(れん)の、女童のころの思い出はいささか模糊としている。

 記憶のなかで、漣はどこかの土壁わきに並んだちいさな茅葺き長屋の、半坪ほどの土間の中にしゃがみこんでいる。脇にはごくおさない六文もいて、床に敷いた荒筵(あらむしろ)のうえで身体をぴたりと姉の自分に寄せている。そのうちに壁の割材の間から白煙がもうもうと立ちこみはじめてきて、たまらなくなり(しとみ)を引き上げて外に出ると、辺りはもう全て火になっていた。女どもの叫び声がきこえ、髪衣をみだし羅刹のごとき姿となった人びとが、ゆらぐ炎の照り返しを受けつつ家財の失われていくのを茫然として眺めている。漣は六文の手を引き、とにかく煙の来ない方に逃げようとしたが、数歩も往かないうちに曲輪の外に向かおうとする人群れに揉まれてしまった。漣はころび、背中がいくつもの裸足(あし)で荒々しく踏まれるのを感じ、しかし奇妙なことに、今でもあの炎のあかあかとした舌の色さえ思い出せるくせに、漣はその後、この霧生郷に来るまでのことは、全くおぼえがないのである。
―自分は、なにものか。
  要するに、郷に来てからの存念と仕込まれた技倆(わざ)だけでできあがっている久ノ一乱波、霧生ノ漣という生きもの(ところで、この生きものには姓名さえろくになく、さらに妹の六文の名に至っては、十三のきむすめにしては比丘尼(びくに)のごとく抹香くさい)は、一体たれなのかということである。この問いには、ふたりの師匠である梅ノ半阿弥はけっして答えることはなかった。代わりに、三ノ曲輪のすみのあかじみた長屋で捨て扶持をあたえられている老片輪者どもが、 
―それは、ぬしの手首のあざに書いてあろう。
と、歯の抜けた口で嗤ったのみである。たしかに漣と六文の両手首には、荒縄をきつく締め回したような古疵があるのだが、その由来が理解(わか)るとしになるまでには、すでに郷でかなりの歳月を経ていたようにおもう。
 つまりは、濫妨(らんぼう)である。乱妨、あるいは乱取ともいう。軍兵が蝟集して行軍するばあい、その進路上に郷村があれば雑兵どもは自然掠奪を(ほしいまま)にする。このため郷民のほうではこれをきらって逃散し、その後はたのみの社寺や城砦などに資材雑具を持ったまま駆け入るのである。むろん、運悪く城が陥ちれば掠奪はこの地にもおよび、郷民はそのまま帰村をゆるされることもあるが、多くは濫妨人どもに殺されてしまうか、あるいは身ぐるみ剥がされて城下の露市にならぶ。殊に、大いくさの後では人のねだんが牛馬よりもはるかに安くなることも珍しくない。漣も六文も、恐らくは永禄の織田の六角攻めのときに、南近江あたりの小城のまだあたたかい燼余(じんよ)の間から引き出され、一貫文二貫文の料足でうりかいされたのち、最後にたまたま、霧生郷から出張って来ていた子買いの元にゆき着いたのであろう。
 (ただ、それだけのことだ)
 と、漣は思うようにしている。おのれの郷里や父母の名がわからないと言っても、天下麻のごとく乱れて流民棄民が諸国に満ちみちているこの末法の世で、それがどれほどめずらしいことだろうか。それでも、漣はときに深井戸の中をのぞきこんだような寂寥感に苛まれることがあり、そんなときは赤目四十八滝の修練場で手足の筋がくたくたになるまで身体をうごかすか、でなければ今日のように、特に早くから田に出て野良ばたらきをすることにしていた。
 (…お漣、(おも)うな)
  半阿弥ならばいったであろう。漣は、師匠の火傷痕のある容貌をふと思い出しながら、かがんで草鎌をにぎる手に力を込めた。
(惑わば、心に陰ができ、頭のはたらきは自ずと鈍くなる。おのれをひとふりの剣、一個の傀儡(くぐつ)だとおもえ。そしてただ次の刹那、次のわが一撃のみに懸念せよ…)

 「姉うえ、若殿さまじゃ」
 六文がふいに上げた声で、漣の思念はとぎれた。
