『平和新聞ながさき版』コラム
(2010年12月25日) 「コザ騒動」から12月20日で40年が経つ▼ベトナム戦争中の当時、米軍関係者の消費活動は著しく、コザ市(現在の沖縄市)の経済の約80%は基地に依存していたにもかかわらず、市民の間には米軍に対する不満が鬱積していた。米統治下の沖縄では日本およびアメリカの憲法どちらも適用されず、米軍によるすさんだ犯罪の多くが野放しにされていたためである▼騒動前年、糸満市で主婦がひき逃げで殺され、米兵は無罪となった。積もり積もった米軍への怒りが頂点に達し、事故処理に不満を抱いた市民が憲兵隊と衝突。米軍車両が次々と炎上。米兵による威嚇発砲もあり、21人が逮捕されて事態は収束した▼本土返還された今日でも基地は依然そこにある。40年経った今でもコザでの叫びは変わらない。普天間基地県外移設を求める沖縄県民にとって、管首相が放った「辺野古移設はベターな選択」という言葉はどのように聞こえただろうか。その土地に住む当事者との間にある温度差をなくすことを政府に求めたい。(み) |
(2010年12月15日) 深夜のテレビを見て、「やっぱり」と思った。五島列島西側の島で、沖合5百メートルから密かに上陸する陸上自衛隊の訓練が映し出された。占拠された島を奪還する訓練だという。一部始終を見つめていた老いた住民が「ああ、上陸作戦じゃな」とつぶやいた。聞いたわけではないが、戦時中を思い出したのだろうとひどく気になった▼日米共同統合演習の場所も近い。空母や強襲揚陸艦も動員した過去最大規模の演習だ。メディアも、北朝鮮と中国を仮想敵国に見立てたこの訓練を肯定的に伝える。「尖閣諸島が危ないのに、民主党政権は何もできない」という世論をつくりたいようだ▼普天間問題で強硬な手を打てない日本政府にいらいらの米側。一方で米軍と自衛隊の軍事一体化のスピードと深化はすさまじい▼時の政治を尻目に、軍部の暴走で戦争を拡大していった、かつての時代を再現しているような昨今だ。70年を経て、「目には目を」という戦争の論理を繰り返すつもりなのか(☆) |
(2010年11月25日) 歴史の中の戦争は「勃発」という言葉が使われ、いかにも突然はじまったかのような印象を受ける。第二次世界大戦での日本の真珠湾攻撃も「勃発」・・・。でも実は戦争はいつでも突然始まったりするものではない▼真珠湾攻撃に至るまでの日本は、領土を拡大していく中で徐々に孤立し、経済制裁を受け、ついには勝ち目のないアメリカに攻撃をするという選択をした▼現代の世界で繰り広げられている戦争も突然始まってはいない。戦争で一番たちが悪いのはそこに「利権」というものがあること。そしてそれにしがみつく人たちのシナリオ通りにことが進んでいるということ。「利権」にしがみつく筆頭は紛れもないアメリカ。日本の「同盟国」となっている国。この国は今も世界のあちこちで、誰かが作った戦争のシナリオを忠実に進めている。たぶん「北朝鮮核施設問題」や「南北砲撃戦」もそのシナリオのひとつなんじゃないか・・・▼そんな疑うクセがすっかりついてしまった今日この頃です。(J) |
(2010年11月15日) 5年前に公開された映画『ロードオブウォー』。ニコラス・ケイジ扮する主人公ユーリが武器商人として成功していく物語である▼東西冷戦終結後、ユーリは祖国ウクライナに残された大量の兵器を売買。紛争が続くアフリカ諸国を中心に武器を売り、資産を増やしていく。武器商であることを家族に偽り続け、最後にその嘘が明らかになった時、彼は家族を失うことになる▼商いの才だけを残し、全てを失った後にインターポールより身元を抑えられた彼はこう話す。「最大の武器商人は合衆国大統領だ。私は国にとって大事な役割。必ず釈放される」と。言葉通り彼は釈放され、再び武器売買の世界へと戻っていく▼世界で最も武器の売り買いが盛んなのは、米・英・露・仏・中の国連安保理常任理事国。武器商人が世界を支配する時代、と映画の最後にテロップ。金と戦争はいつの時代も深く繋がっている。それに気づかず、私たちもどこかで戦争を手助けしているかもしれない。世の中の動きや流れに敏感で常にいたいと思う。(み) |
