7月7日、長崎市で「核兵器禁止条約採択6周年のつどい」が開かれました。核兵器禁止条約の会・長崎の主催で約90人が参加しました。
川野浩一共同代表が主催者あいさつで「6年前に核兵器禁止条約ができて被爆者は飛び上がって喜んだ。あの感動をいまでも忘れることはできない」と語りました。「日本はことあるごとに、世界唯一の戦争被爆国であり、核保有国と非保有国の橋渡しになると公言してきたが、この言葉を信用する国はいまやどこにも見当たらない」と日本政府の対応を強く非難。「ロシアのウクライナ侵攻で核兵器使用の危険性が高まり、地球人類の危機が叫ばれるいまこそ日本が核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と訴えました。
続いて、被爆者、市民、被爆2世から訴えがありました。
被爆者の城臺美彌子さんは、「6周年おめでとうとは言い難い。もしロシアが核兵器を使ったらどうなるか想像すると言葉に窮するほど心が痛む」と述べました。そして岸田政権が進める敵基地攻撃能力の保有は日本を戦争に巻き込むとても危険な政策だと批判し、子どもたちへの講話の中でも「もっと政治に関心を持って。自分たちの未来は自分たちでつくるんだよ」と訴えていることを紹介しました。
グリーンコープの石原久美子さんは「命を何より大切と考え、緑の地球を緑のままで子どもたちに手渡したい」という活動理念の一環として平和の取り組みを行っていることを紹介。毎年8月8日~9日、柳川市から爆心地公園まで125キロを自転車で走行して平和を訴えたり、ウクライナ緊急支援の活動を行ってきました。「誰もが安心して暮らせる地域づくりを通して共生・平和の輪を広げていきたい」と述べました。
被爆2世の井原和洋さんは、日本政府が禁止条約に入らない理由などを紹介しながら、「橋渡し役を果たして現実的かつ実戦的な取り組みを粘り強く続けると言うが、いつまで待てばいいのか。そろそろ具体的な取り組みを国際社会に示すべきではないか」と批判。そして「権力者になめられても、選挙に行かない人たちが増えているのは我々の責任でもある。唯一の戦争被爆国に生きる私たちには、被爆の実相を知ることとそれを伝える取り組みの意義がいま改めて問われている」と述べました。
長崎原爆青年乙女の会での講演のため長崎を訪れていた俳優の斉藤とも子さんが長崎の原爆詩人・福田須磨子さんの詩「亡き父母に」「原爆を作る人々に」を朗読し、参加者はこれに聞き入りました。
最後に参加者は「核兵器禁止条約は人類の希望。日本政府は禁止条約に参加する道を追求してください」と訴えるアピールを採択しました。
(2023年7月8日)