかった。
とかなんとか、向こうもこちらも同行者がいるので長話ができなかったが、是非近いうちにうどん屋巡りで、同窓会をしたいものだ。

せっかくなのでその日は飯山のなかむらにも行ってきました。
それはともかく帰りに徳島県に入ってから寄ったイタリアンジェラードのドルチェとい店のソフトクリームがなんとも美味で、これはこれから香川へ行き帰りには寄らずにはいられないマスト店になってしまった。いちじくとむらさきいもが特別旨いらしいのだが、こんなこと真面目に書いていると、なんか女子高生みたいだ。

若い頃から、別に食べ物にはあんまり興味がなくて、さして旨いものを食べたいとも思わなかったし、特に馴染みの食い物屋なんかなかったが、最近は、歳のせいかこういう「シンプルだが妙に旨いも」のが味覚のツボをつく様子で、あれこれこだわるようになり、今回同行した若い人に「苦労田さんは、食べることに熱心ですねえ」といった意味のことを言われて、なるほどそうかもしれない。


9月17日
ターニングポイント
漠然と暮らしていても、やはりそれぞれところどころにポイントがあるもので、私は1995年の存在がすごく大きい。
大きい存在であるということは、つまりは「漠然」とは過ごしていなかったのである。
しかしともかく、存在としてすごく大きいので、何かにつけて「あの年の今ごろは」とかいう発想に落ちる。

95年の9月の今ごろ、私はある楽器メーカーの営業マンだった。
9月の4週目くらいの週末に、秋葉原の量販店のイベントがあって、その用意で大変だった。
そのイベントでは器材の調達からデモンストレーションのシナリオ、演奏する曲の練習、歌まで歌った。
スクエアのF1のテーマ、その他を演奏した。
だから休日はずっとパソコンの伴奏に合わせてシンセサイザーを弾いていた。
好きで入った音楽の世界であったが、ちっとも楽しくなかった。
面倒でしんどいだけだったなあ。

10月のはじめには、新宿に本店のある量販店が、千葉駅前に新店舗をオープンさせるので、そちらでの物流の段取りもしんどかった。わけのわからんキャンペーンも知らない間にどんどん動いていて全然ついていけなかった。

しかしそれにしても、95年の秋口に東京で随分忙しい毎日に苦しんでいた私は、まさか翌年の同時期には四国に住んでいるとは思わなかった。
それも徳島とかいう全然知らない地方都市で、予定外の二人めの子供の出産を間近に控えて落着かない状態で、ソフト会社の棚卸し作業に埋没しているとは、亀甲占いでもエレクトーン占いでも予知できなかったに違いない。
人生とはえてしてそういうものかもしれん。
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うーん。恐ろしく久しぶりの谷川。うれしー。思いっきり食うぞ。
まずは冷たいの一杯。それから釜玉一杯。そんでまた冷たいの。


9月16日
伊能図をWEBで見る
徳島大学、図書館のサイトに伊能図が載せてあります。
http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/index.html
「貴重資料高精細デジタルアーカーブ」というやつで、大日本沿海図稿の中国地方版がこちら
http://dolphy.lib.tokushima-u.ac.jp:8080/005/z12/z12.jpg

たいてい大学のこの手のサイトは激重で、利用する気にならないのですが、ここは結構快適に見れます。

原本の地図は劣化が激しく、特に折り目の部分などやぶれかけているので、釣り下げた状態で展示もできないそうです。
そこでソフト会社に依頼して、デジタル画像として保管していて、現場にパソコンで見せてましたが、かなり詳細・・・肉眼では見えないような部分も画像では見ることができます。
上記の画像はそのサムネイルと言えます。
実測地点の地名などは、米粒よりも小さい文字で書いてあるようで、展示してある本物をじっくり見ても読めません。


9月15日
3ヶ月以上前のうどんツアーの写真をアップしました。赤坂とひこえ(飯山)です。
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/udon24.htm
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/udon26.htm
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久しぶりにチャット総会しませんか。チャットを新しくしました。
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/chat/index.html
とりあえず明日の金曜日の12:00〜13:00にここにいます。
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休日もプログラム
こうやって、日々駄文を連ねていると、面倒なのが整理です。
さすがに一度書いたものを消してしまうのももったいないのだが、例えば過去のワシ
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/washi01.htm
として、過去ログ作るのってすごい面倒なんです。
見てもらったらわかるように、今年に入ってからひとつも処理してません。