(2010年11月5日) 被爆65年を記念して、長崎で初めて日本のうたごえ祭典が開かれた。初日のブリックホールでのコンサートには二千人が、二日目のアリーナ「大音楽会」には四千八百人が集った全国からの参加数にも驚くが、実行委員会のみなさんに拍手を送りたい▼知り合いの学会員も「心に響くこんな音楽会とは知らなかった」と語った。「男声合唱が素晴らしかった」と話す女性、「高校生が次々に出てうれしかった」とつぶやいた若者。「干潟の海の詩」で舞台に上がった漁民は涙していたという▼演奏面でも「うたごえ」だけでなく、県内のいろんな合唱団が協力しあい、指揮や伴奏に関わった人たちも広範囲にわたっていた。照明で浮かびあがった六百人もの大合唱「平和の旅へ」にはどよめきがおきた。長崎らしさがいたるところに感じられたのもうれしかった▼「うたごえは平和の力」というが、「うたごえは憲法を生かす運動」でもある。元気な「うたごえ」が12月の日本平和大会へとつながり、今後のあらゆる平和・民主運動の新たな前進へと続くことを期待したい。(☆) |
(2010年10月15日) 「原子力発電」と言えば、最近は「安全です」をまず耳にする。たいがいの人は放射能の恐怖についても頭をよぎるはずだが、この科学の発達した昨今、「本当に安全に稼動できているんだ、きっと」と広告を信じる人も多いかもしれない▼原発ではたらく労働者も、最近は派遣社員が多いらしい。驚くべきは、正社員と派遣社員での最大被ばく線量に8倍もの差があるということ。さらに、労災認定基準の被ばく線量を浴びる正社員は0名、派遣社員は二百名(伊方原原発の場合)。一番危険な場所ではたらくのは派遣社員。こんな中でも生まれている「格差」という悲しい現状が意味するものは、つまり「危険です」と電力会社も認めているということだろう▼どんなに「安全」を叫んでも文字通り「神話」でしかなく、原子力エネルギーの生産には放射性廃棄物の産出は避けて通れない。文明社会の中でエネルギー問題は考えなければならない。でもいのちの格差を生み出しながらの原子力はやはり再考するべきだと思う。(J) |
(2010年9月25日) 女性の力には底知れないものがある▼北極圏、チベットやネパール、アフリカ、アマゾンの各地で伝統の生き方を守りながら暮らしてきた先住民や少数民族の女性たちが、地球と人類への危機感からNPO「13人のグランマザー国際会議」を結成した▼肌の色はもちろん、文化・宗教の違う彼女たちは、戦争・貧困・核兵器など大地が直面する破壊に心を痛めている。ダライ・ラマ14世の助言により、祈るだけの時を終え行動に移すことを諭されたという▼先住民のおばあちゃんの知恵で地球を救いたい、七世代後の子どもたちや病める大地を守りたい?そんな思いの下に集結した彼女たちが、今秋、名古屋で行われるCOP10のため来日する。そのうち4人を長崎に招き、原爆犠牲者の鎮魂と平和の祈りを実施するプロジェクトが10月31日に行われる▼人の命を生み育ててきた世界のおばあちゃんたち。女性には大きなパワーがあるのだ。命を愛する彼女たちの声を聞いてみたい、そう思う方はぜひ原爆資料館へ足を運んで頂きたい。(み) |
(2010年9月15日) 被爆から65年目の今年、初めて長崎市主催の平和祈念式典に参加した▼行く途中のほぼ満員の電車の中で、喪服姿の老婦人となぜだか仲良くなった。二人とも連れがいなかったので「いっしょに座りましょう」と会場の椅子に仲良く並んで座った▼80歳を超えたという彼女はご自身の被爆体験も話してくれた。そして「若い人が平和のことに関心を持ってくれてこういう催しに参加してくれることがとても嬉しい」と本当に喜んでくれていた▼若い世代が原爆のことや戦争のこと、平和のことを考えたり行動したりすることは、ちょっとしたことでも被爆者の方々を元気に出来るのだと改めて思った。被爆者の方々の平均年齢が76歳を過ぎた今、私たちの世代には本当に大きな期待と希望が向けられている。平和の担い手をもっともっと増やすことで元気を与えたい。心からそう思った▼式典が終わって彼女がぽつりと言っていた。「来年またこれるかなー」・・・この言葉の重さを忘れないようにしたい。(J) |