 目を上げると、笠置の峰々を若葉が山頂近くまで青く染め上げているしたに、盆地の起伏に沿って広がる田の一枚ずつが、やがて来る夏を待ちわびるように空をうつくしく映しこんでいる。その青田のあいだの小路を、上忍(すぐり)百川家の嫡男(せがれ)である弥九郎が小者二人ばかりに馬を曳かせてこちらにやってくるのが見えた。おおかた野駆けの帰りなのであろう、小袖と袴に肩衣をうち掛けただけの軽装である。
 漣と六文は、草取りの手を休めて畔に上ると、ふかぶかと平伏した。ぜんたい、霧生郷一円の小領主である百川家の権勢にくらべ、漣や六文のような下忍の身分はみじめなほど低いのである。ふだんは、同家から田請けをする無高の作人(あらしこ)であるに過ぎず、晩秋、雪のために軍勢を諸街道で進退させることが難しいころになって、はじめて割符をもらって諸国の大小名にやとわれていく。霧生きっての手練れであった梅ノ半阿弥も、そのようにして先年甲斐武田家に請われてゆき、爾来ぷつりと消息を絶った。三河岡崎で首級(しるし)が晒されていたとか、いやかの長篠設楽原のおびただしい骸の中にその姿を見たなど云う者もあったが、もともと敵陣で討たれた忍びの消息を探すことなど草中に針を求めるにひとしく、漣ははやばやと諦めざるを得なかった。以来、乏しい備銭の中からではあったが、師の月の命日ときめた日にはその仏前に焼香を絶やしたことはない。
 弥兵衛の乗馬が歩みを止めた。路端にうずくまっている漣には見えないが、その蹄音と息遣いから、弥九郎がすぐ前の馬上にいることが分かる。
 「お漣、六文か」頭上から声がした。
 「左様にございます」
 「お漣。ことしの稲の塩梅はどうじゃ」
 「…はい」漣は答える。「今年はよき霖雨にめぐまれたゆえ、苗の馴染みもよく、また育ちも幾分いつもより早いように思われます」
 「ふむ」しかし弥九郎の興味は、稲株の出来にはない。漣は、弥九郎の気配が馬から下りてきてじぶんの背後に回っていくのを感じていたが、次に、やにわに両の腕が後ろから伸びてきて漣のくびれた腰周りをつかんだ。
 「あっ」
 「お漣よ」弥九郎のなまあたたかい息が、漣の耳朶にかかる。「くだんのこと、思案はできたか」
 「く、くだんとは」漣は上体を起こし、はじめてこの若ざむらいの横顔をまじまじと見た。眉がうすく、目鼻立ちはおやじ殿に似ず秀麗であるが、ただ口元が卑しい。
 「知れておる。そこもとが当屋敷に奉公に上がることじゃ」ぬけぬけと言う。一昨年あたりから当主弥右衛門が痴呆()けてきたために、いまはこの弥九郎が家政のほぼ全てをとりしきっているのである。弥九郎は邸内に閨房をつくり、配下の久ノ一のうち容色のよい者を漁色したり、ほうぼうの在所に人をやって見目のよい村娘どもを集めさせたりしている。奉公とは、そのことを指していた。弥九郎は、外見からは意外なほどの精力家らしく、また閨では百川宗家につたわる秘薬を女に()ませているなどという噂もあった。その効き目なのか、閨房の娘どもは一様に神憑きのように美しく艶かしくなってゆくのだが、中には精神(こころ)に異常をきたしたと見えて、いつの間にか屋敷から忽然と姿を消している者もあった。いずれにせよ、もし奉公にあがったとすれば漣の常人(ひと)としての生涯はそこで終わることになろう。
 「ご無礼ながら、漣はまだ、思案が出来ておりません」
 「何と、気をもたせることよの」弥九郎は(わら)った。「お漣よ、おれも男ゆえ、いつまでも待ってはおらぬぞ」つまりは、力づくで奪い取るという意味である。スグリである弥九郎には、むろんそう処断する権力(ちから)がある。
 「しかし、若殿」漣は言った。「漣は、この六文とたったふたりの姉妹ゆえ、漣ひとりお屋敷にご奉公するわけには」
