一体何をと問いかける前に気付けたのは、以前に経験した感覚がまた訪れたからだ。
バディを裏切る一因となったあの感覚がまた襲い来る。呼ばれている、あの場所へ。

「ソット、そこで待っているんだ!」

汚泥を踏み跳ね飛ばしながら、それを一切気に留めず駆けた。暗く道もよく知れない遺跡の中でいて不思議と迷いはない。
これは彼を見捨てての行いではない。むしろ最善の救助策なのだ。
暗闇に囚われた我がバディを救い出すための。

先程、ソットは呼ばれていたんだなとここで気付く。
だから我々を呼びつけていたものの正体を確かめなくてはならない。
その為に呼び声に従い、そして鏡の部屋まで来た。

仄暗い中弱い光を放つ。それは照明の為に灯した自身の炎の色。
それを映し出す器を取り外した。


鏡を持ち帰ると彼は眼の色を変えて駆け寄り、奪うようにそれを受け取り壁に掛けた。
始め見たときはしっかり照らしていなかったが、鏡を掛ける為の突起などがあったようだ。

鏡には縁に彫りや石の埋め込み等の装飾がなされていた。

その中に一つ、ソルエメラルドによく似ているが、はるかに小さい宝石が上部に装飾されていた。
輝き、色合いは自分が一番知っている。だから同じだと言い切れる。

何となく、本物に及ばないながらも力を秘めているように思えた。試しに手をかざし眼を閉じ、意識を集中する。
点が、一点だった光が環状に広がる感覚。そうして世界が開ける感覚は、世界を飛び越えたときのものに酷似していた。

目を開けば鏡は自身の姿を映さず、かわりに別の何かをその中に納めていた。

これが資料に記述が残されていた、もう一つの世界。


「アクア、アクアぁぁぁ!!!」


ソットは映し出された世界に向かって絶叫しだした。
突然の事で本能的に身構えた。むしろ事態を把握できずただ、ただ驚愕する他なかった。
彼は狂ったように同じ単語を繰り返す。アクア、アクア、アクア。

それがヒトの名前であると悟ったのは彼の視線を追い、彼が何を見つめていたのかを把握したから。

夢で見た女性。
鏡に居る見たこともない女性は、この土地で過ごした間見ていたあのヒトだった。

彼は呼びかけを止めない。ソットはここに一歩足を踏み入れた段階で既に彼女に取りつかれていたのだ。
いや、それでは語弊がある。彼は元々この為に発掘を行ってきたはずだ。


彼は彼女を追い求めてきたのだ。


最初から全ておかしかった。六人の作業員に対して彼だけ気概が違いすぎる。それぞれが家庭を持つ中彼は独り身。
生活の為に働く彼らと違い、『発掘しに来ていた』のだ。
それではまるっきり同じではないか。


かつて古代人も同様にして、鏡の向こう側の世界を知り、思いを馳せたのだろうか。
この様にして別の世界をのぞき見て、その中のある人物に恋をした。
愛して止まないために、どうしても近づきたくて、扉を模索し、ついに見つけたのだろう。
そこに掛る錠前の鍵、ソルエメラルドも。

そして、きっと開いた場所が悪かったのだ。夢見た地の、大いなる水の底では。
容赦なく海水が押し寄せ、成す術なく神殿は圧倒的な水量の前に飲み込まれた。
悪い事に扉を閉じれる巫女がいの一番に溺れたから、扉は開かれたままで街を飲み込むに至った。

盆地全域に水が行き渡った頃にようやく、術者を失った力が次第に効力を弱めた。
扉が自然消滅するまでにここの生活全てを飲み込んで。


これで辻褄が合う。雨乏しき高地の塩湖に沈む遺跡。自然を超越した事象を起こせるのはあの石だけ。



足元が濡れているのが気に掛った。元から汚泥があったがその深さは足首を越えるほどではなかったはずだ。
下に顔を向ければ水が遺跡に侵入してきている。抜かれていた筈の水が徐々に戻ってきている。
まずい、きっとネガが退散するに際してポンプ施設を止めたのだ。
ここは再び水底に沈む。このまま留まっては、退路を閉ざされてしまう。ダイブの装備も何一つない。