(2010年8月25日) 原水爆禁止二〇一〇年世界大会in長崎の舞台に30人もの高校生があがった。長崎のうたごえ協議会のみなさんといっしょに「一本のペンで」を歌い、高校生1万人署名活動への支援を呼びかけるためだ。「私たちは微力だけれど、無力ではない」を合言葉に、核兵器廃絶への希望を素直に口ずさむ姿が清清しかった▼作曲した池辺晋一郎氏は、「語り継ぐ努力を惜しんではならない」と大人たちを励まし、若者たちには「小さな力はやがて大きな力になる」とエールを送っている。歌った高校生の間では「リズムが気持ちにぴったり」と共感が広がっている▼同じ日、「核兵器廃絶の先頭に」とのべた、その同じ口で「抑止力必要」論を説いた首相の二枚舌が、長崎市民を唖然とさせ、怒りをかった▼甲子園児と同様に、真夏のうだる暑さの中でこつこつと署名を集め、「一本のペンで」を歌う邪心のない高校生の行動。かたや「情勢は複雑」と開き直って恥じない首相に、長崎から学ぼうとする姿勢はかけらも感じられなかった。(☆) |
(2010年7月25日) 原爆投下・終戦から65年。日米安保条約改定から50年。今年は“節目の年”がたくさん重なっている。ベトナム戦争が勃発したのもちょうど半世紀前▼多くの人々にとっては過去の歴史となっているが、その反省や教訓から学ぶことなくアフガニスタンやイラクでの悲劇が今なお世界各地で繰り返されている▼ベトナム戦争の真実を伝えるために作製された2本のドキュメンタリー映画がこの節目の年に各地の映画館で再上映されている。ベトナム、アメリカ、大統領から庶民まで、賛成派から反対派、戦争を体験したあらゆる層の人々の証言をまとめた『ハーツ・アンド・マインズ』。ベトナムからのアメリカ帰還兵の証言を暴露し、戦場での狂気を内面から描いた『ウィンター・ソルジャー』。2本の映画とも戦争の悲劇を再び繰り返さないように人々に呼び掛けている▼残念ながら長崎でのリバイバル上映はない。ぜひDVD等でかれらの証言を聞いてみてほしい。決して過去の出来事ではない、今も生き続ける人々の魂の叫びを感じることだろう。(み) |
(2010年7月15日) 平和を考えるときに「共感する」という感情は切っても切り離せないものだと思う。遠い異国での戦争、遠い昔の戦争の事実を知り、そこに生きるそして生きてきた人々の心に共感できなければ、現実の世界で平和に暮らしているものは平和を叫べないような気がする▼NPTニューヨーク行動に参加したときに、「ヒロシマ・ナガサキを二度と繰り返すな」と叫ぶ人々に出会った。シアトル市郊外で活動する彼らは、原子力潜水艦の基地に反対し、港の非核化を求め、そして核兵器廃絶を求めている▼彼らは一度も日本を訪れたことはない。でも、彼らの願いは「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲイン」。地球の裏側で原爆を知り、日本の被爆者のことを思い、活動をする彼らに出会った時胸が熱くなった。同時に平和を願う原点は「共感」だと感じた▼白髪の目立つグループのメンバーのもうひとつの願い。それは「日本を訪れること」。その願いを実現する為ただいま準備中です。(J) |
