『平和新聞ながさき版』コラム
(2009年12月25日) 農業を幹、商業を枝葉として捉える「重農主義」という経済思想史が西洋に存在した。これを語源とした言葉が「本末転倒」(本は幹となる農業、末は枝葉となる商業)である▼今まさに「本末転倒」と言いたいのは亀井金融担当大臣の「沖縄カジノ構想」。普天間基地移設に対する打開策として講じた案は、移設後の普天間をラスベガスやマカオのようなカジノ都市に変えれば土地活用や雇用確保に繋がるというものだ。カジノ構想は2年前から県の観光企画課でも提案されている▼普天間移設問題の先送りに頭を抱えていた永田町や知事、マスコミさえもこの案に飛びついた。しかし基地を国内に留まらせ、移設先という責任をたらい回しにするか国外に移設させるかを問題にしているなら本末転倒である。沖縄県民をスケープゴートに仕立て上げようとする意図を感じてならない▼移設を決めるならまず何をすべきか見極めることが重要ではないだろうか。「移設されるかもしれないであろう長崎県民」としてではなく、「全国から基地をなくしたい日本の国民」として移設問題を考えたい。(み) |
(2009年12月5日) 街路樹のケヤキが赤茶け、ナンキンハゼの葉は真紅に染まる。やがて吹く北風に落ち葉が舞う光景は、もの悲しげではあっても四季の移ろいを感じさせる。着実にして理にかなっている▼人間社会の足取りは、法則的ではあってもそう単純ではない。近所の医院の待合室、老女らの会話が耳に残った。「世の中、逆に進んでいるようだね」「悪うはなってもよくはならんよ」ー▼大企業の規制には無力で、派遣村の再来さえ防げない政治。表現の自由を口にしながら、ビラまきを有罪とする「憲法の番人」。普天間基地問題で「県民第一」と胸を張った首相の声も日を追うごとに小さくなった。大村市での自衛隊の記念式典、政権党の大臣が「すばらしい」と祝意を表し、秘書はそのパレードに反対する抗議集会に出て「平和の行動に深い敬意」とのべたという▼納めの月なのにあまりに国民不在だ。どんな政治をつくるのか、国の基本政策の良し悪しを見極める仕分けこそ必要ではないのか。世の中を前に進めるために(☆) |
(2009年11月25日) 普天間基地移転問題にゆれる沖縄で、またも起きた米兵によるひき逃げ事件▼Yナンバーの事故車は、フロントガラスが割れ、その後の調査で被害者の毛髪や血痕が付着していたことが判明したそうだが、よくもまあ民間の修理工場に持っていったもんだと思う。供述しているように本当に「人をはねたとは思わなかった」のか。それとも過去の米兵の犯罪が「地位協定」によって守られるということを知ってのことか▼「地位協定」という言葉自体を知ったのはずいぶん以前になるが、その「地位」の意味をちゃんと知ったときは驚いた。「私とあなたとでは地位が違うのよ」の「地位」だ。この場合の「私」は「アメリカ」で「あなた」は「日本」だろう。人をひき殺そうがなんだろうが、いつでもアメリカがひとつ上を行くという意味が「地位」という言葉に込められている▼「地位協定」にあぐらをかいて、尊い人の命が奪われても責任を取らないアメリカ。命にまで「地位を持ち込まれ、それを許すのか、日本人!!(J) |
(2009年11月5日) 23年前の4月26日、旧ソ連邦のチェルノブイリ原発にて大事故が起きた。4号炉の爆発により多量の放射性物質が大気中に放出された。その量は広島に投下された原子爆弾の五百倍とも言われていた。世界中を震撼させたあの事故から今日まで、原発の危険性に関して様々な議論がなされてきた▼隣り佐賀県玄海原発では、先月15日ついにプルサーマル用のMOX燃料が装荷された。11月上旬には起動の予定とされている。5月に参加した『さがストッププルサーマル人文字フェスタ』でも呼びかけのあった署名には全国から44万人を超える署名が集まったそうだ。しかし、思いは届かず計画実施が決定した。品質の保証や安全性が不透明のままスタートしたため、大きな不安が残る。佐賀でプルサーマルに反対する団体が今も署名活動を続けている▼チェルノブイリ原発事故では北半球全域に放射性物質が拡散したと言われている。仮に玄海原発のプルサーマルが事故を起こすとすれば、その影響は考えるまでもないだろう。(み) |
