建国
南匈奴の族長の家系であった劉淵は晋の始祖武帝(司馬炎)のときに匈奴北部都尉になり、やがて八王の乱で晋国内が乱れると、304年山西河東を根拠に漢王と称し、自立した。これがまさに五胡十六国時代の始まりとなる。その後、羯族の石勒とその勢力を服属させ、308年平陽を占領、皇帝と称した。
310年劉淵没後、子の劉聡が即位し、313年洛陽を、つづいて316年長安を占領、西晋を滅ぼし、華北全体に勢力を拡大していった。その後、劉曜が即位し、長安に遷都、国号を漢から趙(前趙)に改めた。
319年それまで服属していた羯族の石勒が後趙を建国すると、華北でそれと対立するこ ととなり、328年に劉曜が石勒に殺され、翌年太子も後趙の石虎に殺され滅亡した。
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