(2010年6月25日) 「うたごえは平和の力」。被爆65年を記念し、初めて長崎で開かれる「日本のうたごえ祭典」。日本の音楽界を代表する作曲家・池辺晋一郎さんと、全日本合唱連盟理事長の浅井敬壹さんが、この祭典で、日をかえて大合唱のタクトを振るという。合唱ファンならずとも聴いてみたい豪華な企画だ▼池辺さんは、「アメイジンググレイス」から始まるスケールの大きい三曲。浅井さん指揮の組曲「悪魔の飽食」は、旧日本軍七三一部隊の実態を告発した曲。自らの戦争体験から、平和を希求してやまない氏の深い思い入れを感じる▼「憲法が輝く日本を」と、自らの憲法人生を熱く語り歩くのは畑田重夫さん。「いまの若者の中には戦前と戦後の区別がつかない状況がある」と警鐘をならしている▼「過去に学び、今日を知る」ことは行動の原点。目前の原水爆禁止世界大会、「日本のうたごえ祭典in長崎」、11月の「日本平和大会in佐世保」と続く長崎でこそ、知的刺激を注入して反核・平和の運動を前に進めたい。(☆) |
(2010年6月15日) サッカーW杯南アフリカ大会が開幕した。アフリカ大陸で初の開催となる▼南アは91年にアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃され、3年後の94年、ネルソン・マンデラが初めて黒人大統領に就任した。しかし、20年近く経つ今でもタウンシップと呼ばれる旧黒人居住区が各地に存在している▼ヨハネスブルク近郊のソウェトは南ア最大のタウンシップで、東京23区ほどの広さに約三〇〇万人が暮らしているという。小さなバラック小屋がひしめき合って立つソウェト。電気やガス、水道の設備はもちろんない。ヨハネスブルクから集まった大量のゴミが積もる山から空き缶やペットボトルを回収して生活している人たちがいる。出稼ぎに出る労働者はもちろん、盗みを行い生計を立てる人々も少なくない▼W杯の開催について地元住民にインタビューするテレビ番組を見た。「観光客が増えれば仕事(盗み)が増える」そう答える彼らを簡単に咎めることができようか。本当のアパルトヘイト解消が訪れるのはいつだろう。そんな背景を思いながら観戦する。(み) |
(2010年5月25日) もしも普天間基地問題で、宜野湾市の人たちが「県内でも国内でもどこでもいいから早く移設してよ」という気持ちでいたならどうなっていただろう▼たぶん「移設先」に挙げられた自治体と宜野湾市の間でいやーな雰囲気になる。「なんで引き受けないの」「なんでこっちに移設か」とそんなやりとりになってしまうのでは・・・。でも現実はそうなっていない。怒りの矛先は相手方自治体ではなくちゃんと日本政府に向けられている▼そう、これまで政府は困ったことがあると国民をふたつに分断して怒りの矛先を自分たちから背けさせるという手段をとってきた。でも今は「宜野湾の心」がそうさせていない。「日本のどこの地域の人にも自分たちのような目にあわせたくない」という宜野湾市民のきれいな心が日本全国で生きている▼あくまでも「無条件撤去」。そう言っている宜野湾の人たちがいるから、逆に徳之島も大村もがんばれる。「宜野湾の心」を無駄にしない、だからがんばれるのだと思う。(J) |
(2010年5月15日) 当然ながらニュースは普天間問題一色。十数年前、仕事で訪れた沖縄・宜野湾市。ど真ん中に居座った飛行場があまりに異様で声も出ず、離発着を繰り返す輸送機のすさまじい轟音に思わず耳を塞いだ。隣接する学校は授業どころではないだろう。フェンスの中が基地なのだが、「基地の傘の下で住民が暮らしている」というのが実感だった▼大村市九条の会代表の谷川氏が、先月沖縄を訪ね地元紙で語っていた。「基地と住民の境界に設置された有刺鉄線は住民の側を向き、自分が立っている場所が、基地の中なのか外なのか分からなくなった」▼沖縄の基地は終戦直後に米軍の銃とブルドーザーによって強制的につくられた。その歴史のうえに、数え切れないほどの米軍の事件や事故を背負わされてきた。抑止力や安保以前の問題なのだ▼鳩山首相の軽い言葉は空々しくスジも通らない。ここに至っても「九州内の移転先をさぐれ」などの俗論に便乗し、解決の方向を示しえない大メディアの後進性にあきれる。(☆) |