(2009年10月25日) 木のぬくもりと歴史を感じさせる当時のままの教室。休日にわざわざ出席いただいた現校長先生のギターで、校歌を歌った「小学校卒業50年」のクラス会。79歳になる恩師が、「戦争を知らない最初の世代の君たちに、やり残した授業がある」とミニ授業を始めた▼学生時代に遭遇した自らの被爆体験を語る生きた平和教育だった。原爆で変わり果てた学び舎周辺をさまよい歩いたこと。苦悶の表情のまま動かなくなった幾多の人々の遺体に直面した、人間社会とは思えない情景の数々。「必ず助けるから」と約束した子どもの泣き叫ぶ姿が今も脳裏から離れないという。「15歳の少年だった自分の力ではどうすることもできなかった」と絶句された▼60歳を超えた教え子たちに初めて語った心の中の苦悩に教師以上のものを感じた。続くミニコンサートで教え子の一人が、「平和への思いを込めて」と埴生の宿をバイオリンで奏でてこれに応えた。核兵器廃絶への草の根からの叫びがここにもあった。(☆) |
(2009年10月5日) 「核兵器のない世界」の物語はまた新しい章に入った▼「唯一、核兵器を使用した事のある国としての責任」と言ったオバマ大統領のプラハ演説を受けて、ついに日本政府の鳩山首相もこう言った。「唯一、核兵器を使用された国としての責任」と。戦後64年経ってやっと日本が核廃絶の先頭に立って、この物語を前に進める準備ができた▼そう、これはまだ準備に過ぎない。この物語が完結する為には、ただ彼らにお任せではダメなのだ。まだまだ核兵器が必要と声高にさけぶ人もいるし、核兵器をつくりたい、売りたい人もいる。いつまた「核抑止力」を正当化する勢力が、あの手この手で世界を変な方向に向かわせるかわからない▼大切なのはオバマ大統領と鳩山首相の、彼らの発言を後押しする世論。私たちはその世論を高めるための「武器」を持っている。その武器は「核兵器のない世界を」という署名用紙とボールペン。そして「なくしたい」と思う気持ち▼この物語を来年で完結させよう。被爆者が生きている間に。(J) |
(2009年9月25日) シルバーウィーク、新婚旅行で5年ぶりに沖縄を訪れた。前回の訪問は、沖縄国際大に米軍ヘリが墜落した頃だと記憶している▼蒼いら海を目指してハイウェイを北へ向かった。宜野湾を過ぎた頃、隣り車線から迷彩色のハマー車が悠々と視界に現れ、はっとした。「基地の町」という言葉が頭をよぎる。空にはミサイル様の兵器を積んだヘリコプター。演習だろうか。車内に緊張感が走る▼美しい海や山と独自の文化を持つ沖縄。その裏に、基地と切り離せなくなったこの島の悲しみを見た▼新政権は、沖縄にこれ以上基地を広げないと宣言した。今後注目したい発言だと思う▼限りある自然の宝庫である沖縄。長崎と同様に戦争の犠牲である沖縄。そして基地と共存する沖縄。この旅で沖縄の3つの顔を見た。来る度にいろいろな表情を見つけるが、それでも人々を惹きつける力がある土地だ。まだ知らない顔があるはず。必ずまた訪れたいと思う。(み) |
(2009年9月15日) 元従軍「慰安婦」の方々が共同生活をしている韓国の「ナヌムの家」を訪問した。ナヌムの家で暮らすハルモニは現在7名。80歳を超えた4名の方々と会うことが出来た。今は笑顔で接してくれるハルモニが生きてきた人生を思うと、笑いながらも、ふと、ぐっとこみ上げてくるものがある。ハルモニたちの時間はもう取り戻すことは出来ない▼「慰安婦」は旧日本軍が進めたひとつの事業だった。建前は日本兵が起こす犯罪を未然に防ぐため(不満のはけ口?それもひどい話)。本音は「敵を人間とみなさない、差別意識を植え付けることだった」らしい。これが戦争の本当の姿▼もし戦争が始まってしまったら・・・敵にやられる前にやれってことで敵は殺さなければならない。殺すためには相手を人間と見てはいけない。人間以下の虫けらくらいに見ないと殺せない。その「教育」のためには・・・やっぱり同じことが起こる▼「慰安婦」問題は過去のことではなく、現在も日本に謝罪を求める水曜集会は続いている。そしてこの問題はすべての女性の未来の問題でもある。(J) |