見る間に水嵩は増していく。既にこの空間へ侵入するほど放水が進んでいる。危険だ。ついに回廊の向こうから水流の音が響いてきた。
水の力は意外なほど強力なのだ。うねる水流を掻い潜るのは至難の技。瓦礫も混じってそれは最悪の凶器となる。
外に向かうのに、対する水流は外から夥(おび ただ)しい量で襲い来る。
それは建造物を容赦なく破壊し更に凶器を増やし、遺跡の崩壊を加速させる。

遺跡がもたない。きっと、もうここの水圧に耐えられないだろう。この遺跡は崩壊する。

「脱出するぞ!!」

そう掴んだ彼の腕はビクともしなかった。食い入るように鏡を見つめ離れようとしない。
力任せに、加減などこの際要らない、引っ張ったのに動く気配がまるでしない。
そのうちついに掴んだ手を振り切られた。
彼を連れて行かなくては、しかしもたついていては自分も巻き添えだ。

依然彼は叫んでいる。この狂人を果たして無事上まで連れて行けるのだろうか。
いや連れて行くのだ。それがバディの勤め。しかし可能かは甚だ疑問である。


この僅かな逡巡が運命を分けた。崩れた石柱が二人の間に落下し、飛び退いたブレイズとソットは分断されてしまった。

ソットの名を叫ぶ。再三の呼びかけにも彼は応えてくれない。アクア、アクア。建物は音を立てて崩れているのだ。
上からはまた破片が降り注ぐ。
瓦礫は更に更に積み重なり、彼の姿は僅かな隙間から覗くのみ。まだそのままでいる。

まるで窒素酔い。正気を失うほど彼は深く深く潜り過ぎてしまったのだ。
完全に手遅れ。彼を浮上させることは叶わず、既に自分も脱出できるか危うい。
彼を救う手立ては自分にはもう残されていない。
せめて、彼が自力で脱出してく れることを願いながら、先に退避することを決め込んだ。

暗闇に再度目を向ける直前、彼は叫ぶのを止めた。そして何事かつぶやくのが僅かな隙間から伺えた。
直後鏡の中の彼女がソットと視線を合わせ、はっと目を見開き、その後優しく微笑んだ。

見たのはそこまでだった。水がついに壁を打ち破り流れ込んできた。
その流れにのまれる前に回廊を抜け、水がかぶさるより一瞬早く息を吸い込み潜水した。
最後の最後まで叫び続けたソットだが、たった一言だけ違う言葉を吐いた。


ウルムテ、と。


水中に潜ると、意外なほど穏やかだった。遺跡を全て飲み込むほどの嵩に達した水は表面のみで唸りを起こしていた。
ゆっくりと増す水量。それに合わせて時間を掛けながら上へ。破壊の進んだ建造物の天井はどこも穴だらけだ。
やがて建物の外へ出た。遺跡に閉じ込められていた空気の泡と速度を合わせながら浮昇、その過程の中下方を振り返り見る。

それは封印された遺跡へ圧力を加えていく行く過程。
万力のように徐々に砕いていく。今見る中でもまた大きな崩壊が確認できた。
暗く水底に飲まれたそれを最後まで見ることは叶わなかった。あのまま形を留めてくれただろうか、彼の為に。


浮上する際は決して息を止めてはいけない。
彼との訓練で再三言われ続けてきたことだ。
声帯も震わせながら細く細く、うー、とうなり続ける。
空気の何倍も音を伝える水を介して、せめてこの声が彼に届けと願いながら。


一定の水量に達したのか、湖面が比較的穏やかになってきた。
空気を欲する体に急かされ、とうとう水面に差し掛かる。一番肺にとって危険な瞬間。
圧力から解 放された空気、体に溶けた窒素たちが暴発しかねない。
吸うのではなく空気圧を整える。そうすれば肺へ空気が自然と入り込む。そうして安全に水面に顔を出せた。

「ブレイズよー!おーい!」

顔をのぞかせれば船がそこまで来ていた。水上のことは頭になかったから、まさか声を掛けられるとは思っていなかった。
いつものように仲間の船があったのだ。

まだ水嵩が増え続ける、とても不安定な状態にも関わらず発掘チームの皆が船を出してくれていた。
うねる波間に翻弄されながら、彼らの助けを借りて船上へ引き上げられた。
そのとき発掘品の気分を味わった。筋力自慢の二人に引き上げられ、毎日繰り広げられていたことはこういうことだったのだと感じた。

