大村航空基地 | 海上自衛隊:大村市今津町・出杭津郷 |
土地 508,875m2:建物52,395m2 |
対潜ヘリSH60K
大村航空基地には第22航空群が置かれ、西日本における海上自衛隊ヘリコプター部隊の一大拠点となっている。部隊編成は以下のとおり。
使用している滑走路は国土交通省管理の長崎空港A滑走路(長さ約1,300m)だったが、2011年に防衛省に移管替えされ、「大村飛行場」と名称変更となった。
【前史】
大村飛行場のある場所は1923年(大正12年)に大村海軍航空隊が開設された。この部隊は1932年(昭和12年)には上海周辺地区爆撃の、1945年には特別攻撃隊の発進基地となった。また1941年、佐世保海軍工廠飛行機部と佐世保海軍軍需部大村補給工場が統合し東洋一の規模の第21海軍航空廠が設置された。杭出津から古賀崎にわたる広大な土地に飛行機、発動機の作成、修理および航空兵器部隊への補給を任務とした。
大村航空基地メインゲート
大村航空基地には自衛艦隊に所属する第22航空群と佐世保地方隊に所属する大村航空隊とが配備されており、隊員数は併せて約1,100名。
大村航空基地の始まりとなる大村航空隊は、1955年に鹿屋第2航空隊として鹿屋航空隊の中に開設された。翌年に大村航空隊が発足、57年には鹿屋航空隊、佐世保海上自衛隊から隊員と飛行機が移駐した。海上自衛隊佐世保地方隊に属し、哨戒ヘリSH-60Jが災害派遣用として配備された。哨戒ヘリは航空集団所属の護衛艦搭載型と地方隊所属の陸上型に分かれていたが、08年の海上自衛隊の大改編でその区別がなくなり、すべてが航空集団の2つの航空群(館山・大村)の下に置かれ、大村航空隊も廃止となった。
第22航空群司令部
現在ある4つの護衛隊群は「護衛艦8隻・ヘリ8機」体制をとっているが、館山と大村の航空群がそのヘリコプター部隊となっており、哨戒ヘリSH-60Jが配備されている。
また航空基地には、航空機の整備や電子機器・武器などの整備、補給などをおこなう第22整備補給隊の他、日常の基地業務を担当する大村航空基地隊、司法警察業務を行う大村警務分遣隊が配備されている。
大村の第22航空群は1987年に千葉県館山にある第21航空群から分離独立した。傘下の第122航空隊はそれ以前の81年3月に、ヘリ搭載護衛艦「はるな」「くらま」の佐世保配備に関連して大村航空基地に新編となった。87年12月には第122航空隊が佐世保を拠点とする第2護衛隊群のヘリコプター部隊となり、新たに第123航空隊が舞鶴を拠点とする第3護衛群のヘリコプター部隊として新編された。その後98年3月の編成替えで、第123航空隊は第124航空隊と隊番号と任務変更を行ない、現在は広島県呉基地の第4護衛隊群のヘリコプター部隊となっている。1護衛隊群には8機の哨戒ヘリが搭載され、4機は予備機として基地に残る運用形態をとっている。
テロ対策特措法に基づいてインド洋へ戦時派遣されている佐世保と呉の護衛艦に搭載されて20機程度の哨戒ヘリが派遣されたものとみられる。
大村飛行場(旧長崎空港A滑走路)
大村航空基地の滑走路は1959年に開港した大村空港のA滑走路を使用していた。75年に大村湾の箕島に開港した長崎空港のB滑走路と共に国土交通省の管轄下にあり、航空管制は長崎空港が行っていた。
大村航空基地には、使用協定や騒音軽減措置に関して合意文書等はなく、滑走路等を使用した訓練は、通常7時から22時まで(昼間12時から1時は飛行自粛)で自衛隊の計画に基づき飛行している。その基地周辺で環境基準を超えるヘリコプターの騒音が発生しており、国土交通省も公式に認めた。しかし長崎空港が管理は国、滑走路は別々という全国にない特殊な運用形態をとっているため対策が速やかに行われるかは疑問である。
自衛隊と民間が共用する国管理の空港のうち、長崎以外の7空港では双方が同じ滑走路を使用し、騒音源の区別はできない。しかし長崎では民間の定期航空路の航空機の離発着はすべて海上のB滑走路で行われている。これに対して、A滑走路での離発着は、年間約2万4千回のうち8割以上が自衛隊機である。
A滑走路は国土交通省管轄であるため、防衛施設周辺の住宅防音補助事業の対象にならず、防音工事が実施できない。とはいえ騒音原因が自衛隊機なのに国の空港整備特別会計(民間機からの利用料などを財源)から出すのも無理があった。
結局は、A滑走路は国土交通省から防衛省に移管替えし、防衛省が騒音対策を一元的に実施するっことになった。周辺の160戸が防音対象に指定され、防音工事の費用を国が原則100%補助した。
長崎空港へわたる橋のたもとにある貯油施設
男子隊員宿舎「飛翔館」
関連施設として1969年に大村無線標識局が取得され、74年には野母崎無線中継所が竣工している。
大村無線標識局(竹松駐屯地脇) (野母崎町権現山)野母崎無線中継局
米軍が大村飛行場を共同使用(地位協定第二条4項(b))
1992年9月、大村航空基地の一部を「米海軍佐世保基地に前方展開されたLHA-3に搭載されているヘリコプター(1機)の整備支援のため」に限定使用するために「海上自衛隊大村航空基地の在日米軍による限定使用に関する現地協定」が締結された(地位協定第二条4項(b))。LHA-3とは当時佐世保に配備されたばかりの強襲揚陸艦ベローウッドのこと。利用条件は月に2回程度。米軍と現地協定締結の海上自衛隊は横須賀、佐世保、八戸、厚木に次いで5番目。使用は建物だけであり、その協定は、
1.米軍はヘリコプター1機の駐機場と格納庫、整備、宿泊施設を使用できる。
2.ヘリの進入路は第22航空群司令官の指示に従い、48時間前に必要事項を通知する。
ことなどを定めている。
しかし、米軍が少なくともこの5年間使用していないことが、ながさき平和委員会の情報開示請求によって判明した。
協定締結後、ベローウッドは2000年にエセックス(LHD-2)と交代したため、協定を続けようとするならば、その一部(艦記号)を書き換える必要がある。しかし協定の改定は行われておらず、防衛庁の情報公開室の担当官も新しい協定はないことを認めている。
92年8月に行われた福岡防衛施設局と大村市・長崎県との地元調整の中で施設庁側は使用の期限について「安保条約があるかぎり国として提供義務を負っているので、最長(の期限)はとなると安保条約の履行の期間となる」と述べている。
ながさき平和委員会は協定締結後、現在までの米軍の使用状況の開示を請求したが、担当官は「該当する文書は存在しない」ということで、文書の保存期間である最低5年間は使用されていないことが判明した。
協定書が更新されておらず、使用実績も(少なくとも最近5年は)ないということであれば、協定は事実上死文化していると見るべきではないか。必要のない共同使用基地は「返還」を求めるべきである。この協定は「60日間の事前通告文書をもって」廃止できる。
格納庫内部