概略
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チンギス=ハーンの長子ジュチは、母ボルテが懐妊中にメルキト部に略奪されたため、「客人」を |
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意味するジュチと名づけられ、出生の秘密がつきまとった。ジュチは征服した南ロシアの地に封 |
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ぜられたが、病からモンゴルに戻らず、父チンギス=ハーンからも反乱の疑惑をかけられた、討 |
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伐軍が差し向けられそうになったが、病は本当で病没。その支配地はジュチ・ウルス(分封地) |
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となり、後のキプチャク=ハン国の元ととなる。同様にチンギス=ハーンはその生前から、諸子に |
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分封しており、次男チャガタイには、ほぼカラ=キタイ(西遼)の旧領が与えられ、三男オゴディに |
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はアルタイ山脈の西麓で、ナイマンの旧領に相当する地が与えられていた。末子相続の習慣 |
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からトゥルイには分封地はなく、父チンギスの所領すなわちモンゴリアとケレイトの地が引き継が |
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れることとになっていた。 |
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1227年、チンギス=ハーンはついに西夏を征服したが、その帰途没し、六盤山に葬られる。 |
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チンギスとしては後継に三男オゴディを望んでいたが、モンゴルのしきたりとしてそれはあくま |
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でもクリルタイで決められることとなる。 |