崎辺地区海上自衛隊 佐世保市崎辺町 | |||
用 途 | 施 設 名 | 土地(m2) | 建物(m2) |
教育研究施設 | 佐世保教育隊 | 196,356 | 51,566 |
射撃場施設 | 海上自衛隊崎辺射撃場 | *1 | 5,347 |
営舎施設 | 佐世保警備隊 | 91,415 | 19,841 |
港湾施設 | 佐世保警備隊港湾施設 | *2 | *2 |
補給施設 | 太田貯油所 | 117,194 | 1,424 |
その他の施設 | 佐世保造修補給所火工整備場 | 26,5210 | 2,097 |
【前史】
第一次世界大戦後、佐世保にも海軍航空隊が設置されることになり、崎辺地区の民有地173,286m2が買収された。4つの島を切り崩して海面を埋め立て1920年に佐世保海軍航空隊が開隊した。さらに陸上小型機が離着陸できる東西300mの滑走路を持つ平地を埋立によってつくり、39年に現在の地形ができあがった。
戦後は連合国軍が接収し、45年9月からは米軍によって通信施設、倉庫、野積場、ゴルフ場として使用された。
太田貯油所は戦時中の43年7月に旧海軍の給油施設として建設された。戦後は米軍が管理していたが、54年に返還され海上自衛隊の貯油所として使用が始まった。また59年3月に港湾防備を主任務とする佐世保防備隊が開隊し、米軍との崎辺地区の共同使用が開始した。
崎辺突端一帯は佐世保港における唯一の広大な平坦臨港地区であり、その後、SSK(佐世保重工業)の100万トンドック建設用地獲得のため、市民挙げての返還運動が起こり 74年に返還された。防備隊は76年にSSKの100万トンドック計画に伴って米軍ゴルフ用地に新設移転。85年に崎辺地区の東側(129,397m2)は米軍に再提供された。
佐世保教育隊の施設
1961年7月に崎辺地区の213,000m2が返還され、海上自衛隊へ払い下げられた。65年4月に佐世保教育隊が発足し、隊舎、講堂、屋内訓練場、屋内プール(69年)、自動車教習場(76年)、体育館(81年)などが整備されている。
佐世保警備隊本部
また87年7月に佐世保防備隊は佐世保警備隊に編成替えとなり、本部のほか陸警隊、港務隊、水中処分隊が置かれている。
99年、大型護衛艦の佐世保配備に伴って太田貯油所に艦船燃料貯蔵用として新たに1基(約8,000キロリットル)の燃料タンクを建設している。現在は地下タンク2基、屋外タンク4基で、計約3万5000キロリットルの貯油能力をもつ。04年11月にこれらの燃料管理などを行なう新管理棟が完成した。
太田貯油所の4基の屋外タンク
佐世保磁気測定所
1964年12月に佐世保造修所火工整備場が竣工。76年には佐世保磁気測定所が完成し、77年3月に魚雷・機雷・爆雷などの水雷武器の調整などを行う佐世保水雷整備所が新編となった。さらに90年10月にはSATT(対潜水艦戦術訓練施設:3階建て3,300m2)が完成した。この施設はシミュレーションを用いて、艦載哨戒ヘリを含む水上部隊の対潜戦術に関する訓練の維持向上及び乗組員の技術向上を図るもの。それまでは横須賀に1施設しかなかったが、護衛艦の増加で横須賀での限界を超えたために西の拠点である佐世保への建設となった。
91年3月末には佐世保誘導弾整備所も新編となった。これは「イージス艦こんごう」の佐世保配備計画に伴い、使用するミサイル弾の品質管理のための定期的な電子機器の機能点検、必要に応じた部品交換を行う施設である(第一整備場約1,200m2、第二整備場1,250m2)。98年度の編成替えで水雷整備場と誘導弾整備場は佐世保弾薬整備補給所に改編された。
一方、92年12月には127,000品目を収納できるという、海上自衛隊初の本格的自動倉庫である崎辺1号倉庫(3,438m2)が完成。96年10月には2号倉庫も運用を開始した。
高速ミサイル艇しらたか
03年3月に高速ミサイル艇「おおたか」「くまたか」が佐世保警備隊に配備され、佐世保警備隊に第3ミサイル艇隊が創設された。北海道・余市、京都・舞鶴に次ぐもの。04年3月には「しらたか」も配備され、3隻体制となった。これは99年の能登沖「不審船事件」を契機に設計変更となった、「はやぶさ」型ミサイル艇で、各部にレーダーに映りにくい構造をもち、最新の護衛艦に装備されている対艦ミサイル4発と76ミリ速射砲という強力な攻撃能力を備えている。
ミサイル艇の駐艇場として浮桟橋(長さ約80メートル、幅12メートル、厚さ3・5メートルの鉄筋コンクリート製)が総工費は約4億円で建設された。
諸施設のひしめく崎辺地区突端。中央の細長い施設が米軍との共同利用の崎辺小銃射撃場。
佐世保教育隊敷地内にある崎辺小銃射撃場は、もともと佐世保警備隊の保有していた黒髪射撃場の代替として80年4月に竣工した。覆土式で長さ約150m、小火器の射撃訓練として年間140日使用している。この施設は83年9月より地位協定第二条4項(b)の施設として米軍が共同利用している(FAC5117)。使用は、原則として年間4回(各四半期1回)とし、使用期間は1回につき1日~3日とすることが協定書で取り決められている。しかし使用状況報告書を見る限り、それをはるかに上回る頻度で使用されていることがわかる。
◆崎辺小銃射撃場の限定使用に関する現地協定(日本語・英語)
◆米軍の使用状況報告書(1996~2000)