「最近のワシ」は日々、htmlファイルに記入しているわけではなくて、cgiを使ってテキストファイルに追加しています。
どういうことかというと、掲示板なんかの書き込みといっしょで、「最近のワシ」は基本的にローカルにないということです。
すると、どんどん過去の書き込みが消えてしまう。
で、適時htmlファイルにしてパソコンに保存してはいるのだけども、それをきちんと整理するのがやっかいだ。

そこで、「ワシ」のテキストファイルをサーバーに置いたまま、ファイル名を指定して、過去ログのhtmlをサーバー上に直接作れないか考えました。
まあ理屈は簡単です。
通常CGIはテキストファイルを読み込んで、動的(ダイナミック)にhtmlファイルを生成し表示しています。
それを表示ではなく、固定のhtmlファイルに出力するようにすればいいわけです。
例えば、1999年の9月分の書き込みを範囲指定して、washi_199909.htmlとかいうファイルを作成するわけです。
システム的に言えば、バッチ処理です。

とかいうツールを今日半日くらいかけて作成しました。
もちろん言語はPerlです。
仕様としては、
1.ツールで出力ファイル名と、出力範囲(例えば9月分)を指定する。
2.指定されたファイル名で、htmlファイルをサーバーに作成する。
というだけです。
後、html化してしまえば、元のテキストデータは不要になるので、それを削除する仕組みも作りました。
本当はhtml作成ツールで、作成と同時に不要データの削除までしてしまえば処理は楽なのだが、それはちょっと怖い。

というわけで、せっかくの休みに妙な集中力を発揮してプログラム作成をしていました。
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伊能忠敬の地図
伊能忠敬の地図を見てきました。
昨日の「ワシ」で、「北海道あたりがいい加減」と書きましたが、大嘘で、最初に着手したのが蝦夷地だったようです。
当時(19世紀初頭)は蝦夷地は幕府の直轄領であったこと、列強のアジア進出で、対ロシア政策のためにも地図が必要だったそうです。
もっとも、北海道の北部や樺太は間宮林蔵が測量していて、後で合体させて大日本沿海図にしたようです。

地図の原本は焼失して存在せず、複写した沿海地図の一部を徳島大学が所蔵しているそうです。
この複写は原本の下に紙を敷いて、上から観測点の場所(全国数万)を針で刺すといった方法で行われたそうで、半紙を上にしてたどった写本よりは格段にレベルが高い。
現存するものとしては、国立図書館等で、数セットだそうです。
つまり徳大が所蔵して、今回一般公開した地図はかなり文化的価値が高い。
百数十年経って酸化による痛みも激しいので、今後もあまり公開しないそうです。

歴史の教科書にも載っている大日本沿海与地図は、伊能の沿海図を元に作成されたもので、開国後、外国向けにも印刷したようです。
地図といえば防衛上非常に重要で、学生時代、旧ソ連なんかに留学した人が地図を持ち帰れなかったという話もありましたが、開国当時の日本は呑気だったんですね。

一つ興味深いいのは、緯度は天体観測で正確に測定できるので、現在のものと比べてもそん色がないのだけど、経度を正確に知るためには正確な時計が必要だそうで、当時は無理だった。
伊能図は観測の起点(東京の深川あたりらしい)から東西に遠くなるほど、つまり北海道や九州などぶれが大きいそうです。

また、伊能は幕府の天文方の役人で、公費で地図作成をしたのかと思っていたら、幕府の補助は小さくて、ほとんど自身の財産で経費をまかなったらしい。
金があって、時間があって、才能もあったからああいう偉業ができたんだと、大学の先生が言っていました。

しかしまあ、例えば芸予諸島の細々した島々も記載されていて、すごい手間ですよね。
古地図はなんとも味わいがあって、なんとか伊能の沿海図の一部を写真で複写したものでも入手できないか考えています。


9月14日
アンニュイ(死語)な休日の朝
というわけで9/15日の早朝5時半ですが、雷がなって雨が断続的に激しく降っています。
それにしても蒸し暑い。
今日はせっかくの休みなのに、これではどこも出れないなあ。
なにもやることがないので、近くの文化施設(文化の森)でやっている、「伊能忠敬の地図展」でも見に行ってこようか。
200円で入れるので助かる。
午後2時くらいから専門家(徳島大学の先生?)の解説があるらしい。是非聴きたい。

