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モンゴル帝国の成立(5)

Eurasia 1224年    Eurasia 1237年

     

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◆チンギス=ハーンの子の時代◆ 

概略

チンギス=ハーンの長子ジュチは、母ボルテが懐妊中にメルキト部に略奪されたため、「客人」を
意味するジュチと名づけられ、出生の秘密がつきまとった。ジュチは征服した南ロシアの地に封
ぜられたが、病からモンゴルに戻らず、父チンギス=ハーンからも反乱の疑惑をかけられた、討
伐軍が差し向けられそうになったが、病は本当で病没。その支配地はジュチ・ウルス(分封地)
となり、後のキプチャク=ハン国の元ととなる。同様にチンギス=ハーンはその生前から、諸子に
分封しており、次男チャガタイには、ほぼカラ=キタイ(西遼)の旧領が与えられ、三男オゴディに
はアルタイ山脈の西麓で、ナイマンの旧領に相当する地が与えられていた。末子相続の習慣
からトゥルイには分封地はなく、父チンギスの所領すなわちモンゴリアとケレイトの地が引き継が
れることとになっていた。
1227年、チンギス=ハーンはついに西夏を征服したが、その帰途没し、六盤山に葬られる。
チンギスとしては後継に三男オゴディを望んでいたが、モンゴルのしきたりとしてそれはあくま
でもクリルタイで決められることとなる。
チンギス=ハーンの時代(5) 他地域の情勢
1225年 2-モンゴルの武将史天倪、反将武仙に殺される。 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世、イェルサレム王を兼ねる
9-金と西夏との和議成る。;金を兄、西夏を弟として修交
チンギス=ハーンの長子ジュチ没 北条政子没
1226年 1-チンギス=ハーン、西夏を親征、黒水城、甘州、粛州を取り、霊州を攻め、首都興慶府に迫る。 フリードリヒ2世、ドイツ騎士団にリミニの金印勅書を与え、プロイセンの領有権を認めて征服を委任
7-西夏の献宗李徳旺没。李睨継ぐ。
1227年 5-宋の反将李全、青州でモンゴルに降る。 教皇グレゴリウス9世即位。十字軍遠征延期を理由にフリードリヒ2世を破門
モンゴル軍、金の徳順府、臨兆府を取る
6-モンゴル軍、西夏を征服;西夏滅亡
7-チンギス=ハーン、帰途途上で没。末子トゥルイ監国となる。

 

資料 陳舜臣『チンギス=ハーンの一族』