四 条 河 原


                 

 
例えば、洛北の船岡山の頂きに立ったばあい、京の町は逆さびょうたんの形に見える。
  近く一条通のあたりまでは、相国寺のやたらと広大な寺域を除けば目を引くものはなく、市街の漸くはじまるのは、上京でも今出川通を越えた飛鳥井、徳大寺、一条といった公卿屋敷の建ちならぶ辺りである。しかもその多くが元亀四年の焼打ちさわぎで失われ、その後七年を経たこんにちでも、殿舎も築地塀も朽ちるままに打ち棄てられている。そして二条で市域は再びひょうたんの腰のごとく窄まると、わずかに室町通一本のみで下京の町々へと繋がっている。ひきもきらぬ兵火のせいで、その東西はすべて野原同然であった。
  しかしこれでも、織田前右大臣という派手好きの男が上洛していらいは、町衆のくらしは大分好転しているのである。交易や人の往来が増えたために、殊に馬市牛市が立つ日などは諸小路は品を買うもの荷を振り歩くものでごった返し、にわかに祇園御霊会のときのような喧騒となるのであった。
  そうした下京の殷賑をすこし東に外れたあたり、鴨川の四条河原で、この日ふたりの女行者がふしぎな散楽をみせていた。
  両人とも粗末ななりだが、白の小袖の上から女袴を着けた様子は、あるいは八坂の祇園社の神子装束のようにも見えなくもない。目鼻立ちが似ているところから姉妹なのだろうが、どちらの娘も一見して息をのむ程の美しさで、げんに河原芸のたぐいは見慣れているはずの往来人が、このときは足をとめてかなりの人垣をつくっていた。
  河原に柳の木がある。妹行者は背をその幹につけて立ち、姉の方はそれに対面しつつゆっくりと袂の中を探っている。
  ふいに、妹の白袖が神楽舞をはじめるかのようにうごき、左の鬢をうつくしく掻き上げる。
  たん
  軽い音がすると、いつの間にかその顔のすぐ左横に、小刀が木の幹に突き立つようにして刺さっている。姉の手元がいつ動いたのか、見物人のたれにも分からなかった。
  妹は、今度は自分の右の鬢に手をやる。
  たん
 小刀は、今度は妹の右横の幹を正確に縫っていた。
 「ほう」
  見物人から声があがった。じっさい、散楽師や芸人の類はこの四条河原にはたくさんいるが、この姉妹ほどの技量の者はすくない。河原の芸人には、他にも放下僧や傀儡師など種々あり、なかには見世物小屋まで建てて木戸銭を取るものもいるが、いずれも故郷を戦火で焼かれ、あるいは食い詰めたあげく京に上ってきた連中であり、要は乞食とかわらない。
  妹の(かいな)が、三たび動いた。
  今度は、なんと自分の白い喉元を指先でさし示している。
 (…)
 見物人は一瞬固唾を飲んだが、すぐ、これは姉妹の演出だと合点して笑い声を立てた。

 (上手い趣向や)
  おそらく、妹がすぐに自分の粗忽に気付いて姉に詫び、この芸はお開きとなるのであろう。
 (ただの芸人には見えへんし、どこぞの神さんの行者やろうか)
  妹行者は、そのままの姿勢で柳の枝を通ってくる微風に頬を委ねている。姉のほうも、脚をゆったりと開いた構えで妹に対峙しているのみで、その挙動は先程と少しもかわらない。
  姉行者の手元が、すばやく動く。
 (…まさか)
  見物人がそう思う間もなく、妹の頭がころり、と川砂利の上に前のめりに落ちた。少女の頚の断面は葦の茎を割ったようで、不思議なことに血の一滴も出ていない。
  「ああっ」
  あまりのことに、目を瞑る者もおり、そのまま膝を折ってへたへたとその場にくずれ落ちる者もいる。いったい、刀でおのれの首を落として見せるという芸などがあってたまるだろうか。