高校の日本史でも習ったけれども、伊能忠敬は50を過ぎてから測量法その他の地理上の勉強を初めて、有名なあの全国地図を作成した。
緻密さ・正確さは今現在の地図とあんまり変わらなくて、結構日本史の7不思議の一つくらいすごいらしい。
ただ、北海道は時間が無くて、いい加減らしいけど。
ちらりとポスターを見たけれど、徳島あたりは「吉野川」がどのように描かれているか(旧吉野川しかない?)とか、あの時代(割の江戸後期ですよね。
あの頃(何文化でしたっけ、文化文政?)の東京湾沿岸とかすごく興味があります。
今と全然違うんだよね。当たり前だけど。
日比谷あたりまで湾が入っていたとか?今の田町や新橋あたりなんて海の中でしょ。
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実は新しいチャットを設置しました。
こちらです。
http://www2t.biglobe.ne.jp/~cozy/chat/index.html
せっかく新しくしたんで、金曜日くらいにチャット総会やろうか。久しぶりですが。
どうでしょう>ALL
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SE稼業を長年やっていると、一番しんどいのはやっぱ最初のヒアリングや要件分析といった上流工程ですねえ。
ユーザの案件整理をするのは、プログラム作成のそれとは別のしんどさがあります。
でも、この歳になったら、「要件分析」とかに注力してないと、SE人生として将来が危ないぜ。


9月13日
テレビ主題歌を生録した話
とういわけで、9月14日の早朝ですが、朝から雨が激しく降っていて、雷が鳴っています。

さて、掲示板のほうでもちょっとエアチェックネタが出ていたので、僕が最初に「音楽を録音する」ことを始めた頃の話を書きたいと思います。

確か小学校二年生・・今から約30年前に、父親が我が家に初めてカセットテープレコーダというものを買ってきました。
マイクは内蔵されていて、ラジオも付いていたと思います。
それまでは、操作の面倒なオープンレコーダ(もちろんモノラル)がありましたが、なかなか子供がいじれる代物ではなかった。
その点カセットレコーダは操作が楽で、最初は自分の声を録音して遊んでいました。
そのうちテレビ番組(主にマンガ・・・アニメという言葉がなかった)の主題歌を録音することを思い付いて、これに懸命になりました。
まだテレビにライン出力なんてなくてまさかテレビとレコーダをラインで接続して録音するなんてできなかった。
つまり、テレビのスピーカーの前にレコーダを置いて、生録音するわけです。
録音するときは、家族に音を立てないようにうるさくいっておくのだけど、弟が当時2、3歳の幼児で静かにはしてくれないわけで、よく録音に失敗しました。
柱時計の音なんかも入っていたりします。
その最初の頃に録音したテープが今もあって、聞けない事もない状態で、最近20数年ぶりに再生してみました。

生録だから、いろいろ雑音が多いし、テレビのボリュームが一定していないので、録音レベルが非常にまちまちです。
が、曲が恐ろしく懐かしいのです。
ちょっと書いてみると、
(A面)
1.タイムトラベラー
2.仮面ライダー
3.ゴジラ対ヘドラ
4.ミラーマン
5.のらくろ
6.かしの木モック
7.国松様のお通りだい
8.アパッチ野球軍
9.男ドアホ甲子園
10.月光仮面
11.マイティジャック
12.マグマ大使
13.ルパン三世
14.トムとジェリー
15.モスラ

テレビの主題歌は大抵1コーラスで終わりなので、一曲々々が短い。60分テープの片面30分にこれだけ入っています。

タイムトラベラーは筒井康隆の原作をNHKがドラマ化したもの。ラベンダーの香りを嗅ぐとタイムトラベルしてしまうヨシヤマカズコの話です。
僕のSF好きの原点といえよう。
仮面ライダーはもちろん最初のバージョンです。
ゴジラ対ヘドラは当時の東宝で作成された怪獣映画で、これはテレビからではなく、自分でかったEP(シングルレコード)をステレオにかけて、やっぱりスピーカーの前にレコーダを置いて録音しました。
映画もすごく面白かった覚えがあるのだが、いまみたらどうだろう。
ミラーマンはウルトラマンの傍系になる円谷プロのヒーローものです。
鏡きょうしろう(だったかな)が、鏡の前で変身して怪獣をやっつけます。