(2010年4月25日) 長崎でも大人気のNHK大河ドラマ『龍馬伝』。第16回目の放送では土佐を脱藩した龍馬が江戸の勝麟太郎(のちの勝海舟)に会いに行った。勝に師事を仰ぎ、一度は追い返された龍馬が再び勝に呼び戻され、意気投合するシーンがあった▼戦を避け外国から侵略されないためには、外国と同等の海軍を持つことが必要だと龍馬は力説する。開国したばかりの日本が他国から喧嘩を売られないよう、軍という抑止力を持つことを考えていたのだ▼軍力の傘下にて平和を保とうとする考えは「核の抑止力」に似ている。龍馬が生きた時代から急成長を遂げた日本。軍事力も他国に負けず劣らずとなった。その後二度の世界大戦の当事者となり、世界初の原子爆弾が広島・長崎に投下された。戦後は核という大量破壊兵器の保有がが戦争を避ける力だと言われ続けてきた▼21世紀、核兵器を手放す時代へ変わり始めてきた。江戸時代は300年間戦争がなかった。軍事力に頼らず戦争のない時代を再び目指したい。(み) |
(2010年4月15日) 米ロが核軍縮条約に調印した。91年の第一次戦略兵器削減条約の期限切れに伴う条約だが、NPT再検討会議の直前に「なんとタイムリーな!」と喜んだ人も多いはず▼この世界の変化の中で行われるNPT再検討会議は本当に意義あるものに違いない。このチャンスを逃せば、「核兵器のない世界」は実現できないかもしれない▼NPT再検討会議に向けて署名活動に参加してきた私の目標は「一人でも多くの人に署名をしてもらう」はもちろんだが、「署名してくれなくてもいいから一人残らずこんな活動があることを知ってもらう」ということだった。いろんな人に声をかけた。もちろん断られた人もいるが、その人もこの活動があることを知ってくれたはず▼古い友人にも声をかけた。ある友人は「あなたの行動を誇りに思う」と手紙に書いてくれた。「そう思ってくれる友人がいることが私の誇りだよ」と思いながら、一人ひとりの署名にこめた思いを噛みしめる。「核兵器のない世界」の実現に向けて、さあラストスパート!(J) |
(2010年3月25日) 那覇空港を飛び立ち長崎へ向かう空路、飛行機はしばらく低空飛行を続ける。美しい海と島々をゆったりと眺めながら、沖縄での日々を思い起こし別れを告げる。この景色を見る事ができるのは今月いっぱいである▼米軍が1972年の本土復帰以降も沖縄周辺の空の航空管制業務は一部を残して日本へ戻ることになった。那覇空港からの旅客機の離陸を含めた沖縄本島上空と周辺の航空管制業務の全てを、嘉手納基地内の飛行場にて米軍が行ってきた。那覇空港から離陸して約10キロの区間は、着陸する米軍機の航路と重なるため、高さ約300メートル付近までの低い空域を飛行する高度制限があり、その後急に高度を上げなければならない。日本に移管後は、上空と地上の両方から米軍機の飛行状況を早めに把握できるようになり、スムーズな上昇が期待できる▼低空飛行にて景色を眺める楽しみは無くなってしまうかもしれないが、日本の空を日本が管理するという当たり前が戻ってくることには変えられない。(み) |
(2010年3月15日) 絆(きずな)という言葉をよく耳にする。家族だけでなく友人や職場でも、お互いの結びつきの希薄さが社会問題になっているからだろうか。地域でも「向う三軒両隣」を訪ねて話し込む機会がめっきり少なくなった▼「昔は、核兵器廃絶署名もまず地域回りだった」というから、「核兵器のない世界を」署名とチラシをもって久しぶりにご近所を訪ねた。留守もあったが、3軒目では健康から趣味の話にまで、10数分も話し込んでしまった。次の家では子どもさんの教育が話題になり、数軒先では普天間基地の大村移転問題にまで発展した。「事故と事件付きの基地はどこでもゴメンですよね。『基地はいりません』ってなぜ言えないんですかね」という話だ▼この日訪ねたのは十数軒。署名はもちろん募金に応じてくれた家も多かった。顔見知りのご近所は進んで協力してもらえるし、これを機会に新しい顔見知りもできる。地域の絆も深まり、得るものばっかり。NPT再検討会議まであと40数日、がんばり時だ。(☆) |
