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米軍基地の新設、増設が進む佐世保

 2012年日本平和大会in東京のプレ企画として佐世保基地調査行動が取り組まれました。ガイドは佐世保原水協理事長の山下千秋さん。

【釜墓地周辺】
 終戦後の引揚げ港だった浦頭港には多くの引揚者が上陸しましたが、その際多くの遺骨も同時に帰国し、引揚げ船内での死亡者なども含め、身元不明者は釜墓地で荼毘に付されました。その慰霊の施設ですが、周辺の状況が驚くほど変わっていました。市道とハウステンボス駐車場の一部が米軍住宅建設のために提供され、釜墓地に行くには代替の取り付け道路で大きく迂回させられ、以前のように米軍針尾住宅前は通れません。「釜墓地」全体が米軍施設に取り囲まれたような状況でした。

【弾薬庫拡充に反対運動の芽】
 前畑弾薬庫の統合移転先とされる針尾島弾薬集積所を対岸に望む東浜地区で元佐世保市議(民社党)の浜本昭義さんから説明を受けました。浜本さんは米軍の異様な軍備拡張が続くことに疑問を持ち、それ以降、運動を続けています。
 2009年4月、佐世保市は浜本さんが住む東浜町の自治会を含め地元関係10団体すべてが合意したとして、九州防衛局に「移転」受け入れ合意文書を提出。実際には、自治会長名で、自治会役員会の受け入れ表明を支持するかどうかを問う「アンケート」での集約であり、そのアンケートのひな型は市の基地政策局が作成して配布したことが判明したというものです。なし崩し的な手法で「合意」を取り付ける手段と言えます。
 撤去返還で揺れる前畑弾薬庫も訪れ、一番近い民家まで70メートルしかないという危険な状況が目の前に広がっていました。

【港内から見た基地の変貌】
 午後からはチャーターした船に佐世保の人たちと乗船して港内から米軍、自衛隊基地を見学しました。赤崎や庵崎の貯油施設の貯油能力アップにも「思いやり予算」が使われているとのこと。また白いカマボコ状の倉庫のどれかには、昨年3・11東日本大震災での米軍の「トモダチ作戦」の際に出た放射能防護服やマスクなど汚染物が保管されているといいます。
 西海市の横瀬浦貯油所に建設されていたLCAC新駐機場では上陸用の斜路や整備格納庫なども完成し、現在の駐機場の崎辺地区から移転するのは時間の問題ではないかと思いました。
 佐世保港は、広大な水域を持つ天然の良港ですが、その83%が米軍への提供水域となっており、残りの17%を活用できているに過ぎません。長崎港の10倍の広さを持ち、港内に広がる静かな入江など内海を利用した養殖業などの水産業にも重大な障害となっています。

【日米安保体制の原型】
 船から下りた後は、佐世保米軍基地の中核的存在である立神港区周辺—黄色の境界線やSSK佐世保造船所の第3ドックを見学。1996年、特別協定を盾に米軍は強襲揚陸艦ベローウッド修理のために第3ドック明け渡しを要求。会社・従業員あげての反対の徹底抗戦を行う中、日本政府は浮きドックによる修理という妥協案で解決しました。この際もその費用は「思いやり予算」が使われました。「もし有事法制が発動されたら、米軍が必要と言えば全国どこでも使えるようになる。その原型がここにある」と山下さん。

【佐世保が沖縄の基地を補完する姿、鮮明に】
 1日がかりで佐世保市内・港内を駆け回り基地調査を終えました。山下さんの求めによって佐世保市基地政策局が作成した「米軍佐世保基地関係者の主な事件・事故」という資料から、沖縄だけでなく地元佐世保でも事件事故が相変わらず繰り返されていることがわかりました。とても見過ごすことはできません。
 今年1月発表の「オバマ新世界戦略」は、アジア太平洋を重視した再編、既存の同盟を重視するなど、安保条約存続を前提にした戦略を示したことも危険だと感じました。沖縄ではオスプレイ強行配備、普天間基地移転問題(=辺野古地区への建設問題)、そして暴行事件など県民生活をないがしろにする状態が続いていますが、沖縄の米軍を補完する役割をもった佐世保米軍基地がいかに危険な存在かを改めて知る機会となりました。

(2012年10月22日)