『平和新聞ながさき版』コラム

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(2006年12月15日)
06年も残り少なくなってきた。この一年、日本の歩いていく道に「硝煙」の臭いが強くなっているような気がする。国民いじめの強風が台風なみに押し寄せる予感がする▼12月15日には防衛庁の「省昇格法」が可決成立した。自衛隊の海外での活動が「本来任務」とされる。これまで以上にアメリカの傭兵なみになるということか!?▼続けざまに教育基本法「改正案」も成立した。「なぜ今、改正が必要なのか」はっきりしないまま国会は幕切れとなった。47年3月に教育基本法が施行され、5月に憲法が施行された。この二法が今の政府にはのどに刺がささったような存在なのだ。旧基本法の前文は「個人の尊厳」「真理と平和を希求」など憲法の理念が強く反映されたものだったが、新基本法では「平和」が削られ、「愛国心」や法に基づく指導、通達の権限強化などが新しく設けられた▼次の国会では学校教育法などの基本法関連法規の「改正」審議が始まる。これで「幕引き」にさせないたたかいをサアー始めよう。(ふ)
(2006年12月5日)
いじめによる自殺が相次ぐ中、テレビから流れてくる報道に、ずっと違和感、嫌悪感を感じていた▼ある日の『ニュース23』は「自殺報道がかえって自殺の連鎖反応“群発自殺”を引き起こす」と報道。20年前の岡田有希子の飛び降り自殺で、その年の青少年の自殺が3割増加したという▼世界保健機関は“群発自殺”を防ぐために自殺報道に関する勧告を出した。写真や遺書の非公表/自殺方法を詳細に報道しない/原因を単純化しない/自殺を美化したり扇情的に報じない/自殺を責めない/自殺防止を呼びかける▼わが国の自殺報道は、(1)因果関係の極端な一般化(2)過剰な報道(3)ありきたりのコメント(4)自殺方法について詳しすぎる(5)具来的な対処法を示さない(6)実名報道、であるという。勧告と正反対ではないか▼わが国のマスコミは「認識不足」から「煽情(戦場)報道」に暴走していると告発する関係者もいる。他殺報道にしてもしかり。煽情に乗らず、戦場につながらないための、我々一人一人の意識と行動が必要だ。(B)
(2006年11月15日)
「愛」について考える機会があった。脳梗塞を患った方から医療従事者への希望。「自らを愛するように人も愛す」ということ。日本人には照れくさい言葉かもしれないが、人間に生まれた以上、愛することはごく自然なことだ。弱い立場に立って考えることは医療の、人間社会の原点だろう▼一方、軍隊の教育は相手を人間と見ないところから始まる。人間に対する愛というものを徹底的に排除しなければ、簡単に人が殺せるわけがない。人間に対する愛情を失ったときに戦争が始まるのだと思う▼アメリカで無料で診察する病院を設立しているパッチ・アダムス。彼は言う。「愛することによってあなたの世界は大きく、大きく広がる。愛はあなたを考えさせ、行動させ、人生を楽しませ、喜びで満たすだろう」と▼目の前の困っている人のために何か自分にできることはないか。こんなことをみんなが考えれば、平和な世界は自ずとやってくる。私たちが平和を願って行動するその原点も「愛」であると思いたい。(J)
(2006年11月5日)
今回、政府は難病の無料治療を縮小し、軽症は有料化するという。弱者には風当たりが一層強くなると感じるのはひがみなのか。本来難病といわれるものは治療費がかかるものだ▼最近開かれた「脳外科学会」で外見は正常なため「見えない障害」と呼ばれる脳髄液減少症について討議がなされた。全国の潜在的な患者は数万から数十万人。学会では「脳脊髄液が減少し、頭痛・頚部痛・めまい・耳鳴りなど様々な症状を呈する」と定義した▼今まで「脳髄液漏れ」は病気として扱われてこなかったため、多くの医師が間違った病気(慢性頭痛・頚椎捻挫・むち打ち症・うつ病など)と診断された患者も少なくない。治療は自分の血液で髄液漏れの場所をふさぐというもので、入院費込みで一回数十万円もかかり、健康保険も適用されない。患者は収入も途絶え、生活保護を考えざるをなくなる▼難病で苦しむ者には冷たく、軍事費の支出には甘い安倍さん。貴方は平和憲法を持つ日本国の総理大臣ですか?(ふ)