 一同は、おそるおそる目を開けた。
  すると―首がなかった筈の妹行者は、先程とかわらぬ様子で人垣に向かって微笑んでおり、尼そぎに揃えた黒髪をゆらして、唖然としている人々に一礼した。
  姉の方は、足元にころころと転がってきた首をつかんで、見物人に掲げて見せる。それは首ではなく、一個の青々とした西瓜であった。
 (…幻術(めくらまし)や)
 (いやいや、神通力のたぐいかも知れへん)
  ようやく、精神の平衡を取り戻しつつある見物人たちは思った。
  盆がまわり、すぐにその上に鐚銭の山ができた。

  霧生郷を出奔した漣と六文が、京は大和大路の建仁寺跡で暮らすようになってから、半月ほどが経っていた。
  東山建仁寺は、むろん臨済宗の大名刹であり、かつては塔頭寺院六〇余りをかぞえたこともある。しかしながら、応仁ノ乱以来の兵火で原型をとどめぬほど焼かれ、今は法堂跡を地下人が牛馬で耕して畑としているというありさまであった。その、梁や垂木をつき出したまま東半分ほど残っていた三門に、漣と六文は棲み付いたのである。漣が二階のこわれた高欄のあいだから覗くと、これは辛くも焼けのこった八坂の五重塔が、背後の東山の深緑にあかがね色の姿を浮き立たせていた。
 馬上、街道をゆくのは目立つ。笠置の峠を越え、木津川の堤にさしかかったあたりで、漣は栗毛の乗馬をすてた。その後間道から間道をえらび、ようやく北に東福寺の大塔が見えたころには、六文の容態はだいぶ悪化していた。漣は最後の半里を六文のからだを背負って歩き、黄昏にまぎれてこの無住の破れ寺を見つけ潜伏した。
  六文の刃傷は炎症がひどく、高熱と疼痛がおさまるまでに二昼夜を要した。漣は六文のからだを二層の板間の一坪ほどの空隙に横たえ、その汗ばむ額にのせた手拭がかわく度に、庫裡の横の古井戸に行って水を汲んだ。
 (逃げられは、しない)
  漣はそのとき、手桶の水に手首までを浸しながらおもった。出奔者―抜け忍は、草の根を分けてでも探し出し討つのが伊賀者の掟である。ましてや、上忍百川弥九郎を誅殺した謀反人となれば、伊賀八郷をあげて追捕人を差し向けられても、不思議ではない。
  漣は、昨夏百川の城外にころがされていた、郷抜けを企てて討たれた下忍どもの野良犬のような死骸を思い出していた。
 (漣も、あのようになる。六文も。鹿ノ助どのや、与十どのとおなじように)
  こわい、と思った。必然の死は冷気のように、深々と漣の四肢を侵していく。
  だが幸いなことに、漣の弾機のような体躯は、その冷気の中にあっても豁然としてのびやかに動くことができる。それは、刺客の来ぬままに半月あまりもが経過した今でも、変わることはなかった。

