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立神港区 FAC5086 佐世保市立神町
土地134,864m2:建物37,354m2


弓張岳から見た立神港区 (タンカーの接岸位置が第4・5岸壁)

 立神港区は、戦前、旧海軍佐世保海軍工廠の一部として使用されていた。1945年には米陸軍が接収し、55年に米海軍に移管された。56年以降、海上自衛隊の佐世保造修所、佐世保補給所、民間の佐世保重工業(SSK)が共同利用を開始する。その後、一部返還が行われ、SSKへ払い下げられた。

 インディア・ベイスン(立神係船池)内に岸壁は9つあり、総延長は1,710mにものぼる。そのうち第1~第6岸壁は地位協定第二条4項(a)によりSSKが一時使用を認められている日米共同使用施設となっている。米軍に優先使用権があり、SSKは第4・第5岸壁の使用料として年間約5,000万円の使用料を支払ってきた。

 また米軍はSSK敷地内にイーズメント(優先通行権)を持ち、SSKに隣接する赤崎貯油所まで自由に敷地内を往来している。

○衝突するSSKと米軍

 92年の強襲揚陸艦ベローウッド配備以降、SSKと米軍の間で岸壁使用をめぐる競合問題が激化し、現在SSKは第4・第5岸壁の一時使用のみが認められているに過ぎない。佐世保を母港とする7隻の米艦船は、立神港区に接岸され、その位置はほぼ固定されている。そのためにSSKは米軍の都合で何度も追い立てにあい、船舶の移動に伴う曳船費用、動力設備費、遊休時間などで大きな損益を受けてきた。

 2000年7月のエセックスとベローウッドの交代作業に伴い、米海軍は第4・第5岸壁を1カ月間明け渡すよう要求した。しかしSSKは「操業に重大な影響を及ぼす」として要求を拒否して事態は紛糾したが最終的に期間を14日間に短縮することで合意した。米海軍はこの艦船のみの交替で数億円を節約することになったが、SSKはこの期間中、延べ約8,000人の社員が休業を余儀なくされたのである。

○「すみ分け」という名による基地強化

 04年末、日本政府は米軍とSSKとの「すみ分け」をはかるため、隣のジュリエット・ベイスンの一画を埋め立てて米軍専用岸壁を建設することを決定した。新岸壁は長さ520m、埋め立て面積は実に57,000m2にのぼる。これに対して返還されるのは3号岸壁の大半(143m)、4号岸壁(193m)、5号岸壁の大半(169m)の計505m、その面積はわずか4,600m2にすぎない。米海軍はここにズムウォルト級ミサイル駆逐艦の寄港に対処するために電力供給システム更新を米側予算で行う計画である。

 新岸壁は10年10月に米軍に提供された。埋め立て地には電力や通信設備も整備され、米軍にとって非常に使い勝手のよい岸壁となった。建造費は日本の「思いやり予算」約218億円。しかし、立神港区の計505mの岸壁の返還は3年半後の14年2月だった。また立神岸壁に接する制限水域は返還対象となっていない。

 一方、この返還にあわせて、旧ジョスコー線(板付空港まで航空燃料を運んでいた旧米海軍専用鉄道敷用地)の一部、SSK東門~西門まで(約1万5600m2)が返還されることになった。ただし、米軍が直下に敷設した通信ケーブルの取り扱いは未定である。

○艦船支援施設は飛躍的強化


完成した艦船複合支援施設(1期工事分)

 立神港区には横須賀海軍艦船補給センター佐世保分遣隊が配備されており、保管倉庫や艦船修理施設が置かれている。

 新岸壁建設地とインディア・ベイスンの間に艦船複合支援施設(1期工事)が建設された。これは基地内に分散していた艦船整備・修理・運用などの古くて小さな施設を統合するもので、費用約60億円もまた日本政府の「思いやり予算」でまかなわれた。

 これまで艦船修理廠佐世保分遣隊は、1920年代に建設された日本海軍時代の老朽化し、分散された施設を使用してきた。艦船支援に必要な部門が一ヶ所に集中することで生産性は飛躍的に高まることになる。しかも両側に艦船を着けることができる格好の位置に建設されたのである。

 規模は3階建(一部4階建:2万1700m2)で訓練施設や教室、屋上駐車場(脇に傾斜路のついたランプ棟も)やウェットトレーナー施設を備えている。新しい建物には第1強襲揚陸部隊タスクフォース76、艦船修理廠日本地域メンテナンスセンター佐世保分遣隊、洋上訓練部隊西太平洋分遣隊、太平洋艦隊技術支援センターなどが移動。2期工事分は、それに隣接する現在の艦隊体育館を取り壊して建設される。2期工事では総合兵站運用分遣隊用の倉庫や管理スペースや屋上駐車場が追加される予定。

○米軍の要求は着々と実現

 この間、配備艦船の増加に伴う倉庫不足のため93年に第6岸壁の後背地(約1万3700m2:1975年返還)が米軍に再提供された。98年にも米軍は艦船修理器材の保管場所とするために、SSKが利用している赤崎貯油所の共同使用地の一部からの一時立ち退きを要求した。SSKは1972年以来、借り続けているもので、陸上鉄鋼製品の仮組立場として年間約1600万円の使用料を払っている。この地での生産額が全体の1割を占める拠点であるため、SSKはその「代替地」として社有地(約3100m2)を米軍に提供した。期間は当初05年3月末までだったが、10年3月末まで延長された。

 06年7月、立神港区の第2・第3岸壁の後背地の一部を米軍に追加提供することが合意された。佐世保基地は、01年の9・11同時多発テロを契機に警備体制を強化し、その一環として、立神港区の岸壁後背地に保安柵を緊急設置した。ところがその結果、荷揚げ作業などに支障をきたすことになり、今度は第2・第3岸壁の保安柵を現在よりも陸地側に約1.2mだけ移設したいと言い出したのである。これによって保安柵は岸壁から約9mの位置となるが、そのために長さ353m,幅15cmのSSKの土地約53m2を追加提供することになったのである。


立神倉庫

 その一方、日本政府は01年に「思いやり予算」で新たな立神倉庫(2階建:延1951m2)を米軍に提供した。

 また海上自衛隊は立神港区の土地の一画に佐世保造修補給所を有している。また計4バースの2本の桟橋を所有し、米軍も利用できる現地協定が結ばれている。