(2006年10月25日)
10月21日、米海軍佐世保弾薬補給所で火災が発生した。私たちがずっと危惧していたことがついに起きてしまった▼燃えたのは弾薬庫敷地内にある木造の木工作業所で、数十メートルの近さにトンネル式弾薬庫がある。消火したのは米海軍消防隊。佐世保市への消火支援要請は一切なく、付近住民への避難勧告もなかった▼もっとも近い民家は弾薬庫から70メートルしか離れていない。基地フィールドワークの記憶を起こしてみても、ほとんど隣接する場所に人が住んでいると言っていい。米軍は単独で調査し、自分たちだけの判断で事を終わらせようとした。2年前の8月に沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落したときと同じだ▼日本人の命を犠牲にしても事件の真相を隠そうとする米側の意図が手に取るようにわかる。この火災もまた、日米安保条約が日本国民を守るためのものではないということをはっきりと示した。「安保があるから大丈夫」という憲法改定論者に訴えて目を覚まさせよう。(み)
(2006年10月5日)
原爆症認定集団訴訟。原告席に座る被爆者の方々の後姿を見ながら、はじめて裁判というものを傍聴した。さまざまな高さの机、段差、固い椅子。あたり前だが決して「普通の会議室」の雰囲気ではない▼原告の皆さんは、年老いた体に鞭打ち、痛む足を引きずり、しかしお互いをいたわりながら裁判に臨んできた。被爆し、周囲の人々の死を見ながら、「次は自分か」との恐怖心がつきまとい、ついに病気になってもそれが原爆のせいだとは認めてもらえない。この日本は一体どんな国なのか、あらためて考え込んでしまった▼被爆者の平均年齢は七三・九歳。それほどの年を重ねて、あの普通じゃない雰囲気の裁判所で「思い出したくもない記憶」の証言など、誰がしたいと思うだろう。辛いとか悲しいよりもただ悔しい▼原爆症申請を却下し続け、被爆者が年老いていくのを待っている厚労省。原爆被害を小さく小さく見せようとする政府。七〇代半ばにさしかかろうとしている被爆者にこれ以上の「待った」はない。(J)
(2006年9月25日)
長崎に投下された原爆はプルトニウム爆弾だったことは、皆知っている。だけど05年末現在、日本が国内外の原子力施設に保有しているプルトニウムが、原爆約4400発分に相当する約43.8トンにもなることを知っていた?▼これは8月5日に原子力委員会が報告したこと。核兵器を使いたいアメリカと兄弟の契りを強めたい今の日本の権力者達を見ていると、その握手の後ろに「あの日のナガサキ」が浮かぶのは老人の妄想だろうか▼積んである新聞の老人関係の記事を拾ってみた。65歳以上の高齢者は総人口の20.7%。75歳以上は9.5%。世帯主が65歳以上で無職は全体の74.8%で年々増えている▼年金だけでは暮らしていけない老後もきびしいが、10人に一人が「認知症」ケアを必要とする時がくる、とも言われている。20年後には介護を要する認知症高齢者は320万人まで増えるという。「敬老の日」に見たナントモクライ現実ヨ。(ふ)
(2006年9月5日)
8月30日、ネバダ州の地下核実験場で核実験が行われた。たった半年でまた核実験を行ったアメリカ。臨界前であろうと関係ない。北朝鮮やイランに対して核開発をやめるように強く圧力をかけているのに、自分は棚に上げて核実験である▼被爆地・長崎で非難の声は大きい。「日本を最後の被爆地にという思いが踏みにじられる。アメリカは61年前のことを全く反省していない」とニュースでインタビューされた人が話していた▼長崎市の原爆資料館に世界中の被爆者が証言しているビデオがある。そこで語っていた多くの被爆者と同じように、核実験により悪性腫瘍を発症した人がネバダにいる。アメリカは核の本当の恐ろしさを知らないのだと思う▼「ならずもの」とはアメリカのことではないだろうか。核兵器廃絶への道のりがまた遠くなってしまったような気がする。どうすれば世界中の人々に核の恐ろしさを知らせることができるだろう。被爆国日本こそがその意味を伝えることができる。課題は大きい。(み)
(2006年8月5日)
