概略
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エジプト |
アメンヘテプ2世、アジアへ3回遠征、エレファンティネ島にオベリスク建立。 |
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アメンヘテプ3世(BC1417〜1379)、ミタンニ王女を正妻とし、同盟強化。新王国最盛期。アジア支配安定。王都テーベ他各地に神殿建立。アテン信仰興隆。 |
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アメンヘテプ4世、母后ティエ摂政。国家の主神アメン=ラアの信仰に反抗し、太陽神アテン信仰(一神教)に帰依。アメン神官団と対立し、アマルナ革命。国内混乱し、シリア辺境はヒッタイトに奪われる。カナーンの従属諸君候が独立を企て、政情不安続く。 |
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BC1372、アメンヘテプ4世(アクエンアテンと改名)、テーベから新都アケト=アテンに移す。 |
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トトアンクアテン(BC1361〜1352)、アメン信仰(多神教)に復帰。首都をテーベに移す。王名をトトアンクアメン(ツタンカーメン)と改名。王の没後、王妃アンケスエンアメン、ヒッタイトと結んで王位を守ろうとしたが失敗。 |
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BC1250頃 イスラエル人、モーゼに率いられエジプト脱出(『出エジプト記』)。ユダヤ教の基礎となる神話だが、初めての一神教(アテン信仰)の影響を受けている可能性も。(フロイト『モーゼと一神教』)(*2) |
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メルエンプタハ王(BC1236〜1223)、メンフィスに王宮建造。西デルタに侵入した海の民とリビア人連合軍を撃破。カナーンへ遠征するも国内は混乱。 |
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第20王朝成立(BC1200〜1085)。セトナクト初代王に即位(BC1200〜1198)。混乱収拾。 |
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ラアメス3世(BC1198〜1166)、王権確立、プントへ海上遠征。シリアの支配を確立。自身の埋葬殿造営。経済力衰退。テーベ職人のストライキ。 |
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ラアメス3世、デルタ地方に侵攻したリビア人を撃退(BC1194)。 |
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ラアメス3世、海の民の艦隊を撃破(BC1191)。 |
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ラアメス4世即位(BC1166〜1160)。王位継承で混乱。国勢衰微。内外の勢威失う。 |
メソポタミア |
ヒッタイト、帝国時代始まる(BC1460〜1190)。 |
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BC1460 バビロン第2王朝、エラム人の攻撃を受け滅亡。 |
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ミタンニ王国、フルリ王国が分裂。 |
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アッシリアのエリバ=アダド1世(BC1392〜1366)、ミタンニ王に対抗しバビロンと同盟。 |
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バビロン第3王朝のブルナブリアシュ2世(BC1375〜1347)、アッシリアのアッシュル=ウバリト1世の王女と結婚。 |
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ヒッタイトのシュッピルリウマシュ1世、カッシュ王朝と国交を結び、イラン高原・ザクロス山中にも勢力を伸張。(BC1375頃) |
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バビロン第3王朝のクリガルズ2世(BC1345〜1324)、北方のアッシリアの侵攻に備えて城壁を構築。アッシリア王エンリル=ニラリ(BC1326〜1320)と交戦し敗北。 |
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ヒッタイト王ムリシリシュ2世(BC1344〜1306)父王の帝国を維持、確保。発展と繁栄の時代続く。 |
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ヒッタイト王ムワッタリシュ(BC1306〜1282)、カデシュの戦いでエジプトに対し優勢な不可侵条約締結 |
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BC14〜13C アッシリアの拡大 |
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ミタンニ王国、アッシリアに併合され滅亡。 |
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アッシリアのトゥクルティ=ニヌルタ1世(BC1244〜1208)、バビロンを攻略、統治(BC1234〜1228)。 |
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エジプトとヒッタイト、アッシリアに対抗して平和条約締結 |
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ヒッタイトのシュッピルリウマシュ2世(BC1205〜1190)、海の民の侵入を受け、首都ハットゥシャシュ陥落。 |
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BC1190 ヒッタイト帝国滅亡(BC1460〜)、以後諸王国はBC8Cまで存続するが、アッシリア帝国に征服される。 |
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エラムのシュトルク=ナフンテ王、バビロニアへ侵攻。エラム最盛期。 |
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アッシリア帝国時代始まる(BC1115〜609)。ティグラト=ピレセル1世(BC1115〜1077)、版図拡大。地中海まで征服。 |
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BC1077:ティグラト=ピレセル1世殺害される。以降、後継者十数人続き、2世紀暗黒時代。 |
地中海 |
BC12C、インド=ヨーロッパ語族のフリギア人、トラキア地方からアナトリア地方に侵入。 |
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BC1450年頃〜BC1100年頃にかけて、クレタ島のミノア人に代わって、アカイア人がエーゲ海を支配するようになる。(*1) |
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BC1180年頃 トロイ戦争(アカイア人のギリシアとトロイとの戦争)、ギリシアがトロイを包囲し、トロイは炎上、陥落。(*1) |