「おい、ソットはどうしたんだ?!」
「当然ヤツも上がって来るんだろうな!」

けたたましいエンジン音に負けない声で問いかけてくる。だが質問には沈黙を返すことしかできなかった。
いつか見た光景、あの時のシチュエーション。引き上げられた身には何も出来ない。

「てめぇ、バディシステムのことわかってて、しかも二度だ二度!裏切りやがって!!」

ミュースコーロがついに暴れ出し、フォルツァはもとより全員で抑えにかかる。そうでなければ彼を止める事は出来ない。
その間だけ解き放たれた。全員が彼に構っている間に落ち着きを取り戻し冷静に振り返る。
そしてあの遺跡から得た答えの欠片を彼らに渡す。

「いや、バディに裏切られたのは……違うな。彼のバディは私では無かったのだ。」



ついに船は岸辺へと辿りついた。きっとこの船へはもう二度と乗らない。
発掘品の鑑定を最後に依頼する為、動けない彼の元へ向かう。
届けるのにもう力は要らない。
それは形の無いものだから。六人の視線を尻目に一人船を降りた。


村から一山越えた場所に避難キャンプがある。
それは我が国が設営したものだ。やると決めたことにだけは早い家臣たちのフットワークの軽さが光る迅速な対応である。

片足を痛めている彼がここまで来れたのはソットの助力のお陰。
他の仲間たちは残念ながら、その時は二人に構うことが難しい程自身の家族を案じていた。
この地に家族のいない彼ら同士で助け合う他無かったのだ。

キャンプは簡易テントが乱雑に立ち並んでいた。地味な深緑の布幕が暗い湖を眺めている時のように淀んでいた。
避難民にミグリオのいる場所を訪ねる。薄く光っているテントを探せばいい、どこか関心の低い言い放ち方だった。

言われた意味を理解したのは、彼がここで尚もコンピューターに向かい作業を続けていたからだった。
画面の明かりが暗いテントを光らせ、その事に没頭している彼を良く思わない者もいた。状況が状況なのだから致し方ない。

中へ入り声を掛けると彼の顔は、睨み続けていた画面よりも明るくなった。だが隣の空白で視線を泳がせた後、暗く沈んだ。
まずソットの事を報告した。それに耳を傾ける彼の冷静な振る舞いから湖底の静けさを思い起こした。暗くひんやりと、孤独。


彼は話を聞き終えると、そうか、とどこか寂しげに言葉を零し始めた。

「僕とソットは君とおんなじだよ。よそ者ってことさ。」

あの六人と比べ異質な二人。野暮ったい連中が決して行わない事を担っていた、逆に言うと連中には本来必要のなかったものだった。
自嘲気味な話は堰を切ったように雪崩れてくる。

「次元を飛び越えて移動できる機械を作っていて、実験途中で偶然見た女の子に一目惚れさ。
 分かり易かったよ。ソットの奴、その日から急にマシン造りを手伝うようになった。
 この地に来たのも彼が色々調べ上げて、転送技術の参考になるだろう、て連れて来られたからだ。」

やはり。彼から感じられた気概は思った通りだった。発掘し更にその先にある秘密を目指していたのだ。
私と同様に。

「彼は遺跡発掘と調査に精を出す。僕は変わらず研究と実験、たまに彼からの報告を参考にしてね。」

そうゆう生活をしていたんだ。彼はつい最近までの生活を、あたかも遠い過去の様に話す。
キャンプまで運び出されたコンピューターはほんの一部で、重要なデータをまとめたメモリとそれを映し出すモニタ等数点の出入力機程度であった。

「彼は、彼女と会えたんだね。」

首はひどく淀みながらも縦に動いた。確証はなかったが、尋常ではなかったあの様子と、何か希望的な思いから頷いた。

「そっか。でもよかったと思うよ。」

僕は結局、臆病で何もできなかったのか。
自己への言いきかせなのか、それでも全てはっきり聞こえるつぶやきを残し、肩を落とすミグリオ。

「どうしたんだ。何故、気を落とす?」
「いゃ、ぁの、何でもないって。」

何でも無いと言うにはもう無理があるぐらいにミグリオはうろたえ視線は泳ぎ、背けた顔からは耳が真赤なのが見て取れた。
そうやって恥じらいを見せる物事など決まり切っている。