台風が接近する中、沖縄県名護市辺野古に行ってきた▼辺野古沖の海上ヘリ基地建設の計画はなくなったものの、沿岸案でまんまと滑走路2本計画が打ち出されている辺野古。テント村にテントはないけれど、そばのプレハブには今もおじい、おばあが座り込む▼辺野古に行った私はこの長崎で何をすればいいのだろうか。以前から悩んでいたことに対する答が、南部戦跡のガイド氏の言葉の中にあった。「戦争の本質をみてほしい、殺されるのはいつも住民側。沖縄戦でも、イラクでも。事件、事故じゃないんだよ。軍事基地の本質は、戦争の人殺しだということをみてほしい」▼当たり前のことなのに忘れかけていた。軍事基地の最終目的は人殺し。基地の建設を許せば人殺しを容認したことになる。基地を増やせば増やすだけ、本当は死ななくてすんだ子どもが死ななきゃいけなくなる。自然もなくなる▼単純なことを単純に話せるような運動が、やるべきことのような気がする。(J)
(2006年7月25日)
児童心理学者の用語に「テスティング」というのがある。わざと親や養育者を困らせて、自分への関心や愛情を試そうとする問題行動のこと。今月上旬に北朝鮮がやったミサイル発射はまさにこれだと思う▼しかし、「はた迷惑だ」としかめ面をしているだけではすまされない。98年のテポドン1号の発射は「ミサイル防衛システム(MD)」の日米協同研究につながった。今回も外務省や防衛庁内の日米同盟推進派から、発射を歓迎する声も聞かれたという▼それだけではない。安倍官房長官や額賀防衛庁長官たちは打たれる前に北朝鮮のミサイル基地を攻撃する「敵基地攻撃論」まで展開している▼一方、国連安全保障理事会は全会一致でミサイル発射を非難し、発射の再凍結、核兵器・核開発計画の放棄、六ヶ国協議への即時無条件復帰を求める決議を採択した。被爆地ナガサキも61年目の8月を「最後の被爆地に」の大きな世論で迎えよう。(ふ)
(2006年7月5日)
今、私の愛車には「平和憲法9条を守ろう!」というステッカーが貼ってある・・・。と、ここまでは以前にも紹介した。その後ステッカーのチカラを確信する出来事がひとつ▼ガス欠寸前で立ち寄ったガソリンスタンド。「ごみはよかったですか」とヘンテコな日本語を使う若者がいるごく普通のガソリンスタンド。突然給油をしている左後方からその若者の「憲法9条!」という声が聞こえた▼「えっ?」と思ったが、その瞬間「あ、ステッカー見たのね」と納得。しかしこの若者、それだけでは終わらなかった。またまた突然「持たず持たせず持ち込ませず!(微妙に間違い)」▼清算のときの会話。「よく知ってますね」「えっ?」「非核三原則・・・」「いや、貼ってあったので・・・」と、なんだか嬉しそう。いやいや、憲法9条から非核三原則を連想してそれを言葉に出すってなかなか出来ないよ▼見ず知らずの兄ちゃんと平和な会話が出来たのが、なんだかとても嬉しくて「長崎も捨てたもんじゃないな」とほくそ笑みながら家路についた。(J)
(2006年6月25日)
今月10日、S大学でビデオ上映会を行った。上映したのは開戦直前から数ヶ月間のイラクの様子をドキュメンタリーにした『リトル・バーズ』という映画▼ポスターやチラシを作って学内と近所のスーパーに掲示したり、新聞に小さな広告を出したりと宣伝を念入りに行った。しかし、上映は土曜日。大学の近隣住民ならともかく、いったいどれだけの学生が来てくれるのか、正直なところ不安でいっぱいだった▼そんな心配を抱えながら迎えた当日、案の定予定時刻になっても私と、もう1人のスタッフしか来ない。しばらく待つと知り合いが2、3人来たので上映会を始めた。開始から40分ほど経ってから学生が3人入ってきた。もう1人のスタッフが呼び込みをしたらしい▼上映後のアンケートに感想をびっしり書いてくれた。「心が動かされた」「何かしなければ」という気持ちがあふれていて感動した。これからは少なくとも二ヶ月に一度は行いたいと思った。(み)
(2006年6月5日)