のらくろは戦前の漫画を動画にしたものです。
エンディングは「従軍看護婦のミコちゃん(もちろんメス犬)」へのラブソングなんですが、セリフがあって
〜のらくろ:僕はミコちゃんのことがダイ、ダイ、大好きだあ
〜みこ:みこも好きよ。でもまだだめ。お・あ・ず・け
とかいう妙に意味深で面白い。
かしの木モックはピノキオをアニメ化したものだと思うけど、内容は判然としません。
アパッチ野球軍や、男ドアホ甲子園は当時流行っていたスポ根ものの一種でしょうか。
アパッチ野球軍はいろいろヤバイ問題があって今日では放送できないとう話を聞いたことがあります。

月光仮面は白黒の実写のやつです。
〜つきのおおお、ひかりおおお、せえにい、ううけて
と浪曲調で始まります。
マイティジャックはこれも円谷のSFものだったかなあ。巨大潜水艦の話だったような。
マグマ大使は最近ケーブルテレビで時々見ますが、少年のマモルくんは覚醒剤でつかまった江木俊夫です。
ルパンも最初の頃だろうか。エンディングテーマは「ワルサーP38」で、すごく渋い。
トムジェリは〜仲良くけんかしな〜、です。
トムジェリはアニメを70本ほど、ビデオに録画して保存しているのですが、どういうわけかテーマ曲を一度も入れてなくて、カセットテープでしか聞けません。
モスラは多分、テレビで映画を放送したときに録ったのだとおもうのだけど、ピーナッツのハモがナイスです。

というわけで、随分長い文章になりましたが、まだB面もあるので、そのうち追記します。


9月9日
ショパン
ちょっと思い出して、そういえば高校生の頃ショパンが好きで、ノクターンとかマズルカとか聴いていたな。
あの頃はまだLPの時代だし、なかなか高校生の小遣いではレコードも買えないのでひたすらNHK-FMをエアチェックしてた。
もしかしてこのエアチェックって死語
FM放送でも、曲を1コーラスで切ってしまうし、イントロにDJのしゃべりかぶったりして、どう考えてもラジオから録音はしないでしょう。

ともかく20数年前のあの頃は、まだ広島にも民放FM局がなくてNHKだけだった。
FMの番組表が載った雑誌を買って、チェックした。
歌謡曲もクラシックもロックも全部HNK-FMから録音してコレクションしていた。
ロックはぼくらの世代はやっぱり渋谷陽一に教えてもらったよね。

で、ショパンだが、ピアノ曲よりも、協奏曲が好きで、録音したテープを繰り返し聴いていた。
多分2曲しかないと思うのだが、どちらも一楽章の切ない主旋律が思春期の少年のお気に入りであった。
曲を思い出してみようと思って、その頃録音したテープ(TDKのDシリーズ!)を押し入れから出してきた。
・・・ああ、そうだ協奏曲の1番がホ短調(E-minor)で、2番がヘ長調(F-major)だ。
ところがミニコンポにテープをセットしてPLAYしても音が出てこない。
あれ?テープが回ってないぞ・・と思ったら思いっきりテープの端が切れてヘッドに絡み付いていた。
少なくとも15年は再生していなかったためか、テープがだめになってるねえ。

CDの棚を調べたが、ピアノ曲ばかり6枚あるだけで、協奏曲はないですねえ。
カセットを調べていて気が付いたがなんとショパンにチェロソナタがある。
なんかよくわかりませんが、笑える。

協奏曲でのオーケストラの編曲はあんまり得意でなかった様子で、よいできではない・・・とかいうのを以前どこかで読んだ。
確かに、高校生の耳にもあんまりピアノとオケが「協奏」しているようには聞こえなかった。
ピアノ&伴奏って感じですかね。
自宅のステレオでは聞き取れなかった管楽器の旋律の存在に、コンサートの生演奏で初めて気が付いたこともあった。

でもあの頃主に聴いていた古典派のがっちりした楽曲に比べて、繊細で美的な陶酔感がよかった。
僕のピアノのうででは絶対にショパンなんて弾けない(小犬のワルツも弾けん)のだが、それなりに簡易にアレンジして今でも時々弾いています。
そういえば自意識の極度に強い中高生の頃で、白いスーツに金縁眼鏡が似合う線の細いピアニスト(病弱で青白い)にすごくあこがれたもんだあ。
ブーニンあたりのイメージかな。
こうして中年になって思い出すと恥ずかしい。