(2009年8月25日) 新聞の世論調査で、九割近い国民が「日本の政治は国民の意思を反映していない」と答えている。国民主権の立場からすればこれだけで政権与党失格だ。ときは総選挙。その自民・公明両党、暮らしや福祉を破壊してきた積年の悪政には無反省なのに、民主党の政権公約攻撃には熱心だ▼日米同盟最優先の九条改憲でも、企業献金依存体質の点でも、財源を消費税に求める点でも、同じ土壌にたつ民主党は組みやすく、敗北しても政権奪還は可能と考えているのだろう▼国民を甘く見てはいけない。六割の国民は「民主党中心の政権になったとしても、政治はあまり変わらない」(同調査)と、鋭く感じ取っている。政治の転換を強く求める国民の意思は多様であり、政治の中味をどう変えるかこそ問題の核心だ▼メディアは、同じ土壌の保守二大政党による政権交代を人為的に演出すべきではないし、「まずはよりましな政権で」といわんばかりの枠をつくって民意を誘導・集約すべきではない。国民の心の奥を読むメディアであってもらいたい。(☆) |
(2009年7月25日) 「われらは全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」いわずと知れた日本国憲法前文の一節。ここで対象としているのは全世界の「国民」であり、それは「ひとりひとり」を意味する▼天気予報で見慣れた日本と朝鮮半島の地図。当然日本が中心の地図になっている。これをちょっと逆さに見てみよう。朝鮮半島を中心に見てみると、この地域がいかに閉鎖された地域であるかがわかる▼中国という大国が陸路を、日本という縦長の島国が海路を、完全に閉ざしている。日本はずっと昔からこの地域の覇権を争い侵略してきた。今も敵国であるかのようにミサイル問題でことを煽る▼日本国憲法の精神に則り、朝鮮半島に住む「ひとりひとり」を考えたらどうだろう。生まれたときから不利な立場の朝鮮半島。地図の上だけでもこの立場に立ってみて、ひとりひとりのことを考えてみよう。その気持ちが「平和」ってことじゃないかな・・・。(J) |
(2009年7月5日) 自民党の元幹事長・野中広務氏が、「おかしくなっていく日本を感じる」「自民党は戦争が好きな政党になった」と、平和への想いを「しんぶん赤旗」に語っている。驚いた人も多いだろうが、「やっぱり」と思った。それほど「日本がおかしい」のだ▼新憲法のもと、自らの哲学をもって戦後政治に関わってきた人の中には、立場の違う保守政治家であっても、時代に流されない気骨を感じるところがあったからだろう▼6月23日の「沖縄慰霊の日」。「集団自決?戦後64年の告白」という番組が放映された。自ら親族を手にかけ生き残った82歳の老人が「癒えることのない傷を背負って生きてきた」と心の中を吐露した。「どうしてああいうことをしなければいけなかったのか」「御国のためといくら言っても、人間が死んで何が国のためか」と▼九条をもつ国の公務員たる国会議員でありながら、地球の裏側まで自衛隊が出て行くことを求め、核武装さえ口にする「政治家」に、諸先輩の痛恨の叫びはどう響くのだろうか。(☆) |
(2009年6月5日) 平和新聞に「自衛隊勧誘の動き」の記事が載った▼組織募集の網の目が市町村の協力で張り巡らされているという。かつて「自衛隊適格者名簿」と称する名簿を自治体が提供する動きが相次いだ時期があった。自治体を隊員補充システムにしようとしたのだ。憲法の規定と相容れないと大問題になった▼「国民生活と自衛隊」というパンフが作られ、「災害時のため」「地域行事の支援」などと本来任務を覆い隠す「浸透作戦」が展開され、40数年が経った。自衛隊はどう変貌しただろうか。海外派兵を本来任務とし、いまや海賊対策を口実に世界の海に君臨しようとしている▼長崎市役所の待合室に置かれた自衛隊員募集のテッシュには「平和を仕事に」とある。自衛隊が持ち込んだものかと思ったら、長崎市が作ったという。自治体の就職斡旋のつもりなのか▼いま、憲法に照らし、自衛隊関連の法令や協定など一切の行政的実態を徹底して洗い直すときではないのか。30数年間自衛隊にいたという運転手も「海外に行くのは憲法違反だ」と憤慨していた。(☆) |
(2009年5月25日) 「アナログ」と画面の右上に表示されるテレビを見ながら「買い替えんばかな」と思う今日この頃▼「エコポイント」という貯めて何に交換できるのかもまだ決まっていないポイントも、地デジそのものに対しても何の魅力も感じず、高額な買い買えに戸惑っている人も多いはず。戸惑ったり、何を買おうか迷ったり、そのレベルで悩む人はまだマシだ▼「貧困」という言葉を聞かない日がない昨今、テレビを買う余裕なんてない人もこれまた大勢いるはずだ。アナログ放送は11年に終了しテレビをつけても映らない。お金のない人は日常的に必要な情報を手に入れられない時代が来る▼テレビが買えない人は「視聴者」ではなくなり、いつのまにかお金のある人向けの番組ばかりになり、弱者に目を向ける報道などはなくなる可能性もある。弱者を切り捨てたテレビ業界は、いのちの大切さとか、自然の尊さとか大切な事を伝えなくなるかもしれない▼・・・なんてことが考えすぎじゃなければいいのですが。(J) |
