6月2日、NO NUKES DAYの諸行動が全国で取り組まれました。東京では国会前に6万人が集結し、安倍内閣に「原発いらない」「再稼働反対」の声を突きつけました。
長崎市でもこの行動に呼応して、さようなら原発1000万人アクション・ナガサキ、原発ゼロをめざす長崎連絡会、原発なしで暮らしたい長崎の会の3団体が初めて実行委員会をつくって取り組み、約250人が参加しました。長崎市民会館前で開かれた集会では3人がスピーチを行ないました。
木村雄一さんは福島市でライブハウスを営んでいましたが、原発事故の3カ月後に佐賀県鳥栖市に妻子と自主避難し、現在は長崎市高島町に在住。「生まれたばかりの娘のいのちとお金を天秤にかけていた自分が恥ずかしかった」と被災者の胸のうちを吐露。そして加害者である東電と国が上の立場で被害者に命令してくると批判。被ばく労働に支えられて生み出された原発の電気を使ってきたことを自覚し、廃炉作業には率先して駆けつけるぐらいの気構えがないと脱原発は無理と訴えました。
諫早で毎週金曜日行動(イサキン)を続けているマイク太田さんは南島原市で農業を営んでいます。長崎市のあじさい行動に鼓舞され、「たとえ1人でも諫早でデモが始まったという事実をつくれば運動が広がるきっかけになる」とツイッターでも呼びかけて8月末に開始。いまでは道行く高校生が声を掛けてくれるようになりました。最近の政府の動きに危機感を持っています。「人はつながることで力を得て、また次の一歩を踏み出せる。私たちがどれだけたくさんの人とつながっていくかにかかっている」と呼びかけました。
九州玄海訴訟弁護団の魚住昭三さんは風船がどこまで届くか調べるプロジェクトを紹介、全国が原発の被害地域になることを実感して欲しいと述べました。現在、原告数は6097人、1万人以上にして勝訴判決を勝ち取り、脱原発特措法を通して「原発から自由になるために頑張っていきたい」と決意を述べました。
参加者は「原発からいのちを守ろう」「再稼働反対」「自然エネルギーに転換しよう」などとコールしながら浜町アーケードを通って中央公園までパレードしました。
(2013年6月3日)