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この目で見た辺野古と高江

ジュゴン・アクションを大きく広げよう!

 8月18日から20日の、沖縄連帯ツアーに参加しました。長崎県下から、民商の皆さんを中心に総勢17名での行動でした。辺野古で渡すため、ジュゴンアクションの折り紙ボード3枚を大切に持って行きました。

 1日目は、県南部をめぐり、沖縄戦について学びました。2日目は北部の辺野古、高江に行って座り込みに少しだけ参加し、現地の方のお話も聞くことができました。3日目は、嘉数高台から普天間基地を見学し、最後に不屈館(瀬長亀次郎と民衆資料館)に行きました。

 2日目の名護では、名護民商の仲本会長から辺野古の闘いの現状と沖縄の問題を講義して頂きました。新基地建設予定地に隣接するキャンプシュワブは海兵隊基地で、水陸両用強襲車の訓練場所となっており、佐世保からの強襲揚陸艦がその水陸両用車や海兵隊員を拾って演習地に向かいます。辺野古周辺の海は深いところは30~40mほどあり、空母も入ることができます。この区域に滑走路を擁する基地をつくることは、現在言われているような普天間基地の代替施設などではなく、普天間基地にはない機能を持つ基地をつくることになります。政府の言う「この道しかない」というのは、そういうことかと思いました。

 現在、辺野古基金が設立され、本土にも広がっている運動ですが、島ぐるみの運動もさらに広がり、沖縄で従業員5,000人規模の大手スーパー「かねひで」の社長は、5年前は仲井真前知事を応援していましたが、今は辺野古基金に利益の1%をカンパしているとのことです。

 「沖縄経済は基地でもっている」ということを言う人もいますが、現在においては、それは大きな間違いで、逆に基地があることで観光産業には大きな痛手になることがはっきりしているそうです。那覇新都心として賑わっている場所は、以前は牧港補給基地という米軍基地でした。基地の時代はそこで働いていた従業員は、168人、税収は45億円。那覇新都心となった現在は、従業員17,285人、税収は518.3億円になっているそうで、どちらが経済的に有利かは数字を見ても明らかです。普天間基地が返還された場合の経済効果は4,522億円という試算もあり、沖縄経済は基地に依存しているというのは真っ赤なウソです。

 講義のあと、仲本さんもいっしょに辺野古のゲート前の座り込みの場所へ移動しました。この日は昨年の座り込み開始から409日目。マイクでのリレートークが行われていて、この日参加していた那覇市議団の中には、昨年公約を守ったために自民党から除名された自民新風会の市議も来られていて、大きな拍手を送られていました。長崎から来た私たち17名も紹介され、ジュゴンアクションのボード3枚を持って挨拶をさせてもらいました。ジュゴンアクションの紹介をし、長崎でもがんばりますと決意表明すると、(たぶん)自民新風会よりも大きな拍手が送られました。沖縄タイムスの取材もあり、その後すぐにネットニュースで配信されていたようです。

 しばらく座り込みした後、東村高江に向かいました。N1というゲートの前では10名前後の方がテントにおられました。北部訓練場には、もともと22か所のヘリパッドがあり、2007年に新しく6か所のヘリパッドが建設されることになりの時から高江の座り込みも始まりました。新しい6か所はさらに高江の集落に近くなり、N4と呼ばれるヘリパッドはもう完成してしまっています。

 現在座り込みをしているのはN1ゲートの表と裏です。沖縄防衛局はだいたい夜中か明け方に機材の搬入を行うので、気が抜けないということでした。この基地はフェンスがなく、道路が基地の中を通っていることになり、いつ米兵が来るかもわからず、米兵が実際に集落の中に入ってくることもあるそうです。「N1ウラ」と呼ばれるテントにはお一人の方が座り込みをされていました。畑の真ん中にあるそのゲートの通路に車を3台停め阻止行動をしています。数名で交代しながらその場所で寝泊まりし、2年になるとのことでした。街灯はおろか自動販売機もなく、夜は真っ暗で、ハブなどの野生動物の危険と米兵に遭遇する危険とがあり、「怖くないですか」の質問に「最初は怖いと思いましたけど、もう怖くありません。覚悟はできています」との返事でした。沖縄のこのパワーはいったいどこから来るのかと改めて感じました。

 その答えは、3日目に行った「不屈館」にありました。瀬長亀次郎さんの次女である内村館長のお話がありました。「沖縄県民はみんなが沖縄戦の犠牲者。県民の4分の1が殺され、家族や親せきの誰かが必ず犠牲になっている。また、戦後のアメリカ統治下においては、本土に行くにはアメリカの高等弁務官の発行するパスポートを持って行かなければならないなど、屈辱を味わっている。誰もが同じような目にあっており、それが島ぐるみの運動につながっている」ということでした。県知事選挙の時に「イデオロギーよりアイデンティティー」とよく言われていましたが、もともとあった沖縄のアイデンティティーは、沖縄戦と占領下の抑圧の時代にさらに強くなっていったのだろうと思います。

 沖縄訪問は14回目でしたが、毎回何か発見があります。今回も沖縄のアイデンティティーを理解することができたという大きな発見がありました。この発見を、長崎の運動でどのように生かしていくかこれから考えていかないといけませんが、ジュゴンアクションを継続し、その中で自分が見てきたこと聞いてきたことをできるだけ伝えることができるようにしていこうと気持ちを新たにしています。(R・K)

(2015年8月21日)