(2009年5月15日) 先日、「5・10さがストップ!プルサーマル人文字フェスタ」に参加してきた▼佐賀県の玄海原発では今秋にもプルサーマルの試運転が始められようとしている。藤田祐幸氏によると、事故が起これば「もんじゅ」どころではなくチェルノブイリのようになるという。九州のほぼ全域が「5年後、全員がガンで死亡するほど放射能汚染される範囲」に入るらしい。この施設の安全性を確認する試験は行われておらず、電力会社が安全を謳う科学的根拠は全くないという。もはや佐賀県だけの問題ではない▼イベントには全国各地から参加者が集まった。マスコミも多数訪れ、「NO MOX」の人文字の航空写真やパレードの様子を撮影した。パレードはシュプレヒコールを一切あげず、ジェンベや三線が鳴り響くカーニバルのようだった。これが人目をひきつけ、道行く人々に訴えかけた▼三度ヒバクシャを生み出したくない、そして環境汚染をこれ以上進めたくない思いを込め、プルサーマル中止をはたらきかける必要があるだろう。(み) |
(2009年4月25日) 「どさくさまぎれ」という表現がぴったりなのが海賊「対処」を口実にした「自衛隊のソマリア沖派兵」。諸外国の艦船派遣に便乗し、この際にと、銃撃戦も空爆の可能性も想定した新法案を準備する手際のよさだ。派遣切りや雇用対策にはそっぽを向いた、ニンマリ顔の麻生首相ら防衛族関係者の姿が浮いて見える▼海賊対策といえば聞こえはいいが、これを機会に、いつでも、世界中の海に出動し武器も使いたいという悪だくみそのもの。「海外派兵恒久法」を先取りする灰色の下心がみえみえで、「悪乗りするのもいい加減にせよ」という国民の声は聞こえないらしい▼憲法改悪阻止長崎県共同センターが長崎市内で実施した「自衛隊のソマリア沖派兵、あなたは賛成?反対?」のシール投票。「戦争になるじゃん」「それって海賊対策??」「憲法9条はどうなるの」と、反対シールを貼る人が次々。(賛成5、反対135、わからない27)「予想以上に反対の声が大きかった」と主催者。国民の目は節穴ではないのだ。(☆) |
(2009年4月15日) フランスのフリゲート艦ヴァンデミエールが長崎に寄港。核保有国の軍艦の長崎港への入港は許さないと、3月30日の朝、私たちは港に立った▼私たちの目の前には海上自衛隊の護衛艦「とね」が停泊。その前を自衛隊の音楽隊が楽器を携えて行進。歓迎ムードの護衛艦とその周辺に向かって私たちはシュプレヒコール。ゆっくりゆっくりヴァンデミエールが長崎港に入港。そして接岸するかと思いきや、「とね」の向こう側で停まってしまった。完全にぴったり寄り添うふたつの船。「とね」の方が少しだけ大きく、ヴァンデミエールの全体は目隠しする格好になった▼シュプレヒコールも終了し解散。歩道橋を昇って振り返って思った。「護衛艦って何を護るの?」はっきりわかったことは、自衛隊は日本国民を護るものではないこと。少なくともその場では、「護るべきもの=外国の軍艦」で、「敵=平和を愛する市民集団」という構図だった▼小さな「?」だけど、それを見過ごしてはいけないと改めて思った。(J) |
(2009年3月25日) 長崎市民参加型のミュージカル、『Passion Of Nagasaki』を観に行ってきた▼主人公が祖母の臨終に立ち会い、そこで若き日の姿をした祖母の魂と出会う。その後二人で祖母の過去の記憶を遡り、未来にまで迷い込むというストーリーだった▼祖母の記憶を辿ると長崎の過去の出来事が重なる。その中に「忘れてはいけない原爆の記憶」が登場する。バックにはオーケストラの生バンド。「ピカッと光ってドンと鳴り、辺りは地獄の様だった」が生々しく表現された▼劇の中で、「原爆は長崎の試練」という言葉が出てきた。『怒りのヒロシマ祈りのナガサキ』とよく耳にするが、それと近いような気がした。長崎で生まれ育ったわけではないので「試練」と捉えることに難しさを感じた▼被爆者の方々が高齢化し、話を聞く機会も少ないと思う。改めて考える機会を得た。できるだけ多くの語り部の方から話を聞きたいと思う。(み) |