 「姉うえ、今日は河原へは往かぬのか」
  翌朝、漣が三門の板間で剣の棟に拭い紙を当てていると、六文がするすると階上から降りてきて言った。
 「ああ、往かぬ」
 「そうか」六文は微笑んだ。「ならば、きょうは日一日、六文が姉うえの身の世話をする」
 「六文、姉の世話などはせずとも良いぞ」漣は答える。「刀傷が癒えてまだ日が浅いのだから、ゆるりと養生しておればよい」
 「いえ、六文はもう養生は十分じゃ」漣に対面して、板間にぺたりと膝を揃えて座りながら言う。「床にずっと寝ていると、手足の筋肉(すじにく)がむずむずして溶けてしまいそうになる」
 「…」
 「六文は、姉うえの役に立ちたい。教えてたもれ、六文はなにをしたらいい」
 「…」
 しばしの沈黙のあと、漣はふう、と一つ吐息を漏らし、剣の唾をぱちんと鳴らして刀身を黒漆の鞘に収めた。
 「…それでは用事を申しつける」
 「えい」六文は、屈託なく澄んだ眼差しを漣に向けている。
 「ここに、姉と六文とで散楽で稼いだ投げ銭がある」漣は、傍らの火打袋の紐を解き、なかみの銅銭を板間に広げた。
 「うむ、姉うえ」
 「これを路銀に、粟田口から中山道に抜け、信州戸石の真田安房守(昌幸)どのの元へゆけ」
 「…?」
 「そして、ご主家諏訪(武田)四郎勝頼殿のご大事の際、馳走申し上げた伊賀者梅ノ半阿弥の弟子であると口上を述べるのじゃ。真田殿は一徹者できこえたお方ゆえ、事次第がわかればよきようにご処遇いただけるやも知れぬ」
 「…姉うえ」ようやく漣の意図を察した六文は、息せき切って訊いた。「それで姉うえは、どうなさるのか」
 「姉か」漣は、手元の銅銭を一つかみ掬いとってから言った。「漣は、ここから、三途の川の渡し賃だけ残しておいて貰えれば、それでよい」
 「姉うえっ」
 「…昨日の見物衆のなかに、所司代村井長門守殿の家中の者がいた」忍びである以上、漣はおもだった織田家家臣の紋所は諳んじている。「追っ手は、くる。あとは早いか遅いかの違いだけぞ」  「いやじゃ」六文は膝をくずし、漣の上体にすがりついた。「信州にゆくのなら、六文は独りではゆかぬ。行くのは、姉うえとじゃ」
 六文が両眼にみるみる泪を溜めていくのを見て、漣はことさらに微笑を作ってみせた。「姉といては、大方京を出て三里も過ぎぬ間に討たれてしまうぞ」
 「構わぬ」
 「六文」漣は諭すように言った。「そう聞き分けのないことでは、困る」
 「…」六文は、漣に取りすがったままで、目を伏せている。
 「…六文」漣は、やがて沈黙を破って訊いた。「こわくは、ないのか」
 「こわい?」
 「こうしている間に、霧生郷の追捕人が此処にひたひたと寄せてくるやも知れぬのだぞ。六文はこわくはないのか」
 「…姉うえ」六文は漣の片うでを取ると、ゆっくりとその掌を自分の白い喉元に当てた。「姉うえは、この六文のために何をしてくれたか、ご自分ではもうお忘れか」
 「…」
  「怖くは、ない。六文のいのちは、姉上うえのものじゃ」
 「…」漣が目を落とすと、六文のもう片方の掌は、姉とおなじ枚数だけ、彼岸への渡し賃をしっかりと掴んでいる。
 漣は、心の中でふたたび嘆息した。これでは、姉妹共どもこの荒れ寺で斬り死にするしか、もはや仕方がないようであった。

