8月23日(日)、長崎駅前に集った200人が安保法制反対の声をあげました。安保法制に反対する長崎の青年たちが6月に結成した「N−DOVE」が呼びかけたもの。この日は「0823全国一斉行動」としてデモや街宣行動などが全国60か所以上で一斉に取り組まれました。
「長崎アピール」では音楽が流れる中でママや高校生、長崎出身のSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)メンバーなど飛び入りを含め10人がスピーチし、「戦争法案絶対反対」「憲法守れ」「被爆者たちの声を聞け」と力強くコールしました。
子どもが生まれ政治に関心を持つようになった。守りたいもののために行動を起こすことに遅すぎることはない。安倍首相は多くの国民が反対する中で法制化を強行するが、そんな権限はないはずだ。主権者を馬鹿にしないでほしい。子ども達を誰ひとりとして戦争に加担させたくないし、戦争で殺し、殺されることは絶対に嫌だ。(T・M)
一万人署名活動を通じて被爆者の話をたくさん聞いてきた。共通するのは核兵器と戦争はなくさなければならないということ。世界では内戦やテロが絶えないがその根本には利己的、差別的、排他的な考えがある。広島、長崎は、たった一発の原爆により更地になった。命だけでなく思い出や歴史も壊された。核兵器も戦争もなくすために、被害だけでなく加害の歴史も学ばなければならない。日本はせめてもの償いとして戦争をせず、核兵器をなくすことを主張していかなければならない。(N・R)
日常を守りたくて安保法制に反対している。自分にとっての平和、守りたい日常は何なのか再確認するために長崎に帰ってきた。人生で一番尊敬する被爆者が毎回言葉をかけてくれる。「たったひとつの命だから」、その後に続く言葉を想像しなさい、考えなさいと。30年後、僕の子どもがいるかもしれない。彼らと一緒に長崎の平和の鐘を鳴らそう。「100年間俺たちは戦争をしなかった。誰も殺さなかった」と。戦争しなかったことを自慢できる国にして、僕たちの日常を守り抜こう。(H・M)
デモなどの活動をしたいと思ってN-DOVEに入った。小さい頃から平和学習をしてきたが、怖くて写真など見ることができなかった。しかし、それくらい戦争は怖いものとして捉えている。長崎人として声をあげなければと思って発言している。今、介護職に就いているが、一日何の不安もなく過ごせることが平和なこと。ごく当たり前のことが続く日常が大切。その日常を壊す安保法制を阻止するため仲間とがんばりたい。(T・K)
安保法制は憎しみを連鎖させるもの。ドイツでは集団的自衛権を認め、後方支援という名目で軍隊が派遣され、命を落としたり、帰国しても自殺したりしているとニュースで見た。恐怖を感じそんな日本にしないために声をあげる必要があると思った。7月のデモ後、「すごかったね」「見たよ」と反応があり嬉しかったが、就職できないという脅しもあった。それでもめげずに声をあげる。声をあげる若い人はまだ少ない。戦争に行くのは若い人たち。戦争に行き、命を落とし、心を病む可能性のある安保法制は絶対に廃案にすべきだ。(T・R)
この国がどこかおかしいと感じている。安保法制のことだけでなく、辺野古の基地建設や、被災地の補償の打ち切り、川内原発の再稼働など多くの国民が望んでいないのに、「この道しかない」といって突き進んでいる。良い人殺しなんてあるはずない。戦後70年間一度も戦争しなかったことを誇りに思う。私たちの世代は政治の話なんてダサい、めんどくさいという世代だが、今過ごしている日常は戦争で犠牲になった上に成り立っている。戦後をずっと続けるために声をあげたい。未来をつくるのは政治家ではなくて私たちであり、考え行動する責任がある。(I・R)
勉強しないといけない、友達と遊びたい、そんな気持ちをこらえて未来のためにこの場に立っている。70年間この国が守ってきた平和がどうなるのか、これから数週間の自分たちの動きにかかっている。全てを懸けて戦争法案を全力で阻止したい。かけがえのない命を奪うことを平和のための抑止力とは言えない。70年前の戦争責任は僕たちにはないが、人類の一員として、被爆地ナガサキの若者として、もう二度と戦争も核兵器の惨劇も繰り返させないという未来への責任がある。先の大戦でアジアを植民地化した日本の若者として歴史に真摯に向き合う義務がある。戦争法案を本当に止める。僕たちはあきらめない。(M・S)
(2015年8月24日)