(2009年3月15日) 脳科学の進歩がめざましい。脳外科医・林成之の「『勝負脳』の鍛え方」という本も興味深い。「本番で実力が発揮できない」「競り合いに負ける」のは「勝負脳」が弱いからだという▼本を読み、名古屋国際女子マラソンで初Vを飾った藤永佳子さんのレースを思い出した。先頭に何回も引き離されながら、脅威的粘りで逆転した姿と重なったから。「大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、ペースを守って42・195キロを走りました」と、強い気持ちを持ち続け、冷静な走りを振り返った彼女の笑顔が清々しかった▼「もうだめ」と思った瞬間に脳は著しく疲労し運動機能は低下すると林はいう。逆に、先を走るランナーのわずかな弱点を察知して「勝負脳」を全開し、「勝つために何が必要か」をしっかりイメージすれば先が見えてくると説く▼目的と目標をしっかり持ち、目標達成の具体的方法を追求する努力を継続することの重要性はスポーツに限らない。「核兵器のない世界を」実現する運動も、知恵と行動を集めることで道は開ける。(☆) |
(2009年3月5日) 「やられたからやり返す」をずっと繰り返しているイスラエルとガザ自治区。本当の意味で戦闘が終わる日がいつやってくるのだろうか▼インドにはこんな諺があるそうだ。「包丁がメロンの上に落ちても、メロンが包丁の上に落ちても、切られるのはメロンだ」・・・。先に仕掛けるのが包丁でもメロンでも、圧倒的な力の差がある限りいつも同じ結果が残る。メロンが負けるという結果が▼エルサレム賞を受賞した村上春樹氏は、同じように「固い壁と卵」と喩え、さらにもうひとつの意味もこめて「私はつねに卵側に立つ」とスピーチした。壁は「システム」で卵は「個人」である。ある強大なシステムに、私たちは誰もがもろい卵となって立ち向かわなければならないことがある。勝ち目のない戦いでの勝利への希望は、お互いを認め合う個の連帯から生まれるものだと氏は語った▼私たちは弱いメロンであり卵だ。だけどいざというときには、一緒になって声をあげ、はげましあう心を持ったメロンで卵なんだ。(J) |
(2009年2月5日) 「面の皮の千枚張り」--ずうずうしくて恥知らず、顔の皮が並の人より千枚も多いという意味。「厚顔無恥」ともいう▼5日、長崎に入港した米艦ブルーリッジ。市長をはじめ多くの市民が「被爆地に軍艦はいらない」と声をあげているのに、日米同盟を盾に友好親善を押し付け、「親切なもてなし」を要求する▼好景気の時には「不況にそなえて」と我慢を求め、不況に陥れば「大幅減益だ」と言い放って「非正規切り」と下請けいじめの大企業。莫大な「内部留保」を吐き出せという正当な声にはダンマリを決め込んでいる▼国会では誰もが「雇用を守れ」と叫ぶ。何かおかしくないか。「非正規切り」の大もとは労働者派遣法、「派遣原則自由化」に手を上げたのは誰なのか。反省の弁はない▼国民を忘れた政治のひどさに、「国会議員自ら身を削るべき」と議員定数削減を言い出す者も。それを言うのなら、年間320億円もの政党助成金という税金分け取りこそ恥じ、返還すべきではないか▼国民は面の皮が一枚はがれるごとに、下にある本当の顔を知る。(☆) |
(2009年1月25日) 1月の3週目に大学入試センター試験が行われた▼職場の先輩が我が子の進路を悩んでいた。興味ある分野を学ぶための大学か、仕事に結びつく資格のための大学かで進学先が180度変わるという▼自分がセンター試験を受けた数年前を思い出す。進学先で専門コースを選択して免許を取っても雇用は不安定であり安心できない。そのことを社会に出るまで気づかなかった▼こんな時代だから、高校卒業後の進路を決めるのは非常に難しいだろう。本県でも2008年度高卒者の内定取り消しが著しい。これから社会で活躍する若者にはあまりにも残酷な事実ではないだろうか。親の世代が羨ましいとさえ思う▼結婚・出産の適齢と言われる年齢になり、同世代の友人と話す多くは「子どもを生んでも育てられる自信がない」ということ。雇用に安定なく景気も悪化の一途を辿るばかり。先の人生を思い描くのが困難である。(み) |