 「そうか。ならば六文はしかと後見(あとみ)する。安慮いたせ」だが、その言には真心のひびきは無い。「うむ、お漣の身体は瓜か夏草のような、よい香がするわ」
 「…」漣は、弥九郎のなすがまま羽交いにされているしか法はない。
 「しかし、筋肉(にく)はばねのようにかたい。まるで、鹿(しし)肉じゃな」弥九郎が、自由な方のうでを裾下の腿肉あたりに滑らせはじめたので、漣はまた小さく呻き声を上げた。
 「うっ」
 「…姉うえっ」
 「六文、よい」
 漣は、栗鼠(りす)のように跳ねて飛びかかろうとする妹をすかさず制した。弥九郎はそれを消極的な同意表示と受け取ったのか、手はさらに下方奥へとおよび、もう片方はこんどは盛り上がったまるい胸肉のあたりを探りはじめる。
 「お漣よ、屋敷へこい」弥九郎は言った。「そこもとほどの器量で、いつまでも、命をおとすかわからぬ乱波稼業をしたり、泥田をこねまわしたりしておる道理はない。そうだ、この鹿肉がすべてやわらこう溶けほぐれるまで、遊蕩させてやるぞ」
 「若殿、どうか」漣はさらに言う。「漣には、六文のほかにまだ師匠半阿弥の遺した家作と位牌もありますれば、在所(ここ)を離れることは出来ませぬ」
 「家作とは、そこもとらの棲んでいるあの苫屋(こや)のことか。言の葉とは便利なものよの」弥九郎は、少女のあまりの頑なさにやや鼻白んだが、構わずに手をさらに漣の秘所近くにまでふかぶかと差し入れた。「…半阿弥、か。お漣よ、露見して斬られた老忍ふぜいのことなど、忘れてしまえ」
  その時、弥九郎の目前の天地がくるりと回った。
  漣が、小具足の体技(わざ)を使ったのである。弥九郎があっと思ったときには、もう頭から目下の泥田のなかに投げ出されていた。
 「お漣っ」
  弥九郎は、あわてて介抱にきた小者どもに助け起されながら言った。漣のほうは、
 「若殿、お師匠は―」
  といったのみで、感情がたかぶったためにもう次の句がいえない。
 「そ、それほどまでに俺がいやか」
  弥九郎が泥のこびりついた顔を(あか)くしながらいう。おそらく、この郷紳のせがれは生まれてよりこれほどの恥辱にまみれたことはないであろう。
 「追って沙汰するゆえ、小屋で待つがよい」弥九郎は、ふたたび馬上のひととなった。 そして、漣と六文の棲みかに再び百川家の手の者がやってきて、
―あす、辰の刻に当屋敷にて真剣仕合をする。
  と口上を呼ばわったのは、同日の薄暮の頃のことである。

 その夜、漣は床の上に伸ばした身体を(おこり)のようにかたかたと震わせていた。
  むろん、あす行われる剣仕合の顛末を予感してのことである。弥九郎がにわかに仕合をおこなう企図からして、十中八九、漣の命はないであろう。
  このような場合、伊賀者は徒におのれの恐怖心を押さえこんだりすることはない。後代、武士階級は葉隠という、抑制と自虐心とを美学にまで止揚したふしぎな哲学をつくり出したが、乱世の忍び武者はそのような観念あそびとは無縁である。漣は、逆にじぶんの感情の発露するままに任せ、それが溢れて形をなし次第に冷え固まりゆくうちに、思念が自然にまとまるのを待った。六文もむろんそのことを知っているから、特に声をかけるわけでもなく、(こも)を敷いて横たわった姉の肢体をゆっくりと手先で揉みほぐしていく。目方が軽く、膂力にすぐれてもいない漣の有利は剣技の切れと(からだ)のしなやかさの外にはなく、そのためにはせめて四肢の弾機(ばね)を存分につかえるようにしておかねばならないのである。
  やがて、漣の思惟がおわった。恐怖心は熱の引くようにきえており、体内には軽いけだるさと冷めた覚悟のみが残っていた。そして、六文にさきに床につくように言ってから、漣は戸外に出て月明かりのなかで一刻ほど剣をふるうと、その後、夜明けまでの時間を死んだようにねむった。

霧 生