独りで生活していると「会話」が少なくなる▼思考力がにぶくなるのではないか?と心配になった或る日、フト思った。「人」という字は支え合って成り立っている。支え合って他とつながりながら?ということ?▼言葉のキャッチボールをしながら少し元気になって新聞を読むと気になることを通り過ぎて怒りが沸いてきた。アメリカのために3兆円もの費用を出してやらなければならないのはナゼ?!今までだって約30年間に「思いやり予算」という名の不法支出が4兆7千億円もある。国民生活では00年には貯蓄ゼロの世帯は12.1%だったが5年後の05年には23.8%と2倍近くに増えている。それだけではない。5月初めに日米軍事同盟を新たな段階に進める計画が発表された。今までの安保条約の枠を超えたのだ▼邪魔になっているのが憲法九条の存在。教育基本法も変え、その代わりに共謀罪という国民の心まで拘束するものをつくろうとしている。まさに戦前への逆戻りだ。逆戻りはイヤ、私は前向きに歩きたい。(ふ)
(2006年5月15日)
他県の人と話すときに方言の話で盛り上がった経験はないだろうか▼その土地で生まれ、受け継がれていくものはいろいろあるが、方言ほどその土地の雰囲気を伝えるものはない。最近は方言を話す(?)自動販売機もあるらしい▼NHKのみんなのうたで流れているさだまさしさんの「がんばらんば」。長崎弁のラップで何やらブツブツ言ってるように聞こえるけれど、これはちょっと落ち込んでいる友達に向けての応援歌だ。「明日もあるたい、笑おうで」と。長崎の方言だからか、聞いていると自然と愛着がわいてきて笑顔になってくる▼「地元の言葉がすき」というそんな気持ちも郷土を愛する心のひとつだと思う。法律にわざわざ書くまでもなく、たぶん誰もが自然と心の中に持っている「愛地元心」。決して国家を愛する心とはわけが違う。心の中の問題がめちゃくちゃな法律で支配される前に、やっぱり行動せんばたい!うったちゃ負けられんけんね。(J)
(2006年5月5日)
ながさき9条フェスタに初めて実行委員として参加した▼本番3日前にステージ担当者だけで私の都合に時間を合わせてもらい、かけあしで打ち合わせをした。当日は晴れ。風も心地よくステージから遠くに自衛隊の艦船が見える▼いままでブースばかりでステージに注目したことがなかったが、参加したアーティストの歌はどれもすばらしい。さまざまな年齢、立場の人たちが彼らの視点で平和を歌うのが面白い。歌い手の想いが独自の言葉でメロディーになる。その想いの強さに胸をうたれ、舞台袖で何度も涙をこらえた▼昼からのパレードにもたくさんの参加者がいた。「戦争ほうき」を街行く人に配りながら歩いた。受け取った人は笑顔だった▼今年は少しだけだったが開催者側の気持ちを知ることができた。何ヵ月も前からフェスタを成功させるために努力して来たスタッフたちはすてきだと思う。彼らに出会えたことがこのフェスタのいちばんの収穫だと思う。あらためて9条への気持ちが強まった。(み)
(2006年4月15日)
古新聞を整理していて気になる記事を見つけた。世界で毎年誕生する赤ちゃんの6%にあたる約800万人が先天性異常を持っているという推計を米保健財団が発表している▼深刻な異常のために命を落とす5歳未満の子どもは年間330万人を超えているという。この人数はコスタリカ国の総人口に近い▼世界保健機関神戸センターで開催されたシンポジウムでタンザニアの保健相は「女性や子どもの蛋白質不足が深刻で、毎年170万人生まれる赤ちゃんの16%は体重が2.5kg以下」と訴え、センターのクライゼル所長は「世界中で貧富の差が拡大し、健康問題が起きている」と指摘している▼今、目の前にある貧富の差の拡大はいま生きている私たちだけの問題ではないだろう。人間らしく生きる環境を破壊しながら、進む貧富の差の拡大は母胎をむしばみ未来を奪おうとしている▼「貧富の差の拡大」この七文字が経済用語としてだけではなく、未来につながる命の関わる重さに想えるのは私の妄想だろうか。(ふ)
(2006年3月25日)
奄美大島の南、加計呂麻(かけろま)島。その間の大島海峡は典型的リアス式海岸で、波は穏やか、海の青と陸の緑が美しい絶景の場所▼しかし入り組んだ無数の入り江は、第2次大戦までは格好の要塞とされ、今も周囲に砲台跡などの戦跡が残る。作家の島尾敏雄が人間魚雷の特攻隊員として赴任した場所であることは、平和新聞3月5日号でも紹介された▼今、この場所に自衛隊誘致の動きがある。理由は経済効果。大島海峡をはさむように存在する鹿児島県瀬戸内町。過疎化に悩むこの町の活性には、自衛艦の母港となり、自衛隊員に住民になってもらうことが必要らしい。基地=標的となることはご存知なのか▼奄美出身の元(はじめ)ちとせの『語り継ぐこと』。その歌詞には「風光る/今日の日の空を/受け継いでそれを/明日に手渡して」とある。大島海峡には本当に風が光るような美しい風景が広がる。未来に手渡したいのは、戦争の種ではなく、いつも見ている輝く風景であることは間違いない。(J)