(2010年2月25日) どんなに情報が発達していても、現場に行ってみないとわからないことはたくさんある▼名護市辺野古に行ってきた。普天間問題と関連してずいぶんテレビでの露出も増えてるが、何気に映像を見ているだけではわからなかったことがある▼辺野古の海からキャンプ・シュワブをながめた。以前はなかった白く光るぴかぴかの建物と新しい道路がある。現在建設中の建物もある。「あんなのあったかなー?」辺野古訪問5回目となる私はその風景に違和感を感じた▼その後、船長さんの説明で事実を知った。辺野古沿岸を埋め立てて新しい基地をつくるときに既存の建物は邪魔になる。今のうちに基地内の施設を、陸よりに移設を始めているとのこと。「え、まだ移設って決まってもいないのに?」そう、決まってもいないのに。もちろんその財源は「思いやり予算」から▼前言撤回。情報が発達しているからこそ、現場に行かないままだと騙されてしまうことがたくさんある。現場に行こう。そして伝えよう。(J) |
(2010年2月15日) バンクーバー冬季五輪が開幕?冬季五輪は夏季大会より独立し、1924年、正式な開催を認められた▼しかし40年の札幌、44年のコルティナダンペッツォが第二次世界大戦のため中止、48年のサンモリッツ大会には戦争責任を問うとしてドイツと日本の参加が認められなかった▼92年のバルセロナ夏季大会では、古代オリンピックの伝統に倣って「競技開催前後に戦闘行為を停止」を求める呼びかけを採択した。94年のリレハンメル冬季大会にて初めて『五輪停戦決議』が採択され、98年の長野大会ではこの決議がアメリカのイラクへの武力行使を遅らせた▼しかし前々回のソルトレイクシティー大会開催中アメリカはアフガニスタンでの戦闘を継続。停戦決議書を提出するもその内容に「開催中の戦闘停止」を表すものはなかった。04年のアテネ夏季大会はアメリカのイラク攻撃最中に行われ、日本を含む11カ国が停戦協定に反対した▼「平和の祭典」として開催されるオリンピックの初心をもう一度思い起こす機会かもしれない。(み) |
(2010年1月25日) 21世紀に入って10年、軍事力で世界を動かす時代は確実に後退している。では、半世紀を超す日米安保条約の下で沖縄をはじめ全土に基地を提供し、軍事同盟を憲法9条の上に君臨させてきたこの国はどうか▼普天間問題で「沖縄の心を大切に」と、基地が抱える異常な事態のチェンジを掲げた鳩山新政権だったが、米国の声を聞いた途端に県民の声を生かす思考を停止させた。「移設先探し」の迷路に入り込んだのだ▼外交評論家の寺島実郎氏は、外国軍隊が駐留し続けることの異常に「日本人は気付くべき」といい、軍事評論家の前田哲男氏は「(同条約は)冷戦時代の巨大な遺物」と語っている。「旧態依然の思考からの脱却を」(共同)の声も聞こえる。どちらが世界の動きを正確に読み取っているかは明らかだ▼自民党政権が、日米密約の上に「対等な条約」として国民に押し付けた安保条約。唯一対等な部分があるとすれば、「どちらかが条約終了の意思を通告すれば一年後に終了する」とした10条であり、その行使こそ独立国の証である。(☆) |
(2010年1月15日) 2010年が明けました。今年はどんな年?▼まず、「核兵器廃絶のチャンスの年」。最大の核保有国が「核兵器のない世界を」呼びかけ、そのことについて世界の国々が同じテーブルにつく会議が開催される年。5年前出来なかったことを今年は果たすため、「核廃絶」の声をあげ世界中でこの運動を盛り上げなければ!!▼そして「絶対憲法まもらんばいかん年」。07年に国民投票法が成立し、今年は施行される年。戦後ずっと戦争の惨禍からこの東アジア一帯を守ってくれた9条を、今度は私たちが守る番。水面下での動きを見逃さず、私たちも動き出さなければ!!▼それから「安保条約50年」。10年経って日米どちらからでも「やめます」と言ったら終了するこの条約は、ある意味「時効」がとっくに過ぎています。いつまでも基地「移設」問題とか言わせないで、「あくまでも撤去・廃止」するために、条約そのものを広く知らせなければ!!▼というわけで、今年も忙しい年になりそうです・・・。(J) |