というわけで、今月ある徳島交響楽団の定期演奏会で、ショパンの協奏曲を演るらしくて、非常に楽しみである。
ちなみにメインはチャイコフスキーの「悲愴」だそうで、えらくポピュラーなプログラムといえよう。


9月6日
家でうどん
日曜日(9/5)に、割とうまいと評判のうどんの乾麺を買ってきて、僕が茹でて食べた。
マルヨシというスーパーのオリジナルブランドらしいのだが、5人分で350円ほど。
でかいなべにお湯を沸かして麺を入れたが、どれだけ茹でればいいのかよく分からない。

パッケージには5分〜8分と書いてある。
5分程で、ちょっとかじってみたが随分固い。

どうもうどんはコシ!という信仰心に近い価値観があるので、「ゆですぎても、」と思い8分ジャストで麺を出した。
冷水で締めて器に盛り、ネギとショウガを乗せる。
出汁はやはりオリジナルブランド製の粉末状のものをお湯で溶かす。

お湯を沸かしはじめてから食べるまで結構時間がかかったが、思いっきり不味かった。
あきらかに茹で具合が足りない。大失敗。
麺にがっちり芯が残っている。我慢して食べたが、胃にもたれる。
妻は子供は平気な様子で、まだ食べたがるので、もう一袋開けて、半分ほど茹でてみる。
今度は12分くらい。
これだと、わりといけた。

冷凍麺だと「凍った部分」がなくなる程度に茹でれば、それなりのコシを残して食べられる。
が、乾麺は逆にどこまで茹でればいいのかわかりずらい。
あたりまえのことだけども、どんなに上手に打った麺でも、茹で方間違えると台無しだよね。

手間がかかるし、(僕が作ると)不味いし、4人で食うとそんなに安くもないので、「これなら鴨島の店(三木)に行った方がましだ」というのが妻の冷静な結論であった。


9月3日
オフィスが本社ビルの2Fから3Fに移ってからどうも体の調子が悪いのだが、なにか因縁があるのであろうか。
なんか周りの空気になじめなくて、落着かない。

会社の株価がここのところ高騰していて、「まさか」の2000円台まで上がった。
私もそんなに株を所有している訳でもないので、あまり気にしてこなかったのだが、それでも今の株価で手持ちを全部売れれば100万円くらいにはなるらしい。
100万でも現金が入れば、それをローンの元金減らしに充てれば随分生活も楽になるというものだ。
しかし何が理由で上がってるのかねえ。
素人にはわからんよ。

中古レコード屋で買ってきた山下達郎のCOZYを繰り返し聴いていて、やっぱ僕が好きな音楽の原点だよなあとか思う。
不思議なのが、曲ごとの参加ミュージシャンのクレジットで、リズムセクションが書いてないのがいくつかある。
もちろん基本的にはドラム青山純&ベース伊藤広規なのだけども、何曲か〜もちろんドラムもベースも入っている曲にミュージシャンのクレジットがない。
もしかして、このあたりはコンピュータの打ち込みなんだろうか。
聴いていても全然それっぽくないので、なんとも言えないのだけども

鍵盤系に難波ひろゆき(よくバンバンと間違われるらしい)が参加しているってのも10数年前からずーと変わりません。

ヒップポップ系の音のリズムは打ち込みというか、ちょっと古い音源をサンプリングして加工したような音(全然わかりませんねえ)が多いらしくて、そのあたりの機械は国内外で随分売れているらしい。
その影響か、なんとローランドがいつのまにか東証1部上場企業になっちゃってるもんなあ。
このあたりの、「アナログ音源をデジタルで使いやすく」みたいな技術は日本の独壇場でしょうね。

そろそろ音楽でも何かやらないと。
ちょっとブランクが空きすぎていて怖い。


9月1日
いつのまに写真ゲットしたの?すげえ、やったーって感じ。
http://www2.justnet.ne.jp/~imo/udonbattle.html
↑うどん仲間の女王様のレポート。「うどん打ちバトル@竹庵」
濃いレポートありがとうございます。

ワシも今週末は調理器具専門店にでかけて麺棒くらい用意するよ。
んでもって、次回香川に行ったら粉を調達してくることにしよう。
コンスタンチや、厚手のごみ袋も用意しないとね!


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