「お前、もしかしてソットと同じく、アクアを追ってここまで来たのだな。」
「アクア?」

間の抜けた返事が、不可解な事象の存在を知らしめ余計な胸騒ぎを引き起こした。

「知らないのか、お前たちが追っていた女性の名だろう。ソットが口にしていた。」
「僕ら姿は見たけど、名前までは知らないよ。」

実験段階のマシンでは向こう側の音まではこちらに届かないのだ。
考えてみれば、対世の鏡器でも音が聞こえたか定かではないのだ。
あの時、向こう側の様子は見れても確かに無音のままだったと振り返る。
何故ソットは名前まで叫んでいたのか。彼はそれをさておいて語り出した。

「まぁ、でも君の言うとおりだよ。向こうの世界を見た僕らは名前も聞けない女の子に惚れたんだ。
 ソットは気持ちを全面に出す性格だから見ててわかるだろう けど、僕と彼は対照的だからね。
 お互い一目惚れだなんて言わないから、ソットが僕の気持ちに気づいていたかはわからない。
 けど結局、協力したきっかけは彼 女だから、口では異世界の科学を知りたいとは言ったけど、バレてたんじゃないかな。」

胸の内を吐露した彼は話出す前と打って変わって落ち着き払っていた。
口にすることで開き直ったのか、恋心に整理が付けられたのだろうか。もう叶うことのない恋に。

「アクア、か。良い名前だね。」

サバサバした言い方。彼はもうダイブを終えた気でいた。今は潜水後独特の疲労感に身を任せている。
しばし呆けていたミグリオだが急に酔いから醒めたように目付きが変わった。

「ちょっと待って。」

彼は急いでパソコンを立ち上げ、そして忙しなくキーを叩く。
画面を横から覗いてみたが細かい字が下から上へ流れるのみ、内容までは掴み切れなかった。
下へ下へ進んでいく、深く深く、そこで気付いた。今彼はまた再び潜っているのだ。
文面の海が彼のダイブポイントで、彼はバディが待つ場所まで潜行を続けている。
そして見つけた。底に沈められ囚われたままの彼のバディを。

「やっぱりだ。この土地最後の巫女の名だよ。」

文面の一部を反転させて指し示す。上から語の並びが似たような字面の続く中の最期の行。
彼はそれ以上の事をしなかった。潜行中故に目配せとサインでの合図。
受け取り解したことを片手で簡単に返答した。

ここで一つだけ問いかけなければならないことが残った。ソットの本当の最期の言葉。
どのようにして知り得たかまでは不明だが、彼が向こうの世界と関係のある言葉を叫んでいた事はこれでより確かになった。
ではもう一つだけ、そう前置いてから問う。

「ウルムテの意味は?」

叫び狂っていた中唯一優しく呟かれた言葉。それがより意味の込められたものであることを表している。
ミグリオはしかし手を止め、マシンを操ろうとはせず座っていた椅子の背もたれへと寄りかかった。
データに無い言葉だったのか、とはいえ彼の様子は考えを巡らせているようだった。

「それも彼の口から?」
「ああ。」

なるほどそういうこと。一人納得しすぐに説明してはくれない。
満足そうな顔と寂しそうな表情がゆらゆらしていてまどろむ。
湖面を見た時もそう、深みの先だけは見えそうでも中々見えてこない。
もはや潜らない身としては彼が持ち出してきた発掘品を船上で待つのみ、そういう気分だった。

「ずっと傍に居ることを約束する言葉だよ。」

そしてどう解析するかもこちら次第だ。
傍に居続けると言いだした意味と彼の心境を考慮すれば、別な言い方ができそうだ。

そうか。この湖に惹かれる者には皆、共通点があるのだ。
それは例外無く、私自身もだった。









































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ロマンとは「向こう側」にあるもの。
馳せる思いは常に「傍に居たい」である。