(2006年3月15日)
大学の向かいにあるハム屋さんで『戦争ほうき』に出会った▼これは毛糸と木の枝で作られている小さな『ほうき』だ。湾岸戦争のときに、地球から戦争がなくなりますようにと願いが込めめられたこの「戦争ほうき(放棄)」は東京都の入江篤子さんが発案したもの▼「ご自由にお取り下さい」と書かれた戦争ほうきはハムを買いに訪れるお客さんの興味を引くのだそうだ。日本がほこる憲法9条をみつめなおすために、いままた戦争ほうきが広がりつつある▼ほうきはだれでも簡単に作ることができる。「これは何?かわいいね」と興味を持った人に「戦争放棄」の思いを伝え、いっしょに作る。それをまた別の人に伝える。それが「戦争ほうき」の役割だとハム屋さんは言う▼戦争ほうきは5月3日のながさき9条フェスタのパレードやブースで活躍する予定だ。戦争ほうきを持って、みなさんも9条フェスタに参加してみませんか?(み)
(2006年3月5日)
06年度の政府予算案が衆議院を通過した▼その大きな特徴は、給付の切り下げと負担増。生活保護の老齢加算全廃、母子加算の縮減、高齢者医療制度の改悪、年金保険料の引上げなど、約2兆7千億円の負担増。一方、大企業減税(法人税率の引き下げ)、大資産家減税は99年から手付かずのまま▼こんな不公平は是正し、不要、不急のムダな公共事業や5兆円規模の軍事費を削れば、庶民の暮らしは少しは上向くンじゃないカナ▼医療制度の改悪は、直接「命」に関わることではないだろうか。支払いが多くなれば病気になっても、我慢して病院に行かないか、通院回数を減らさざるをえなくなる。足りない費用をどこから出すのか。--そこで登場するのが、外資系保険会社?「安い掛け金ですぐ使える」と大宣伝▼小泉さん!国民の命までアメリカに投げ売りですか。知っていますか?「貧乏人があまり貧乏になり過ぎ、金持ちが金持ちになり過ぎると貧乏人はどうすればいいか知っている」というパールバックの名言を。(ふ)
(2006年2月15日)
普段あまりスポーツ観戦するほうではないが、オリンピックとなると話は別。開会式や閉会式のセレモニーだって見逃せない。「え?こんな国もあったの?」とびっくりしたり、それぞれの国のコスチュームに見とれたり▼何か心地よさを感じるその理由は、オリンピックの目的が「平和と異文化交流」だからだろう。トリノの開会式でもジョン・レノンのイマジンが歌われ、平和の象徴ハトが描かれた。北朝鮮と韓国は統一旗を持って一緒に入場。国連は紛争地域に対してオリンピック停戦を呼びかけている▼平和の実現は、やる気さえあればできるというひとつの証拠がオリンピックではないだろうか。世界に共通すること、それは平和をイマジン(想像)するときの表情は誰もが優しいということ▼どんな国に対しても、どんな人種に対しても同じルール。負けたからといってそこには「報復」などという言葉はもちろんない。単純に「人間ってすごいな」と思える、それがオリンピック。(J)
(2006年1月25日)
毎年2月、私の故郷・札幌市で開かれている「さっぽろ雪まつり」が昨年までとは違った催しになるそうだ▼昨年までの開催地はメインの大通会場、すすきの会場、真駒内会場であった。しかし今年からは真駒内会場がなくなり、代りに「さとらんど」という自然体験施設に会場が造られる。雪まつりの雪像造りに従事する自衛隊員の数が減らされてしまったことが原因らしい▼幼い頃、自衛隊とは何かと問われれば真っ先に「雪まつりで雪像を造る人」と答えた。真駒内公園に造られる大きな雪のすべり台はほとんどが市内の自衛隊員の手によって造られていた▼大きくなって自衛隊が何をしているのか、どう定義されているのか、などを知ってからは雪まつりと結び付けて考えることもなくなった。子供たちに夢を与える雪像を造ってくれた人たちには複雑な思いがある▼しかし雪像造りをやめて危険なイラクの地へ行くことを喜ぶ者はいないだろう。いまや冬の伝統行事である雪まつりになくてはならない存在が、戦火のもとへ送り出されることが、寂しい。(み)
 2005年 2006年 2007年