 それから、さらに二〇日あまりが経った。
 (…こない)
 漣はその朝、火に燻されて黒ずんだ三門の、桁と桁との間に身体を凭れさせながら、目立って細くなってきたおのれの両腿のあたりを見るともなく見ながら思った。あれから、四条の河原で芸をやってみせたり、備銭を姉小路室町の露市で糧に換えたりすることはしていない。六文を東国へ落とさぬときめた以上、少しでも露見につながる懼れのあることは、したくはなかった。漣と六文は、手持ちの飢渇丸の薬があるうちはそれを嘗めて飢えを凌ぎ、それが尽きると、夜半に法堂跡まで行って自生する(せり)(なずな)を刈った。むろん、伊賀者として飢えを飢えとおもわぬような鍛錬は受けてきているが、肉体そのものの衰えはどうしようもなく、六文も、本来の笹百合のような可憐さは少しも衰えないものの、その容貌は顎がとがり鎖骨がめだつようになっている。
 (…なぜ、追っ手は来ぬのか)
 そのとき、六文が頭上の梁のうえで声を上げたために、漣の思索は途切れた。
 「姉うえ、行列が通る。前右府どのの行列じゃ」
  どうやら、六文は軒の破れめから外を眺めていたらしい。六文に促されるまま、漣は伸び上がってその指し示す方角を見た。
 堀川の本能寺の宿所を発し、近江安土の本拠に帰る途上なのであろう。ひどく艶やかな行列がこちらに近づいているのが、五条の諸塔頭の青瓦越しによく見える。騎馬武者だけで数百騎、徒士はその五倍はいるであろうか。先陣はそろいの狩衣に頬当をつけ、虎皮の(えびら)空穂(うつぼ)を下げた御弓衆であり、そのすぐ後に前右府下の諸大名の隊列が続く。いずれも、装束は狩り杖にいたるまで金銀泥にて彩色を凝らし、朝陽に照らされて街路ぜんたいが黄金に輝くが如き観があった。そして―織田前右府その人は、先陣からかぞえると優に三町ほど後列に、前後をやはり華美風流を尽くした装いの小姓衆馬周り衆に警護されつつ、ゆったりと葦毛の駿馬をすすめてくる。漣はこうして、この国の絶対的統治者というべき人物を、はじめて目の当たりにすることとなった。
 「…」
 前右府の身の丈は、さほどではない。しかし、その体躯は若年からの不眠不休ともいうべき戦ばたらきを具現するがごとく引き締まっているのが、肩袖脱ぎにした白と金泥の帷子のうえからも見て取れる。そして、その五体から発するつよい勘気と意志力は、溢れ出でるあまり辺りに陽炎を生じているように見えた。
 (…無縁のことぞ)
 漣のなかで、一方の声が言う。たしかに、忍びわざを以って銭で雇われていく、久ノ一乱波という名の傀儡にとって、その時どきの天下の主がたれであろうと、どれほどの違いがあるだろうか。
 (傀儡)
  漣は、いつの間にか師匠である梅ノ半阿弥の言葉を反芻していた。乱波は闇に生まれ、闇に死んでいく。半阿弥もそうであったし、漣と六文も、遠くない将来同等の最期を迎えることになるだろう。それは、いささかも悲嘆すべきことではない。何故なら―傀儡は元来無魂であり、ものを想うということは無いからだ。
 漣は行列から目を逸らし、もといた桁の間隙に身体を沈めようとした。
 (しかし)
 そのとき、漣自身にとっても意外なことに、全く別の声が脳中に鳴り響いた。
 (その傀儡を傀儡たらしめたのは、一体何なのか)
 六文は、ふいに挙動を止めた姉に尋常ならぬものを感じたのか、傍らから不安げな眼差しを向けてきている。
 (近江のありふれた村娘として、安隠たる生涯をおくる筈だった自分と六文が、城籠りのすえ父母を殺され、霧生の人買いに売られることに相成ったのは。師匠梅ノ半阿弥を三河長篠に殺し、さらには霧生百川家を伊賀国一揆より寝返らしめ、上忍百川弥九郎にあそこまでの増長慢を許したのは)
 漣は、かつて経験したことないほど、己の感情が(たぎ)るのを感じていた。
 (すべて、織田前右府だ)
 「…姉うえ」
 六文は、感情が昂ぶるあまり背筋をこきざみに震わせている漣に、堪えきれなくなったように訊いた。 
 「六文」
 漣は、眸を前右府の行列のうえに落としたままで答える。
 「何じゃ、姉うえ」
 「姉は、ここでは死なぬぞ」
  「…」
  「姉は、前右府を、殺す」
 六文は、しばらく頸を少し傾けて驚きの表情を見せたが、やがて口を開いた。
 「姉うえは、前右府どのが憎いのか」
 「ああ」
 「ならば、六文もにくい」六文はしばし華やいだような微笑を浮かべ、それから語句ひとつひとつを慈しむように言った。
 「…行こうぞ、安土へ」